2007年7月11日
模倣と憧れ。
東京は雨降りです。外出すると、なんとなく湿度のフィルムで身体中が覆われてしまう感じ。あまり気持ちのいいものではありませんが、外を歩きながら傘に当たるぽつぽつという音を聴いていたところ、
「これ、録音できないかな・・・」
「シンセで再現すると、alva noto(カールステン・ニコライ)みたいな信号音だな・・・」
などと考えてしまいました。ぼくはビョーキでしょうか。きっとそうだ(苦笑)。ちなみにalva notoの雨音的なノイズというのは、「Berlin」のイントロを思い浮かべました。YouTubeから。こんな感じです。
■Berlin
歌入りの曲だけでなく、こういう抽象的な曲も作りたいものです。それにしても趣味のDTMのやりすぎかもしれません。耳に聴こえてくる音を音楽に変えようとする癖がついてしまって、いっそのこと脳内にジャックをつないで鳴っている音をアウトプットしたいぐらいです。できたらいいのに、と大真面目に考えるところが怖い。
そんな本日、久し振りにiPodで聴いていたのは、Peter Bjorn and Johnの「Young Folks」のリミックスです。
Young Folks Wichita 2006-08-07 by G-Tools |
そのリミックスを電車のなかで聴いていたところ、先日作ったAME-FURUという曲のHOUSEバージョンを思いついてしまいました。その場で曲にできないのが、ほんとうにもどかしい。
映像を検索してみると、以前YouTubeで消されてしまっていたPeter Bjorn and Johnのライブを発見!やった、これは保存版だ。ギターレスの3人編成で、やっぱり変です。
■Young folks Peter, bjon & john
そんな感じで、あれこれぼんやりと考えながら検索をつづけたところ、なんと日本語版(カバー)が出ていたことも発見!知らなかった!タイトルは「恋はビヨーン〜No Mo-so No Love〜」とのこと。なんじゃそりゃ(苦笑)。アーティストの名前にちなんでどうする。公式サイトでは、イラストと写真を組み合わせたような映像が使われています。これもなんというか・・・微妙だ。
恋はビヨーン~No Mo-so No Love~ amtm ビクターエンタテインメント 2007-04-25 by G-Tools |
■公式サイト(試聴とPVがみられます。音が出るのでご注意ください)
http://www.amtm.info/
5月の記事ですが、以下のように書かれていました。
原曲を忠実に再現しながらもオリジナルアレンジを適所に施した サウンドプロデューサーにはMr.スウェディッシュ・ポップのカジヒデキ、ユルユル日本語詞には、柴咲コウ(RUI)・鈴木あみ・TRF・hitomi・松たか子・観月ありさ等に詞提供を行う前田たかひろ氏、そしてRemixにはクラブミュージックシーンで今話題の新進気鋭トラックメイカー、DE DE MOUSEが参加!
そもそもカジヒデキさんってMr.スウェディッシュ・ポップだったのか。まあ、いいや。
さて。リミックスやカバーは原曲に新しい解釈を付け加えるものですが、ただ単純に模倣をするとコピーになりますね。ビートルズのコピーバンドはそれこそ数え切れないほどあり、リッケンバッカーのギターにへフナーのバイオリンベース、マッシュルームカットにモッズ風のファッションをして、ジョンやポールといかに同じ声、同じ演奏を追求していきます。
音楽の楽しみのひとつとして、この模倣(コピー)はとても楽しい。というか、憧れのミュージシャンと同じ演奏をして、一歩近づくことができただけで、もうわくわくしますね。同じ曲を弾いているということだけでも嬉しいものですが、楽器もファッションも・・・という風に完璧にこだわるのも楽しそうです。
実はぼくはへフナーのバイオリンベースを持っています。初期ビートルズでポール・マッカートニーが弾いている楽器です。購入したのは社会人になってからですが、ほとんど衝動買いのように購入してしまいました。とても弾きにくいベースなのですが、自宅で弾いて高いポジションの音をぽーんと出したときに、おおっポールの音だ!と感動しました。エルビス・コステロがポール・マッカートニーとヴェロニカというコラボ曲を作ったときにわざわざポールにへフナーを弾かせたわけだ、と思いました(確かそんなエピソードがあったような。うろ覚えですが)。
コステロのヴェロニカは、社会人バンドをやっていたときに練習したことがあったのですが、3人編成になったばかりのことで異様に緊張が走ったのを覚えています。ただ、この曲を聴くといまでもあのときの必死な感じを思い出して、いいですね。ビートルズライクなアレンジであり、コステロのポップ志向のソングライティングが活かされた名曲だと思います。
急に聴きたくなってしまったので、YouTubeから。
■Veronica - Elvis Costello
Wikipediaを読んでいると、フジテレビの『とくダネ!』の主題歌になったとか。テレビに疎いぼくは知りませんでしたが。
好きなアーティストと同じ曲を弾く、同じ楽器を使う・・・という模倣のなかに留まるのではなく、その世界から一歩踏み出すとき、音楽はもっと面白くなる気がします。憧れを維持しながら別のフィールドでその憧れを実現すること。そうすることによって、まったく別の新しい何かが生まれるのではないか。
いま、ぼくはパソコンの打ち込みで曲を作りますが、仮想的な自分の脳内の世界では、へフナーのベースが鳴っていることがあります。弾いているのはバーチャルなポール・マッカートニーでしょうか(笑)。もちろん使っている音はシンセベース(Beef FMというプリセットを使うことが多いです)なのですが、ハイトーンに移ったとき、イメージのなかでぼくが抱えているベースはへフナーです。フェンダーのジャズベースでもなければ、ミュージックマンでもない。軽いバイオリン型の胴が鳴る感じをイメージしながら、マウスで音を配置していたりします。
楽器を持っていなかったとしても、楽器を弾くように仕事ができたらいいですね。スタッフの調和をハーモニーになぞらえるとか、仕事の流れをメロディの起伏としてとらえるとか、そんな発想があると短調な作業にも豊かなイメージが生まれそうです。また、ぼくが仕事中はスーツ着用にこだわるのは、ビートルズを筆頭としたモッズ系のアーティストたちに憧れているからかもしれません。ネクタイを締めてロックをシャウトするスタイルに強烈に惹かれていて、そんなイメージがひそかに仕事にも影響を与えているのでしょう。
音楽に限らず、坂本龍馬でもドラッカーでもイチローさんでもよいのですが、憧れのひとのスタイルをまず模倣すること。次に自分なりにアレンジして生き方を模索していく。他人と比較したり競争する必要もなく、自己満足でもかまわない気がします。
自分なりのスタイルのある生き方に憧れます。
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2007年7月 9日
理解のためのパースペクティブ。
趣味のDTMでは念願のボーカル入り曲「AME−FURU」を七夕の日に公開しました。
完成までのエピソードを覚えているうちに書いておこうと思ったのですが、かなりのハイテンションになってしまった。もう少し落ち着いて書こう、整理をしようと思って、翌日(10日)の早朝に修正をかけていたのですが、家族の具合が悪くなり慌しさのなかで間違えてエントリーを消去(泣)。
さいわいなことに下書きが残っていたので、気持ちをクールダウンさせてリライトしながら復活させることにします。
脳は疲れない?
