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2012年8月26日

「独立国家のつくりかた」坂口恭平

▼books12-01 :自律した「個」が社会実現をするために。

4062881551独立国家のつくりかた (講談社現代新書)
坂口 恭平
講談社 2012-05-18

by G-Tools

かつてバブル崩壊後の新宿の街には、たくさんの路上生活者がいました。

建物の影に寝転がっていたり、ダンボールで家をつくったり。路上生活者の姿はたくさんみられました。通勤時間の朝、ぼくは眠たい目をしょぼしょぼさせ、会社に遅刻しそうな足を速めながら、すこしだけ彼等のことを羨ましくおもったことがあります。というのは、路上生活者のみなさんは、ある意味、仙人のようで、社会や他者の視線から解き放たれて「自由」にみえたから。

彼等からぼくらのようなサラリーマンはどのようにみえるんだろうな。路上に寝転んでみればわかるかな、などと思ったこともあるのですが、実際にやったことはありません。日常のあわただしさのなかで、そんな子供じみた疑問は忘れてしまいました。

路上生活者たちには建物も土地もありません。建物や土地が「ある」「ない」の二元論から、きちんと家や土地を持っているひとは、彼らを見下した視線でみる。ところが一方で、家を購入したひとは35年のローンなどを組んで、あくせく働かなければなりません。それが当然だとおもっています。

いまでは若干、変わりつつあるかとおもいますが、マイホームを背負うことがサラリーマンとして当然であり、家を持ってこそ一人前のように語られていた時代もありました。

なぜ土地と家にお金を払わなければならないかという、ある意味当然で、しかしながら誰も疑問視したことのない問いにこだわったひとがいます。それが「「建築」は建てたことがない建築家」である坂口恭平さんです。

坂口さんの著書『独立国家のつくりかた』は刺激的でわくわくする本でした。

ぼくは最初、タイトルから政治的な本なのかなとおもって購入。冒頭で熊本生まれであること、現在三十四歳であること、70㎡で家賃6万円の家に住んでいること、200㎡の家賃3万円の事務所を借りて弟子が居ること、年収は約1,000万円で貯金は300万円であること、などのご自身の詳細なプロフィールが書かれていて面食らいました。

さらに建築家であること、卒業論文は「0円」ハウスというという本になったこと、執筆活動で四冊の単行本、二冊の文庫本、一冊の韓国語の翻訳、写真集と合わせて八冊の本を出されている作家さんであることに続きます。

0円ハウス

いったい坂口恭平さんとは、どういうひとなんだろう。

「まえがき」を読み進めると、「僕は、ギターを弾きながら歌を歌うことができる。日に1万円ほど、路上で稼ぐことができる」というところをに惹かれました。自分でもギターを弾いたりパソコンで音楽を作っているせいもありますが、おおっなんだかこのひとおもしろそうだ、と注目したわけです。そして「ぼくは独立国家をつくったのだ」という衝撃。独立国家?なんでしょうか、それは。

坂口恭平さんは子供の頃の体験を非常に大事にされている。「まえがき」のところでは子供の頃に考えていた質問を8つ掲げられていますが、はっと気付かされる視点がある。たとえば、次のような質問(P.6)

1.なぜ人間だけがお金がないと生きのびることができないのか。そしてそれはほんとうなのか。
2.毎日家賃を払っているが、なぜ大地にではなく、大家さんに払うのか。
3.車のバッテリーでほとんどの電化製品が動くのに、なぜ原発をつくるまで大量な電気が必要なのか。

このような疑問はふと浮かぶこともあるのですが、坂口恭平さんのすごいところは、その疑問に対する答えを行動によって探ること。疑問を突き詰めた結果、0円で生活している路上生活者のところへ行き、彼等の考え方を探ります。そして「レイヤーライフ(層生活)」という考え方を得ます。

同じ新宿の街であっても、一般の生活者がみている世界と路上生活者がみている世界は違う。たとえば2000年に隅田川で出会ったホームレスの家は、ふつうのブルーシートの家なのですが、屋根にソーラーパネルが付いているハイテクなものでした。そんな家があるんですね。そして、坂口恭平さんはその「家」の主にたずねます。狭くて大変じゃないか、と。住まわれている方の回答はこうでした(P.24)

「いや、この家は寝室にすぎないから」

つまり彼にとっては周囲の街全体が自分の家なのです。墨田公園はリビングでありトイレや水道、風呂は銭湯、キッチンはスーパーマーケットの掃除の残り。そうして考えると、寝室が家になるわけです。ぼくら一般的な人間は、狭い囲まれた家のなかにさまざまな機能であるLDK(リビング・ダイニング・キッチン)を詰め込もうとしますが、家の概念を拡張して周囲の街まで拡げると、家は寝室だけでよくなる。0円で「独立した」個として生活している。

「レイヤー」という言葉を使われていて、レイヤーとは層の意味なのですが、ふだんぼくらの生活しているレイヤーと、路上生活者のレイヤーはまったく異なっている。一般人のレイヤーでみると街はショッピング情報誌のような視点でしか見られないけれど、路上生活者の視点から見ると「新宿には何でも実っているからね。それをつまんでは食べたりするだけだよ」と「ジャングル」になる。このレイヤーの切り替えは面白いとおもいました。

そもそもぼくがブログを書きはじめた当初に掲げていたテーマは「立体的な思考の獲得」でした。点ではなく、線でもなく平面でもなく、3Dによる「立体的な思考」を獲得すること。要するに既成概念はもちろん独自な視点を獲得して、多数の視点から物事を多角的にみられるようにすることを目指していました。あるいは、地上を歩くイヌに対して上空から地上を俯瞰する鳥の思考かもしれません。はるか遠くの「空」への飛翔を標榜して「BirdWing」という匿名もつかっています。この匿名はブロガーとしての匿名であり、ぼくのブランディングと考えてもいいかもしれません。

坂口恭平さんの本は、ぼくらに自分で「考える」ことを薦めています。そこでぼくもこの本をテキストにして、さまざまなことを考えてみました。まずは次の言葉です(P.19)

