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2006年6月15日

立体にみせる、音を配列する。

仕事がら、PowerPointをよく使っています。ところが、ちょっとかっこいいプレゼンテーション資料を作ろうと思って図形を立体化しようとすると、あまりうまくいかない。

オートシェープ(図形描画の機能)を立体化する3Dというボタンがあるのだけど、何だか違う。というのは、立方体を作る場合に、通常は正方形を描いて立体化するのですが、基本的に斜め右上に奥行きが広がるような図形になるわけです。しかし、これがどうもかっこよくない。息子の算数に出てくる立方体のような図形で、美しくない。ぼくが描きたい図形は、以前、このブログで「思考のエクササイズ」というエントリーで資料をつくってみたことがあったのですが、次のような図形です。

rittai.jpg

仕方がないのでこの図形は、ひし形を組み合わせて作りました。

ところで、「デザインする技術 ~よりよいデザインのための基礎知識」という本を読んでいたところ、この図形の描き方に技法としての名称があることを知り、なるほどと思いました。「アクソノメトリック投影法」というそうです(P.52)。特に「垂直な線分(軸)に、同じ長さの線分を左右に等分の60度角度を持たせて加える」一般的な描き方は、「アイソノメトリック」と呼ぶらしい。何気なく描いていた図形は、どうやらこのアイソノメトリックのようです。一方、正面の正方形に奥行きを付ける「押し出し図形」の描き方にも名前があり、Elevation Obliquesとのこと。これは「立方体の構造物を角度を付けずに見下ろした構図」だそうです。

こんな風に、何気なくどちらかというとこの描き方のほうが美しいな、と思って作ったものに法則があることを発見することは、結構楽しい。黄金分割などもそうだと思うのですが、昔から絵を描いたりデザインするひとたちの間で、どのように描いたら美しいか、リアルになるか、ということが考えつづけられてきたわけです。そこには人類の長い思考の歴史があり、自分の発見だと思っていたことであっても、誰かが考えている。

このとき、この発見はオレのものだ、オレだけに権利がある、という風に独占的に思いたくはありません。えっ?誰かがもう考えていたのか残念、と悔しがりたくもない。昔にもそういうことを考えていた誰かがいたことを思い、過去の誰かの思考とつながっていることをうれしく感じていたい。なんだきみも(誰だか知りませんが)そんなこと考えていたんだね、という共感がそこに生まれるわけです。そしてその思考を未来につないでいきたい。過去の誰かから、未来の誰かへのリレーとして。

ということを考えていて、また意識が回想モードに入ったのですが、まだ14歳か15歳の頃、少年のぼくはギターコードをピアノの鍵盤に置き換えているときに、ある法則を発見したことがあった。これは音楽をやっている方にとっては当たり前のことかもしれないのですが、たとえばCというコード(和音)は、ドの音をベース音にして、その鍵盤から(もとの鍵盤を数えずに)半音で4つ上(ミ)、さらに4つ上の音から半音で3つ上の音(ソ)の音で構成されている。これは3度と5度ということだと思うのですが、ベース音をどの音に変えても、この構造は変わらない。つまりDであれば、レの音から4つ上(ファの#)、その音から3つ上(ラ)になる。つまり、ギターコード譜さえあればどんなコードもピアノに展開できる。さらに真ん中の音を半音下げるとマイナーコードになる。Cであれば、ミを♭にするとCm(シーマイナー)になるわけです。

この法則に気がついたとき、ぼくは身体に電流が走ったような気がしました。もちろん、和音にはそのほかにも7度を加えるなどの装飾があるのですが、シンプルに音の世界をとらえるとすれば、世界は「陽(メジャー)」と「陰(マイナー)」、つまり日の当たる場所と影になる場所で成り立っている。したがってメジャーコードとマイナーコードの成り立ちさえ知っていれば、とりあえず表現ができる。しかもその構造は、どんなに転調しても同じである。この発見に少年のぼくは衝撃を受けたのでした。

その後、メジャー7のコードや複雑なディミニッシュを覚えたときには、ああ大人になったなあ、と感じたものです。けれどもはじめてコードの成り立ちを発見したときの驚きには及ばない。そのとき、ぼくの前に広がった世界の明るさというものを、ぼくはいまでも覚えているような気がします。

しかしながら、もっと考えを深めていくと、ドミソという構成と、ミソド、ソドミという構成は同じ音であっても何かが違う。これはまさに正面(図)にどの音が出てきて、背後(地)にどの音があるか、ということかもしれないのですが、同じ構成要素であっても、配列が違うとまったく別の雰囲気、世界観を醸し出す。まったく違う秩序が生まれる。余談だけれど、New Order(新しい秩序)というバンドがあるのですが、そのベースはルート(Cだったらドの音)を弾かないアレンジがされていて、そこがかっこいい。秩序を壊したところに新しい世界が生まれる。

会社などの組織も同じかもしれません。社員は同じであっても、誰がトップに立つかということで、同じ構成員だったとしてもまったく別のハーモニーが生まれる。同じ立方体であってもアイソノメトリックで描かれたときには洗練さが感じられるように、どうみせるか、ということだけれも大きく異なるものです。

こんな風にして、デザインや音などジャンルが異なるものを横断して、何か法則をみつけていきたいのですが、それは小説を書いたり音楽を創るのと同じぐらいに創造的な試みだと思うし、科学者や発明家のようなひらめきにあふれる分野であるような気もしています。もちろんあまりにもスピリチュアルになると危険も感じているのですが、その方法模索、あるいはパターン発見の長い旅のなかで、何か新しいものに出会いそうな予感があります。

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■いろんな本を同時進行的につまみながら読んでいるので、なかなか読了できないのですが、「デザインする技術」は面白い本です。

4844358588デザインする技術 ~よりよいデザインのための基礎知識
MdN 2006-05-19

by G-Tools

投稿者 birdwing : 2006年6月15日 00:00

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