AME−FURUは、ストレージサービス経由でボーカルトラックをSheepさんからいただいたのが日曜日(1日)の夜で、そこからわずか1週間で完成させたことになります。いただいたボーカルに合わせてアレンジも修正したので、仕事を終えた深夜の帰宅後、PCに向かうテンションには凄いものがありました。自分で言うのも何ですが、なんというか、めらめら炎が出てる感じ?
「アップするのは土曜日でなくても日曜日でもいいではないですか(笑) とにかくあまり無理をしてほしくないなぁというのが本心です。体を壊したら何にもならないんですよ?」とSheepさんからあたたかい(半分あきれていた?)メッセージもいただいていたのですが、止まんなかったですね、もはや。
しかしながら「ボーカルに若干フラット気味なところがあるので音声ファイルを微調整しています・・・」というようなメッセージをSheepさんにお送りしたところ、完璧なものを作りたいから取りなおします、妥協したくないんです、という返信を即効でいただき、急患の対応(Sheepさんは看護婦さん)で超多忙だった日に録音し直して送っていただきました。妥協を許さないこだわりに、プロのプライドを感じました。
先週1週間のハイテンションな入魂作業によって、ちょっとぼくも壊れ気味ですが(苦笑)、「海馬」という本で池谷裕二さんが書かれていたことによると「脳は疲れない」そうです。
ほんとうはしばらくブログをお休みにしようと思っていたのですが、感覚が研ぎ澄まされている雰囲気もあり、若干セーブも必要なのだけれど、歌詞を作りながら考えたことを書き留めておこうと思います。自分の作った曲に対して、いろいろと分析したり過剰に理屈っぽく解説するのが悪い癖なのですけどね。
ヒットを生み出す構造
ところで、日本でヒットするアイドルの曲は男性の作詞家やプロデューサーが絡んでいることが多いですよね。秋元康さんにしても、つんく♂さんにしても男性が女性の歌詞を作る。もちろん吉元由美さんのような作詞家もいらっしゃいますが、男性が多い。これがなぜか、ということがよくわかりました。つまり、
女性に言ってほしい言葉を、男性がクリエイトし、女性に歌わせているから
ということでしょう。だから、ヒットする。当たり前といえば当たり前ですが、ここで重要なのは男性思考×女性思考という、タスキがけのようなパースペクティブ(視点、見方)が生まれていることです。男性の気持ちを女性のなかに投影して歌わせる、というか。
この複雑さがあるから、歌詞の世界も広がります。女性が女性の気持ちを、あるいは男性が男性の気持ちをそのままストレートに歌った曲は同性には共感を得られるかもしれませんが、そこまでのような気がします。逆に女性が男性の気持ちを汲んで歌ったり、男性が女性の気持ちを汲んで歌うと、そこに複雑さと広がりが生まれる。
仮想的な他者を、歌詞の世界のなかに存在させることかもしれませんが、その入れ子構造というか、他者内自己のような設定が心を打つシーズ(種)になるのかもしれません。
そもそもAME−FURUという曲を作るにあたっても、ぼくはクリエイターとしてやりたい主張をSheepさんに押し付けることもできた。けれども、そうではなくて、もしSheepさんが歌うのであればこういう歌だろう、ということを想定して作りました。だからこの曲はSheepさんが歌わなければ歌うひとは他には有り得なかったし(ボツです)、最初にお送りしたとき(ブログでデモを発表する以前)に、その意図を汲んでいただいたことが嬉しかったです。
ポリフォニック/同時並列的な女性脳
話は変わりますが、このブログのなかでも何度か取り上げましたが、記憶に関するテーマは非常に興味深いものがあります。最近、アルツハイマーをテーマにした小説や映画も多くなりました。また、重松清さんの小説「その日のまえに」では、病気で亡くなった妻が残した遺書で、妻が自分で伝えたい気持ちではなく受け取る夫の気持ちを汲んで残した「忘れること」に関する一文が非常に感動的でした。
さすがに重松清さんのような言葉を紡ぐことはできませんが、ぼくがAME-FRUの歌詞で記憶に関するテーマをワンフレーズに込めた部分があります。それは「あなたを忘れられなくて」です。
ここだけ抽出すると、何の変哲もないありふれた言葉です。作っていても、ちょっとベタかな、と思いました。しかしながら、実際にSheepさんに歌ってもらうと透明感に溢れる印象になった。文字にするとありがちであったとしても、声質や音程などが加わるとまったく別のものになりますね。だから詩の朗読なども、テキストとはまったく別の空間を創造する表現方法といえるかもしれません。
たいてい、あなたであろうが過去であろうが忘れちゃうものじゃないですか。屈折した見解かもしれませんが、人間の記憶力に対する諦観というか、そんな思い込みがありました。ただし、だからこそ「忘れない」という言葉が重みを持つのかもしれません。
黒川伊保子さんの本を読んで関心があったのは、女性脳はむしろ永遠に記憶を維持することができ、忘れるのではなく「複数の記憶を同時並列的に処理できる。つまり覚えているんだけどワン・オブ・ゼムになる」ことのような気がします。同時並列的に思考が成立するので、彼のことを考えつつ、元彼がどうしているだろうなんて考えられるのが女性脳であって、ポリフォニックな思考なわけです。思考の軸がひとつではないので、思考が安定する。
逆に男性脳はどうかというと、モノフォニックな思考なので、同時並列的に存在することが難しい。忘れられないということは、ほんとうに現在も想いつづけているということで、忘れない限り新しい恋愛もできないのではないか(ぼくだけか?そういう認識は)。複数の女性と付き合うことがあったとしても、Aさんと会っているときにBさんのことは考えられないことがふつうで、考えようとするとぼーっとしちゃうので、Aさんに「いま別のオンナのこと考えていたでしょ(怒)」と見破られてしまう。確かに、たいていそういうときには別のオンナのことを考えている。男は馬鹿だし、わかりやすいですね。