歩き方を変える。視点を変える。思考を変える。
それだけで世界は一変するのである。自分に無数の「生」の可能性があることを知る。

この2行に思考を変革するポイントが凝縮されていると感じました。考えることは立ち止まっていてはだめで、歩く=行動し、視点を変えていくことによって得られるものである、ということです。なんとなくアフォーダンスの理論をおもい出したりもしましたが(視野は実体が移動することで形成されていく、というようなこと)、歩きながら視点を変えつつ考えることで世界が変わるわけです。

そこでプライベートなことをおもい出したのですが、そういえばぼくは大学時に国文学科に在籍し、卒論は夏目漱石の「草枕」をとりあげました。ちなみにタイトルは「漂泊のエクリチュール」。エクリチュールなんて言葉を使っているのが若気の至りで現在は恥ずかしいのだけれど、あのときぼくが考えたことに通じるような気がする。

草枕 (岩波文庫)

エクリチュール(écriture)は、簡単に言ってしまうと「書かれた言葉」です。パロール(話し言葉)に対応しています。ロラン・バルトやジャック・デリダなどの哲学者が使っていました。

エクリチュールの零(ゼロ)度 (ちくま学芸文庫)

エクリチュールと差異 上 (叢書・ウニベルシタス)

卒論でぼくは何を書きたかったかというと、「草枕」の有名な冒頭文「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」という書かれた言葉を「歩きながら考える文体」として、「身体論×文体論」を掛け合わせた考察をしました。

つまり「登る」という上昇する身体の傾斜が、俗世間から離れて上昇する身体をつくり、文体も端的でリズミカルなものに変えている、主人公である「画工」を人情の世界から「非人情」の世界に運ぶ、という考察です。ああ、いま書いたほうがうまく書けそうだ(苦笑)。それはともかく。

ちょっと「道」からはずれましたね。次の言葉も考えさせられます(P.48)。

僕たちが「考える」ことを拒否するから、政治や行政は暴走するのである。故障するのである。それに気付いても止めることができず「命」を疎かにするのである。それじゃあ、僕たちも路上生活者にならって、自分たちの「思考」を開始してみようではないか。

「政治なんてわからないもん」「未来は誰かがなんとかしてくれるでしょ」という他者依存の考え方と姿勢は思考停止を生みます。ところが路上生活者はまず、今日一日を生き延びるために何とかしなければならない。だから0円で給料などもらわずにいても、生きていける最低限の知恵と術を身につけている。

しかし、これからは路上生活者ではないひとびとも、のんびりとしていられません。リストラや老後の不安、育児や子供たちの教育問題、いじめや自殺者の増加など、社会は悲鳴を上げています。政府や行政に対する不満が高まり、それらが批判されています。しかし、他律的に不満をぶうぶう垂れていても社会は何も変わらないのです。

現代の病んでいる社会に対しては、坂口恭平さんは次のように嘆いています(P.186)

それにしても、どうしたらよいものかこの自殺者数は。年間三万人という数は、普通に考えてもおかしい。僕はこれは芸術と深い関係があると考えている。

ここで芸術と深い関係があると考えられているのは、芸術が余暇、いわゆる何もしないときに現れてくるのに対し、仕事に追われたり就活に追われたり勉強に追われたり、余裕のない社会に生きているから、と考えられているようです。生きるとはどういうことか。坂口恭平さんは次のように語ります(P.168)。

つまり「死ねない」。
これ、すなわち「生きる」である。

わかりやすい。とてもシンプルです。そうして「死ねない」社会をつくるためには、ぼくらはお金を稼ぐために働くのではなく、社会をより良くするために働かなければならない、ということをおっしゃっています。社会の構成要因としてひとりひとりに「個」の役割があり、それが連携した社会になれば「死ねない」。個を尊重するとしても、個がばらばらな場合には、大きなショックに襲われたときにそれぞれが吹き飛ばされてしまいますが、手をつないで守りあえば助けられるはず。そんな社会を実現するために動かなければならない、と強調されています。そして、「個」がそれぞれ考えなければならないのです。

就活や企業では、よく「自己実現」や「やりたいこと」という言葉が使われますが、坂口恭平さんはそれを次のように指摘します(P.163)。

だからやりたいことじゃない。若い人にはまずそこをわかってほしい。そこを見誤ると大変なことになる。実際、学生時代に「おれ、こういうことをやるんだ」と吠えていたちょっと変わった個性的な人とか、結局何もつくらないし、発言しないし、びびって、大人になったらどこかへ隠れてしまうのだから。悲しすぎるよ。
自己実現をするのではなく、社会実現に向かっていく。
それをまず決めるんだ。

共同体に依存すれば生きていける幻想は崩れたといっていいでしょう。日本にいれば大丈夫だ、日本が世界のトップだ、という時代も終わったのかもしれません。そのような現状をしっかり認識して、ぼくらの「個」がしっかりとしていかなければならない。そんなメッセージが坂口恭平さんの文章に込められてると感じました。

個の才能については次のように書かれています(P.176)。

ぼくにとっての才能というものは秀でているものではない。才能とは、自分がこの社会に対して純粋に関わることができる部分のことを指す。
才能は「音色」を持っている。才能には上や下はない。どんな音を鳴らしているか、それに近いのではないか。自分がどんな楽器であるかは変えることができない。でも、技術は向上させることができる。技術は経験によって習うことができる。つまり「答え」の出し方は伸ばすことができる。それさえ変化すれば、生き方自体が変化する。だからおもしろいし、希望がある。

才能に音色を見出すあたり、さすがギターを弾いて路上で稼がれているだけのことはあります。美しい表現です。そんな個々人の才能を活かしあう社会のことを、坂口恭平さんは「態度経済」と呼んでいます。

「態度経済」でおもいだした言葉は、クリス・アンダーソンの「フリー <無料>からお金を生み出す新戦略」の「非貨幣市場」、あるいはタラ・ハントの「ツイッターノミクス」に書かれていた「ギフト経済」でした。

フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略

ツイッターノミクス TwitterNomics

貨幣経済とは別のものであることは同じなのですが、坂口恭平さんの語る「態度経済」はやや異なるようです。次のように定義されています(P.112)。

態度経済というのは、通貨というような物質によって何かを交換する経済ではない。交換ではなく「交易」するものだ。交易。つまり、そこに人間の感情や知性などの「態度」が交じっていることが重要だ。ただの交換ではないのだ。

この言葉に重みを感じたのは、坂口恭平さんが自分の卒論を写真集にまとめ、それをご自身で出版社に売り込み(つまり交易し)、海外の営業までご自身で行い、さらには人脈から自分の絵を売るチャンスを得て、その結果、現在の生活に至り、熊本にある家と人脈を「新政府」と名づけて活動されるようになった背景を読んだからです。

凄い。このひとは凄い!

「まず資金がなくちゃ何もできないよ」と言い訳をするひとが大半です。しかし、必要なのは「行動を起こす」ことなのです。行動を起こさなければ、どんなに大きなビジョンがあっても絵に描いた餅にすぎません。また、才能がなければ、ということも言い訳に過ぎません。才能は既にあるのです。個人の「音色」として。

そんなことを考えていたら、がーんとアタマを殴られたような衝撃を受けました。いままで自分は何をやっていたんだ。大事なものはすべてここにあるじゃないか、と。そこでぼくもちいさな革命を起こそうと考えました。自律した個による社会実現のために。

行動することで、態度をみせることで、社会を変えられることができる。ぼくはそう信じています。また、考えるだけでなく行動しようと「考えて」います。

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そして、ぼくの企画とは。

実際に行動する「企画」の骨子は次の通りです。

ぼくはこの本を読んで共感し、とても坂口恭平さんに会いたくなりました。会って話を聞いてみると、もっとご本人のことがよくわかるとおもったからです。とはいえ、本屋で平積みにされるような新書の著者であり、セミナーなどの機会もなさそうです。いや、それよりもまず熊本に住んでいらっしゃる。

とはいえ、ぼくは次の文章を読んじゃったのです(P.171)。

だから議論ならいつでも僕は受ける。どんな人の言葉にも返す。

この本がツイッターにつぶやいたことからまとめて作られたことも知りました。探してみると、ツイッターに坂口恭平さんはいらっしゃるではないですか!さっそくフォローしました。

というわけでぼくが考えているのは、ブロガーとして坂口恭平さんに向けた「ツイート公開インタビュー」なのです!もちろん独立国家の政府の活動にお忙しいでしょうし、事情があって無名の一般人であるぼくにはお返事いただけないかもしれません。けれどもそれでかまわない。行動することが大事である。

経緯がありましたら、またこのブログでご紹介したいとおもいます!

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坂口恭平さんの新政府のビデオがありました。かっこいい!

投稿者 birdwing 日時: 12:47 | | トラックバック

2012年8月19日

ツイッターのトラブル対処法。

ツイッターを使っているときに、執拗に絡まれたり、ネットの知らない人物から個人のプライバシーを開示されてしまう危険があります。そのときの対処法、事前にこころ掛けておくことを自分の経験から以下にまとめてみます。

1)相手にせず、発言をスクリーンキャプチャー
ツイッターで誰かに絡まれたとき、大切なことは、まず感情的になって「相手にしない」こと。相手の発言をスクリーンキャプチャーに取っておきましょう。スクリーンキャプチャーの取り方は、Windowsではコントロールキー(Ctrl)とオルトキー(Alt)とプリントスクリーンキー(PrtScn)を同時に押すと、開かれているウィンドウの画像がコピーされます。つづいて画像編集ソフトなどでその画像を開き、保存してください。あわてて怯える必要はありません。大丈夫。まずはひと呼吸して「証拠」を残してください。

2)面倒な相手をブロック
それから執拗に絡んでくる相手をブロックしてください。自由な発言ができるツイッターですが、個人情報を開示するのはプライバシー権の侵害であり、バカヤロウなどの発言を浴びせられたら侮辱罪にもふれます。このような言葉を浴びせられたときは自分を「守り」つつ、「反撃」の準備をしましょう。弁護士や警察に連絡するような大きな場合もありますが「自衛する」知恵も大切。賢くなってください。

3)「謝罪」という言葉を使わずに謝る
訴訟を起こすまで諍いを発展させるのは不毛です。しかし、覚えておきたいこと。もし自分の発言がきっかけで相手と争う場合には、法律的な意味から「謝罪」してはいけません。自分の非を認めてしまうことになるからです。とはいえアタマを下げる素直さも大事です。やっちゃったなーとおもったら、「謝罪」という言葉を使わずに、「今回の発言では、大変失礼いたしました。ご迷惑をおかけしたことをお詫びします。」と相手に告げてください。

4)トゥギャられても消せる
ツイッターの発言を「Togetter[トゥギャッター]」で自分の了承を得ずに勝手に引用されて、まとめられてしまう可能性もあります。この場合にも、やはりスクリーンキャプチャーを取っておいてください。エビデンス(証拠)を残しておきます。

実際にメールで「Togetter[トゥギャッター]」の運営会社に問い合わせたところ、このサイトは自分の発言を、発言者の権限で削除できるとのこと。

ツイッターをお使いであれば、アプリの認証でログインできますので、ログインしたら、「まとめ」という見出しの右端にある「▼メニューを開く」をクリック。ポップアップしたメニューから、「ツイートを削除する」を選択してください。個別に自分のつぶやきを選択することができるだけでなく、一括して全部を削除することもできます。自分の発言が削除されてしまうと、まとめとしての流れが「破壊」され、意味がわからなくなってしまうので有効です。

5)NAVERまとめへの連絡は平日に(8月27日追加)
「Togetter[トゥギャッター]」と同じようなまとめサイトに、NAVERまとめがあります。Wikipediaの「ネイバー」では以下のように書かれています。

ネイバー(NAVER)は、韓国最大手のインターネット検索ポータルサイトある。運営会社は、NHN Corporation。日本で提供しているインターネット検索サービス「NAVER (ネイバー)」の運営はNHN Japan(旧ネイバージャパン株式会社を吸収合併)が行っている。また、「NAVER」はNHN Japanのウェブサービス事業におけるフラッグシップブランドの名称でもある[1]。

このNHN Japan株式会社が運営する「国内最大キュレーションプラットフォーム」がNAVERまとめであり、このサイトを使って勝手に自分のツイートがまとめられてしまうこともあります。