さて、少し前になりますが、コンビ二から持ち帰ったのが、東京電力のフリーペーパー「GraphTEPCO」no.641でした。特集が「男の脳 女の脳」で、黒川伊保子さんも登場されていました。黒川さんの言葉を引用します。
「例えば、仕事をしている最中に雨が降ってきたら、女性は子供に傘を持たせなかったことを心配し、今日履いてきたパンプスが高級品だったことを思い出して悔やむ、といった具合に一瞬のうちにいろいろなことを考えます。ところが同じ状況で、男性のなかで『けさ、シーツを干していたな。雨に降られちゃってかわいそうに』なんて妻を思いやる人はあまりいません。だから女性は仕事の合間のちょっとした時間に、夫や子供に電話をしたりメールを打つのも苦にならない。けれども、そうはいかないのが男性脳なんです」
女性脳は脳梁という、右脳と左脳をつなぐ部分が太いため情報の処理量が多いそうです。だから同時並列処理ができる。脳のなかみのことなので、いまから脳梁を太くするようなことはできないでしょう(できるのかな? 池谷裕二さんの本によると、海馬は大きくすることができるようでした)。ただし、脳の構造が違うのだからそんなの無理だと投げてしまうのではなく、お互いを理解しようとする姿勢は必要かもしれません。
パースペクティブを物語化する
「GraphTEPCO」の特集はわずか8ページなのですが、要点がうまくまとまっていて参考になりました。この小冊子を読みながら、まず女性らしい小場面とは何か、そのケーススタディ(事例)を考えて、AME-FURUの歌詞に落とし込んでいきました。考えているときには文章化していたわけではないのですが、ぼくが思いついたストーリーあるいはシナリオは次のような場面でした。
■CaseStudy-1:
雨降りの午後、待ち合わせた彼女がなぜか不機嫌な顔をしている。楽しませようとするのだけれど、のってきてくれない。どうしたの?と理由を聞くと彼女がひとこと。「傘が重いのよ」「あ、ごめん。僕の傘に入れば?それ、持ってあげる」「そうじゃなくて、傘が重いってことをわかってほしかったの」余計に怒らせた。
僕はどうすれば・・・。途方に暮れるばかり。
→作った歌詞
"あめ ふる そら きらい"
"かさ さす てが おもい"
■CaseStudy-2:
会社で仕事をしていると、突然に携帯電話が鳴った。彼女だ。「もしもし?あたし。いますぐちょっと来れない」「来れないって、いま会社なんだけど」「なんなの。わたしと仕事とどっちが大事なの」「そんなこと急に言われても」「いいわよ、来れなくても。でも来れない理由を聞かせて」「理由か。理由、理由、と」仕事なんだけど。僕はどうすれば・・・。途方に暮れるばかり。
→作った歌詞
"あめ ふる ごご ひとり"
"いま すぐ きて ほしい"
主人公は途方に暮れるばかりですね。困ったものです。
CaseStudy-1のポイントは、女性は「共感」を重視する、ということでしょうか。もちろん解決策も大事なのだけれど、どちらかというと解決策よりも話を聞いてくれた、ということが重要である場合が多い。CaseStudy-2は、「言語能力」といったところ。こちらも結果を出すのではなく、理由についてあれこれ考えあうコミュニケーションの過程が大事なのかもしれません。男性脳としては、早急に結果と解決策を提示したがるのですが、女性脳はそうではないようです。
たぶん、このCaseStudyは女性にはわからないかもしれません(笑)。というのは、無意識のうちにやっていることだと思うんですよね。ただ、似たようなケースで女性に困った経験を持つ男性であれば、あーわかる・・・(苦笑)ではないでしょうか。
その物語のフレームを組み立てた上で、一度ばらして、歌詞化する。そしてSheepさんに歌っていただく。結果として「男性の共感を女性の歌にマイクロカプセルのように埋め込む。歌を聴いた男性の脳内に共感を生む」ことができるのではないか、という試みです。
もちろんAME-FURUでこの試みがうまくいったとは思いません。しかし、たとえば広告の企画におけるコンセプトとメッセージの展開のようなものを趣味の創作の世界に応用すると、こんなアプローチになるのではないかと思いました。趣味のDTMと言ってしまえばおしまいですが、いわば表現のプロトタイプとして、あらゆる表現に使えるフレームワークを内在しているようにも思えます。
ちなみに、上記の事例は正確な自分の経験ではありませんが、CaseStudy-2に関していえば、学生時代、卒論提出の前夜に彼女(現在の奥さん)から「わたしと卒論とどっちが大事なの?」という電話をいただき、3時間ほど日付変更線をまたいで電話で説得したすばらしい思い出があります。電話を切った後、空白の3時間を取り戻すために徹夜かつフルスピードで卒論を書いたことは言うまでもありません。
本来であれば自分の経験に勝るリアリティはないわけで、仕事において女性マーケットにおける市場を考える、というようなときに、このような物語=シナリオ思考が重要になるとも考えます。
とはいえ、恋愛について語るのは、ものすごく苦手です。何度も書き直しつつ言葉を選んでいます。ロボットとか技術について書いていたほうが楽ですね。その苦手な部分に挑戦するときに自分の守備範囲も広がるわけですが。
他者を理解するための方法
英語を学ぶことにしても、企業で顧客満足度を高めることにしても、そして恋愛にしても(と併記すると、非常に違和感があるのだけれど)、結局のところ「他者を理解する」試みではないかと思います。他者には、自分とまったく違った文化のなかで生きていて、考え方や文脈がある。他者を完全に支配することはできないし、伝えたいことがうまく伝わらないギャップが存在する。うまくいかないこと自体が普通です。理解されることのほうが特別かもしれない。