重要なことは、ここで自分のツイートが取り上げられた場合、みずから消す機能がないということです。その点で「Togetter[トゥギャッター]」と違って不親切かもしれません。

もともとはキュレーションとして、これが面白いよ、というようなおススメをまとめるべき使い方だったかとおもうのですが、個人を特定して感想と称したいやがらせの発言を掲載するのは、悪用といってよいでしょう。

こちらもまずサイトのスクリーンキャプチャーを取っておいてください。その後、まとめられたサイトを表示させ、画面の右上にある「ログイン」の画面をクリック。アプリを選択する画面になります。そして、ツイッターのアイコンをクリックし、さらにアプリの認証画面で「連携アプリを認証」をクリックするとサービスに入ることができます。

その後、スクロールして右下にある「内容について運営スタッフに連絡」のリンクを辿ると、「ご連絡フォーム」が別ウィンドウで表示されます。ヘルプセンターからも同様の申請ができます。

「まとめ」の場合、いくつかのプルダウンメニューがありますが、プライバシーの侵害、ストーカー行為などであれば、「権利侵害」として、嫌がらせを受けたNAVERまとめのURL、勝手に引用された自分のサイトやツイッターのURLを入力します。自分のサイトに関しては、複数指摘することが可能です。記入項目はあとひとつ。どのような権利侵害を受けたかを記述。添付ファイルを付けることもできますので、スクリーンキャプチャーを添付してください。

実際にメールで「ネイバー(NAVER)」に問い合わせてみました。しかしながら土曜日・日曜日をはさんでしまったせいか、別々に書いた4通の申請に対して、自動返信4通、ヘルプセンターからのメールは1通。自動返信とはサーバー側で決められたテンプレートのメールを機械的に返信するものです。またヘルプセンターからのメールもテンプレートをそのまま送信したような非人間的な文面でした。「【緊急】」などと訴えても、返信なし。

結局、具体的な対処の返信があったのは月曜日で、ヘルプセンターからのメールも定型的な文章という印象を受けました。消費者向けのサービスであれば、土曜日や日曜日にも対応していただきたいですよね。

このNHN Japan株式会社が運営するサービスに最近伸びてきた「LINE」があります。しかし、問題が起きたときの対応力には疑問を感じました。問題がないことを祈りますが、利用者は留意しておいたほうがいいでしょう。

6)利用規約を読み直す(8月29日追加)
陰湿な嫌がらせが書き込まれたとき、「NAVERまとめ」はアクセス制限措置によってそのページを閉鎖できます。一方で「Togetter[トゥギャッター]」では、さまざまなひとからの嫌がらせのコメントやまとめの記述が残ってしまうことがあります。コメントでは、実名を名指しで罵られることもあるでしょう。

こんなときも冷静に。そして、もう一度、利用規約を読み直してください。たいていのひとは利用規約など読まずに利用者になってしまうのですが、利用規約には重要なことがたくさん書かれています。「Togetter[トゥギャッター]」の利用規約(平成23年1月17日制定)を例に挙げます。

まず「消してください」「公開しないでください」というコメントを書いたにも関わらず消されない場合には、以下の利用規約の運営を乱していると考えられます。

第9条 本サービス機能の運営
1.ユーザーは、自己の作成したユーザーコンテンツの管理義務を負うものとし、他のユーザーからの削除・非公開などの要求に対して迅速かつ誠実に対応するものとする。

さらに重要なことは、次のようなことが書かれています。

第2条
5.トゥギャッターは、本サービスにおいてユーザーが投稿又は編集した一切の情報(以下「ユーザーコンテンツ」といいます。)につき本利用規約に抵触すると判断した場合には、ユーザーへの事前の通知又は予告なしに、そのユーザーコンテンツの全部若しくは一部を非公開とし、又は削除をすることができるものとします。

つまり、運営会社に連絡すれば悪質な「まとめ」は、それを作った本人に確認しなくても運営会社が削除してくれるというわけです。その規約に基づいて考察すると、例えば「実名や職業、病気など個人的なことを書かれた、嫌な気持ちになった」「バカオンナ」「50過ぎたおっさん」などの場合を考えてみると、規約の次のような部分に反している(抵触している)と考えられます。

第3条 個人情報
1.個人情報保護法その他の法令により認められている場合

第5条 利用機能の制限
3.本サービスの利用による投稿又は編集等が、第三者に嫌悪感を与え又は公序良俗に反する表現を含んでいる場合

第6条 禁止行為について
1.法令、公序良俗若しくは社会通念に反し又は反するおそれのある行為

4.トゥギャッター若しくは第三者を不当に差別し若しくは誹謗中傷し、又はトゥギャッター若しくは第三者の信用若しくは名誉、プライバシー権、パブリシティ権、肖像権、若しくはその他一切の権利を侵害する行為若しくは侵害するおそれのある行為

7.国籍、民族、人種、社会的身分、性別、思想、信教、又は年齢等に関する差別的な表現と一般ユーザーが感じ得る行為

19.個人の住所、氏名、メールアドレス、電話番号、金融機関の口座番号等の個人を特定しうる情報を含むまとめ又はコメントの掲載行為

21.第三者の住所、氏名、メールアドレス、電話番号等の個人を特定する情報を取得する目的の行為
これらを抜粋して、違反していることを運営会社に報告(メールや連絡フォームを利用)してください。「Togetter[トゥギャッター]」であれば、平日に連絡するとほぼ1日で対応していただけます。

7)非公式RTを多用しない(8月25日追加)
事後の対処法ではなく、ふだんから心がけておくことですが、実名やアカウントを名指しで批判しないこと、そして非公式RT(リツイート)を多用しないこと。非公式RTはツイッターのリツイート機能を使わずに、RTを使って引用し、「バカじゃね? RT ぼくはこのように考えます」というような形式で発言することです。このような使い方をすると、他のフォロワーの方にも争論の内容がみえてしまい、炎上を加速することにもなりかねません。また、RTが連続すると、ふだんからきちんとコミュニケーションを取っていた方のTL(タイムライン)に送信したRTが連続して並び、不快感を与えることもあります。議論は相手と1対1でするもの。周囲を巻き込んで不愉快な炎上をさせないようにこころ掛けてください。

8)楽しんで使うこと
インターネットの世界は移ろいやすく、炎上したとしても注目を集めるのは3日ほどです。1週間を過ぎればアクセスはぐんと落ち、誰もが忘れてしまいます。とはいえ、「嫌だ」とおもったらその感情にこだわるのではなく、冷静に「処理」しましょう。ゴミが散らされたあとの後片付けであると考えてください。

簡単につぶやくことができるのがツイッターの醍醐味であり、だからこそトラブルにも巻き込まれやすいものです。しかしながら、このツールは、コミュニケーションを楽しむものとして使いましょう。どんな危険性が潜むかをあきらかにすることで、ソーシャルメディアを有効に活用することができます。

あなたのソーシャルメディアライフを大切に。

投稿者 birdwing 日時: 12:25 | | トラックバック

「個」がメディアになるとき。

ツイッターやフェイスブックが登場し、ソーシャルメディアという言葉が使われはじめ、ブログや掲示板やSNSなどのアクセス向上を狙ったSM0(Social Media Optimization)という言葉が使われるようになったとき、「企業はメディアになる」ということが一般的に言われていました。

それ以前にも、BMWがブランデッドエンターテイメントとして、広告とも映画ともいえる動画を製作し、YouTubeで配信するようになった後に企業が盛んに動画活用をするようになり、TVメディアが崩壊して企業のネット配信に変わると言われていたように記憶しています。

インフォバーン小林弘人さんの『メディア化する企業はなぜ強いのか?』は企業のメディア化の方向性を示唆するものとして非常に興味深く読みました。さすがにクリス・アンダーソンの『フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略』を監修・解説し、レイチェル・ボッツマンとルー・ロジャースの『シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略』(これはぼくは未読)を監修されただけのことはあります。

「押し付けから惹きつけへ」、ゲーミフィケーションについて、ソーシャルメディアではソーシャル・スター社員の発掘・育成が重要など、『メディア化する企業はなぜ強いのか?』という本には頷くことができるご指摘が満載でした。しかしながら、電通の提唱するAISASに対してARLASというソーシャルグラフによる新しい消費行動の方式を提示されていますが、これは若干どうかな、と。一般的にもあまり浸透しなかったような気がします。

ちなみに、小林弘人さんの提唱されているARLASは、Awareness(気付き)、Recommendation(推薦)、 Like it!(いいね!(共感))、Action(購買)、Share(共有)によるBtoCもしくはBtoBのコミュニケーションです。『メディア化する企業はなぜ強いのか?』のP.217に書かれています。


4774149357メディア化する企業はなぜ強いのか? ~フリー、シェア、ソーシャルで利益をあげる新常識 (生きる技術!叢書)
小林 弘人
技術評論社 2011-11-29

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4140814047フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略
クリス・アンダーソン 小林弘人
日本放送出版協会 2009-11-21

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4140814543シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略
レイチェル・ボッツマン ルー・ロジャース 小林 弘人
日本放送出版協会 2010-12-16

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いまソーシャルメディアを見渡すと、津田大介さんは非常に密度の高い個人による通称「津田マガ」を積極的に配信されている。また、O円生活という態度経済のあり方をツイートして、それを『独立国家のつくりかた』という本にした坂口恭平さんなどユニークな方も登場している。津田大介さんは自らをメディア・アクティビストと肩書きに付けられていますが、きっかけとアイディア、そして行動力(アクティビティ)さえあれば、ソーシャルメディアの時代では、多様な活動を通してぐんと注目されるものです。


4062881551独立国家のつくりかた (講談社現代新書)
坂口 恭平
講談社 2012-05-18

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稚拙ではありながら、前回のエントリでぼくは自分の「負」の体験を含めて「ソーシャルメディアで学んだこと」として、久し振りにエントリを書きました。あまりにも個人生活を露にしたため、低俗だとおもわれたり、知性に欠ける印象を受ける方もいらっしゃったようですが、逆に、情熱的であるという評価もいただきました。また、「大丈夫?」というご心配もいただき申し訳なくおもっています。

企業がメディアになる時代の浸透は、やがて「個」がメディアになる時代をつくるのではないか、とぼくは考えています。

「個」がメディアになる時代は、風評リスク対策などの企業の法務部に求められていたようなスキルが必要になります。企業では、リリースなどの配信する情報は広報部や法務部などで客観的かつ徹底した校閲が入り、炎上したときの対策などが練られます。風評(レピュテーション)を侮ってはいけない。一度失った信用を取り戻すには、なみたいていの努力ではできない。コストもかかります。そうした「業務」が、メディアである「個」に求められるわけです。

とはいえ、いい「個」にしていなさい、とはぼくは言いたくない。

「いいことばかり言わない」で、批判や批評もできるのがソーシャルメディアの醍醐味であり、広告という「コミュニケーション」とは違う点だとおもうからです。広告業界のなかには、従来の広告(AD)の延長として、コミュニケーションプランニングを考えている方もいらっしゃるようですが、ぼくはそれでいいのかなあ、とおもう。ソーシャルメディアの時代には、いったんいままでのコミュニケーションをリセットして、もう一度、ソーシャルメディアに適した施策を考えなければいけないのではないか。

ところで、「個」がメディアになるとき、匿名か実名か、ということは大きな問題になります。

韓国の方からツイートでお話を聞いたのですが、韓国では実名が主体であり、匿名は信用されないとのこと。ただ、彼の発言を遡って読んで、彼には「実名至上主義」または「韓国優位主義」のような偏見があるようで、思考に偏向がみられる。もちろんアメリカなどでも(あるいは全世界で)、実名が主体となりつつあるのですが、残念なことに、日本では実名にすると陰湿ないやがらせを受けることもあります。日本の文化は特異なのです。そこで、ぼくは実名と匿名を使い分けることをおススメします。

実名と匿名の使い分けについては、ぼくも留意していて、「ソーシャルメディアで学んだこと」というエントリでは、ツイッター+フェイスブック+ブログを連動させて使う、というコンセプトを立ててみました。しかしながらツイッター+ブログとフェイスブックの投稿を連動させたところに脆弱性があり、ある方にフェイスブックでぼくの実名を晒されてしまいました。そこから急速にぼくが誰であるかが拡散し、誹謗中傷のようなものも受けています。いまメディアの運営主体に削除を要求するとともに、個別に訴えることも視野に入れています。