究極のことを言ってしまえば、超能力者でテレパシーを使えるのではなければ、他者の考えていることなんてわかりません。わからないけれども、どこまで歩み寄ることができるのか。他国語を理解しようとするとき、企業が消費者の求めているものを探ろうとするとき、そして恋人と喧嘩してお互いの考えていることをぶちまけているとき、それらはすべて他者を理解するためのささやかな一歩なのかもしれません。
他者を理解するための方法として、自分の視点(Point of View)は大事だけれども、そのPointをいくつも組み合わせて、場合によってはあちら側(=他者)から想像力を働かせて見ることによって生まれるパースペクティブも大切です。そして、そのパースペクティブをよりリアルに感じ取るためには、静的な風景ではなくて動きのある物語に変えることが重要であるとも考えます。
仕事ばっかりやっていても仕事はできるようにはならなくて、ときにはとんでもない失敗をしたり失恋したりとか、馬鹿なことに没頭してみるとか、外国に旅に出るとか、そんな経験をすることで新たな「パースペクティブ+物語」を獲得できそうな気もしています。ネットにしがみついているだけではダメですかね。そうだろうなあ、たぶん。
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2007年7月 7日
[DTM作品] AME-FURU(maybe blue)
■■AME-FURU (maybe blue)
Vocal:sheep (Lotuslounge)
詞・曲・AG・プログラミング:BirdWing
"あめ ふる そら きらい"
"かさ さす てが おもい"
遠ざかる恋が 色あせてみえる
銀色の街を 歩く 黙る こころの影
"あめ ふる ごご ひとり"
"いま すぐ きて ほしい"
アスファルト道路に 水溜りひとつ
逆さまの世界を 映す しずく こぼれそうで
あなたを 忘れられなくて
明日を 信じ切れなくて だから・・・
"あめ ふる そら きらい"
"なか ない めを つぶる"
maybe blue
AME-FURU
・・・
2007年7月7日。7が3つ並んで、それだけでどことなくしあわせな梅雨の今日、念願のボーカル入り曲「AME-FURU」を公開することができました。
ヴォーカルのコラボレーションをしていただいたのは、LotuslougeのSheepさんです。Lotuslougeは2年ほど前にネットで知ったインディーズのユニットで、浮遊感のあるSheepさんのボーカルと詩の世界、現在は旦那さんでもあるK.Kさんの緻密な音作りがすばらしくて、一枚目のアルバム「Contrast」を購入。以後、思い出したように聴いています。ひそかなファンです。
そもそもの発端は、時間ができたのでLotuslougeとは別の活動をしてみたい、ということをSheepさんが書かれていて、チャーーンス!!と思ったぼくが即効で手を挙げ、(たぶん1週間以内で)AME-FURUのデモを完成させました。つまりこの曲は最初から、Lotuslougeのイメージがあり、Sheepさんに歌っていただくことを前提としていたわけです。
ちなみに、ぼくはネットコラボで曲を作りたいと考えていますが、前提としてすべてネット経由オンリーで進行する、ということを条件としています。バンドやスタジオで録音する余裕はないし、会って曲を練るような時間合わせは不可能です。なので、オケをぽーんと投げてボーカルトラックを返してもらって、メッセージでお互いの認識を共有しながら作り上げていく協働がしたかった。これが実はうまく意図が伝わらなかったりしてなかなか難しいのですが(何度か失敗経験あり)、今回はぼくがそもそもLotuslougeのファンであったこと、そしてSheepさんのスキルのおかげで非常に順調でした。
最初、nomal/unnui/wisper/ohnuki(最後は大貫妙子さん風)という4本のバリエーションで歌のファイルをいただいたのですが(1ファイル30MB程度。ストレージサービスを利用)、その表現力にびっくりしました。Lotusloungeのイメージで楽曲を作ったのですが、イメージにはない声があった。ええっ?これがSheepさんの歌?というような驚きがありました。率直な感想を言わせていただくと、そのときに感じたことは「女性は変わるもんだなあ」と(ごめんなさい)。
いやいや、そうじゃなくてそれはシンガーの表現力なんですが。とにかく、wisperのトラックには、ぞくぞくしましたね。これは凄い!ということで、落ち着いて編集作業ができない感じ。別トラックと重ねてダブルボイスにしても音声にやさしさが付加されていい感じになりますが、囁き系に弱いわたくしのツボにはまり、最終的に囁き系を前面に出しています。
その後、さらに追加で3ファイルをいただき、合計7ファイルをDAWに読み込んで音声の切り貼りをしています。だから、「あめ」の「あ」はnomalトラック、「め」はunnuiトラックのようなことになっている。一発取りのバンド系であれば許しがたい制作方法かもしれませんが、そもそもぼくはエレクトロニカ志向なので(と、言ってみる)。波形を睨みつつ、この編集作業にものすごい時間をかけました。これが楽しい。
Sheepさんは現役の看護婦さんでもあるのですが、まさに天使の歌声ですね。そしていま、赤ちゃん(息子さん)を育てるのに忙しい母親でもあります。働きつつ子育てもしている状態で、限界ぎりぎりまで7本の音声ファイルを作っていただきました。頭が下がります。