「個」がメディアになる時代には、自己防衛力も必要になります。先手で​攻める、防衛する、逃げるなど、多様な戦術を使い分けることが必​要。もちろん戦術(テクニック)だけでなく戦略も重要ですね。思考力、知力の戦闘になる。とはいえ、闘わずして逃げる、ということもありです。無駄なものに力を注いでも無駄であり、不毛ですから。

一方、ぼくは特定の少ないひとたちとブログでコミュニケーションすればいい、と考えていたのですが、ある方をツイッターで批評したため、またぼくが赤裸々なレンアイ体験を綴ったせいもありますが、ブログのアクセスが急増しています。以下にGoogle Analyticsからのキャプチャーを貼ります(数値はページビュー:2012年7月16日~8月16日)。


GAPV.jpg


瞬間PVですが、8月16日に1,903PV/日がありました。上限で計算するのはどうかとおもうのですが、このレベルのPVを維持するようにブログを書くとすると、1日約2,000PV、1ヶ月を約30日として、2,000×30=6万。6万PVがあれば、たとえ炎上記事や好奇心まじりのひとたちを含んだとしていても、「個」のメディアとして影響を持つレベルになるのではないでしょうか。

ただ、ぼくは上記の数値を冷めた目でみています。

ぼくはアフィリエイトで稼いで生活しているわけではないし、SEOでたくさんの訪問者を集めて喜んでいるような企業、ブロガーとは違う。ほんとうにわかるひとが読んでいただいて、そのひとたちと密なコミュニケーションをしたい。ブログのアクセス数なんて信用できません。あらためて自省すると、炎上させて得た結果は「信用」できない。と同様に、数万のフォロワーがいるツイッター利用者も、信用できない気がします。

先日、小山田圭吾さんが過去のいじめ経験を雑誌のインタビューで答えたことがあった、というエントリを読みました。ぼくはコーネリアスの大ファンで、「POINT」というアルバムなんて、もうやられた感いっぱいで何度も夢中になって聴き直しました。しかし人間としての彼は、そういうやつだったか。すーっと引いた。しかし、そのあとでまた考え直しました。アーティストには最低のやつもいますが、作品はまた別のものではないか、と。


B00005Q7O5point
CORNELIUS
プライエイド 2001-10-24

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ぼくは「個」メディアに人徳が必要であると考えています。

それは「発言」自体がそのひとの「作品」だからです。そして別途、リアルな発言者本人がいる。気をつけなければいけないのは、「バカ」とか「死ね」とか暴言、もしくは「うんこ」など稚拙な言葉を繰り返す「個」は、発言=リアルな人物の人格とおもわれてしまうことです。これはとても残念なことであり、もし実名でSNSをやっていらっしゃるようであれば、暴言を吐いた相手に侮辱罪で訴えられる恐れもあります。憲法21条の表現の自由についてもよく調べること、とツイートを通じて、法律に詳しい方からご教示いただきました。

また、氏名、性別、生年月日、職業はもちろん、個人の写真も個人情報です。「公開されているから流用した」では済まないかもしれません。ご本人の承諾は得ていますか。もし勝手に公開するなどのモラルを欠けば、問題になるかもしれません。

ぼくは聖人君子でも、ネットのエライひとでもありません。ただの匿名を使った無名のブロガーです。しかし、自分の経験を通じて、いま書いたようなことを学びました。自分を実験台にして学んだことですから、虚偽はありません。誠実なブロガーを標榜するので。

正論に嫌気がさすひともいるかもしれませんが、このようなエントリがソーシャルメディアの「品格」を保つ、ささやかな布石になればいいな、とおもっています。賢い「個」になりましょうね、SNSをお使いのみなさま。

実は別途、個人メディアを活用した、わくわくするような企画をおもいついちゃったのですが、あまりに長文なので(苦笑)ここまでにしておきます。その企画については「行動」して結果をお見せするつもりですので、乞うご期待!

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ご連絡

本日、ツイッターアカウントを鍵つきにしました。その後、フォロワー申請をされている方がたくさんいらっしゃるのですが、申し訳ありません。ぼくは当分フォロワーを増やさないつもりです。ぼくのブログやツイッターを読んで共感を得たかたもいらっしゃるかとおもいますが、ぼくが考えたことについては随時、ブログでまとめていくつもりです。ぼくに関心があるようでしたら、こちらに訪問していただくようにお願いいたします。

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追記 (8月20日):togetterをご覧になったみなさまへ

「いま話題の」ブロガーBirdWingです(笑)。ブログに訪問いただきありがとうございます。健康を心配されている方もいらっしゃるようですが、ぼくは元気です。今日も暑い一日でしたね。

あちらの記事では、取材に行こうとして104で取材先の電話番号を探したツイートを削除したことが取り上げられていましたが、取材先に関心がなくなってしまったので、その後は何もしていません。いろいろと勘違いされているようですが、勘違いもネットの「多様性」かとおもいます。

それから、togetterの記事は、あまりにも長すぎて(苦笑)、クライマックスに至るまでの経緯にテンポがない冗長なものなので、編集(いくつかのぼくのツイートを削除)させていただきました。ご了承ください。

夏休みも残り少なくなってきました。充実した日々を過ごされますように。

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追記(8月23日):いただいたコメントに関して

昨日は家族といっしょに昼食・映画・夕食をともにして充実した時間を過ごしました。楽しかった!子供たちの夏休みもそろそろ終盤が近づいています。

さて、数名の方から「感想」をいただきました。しかしながら、このエントリおよびtogetterやNAVERのまとめを読んでいただければわかるように、ぼくは炎上に対する感想は重要ではなく、「そこから何を学んだのか」ということに注目しています。いただいた感想は、そこまでのレベルに達したものではなく、非常に残念ですがブログでは不採用といたしました。また、個人情報に触れるコメントは保存し、ストーカー規正法に照らし合わせて今後を検討しています。ここはぼくの表現の場であることをご理解ください。