ところで、最終的な詰めを金曜日の夜、残業して帰宅後に徹夜で行ったのですが、最後の部分に何か足りないぞ、と。制作中に思いついていたことがあり、それをやるかーということで、恥ずかしながら自分の声でコーラスを入れました。しかしですね、明け方の5時に「Don't cry. Don't baby cry.」と、隣室で眠っている妻と息子を気にしながらマイクの前でぼそぼそ呟いていたのだけれど(しかも何気なく2声でハモっていたりする)、どーんとクライのはオレか?(苦笑)と思いました。ははは。
翌朝7時過ぎに完成したときは、意識はモーローでした。でも、いまじわじわと達成感に浸っています。諦めずにつづけていると、夢って実現できるもんだなあ、と。
Sheepさん、ほんとうにありがとうございました。感謝しています。
歌詞について自分で分析したことがあるのですが、それはまた後日に。なんだかいつもと違うノリでブログを書いているのだけれど、まあそんな日もあります。
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2007年7月 5日
夢の在り処。
今週はいろんなことに集中しまくって知力と体力ともに消耗中です。かなり電池切れかかってます。カラータイマー点滅中。けれどもそういうときに限って大量に何かを書きたくなるのはなぜでしょう。破滅的ともいえる。
集中あるいは没頭するのはよいのですが、視野が狭くなるのが難点です。音楽はもはや現在作成中の趣味のDTM(自作曲)しか聴いていません(苦笑。しかも1日に数十回もリピートして、ここはああしたい、あそこはこうしたい、というチェック)。これがまた楽しくて、永遠にやっていたいぐらいです。が、ほんとうに視野狭窄に陥るのでちょっとまずいと思いました。
過剰にアウトプットばかりしていると、インプットをしたくなります。そんなわけで、視野を広げるという意味で昨日購入したのは英語関係のCDブックでした。これです。
イングリッシュ・ジャーナル・セレクション「ハリウッドスターの英語2」 英語出版編集部 アルク 2007-03-09 by G-Tools |
そういえば英語力をつけたい、という目標もありましたっけ(ものすごく遠い目)。やりたいことが多すぎて収拾取れなくなっているのですが。
宣言するのが夢実現の近道
ちょっとここで余談ですが、夢について。
欲張りなぼくはたくさんの目標を立てながら端から忘れていくのですが、ときおり過去の決意を思い出すことがあります。そうして過去の目標を顧みると、長期的な観点からみて、願ったものは(一旦無意識のなかに忘れたとしても)実現できているような気がします。
たとえば趣味のDTMにおいても、将来的には生楽器+打ち込み、という方向性でやりたいということを2年ぐらい前には考えていたのですが、実現している。念願かなってボーカル入り自作曲も発表できそうです。ボーカル入りの曲については、2年ぐらい前に一度やったことはあるのですが、納得のいく完成度ではありませんでした。今回も自分の能力不足を感じるのですが、継続して何らかの形でトライしていきたいですね。凹んだとしても、諦めずにつづけていきたい。
実は、ネットに興味を持った当初、ぼくは自分のホームページを作ることが目的ではなく、自作曲をネットで配信したりネットを介してコラボをしたいものだなあと漠然と考えていました。あらためてそのことを思い出すと、5年ぐらい前の夢を完璧に実現しているのかもしれない。うーむ、しあわせだったりして。
もし夢があれば、叶う叶わないは別として、まず宣言してしまう、というのも手ですね。あるいは書きとめておく。できれば何度も書く。そうすれば無意識のなかで、夢への第一歩を踏み出せる気がしました。
ハリウッドスターの言葉
さて、イングリッシュ・ジャーナル・セレクションの話に戻るのですが、この本は2冊出ているようです。メグ・ライアンが表紙の1冊目も気になっていたのですが(むかしむかしメグ・ライアンが好きでした)、1冊目ではなく2冊目を選んだのはジョニー・デップが表紙だから、ということもあるのですが、チョイスされている10人が次のような俳優さんだったからです。
★オーランド・ブルーム:『キングダム・オブ・ヘブン』 ★ニコール・キッドマン:『奥さまは魔女』 ★ジム・キャリー:『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』 ★ハル・ベリー:『ゴシカ』 ★ナオミ・ワッツ:『夫以外の選択肢』 ★キアヌ・リーブス:『コンスタンティン』 ★ジョニー・デップ:『チャーリーとチョコレート工場』 ★キーラ・ナイトレイ&トニー・スコット:『ドミノ』 ★ユマ・サーマン:『プロデューサーズ』 ★ジョージ・クルーニー:『シリアナ』
まず、オーランド・ブルームだもんなあ。キアヌ・リーブスの「コンスタンティン」も記憶に残っています(DVDで観たんだけど)。ジョージ・クルーニーも渋いな。
ぱらぱらっとめくってみて、オーランド・ブルームの言葉に打たれました。彼は英国の南部訛りがあるようで、sayが「サイ」、timeが「トイム」に近くなるらしい。ふーむ、英語自体がわからないぼくは訛りまで考えたことはありませんでした。が、そういう細部がわかると楽しそうですね。引用します(P.36)。
I just wanna keep learning, and keep growing, and keep working, and hopefully I get the chance to work with great directors, and keep it real, you know what I mean? It's, it's about all about that for me.