したがって、小林弘人さんの本を読んだ、この本はこういう部分も重要ではないか、とか、大学でもSNSの使い方に気をつけるように学生向けにわかりやすく資料を作っている例がある、とか、法律の観点からみてネットに潜む危険性はこんなところにある、とか、そんなご意見や情報を募集しております。ただの炎上の感想はご遠慮ください。

また、ぼくのうつ病をご心配いただいている方もいらっしゃるようですが、おかげさまですっかり寛解の上、完治いたしました。お医者さまからのお墨付きもいただいております。長かったトンネルをやっと潜り抜けた、というような爽快感でいっぱいです。お気遣いいただいてありがとうございます。

セミの声が聞こえます。まだまだ暑い日がつづきそうです。みなさま、体調を崩されないよう十分にご自愛ください。

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追加情報(8月24日)

あまりにも長くなりすぎたため、エントリを分割いたしました。ご関心のある方は、以下「ツイッターのトラブル対処法」でお読みください。

http://birdwing.sakura.ne.jp/blog/2012/08/post-250-e.html

投稿者 birdwing 日時: 12:22 | | トラックバック

2012年8月11日

ソーシャルメディアで学んだこと。

窓の外にはさわやかな8月の青空がひろがっています。昨年10月にエントリを書いたまま放置していましたが、ふたたびブログを書いてみようとおもいました。海に行きたいという声がツイッターの波間から聞こえてくる今日このごろ、みなさんお元気ですか?

ブログを中断していた理由は、体調がすぐれなかったこと、仕事に変化があったことなどいろいろあります。しかし、ツイッターやフェイスブックなどのSNSが楽しくて、そちらに没頭してしまったことも最大の理由のひとつでした。

ぼくの場合、ブログに投稿するエントリはかなり長文で、書くためにある程度まとまった時間が必要になります。しかし、ツイッターであれば、おもいついた思考の断片を次々にリアルタイムで投げ込むことができる。フェイスブックは実名になりますが、かなり長文のものを書くことができるし、場合によっては公開範囲を限定して、友達だけに本音を吐いたりすることも可能です。フェイスブックデビューは今年の1月で流行には乗り遅れた感じですが、すっかり嵌ってしまいました。

ぼくは、ソーシャルメディアとして、主としてツイッター+フェイスブック+ブログを利用しています。

この3つを使ってみて、単独でそれぞれを楽しんでいるひとはたくさんいますが、連動して活用しているひとは少ないと感じました。ツイッターには投稿したツイートをフェイスブックにも投稿させて連動する機能があります。そうではなくツイッターなりの世界を構築し、それと連動させながら実名のフェイスブックも運用する。そんなスタイルで使いこなしているひとはあまりみられません。

ぼくの運用ルールとしては、匿名による140字以下のつぶやきとフォロワーさんあるいは各種ソーシャルメディア著名人とのコミュニケーションと情報収集に「ツイッター」。匿名と実名の両方で140字以下で友達とも共有したい、実名で主張したいコメントはHootSweetクライアントを通じて「ツイッター」と「フェイスブック」に同時投稿。140字を越える長文による考えたこと、タイムラインで得た情報についてのコメント、王様の耳はロバの耳的におおっぴらに発言できないけれど誰かに聞いてほしいことは「フェイスブック」と使いわけています。

また、ブログにはブログパーツとしてツイッターを表示し、ツイッターへのリンク、つぶやきのアーカイブ(保存)としてツイログへのリンクを置きました。ツイートはTLに埋もれて流れていってしまうけれど、振り返って読み直すと結構面白い。特にツイログは昨年の今日につぶやいていたことを表示できるので便利です。

ぼくのソーシャルメディア利用体系を図にあらわすと以下のようになります。

P1000183.JPG

友達100人でっきるかな?という歌がありましたが、ぼくは友達100人要りません。というか、友達100人と誠実に付き合える自信がありません。なぜなら、100人の友達がいれば、友達ひとりあたりに注ぐコミュニケーションは100分の1になってしまうとおもうからです。であれば限定された友達と深いコミュニケーションをしたい。

そんなわけで、フェイスブックのぼくの友達は現在23人です。一方でツイッターはもう少し間口を広げて、フォロー435人、フォロワー443人になっています。Google Analyticsによると、7月中のブログの月間アクセス数は、訪問数1,052、ページビュー数1,213、新規訪問者88.59%、リピーター11.41%、最もアクセスされた人気コンテンツは「女は男の指を見る」という竹内久美子さんの本の感想で、ページビュー数全体の12.86%でした。まったくブログを更新しなかったにもかかわらず、これだけアクセスをいただいて感謝しております(2012年8月11日現在)。

ぼくは自分に「誠実」な発言をしたいと考えています。

おべんちゃらを使って何でも持ち上げる御用広告とは違って、ダメなものはダメ、ヤバイものはヤバイと発言できることがソーシャルメディアの醍醐味だとおもう。しかしながら、批判的な発言はときとしてネガティブな印象を生み、他人を吊るし上げることで自分の満足を得るような姑息なネットの魑魅魍魎を呼び込むことがあります。スパムで攻撃されることもある。したがって、ぼくのブログのコメント欄は承認制にして、ぼくがチェックしないと公開されないようにしました。

さらに、ツイッター(匿名)とフェイスブック(実名)の経路が閉ざされていることが「自分を守る」ためのささやかな工夫といえます。この経路をつないでしまうと、どんな無神経なやからを実名の世界に呼び込むかわからない。といっても、ホンネとしては匿名なんかやめて、ツイッターやブログも実名で書きたい気持ちがあります。

2009年2月4日に、ぼくは現在のツイッターアカウントであるBirdWing09を取得したのですが、実は2度目のツイッターでした。まだ日本語化されていない頃、ぼくはBirdWingとしてツイッターを利用していました。いつからはじめたのか忘れてしまいましたが、ブログを読むと、2007年にはブログで、ツイッター掌編小説なるものを公開しています([掌編小説] 青い鳥のおはなし。)。

最初のツイッターのフォロー/フォロワーは3人(笑)。しかし、3人だけに密度の濃いコミュニケーションができました。いま食事をした、風呂に入る、会社から帰った、出掛けるという行動が、まるでリアルの世界でいっしょにいるように飛び込んでくる。こんなメディアがあったのか!と夢中になりました。一種の依存症のような状態で。