僕はただ、これからも学び続け、成長し続け、仕事をし続けて、願わくば、偉大な監督たちと仕事をする機会を得て、そして、自分を失わないでいきたいですね。僕にとっては、それこそが大事なことです。
謙虚な姿勢に好感。オーランド・ブルームの純朴そうな目でじっと見つめられてこんなことを語られたら、どきどきしちゃいますね(ぼくがどきどきしてどうする。苦笑)。
オーランド・ブルームが出演しているキャメロン・クロウ監督の「エリザベス・タウン」は、ビジネスで大失敗しているところに父親を亡くして失意のうちに故郷に戻るのですが、その途中でクレアという女性に出会います。彼女が選曲してくれた曲を聴きながら、ひとりでクルマの旅をするのだけれど、このシーンはキャメロン・クロウ監督のセンス抜群な音楽の選曲といい、そのシチュエーションの切なさといい、もう号泣でした。
エリザベスタウン スペシャル・コレクターズ・エディション オーランド・ブルーム キルスティン・ダンスト キャメロン・クロウ Amazonで詳しく見る by G-Tools |
そんなぼくも、親不孝な息子だったにも関わらず、父を亡くしたときに非常にショックを受けました。たぶん2年間ぐらいはちょっとおかしかった。肉親の死がこんなに深い影響を与えるとは思わなかったのだけれど、その寂しさは結局のところひとりになって解決しなければ解決できなかったのだと思います。
オーランド・ブルーム演じるドリューがひとり旅で失意のどん底から再生していくように、孤独な辛い時間を経由しなければ得られない出口もあります。孤独な時間なのだけれども、いつも音楽だけはあった、というキャメロン・クロウ監督の演出がにくい(しかも気になる女性クレアが彼のためを思って選曲してくれたセットリストなんですよね)。
というようなことを思い浮かべながら、彼のインタビューの言葉はいいなあと思いました。CDできちんと肉声を聴いてみることにしましょう。
彼の言葉に共感しつつ考えたのですが、夢の在り処に到達するまでの道のりは決して近道はなく、学び続け、成長し続け、仕事を続けていく延長線上にあるものではないでしょうか。それは他人に左右されるものでもなく、自分を見失わずに、信じているものをこつこつと積み上げていけば、必ずみえてくるものだと思います。
そんな姿勢を忘れずにいたいものですね。ときとして挫けて諦めちゃいそうになるのですが。
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「エリザベス・タウン」のトレイラーをYouTubeで観ていたところ、あれっ!と思いました。ここで流れている曲(飛行機のなかでクレアに話しかけられるシーン)に先日購入したUlrich Schnaussの「Passing By」を発見。おおっ、なんかこんなところで再会できてうれしい。あらためてよい曲です。それにしても・・・・・・ううう。トレイラー観ながら泣けてきた。
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2008年2月2日追記
「エリザベス・タウン」のトレイラーがYouTubeから消えてしまったので、代わりに次の映像を。飛行機のなかで、スチュワーデスのクレアと出会うわけですが、お互いに惹かれて電話をし合う。一晩中、ずーっと話をしている。お風呂場でもトイレでも話をしている(笑)。結局のところ夜明けに会ってしまう、というようなシーンがあったかと思いました。ありますねえ、そういうこと。どんなに話をしていても話がつきないひとがいるものです。
■ElizabethTown: Drew and Claire "Summer Long"
投稿者 birdwing 日時: 00:00 | パーマリンク | トラックバック
2007年7月 3日
梅雨の終わりに間に合うように。
ティザー広告という言葉が広告用語にあります。これは何かというと、商品やサービスが登場する前に、なんとなく思わせぶりな「おや?」と思うようなCMを公開して興味を惹くことです。たとえばシルエットだけみせて、その実体は明らかにしないとか。あるいはネーミングだけ公開して詳細は○月○日に店頭にて!のように告知するとか。英語のtease(じらす)から名付けられているようです。
うまい例がないかな、と思って探していたら、さすがWikipedia。「ティザー広告」の解説に、1966年から2007年までの主なティザー広告が列記されていました。そういえばWiiも最初は何だろう?という感じの告知でしたね。本体を出さずにリモコンからみせるところがにくい。YouTubeからCMを。
■Nintendo Wii CM - October 14,2006
さて、いきなり話は変わりますが、趣味のDTMですが、以前作った「AME−FURU」という曲にボーカルを追加しています。
これが自分の才能のなさに凹む凹む(泣)。素人なのでよくわからないのですが、ボーカル入りの曲って、インストとは別の発想で作らなきゃだめなのかもしれないですね(そんなの基本かー)。さらに日記を書くように曲を作るというコンセプトで、時間を優先して1週間に1本のペースで小品を発表していたので、作り方が非常に雑です。あまりにもいい加減な楽曲の組み立て方に、あらためて落ち込みました。リズムのWAVEファイルの波形をみながら微妙に位置を合わせたりして、修正しています。ちゃんとやろう、ちゃんと!という感じでしょうか。ただ、ちゃんとやったからといってよい曲にならないところが辛いんですよね。こればかりは才能かもしれない。
時間をかけて(ぽんこつマシンが動かなくなって困惑しながら)こつこつと組み立てているところですが、イントロの前にちょっとした声のコラージュを作ろうと思いました。そこで、ボーカルトラックの音を刻んでサンプラーに読み込ませて、20秒ほどの小品を作ってみました。fieldという無料のソフト(VSTi)も使って、雨のノイズを背景に流しています。
ティザー風に公開してみましょう。実は、ボーカルはとある方にご協力いただいています。
■ame-fu.mp3 (24秒 192Kbps 580KB)
VOCAL:??? 曲・プログラミング:BirdWing
こんな風に声を切り貼りされて、ボーカルやっていただいた方には怒られるかもしれません・・・すみません。このコラージュを完成版で使うかどうかは今のところ未定です。
梅雨の終わりに間に合うように、曲を完成させたいと思っています。それにしてもプロのような完成度の高い曲ができないものだ。というか、簡単にできてしまったら、プロだって困る。趣味だけれども妥協を許さずに作り込みたいのですが、なにせVAIOノートだけで制作しているので、限界があります。よい機材がほしいものだなあ(と、呟いてみる)。
投稿者 birdwing 日時: 00:00 | パーマリンク | トラックバック
2007年7月 1日
Tom McRae / King of Cards
▼music07-036:孤高の詩人に憧れて。叙情的で、繊細で、力強く。
King of Cards
Tom McRae
曲名リスト
1. Set the Story Straight
2. Bright Lights
3. Got a Suitcase, Got Regrets
4. Keep Your Picture Clear
5. Houdini and the Girl
6. Sound of the City
7. On and On
8. Deliver Me
9. One Mississippi
10. Ballad of Amelia Earhart
11. Lord, How Long?
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CDショップはぼくの趣向に合わせて店頭をディスプレイしているのではないだろうか?と思うことがあるのですが(なわけないでしょう。苦笑)、アコースティック系の特集として、Elliott Smithと同じ棚に置かれていたのがTom McRae でした。その繊細な声とギター、そしてどこか懐かしいストリングスの入ったロックに惹かれて購入。
音的には、全然似ていないけれども雰囲気としてニック・ロウとか思い出したりしたのですが、そもそも最初に彼を見出したプロデューサーがエルビス・コステロやスクイーズなどを手がけていたロジャー・ぺキリアンとのことで、なんとなく納得もしました。
純朴で繊細で誠実な音作りは何に起因するのだろうと思ったのですが、まず彼の出身が、「イングランド東部サフォークにある人口250人のちいさな村」であることが記載されていた。なるほどね。250万人と勘違いしていたんですが、250人なんですね。ご両親はともに教会の司祭とのこと。地方であること、そして育ちのよさが彼のセンスとなっているのでしょう。ぼくも地方出身者であり、どちらも教師の両親のもとに生れたのですが、どうしてこんなにひねくれちゃったか(苦笑)。
楽曲としては、ひそやかに始まる1曲目「Set the Story Straight」がいいですね。そして続く2曲目「Bright Lights」も元気になる。ただ、このアルバムは4作目に当たるらしいのですが、実は結構暗めの曲を得意としていたのかもしれません。試聴したときには、それこそBright Lightsを感じて気にいったのですが、自宅で聴いてみると結構重い印象の曲もあります。3曲目「Got a Suitcase, Got Regrets」あたりから、そんな雰囲気がじわじわと滲んできます。ブルースハープも切ない感じで入ってきて、さりげなくダークな気分に浸れます。あるいは6曲目「Sound of the City」とか。悪くないですけどね。
多彩な音で脚色されたサウンドもいいのですが、アコギ一本で弾き語りもいいだろうなあ、という感じです。6月30日鑑賞。
+++++
アルバムのなかの曲ではないのですが、ライブから「street light」という曲を。lightという言葉が好きなのかもしれないですね。
■tom mcrae - street light (09.12.02)
公式サイト
http://www.tommcrae.com/
myspace
http://www.myspace.com/tommcrae
*年間音楽50枚プロジェクト(36/50枚)
投稿者 birdwing 日時: 23:00 | パーマリンク | トラックバック
獏 / 現状維持
▼music07-035:音楽に対する真っ直ぐな想いが聴こえてくる。
01.ピクセル(インスト)
02.心に水を体に光を
03.グレープフルーツムーン
04.月晴れ
05.胎児の夢
06.とまと
はじめて国内の自主制作盤のレビューをします。獏はネットを通じて発見したバンドで、ずっとライブで観たいと思っていました。けれども、なかなか機会がないのでCDを購入。ピアノとボーカルを担当するエリーニョさんを中心に、ベースのヤマグチツトムさん、ドラムスのカリーさんの3人編成です。
バンドとしてきっちり音がカタマリになっている。まずその一致団結した音がかっこいい。個人的には、ひそかにカリーさんのドラミングがいいと思いました。結構好みです。高めのスネアとちょっとジャズっぽい繊細な叩き方というか、そんな空気感がよいと感じました。そしてタイトなリズムをヤマグチツトムさんのベースがきっちりと支えている。安定したリズム隊の基盤のうえに、エリーニョさんの元気いいピアノが弾ける。
バンドとして最もかっこいい形態は3ピースではないか、とぼくは思うのですが、3人で出すことのできる音は限られます。あれもこれもやるわけにはいかない。削ぎ落とす必要がある。演奏する立場としては気が抜けません。ちょっとでもミストーンだったり、いい加減な音を出すと全体に影響を与えるんですよね。だから緊張感がともないます。ちなみに日本の3ピースでぼくが好きなバンドはリトル・クリーチャーズなのですが、3人でここまで音が出せるのかという可能性を感じました。彼等に少しだけ似た趣きがあるかもしれません。
エリーニョさんのピアノ、甘ったるいボーカル、歌詞が作り出す世界観がいい。歌に関しては、厳しくいえば○○風ということが言えてしまいそうなのですが、いいんじゃないですか。ぼくは音楽は憧れが大事だと思っていて、ものすごくわかりやすい○○風の音楽は、ああそれが好きなんだ(にやり)という何か微笑ましいものを感じてしまう。かのビートルズだって、そもそもは古いモータウンやリズム&ブルースのスタイルに憧れて演奏していたわけであり、憧れはあらゆる音楽の原動力です。
けれども○○風を目指しても、絶対に同じにはなりません。どうしても自分らしさが出てしまう。さらに、どうすれば模倣から突き抜けることができるのか、という葛藤から自分らしさを追求していくものです。レイ・チャールズの自伝を描いた「Ray / レイ」という映画でも、模倣からの脱出の苦悩が描かれていましたが、クリエイターとして重要なのはその精神的あるいは技術的な袋小路と、そこから抜け出すための破壊と成長だと思います。そして、エリーニョさんは十分に突き抜けているんじゃないかな。
正直なことを書いてしまうと、ぼくは5曲目の「胎児の夢」を聴いたときに泣けてしまった。何かを振り払うように疾走して叩き付けるピアノ。「守っているつもりで 壊してしまった/大事にしているつもりで かき回してしまった」という歌詞。
これはライブで聴いても泣くだろうなあ。よい曲だと思います。個人的に好きなのはこの曲と、1曲目の「心に水を体に光を」です。6曲それぞれ歌い方やアレンジも工夫されていて、何回か聴いたのですが、聴くたびによくなる感じです。それから、しみじみと感じたのは、ピアノを弾けるひとはやっぱりいい、ということ。こんな音を自由に弾くことができたら、それはそれは楽しいことでしょう。
CDは下北沢のハイライン・レコーズで購入しました。自主制作のCDがずらりと並んでいて、ちょっと熱くなりました。ぼくは洋楽の有名なアーティストのCDも聴きますが、趣味のDTMで音楽を創る立場として、あるいはほんとうに趣味のリスナーとして、インディーズやアマチュアのみなさんの隠れた名盤も聴いていきたいと思っています。時間があればライブも行きたい。これは!というものがありましたら、自薦・他薦を問わないのでぜひ教えてください。
ところで、ハイライン・レコーズの上にある楽器屋には、むかしスタジオがあったんじゃなかったっけ? 遠い昔にそこで練習した覚えがあります。
獏のみなさん、夏はライブ満載のようですが、頑張ってください。今後が楽しみです。これからも力強く真っ直ぐな曲を作ってくださいね。6月30日鑑賞。
公式サイト
http://homepage3.nifty.com/bandbaku/index.html
試聴はこちらから
http://monstar.fm/album/317/
*年間音楽50枚プロジェクト(35/50枚)
投稿者 birdwing 日時: 00:00 | パーマリンク | トラックバック
ダ・ヴィンチの手稿から。
これからじっくりと読もうと思っているのですが、ダ・ヴィンチの発明メモをCG化した本「ダ・ヴィンチ 天才の仕事」が楽しい。
ダ・ヴィンチ 天才の仕事―発明スケッチ32枚を完全復元 松井 貴子 二見書房 2007-04-27 by G-Tools |
画家としてはもちろん、未来に対する洞察力にすぐれた機械(ヘリコプターなど)の発明家としても知られているダ・ヴィンチは「紙片やノートを持ち歩き、日記のように所感や研究についてのアイディア、考察、スケッチを書き綴った」そうです。
1487年から1519年に没するまで、ものすごい数の手稿を残したそうで、その範囲は「科学技術から土木工学、建築、解剖学、天文学、地質学、動・植物学、音楽、幾何学、彫刻、絵画論、都市計画」など、あらゆる分野にわたったらしい。すごい。マルチな才能を発揮していたんですね。
その多くが失われてしまったのだけれど、現在残っているものだけで8000枚。メモとはいっても圧倒的な量のアイディアを文章化していたわけです。これは推測ですが、書くことによってアイディアが整理され、さらにアイディアどうしの組み合わせから新たなアイディアを生んでいったのではないでしょうか。
ダ・ヴィンチのメモはワンシート・ワンテーマという整理されたものではなく、関係ないことも含めて一枚のメモにさまざまな内容が書き込まれていたとのこと。メモってそういうものだろうな、と思いました。体系的になっている必要はないし、究極のことを言ってしまえば、他人にわからなくてもいい。
PCでメモを取るときに不便だな、と思うのは、どうしてもテキストのメモになってしまうことです。文章でメモを取ると線的な思考になる。2次元的に(あるいは3次元的に)思考することができない。もちろん発想ツールもあるのですが、こういうときにはペンに持ち替えてプロジェクトペーパー(方眼が入っていてお気に入り)にごりごり手書きというアナログの方が発想が広がるし、実は早い。ただし、検索性を求めたり、企画書など形にする必要があるときにはPCでメモしたほうが便利です。
当時、ダ・ヴィンチのように文字でメモを書くひとは珍しかったそうですが、彼はメモを鏡面文字(鏡に映してはじめて読み取ることができる文字)として書いていたらしい。やはり天才のやることはどこか違います。うちの次男(4歳)もひらがな・カタカナをひっくりかえして書くのですが、ダ・ヴィンチみたいになってくれないだろうか。まあ、幼児のときだけの天才ではないかと思うのだけれど(泣)。
さらにダ・ヴィンチは文字だけでなく、その設計図を図解して書きとめています。この本では、ダ・ヴィンチが残した設計図をCGで再現しているのだけれど、さすがにCGだけあって、いろいろな角度から見たり、動きを紙の上で再現しているところがうれしい。できればこれはWeb上で3DのCGをぐりぐり動かしてみたいですね(もうあるのでしょうか)。
先日、クロマトーンのエントリーを書いたときに、さまざまな楽器の発明も調べてみたい、ということを考えたのですが、この本にはダ・ヴィンチが発明した楽器も掲載されていました。紹介してみます。
まずは自動演奏太鼓。ダ・ヴィンチは楽器のなかでも太鼓の研究に熱心だったようです。これは当時は打楽器が他の楽器と比べて低くみられていたという風潮があり、その地位向上のために知恵をしぼったようですが、一方で、舞台、見世物、そして戦争で使うことを考えていたようです。戦争で使う、というのはいったいどういうことでしょう。威嚇? それとも号令の代わりなのか。
そして次は獣頭のリラ。これも舞台用らしいのですが、ダ・ヴィンチには音楽的才能もあり、リラ・ダ・ブラッチョ(ヴィオラのようなもの)という撥弦楽器で、ミラノ公邸の楽師たちと演奏バトルを繰り広げたらしい(笑)。聴いてみたかったですね、発明家の演奏バトル。
最後は、ヴィオラ・オルガニスタ。これは肩から提げて弾くことができるようで、オルガンというかアコーディオンというか、そんな感じです。メカニズムとしては回転するフライホイールが弦を弾いて音を出すらしい。けれどもこの発明はどちらかというと......ふつうだ(苦笑)。
ついでに楽器ではないのですが、ぼくのハンドルが「鳥の翼」なので、鳥のように翼が動く飛行機。これは有名ですね。羽の動く仕組みの図解が興味深いです。
ところで、この本をさりげなく長男(10歳)の机に置いておいたのですが気付かれず。仕方がないので、これ面白いぞ、と話してみたのですが「ふーん」で終わりました(泣)。
うーむ。鏡面文字と自作の怪獣メモを書きまくっている次男に望みを託すことにしますか。しかし、4歳にこの本は難しいだろう。というわけで、しばらくは、父が楽しむことにしましょう。
投稿者 birdwing 日時: 00:00 | パーマリンク | トラックバック