そして、ぼくはそのフォロワーさんのひとりと、ぼくの人生史上最大のレンアイに落ちました。

彼女はまだ学生で、ぼくより20歳年下でした。飛行機を使わなければ会えない遠くに住んでいて、ぼくのブログのファンでした。ぼくのブログに書かれたあるエントリを読んで、思考のなかをなぞられたような眩暈を感じたそうです。

ぼくらは最初は戸惑いがちにメールを交換し、それからグーグルのチャットで話をするようになった。学校や仕事があるのに、明け方まで話し込んだこともあります。そうして電話番号を交換した。はじめて彼女に電話したときのことをぼくは明確に覚えています。誰もいない公園で携帯電話を耳にあて、ノイズの向こうに彼女の声をはじめて聞いたときのことを。

彼女には彼氏がいましたが(ぼくにも妻がいるわけですが)、惹かれあうチカラを止めることができませんでした。万有引力とは引き合う孤独の力、と谷川俊太郎さんは「二十億光年の孤独」という詩で書いています。ぼくらは遠く離れた場所で、それぞれ相方の存在がありながら、お互いに孤独だったのでしょう。その孤独と孤独がネットを介してつながった。

会わずにはいられませんでした。彼女が東京に訪れたとき、ぼくらは会ってしまった。会ってしまうと歯止めが効きませんでした。ぼくは激しく彼女を求めた。愚かだとはおもいますが、こつこつと小遣いを貯めて飛行機代に換えて、遠い場所にいる彼女に会いに行ったこともあります。

しかし、過剰に求め合う関係は過剰な憎しみも生むわけで、壊れやすい。いくら頻繁にコミュニケーションできるとしても、ネットはリアルの代替にはなりません。実際に会ったほうがぜったいにいい。会って身体を重ねれば分かり合えることもある。テキストだけでは不十分な感情のすれ違いに苛立ち、ぼくは彼女を傷つけるようになりました。酷いことを要求し、酷い言葉を吐きました。そうして激しいレンアイだけに、激しい憎悪のぶつけあいになりました。

結果、彼女は離れていったのですが、ぼくはたくさんのことを彼女から学びました。感謝しています。彼女から引き裂かれたぼくの反動はとても大きなもので、ぼくはその圧力に耐えられず、精神を病んでしまいました。うつ病になって起きられなくなってしまったのです。横になったままのアタマのなかで、自責と他責の言葉がぐるぐると渦巻いている。猛獣のような酷い言葉がぼくを襲ってくる。

ものすごく長い時間、ぼくは暗闇のなかで考えました。彼女の言葉を反芻し自省し、自分とは何か、ということを生まれた頃にまで遡って考え、なぜこんな風になってしまったのか理由を探る。理由なんてないのです。けれども理由を探さなければいられない。部屋にひきこもって哲学書を読み耽り、動かない自分の身体を呪いながら、これからどう生きればいいのかを模索する。いっそのこと死んでしまえ、と何度も考えました。皮のベルトを階段の手摺にかけて...とシミュレーションしたことも。

この暗闇に意味があるのか、あればどういうことなのかということを知りたかった。しかし、暗闇の底にはまた暗闇があり、すとんと落ちたところで止まってくれない。さらに底なし沼のように落ちていく。まだそれほどうつ病の症状が重くなかった頃でさえ、知人と飲みにいったときに、
「おまえ彼女に会いたいだろ?」
と問われて、
「会いたい」
と言ったきり、ぼろぼろ涙がこぼれてきて止まらなくなったほどです。

そうしてぼくは学びました。相手を大切にして長い関係をつづけたいのであれば、過剰に想いを抱いてはならない。相手を求めてはいけない。ほどほどの距離が大切で、親しいなかにも礼儀あり。決して相手の未来を壊してはいけないし、自分も壊れない。自分をコントロールするのは自分であり、自分大事。けれども誰かのためにぼくは存在していよう。彼女が教えてくれたこと、彼女に対するぼくの罪をこれから贖っていこう。

ソーシャルメディアというと何か別の世界におもえるけれど、これもぼくらの人生の一部です。ネットだからリアルだから、と二元論で考えたくないし、彼女との関係を単なるネット恋愛、不倫、浮気、遠距離恋愛という陳腐なフレームに落とし込みたくない。あれはネット×リアルによって偶然に生まれたものすごく貴重な体験、タカラモノだったとおもうのです。

人間関係とコミュニケーションを学ぶ上で最も効果的なものは、レンアイではないかとぼくは考えています。たとえば、ビジネスに感情は不要という考え方もあるけれど、クライアントへのプレゼンテーションに愛がなければ、単なる形式的な提案になってしまうでしょう。国民に対する愛がないから政治家は派閥闘争に夢中になるし、アートは金儲けの手段になってしまう。未来の日本に対する愛がないから原発を放置する。

感情は個人的なものであり普遍化されないという考え方を、ぼくはとてもさびしいとおもいました。そんなことを言う人間は、おまえはアスペルガー症候群か、とおもってしまう。感情は普遍化できないにしても、ぼくらは共感力をもっている。ソーシャルメディアを支えているのも、この共感のチカラです。

これからは感性の時代である、というようなことがダニエル・ピンクの「ハイ・コンセプト」などの本で宣言されてから随分たちます。共感力、あるいは社会全体や他者に対する想像力があれば、社会はもっと寛容になれるとおもうし、犯罪も減るのではないでしょうか。それはぼくの甘い期待なのかな。

学校では、ほとんどの先生が「恋愛学」などは教えてくれません。

「人間交際学」も教えてくれないし、「仕事論」なんてないし、「親学」もありえない。しかしながら、未熟な若者たちはインターンがあったとしてもいきなり就職に追い詰められる。子供ができたら親にさせられてしまう。追い詰められたその皺寄せが、自傷であったり育児放棄などの現象にあらわれるのでは。

でも、それらを阻止する知恵は、ソーシャルメディアで学ぶことができるのです。橋本徹大阪市長は「大阪都構想」によって、大阪市の区を自立させ、区民と区長、区長と市長をツイッターで結ぶ試みをされています。同様に教育の世界でも、教師と学生(生徒)、子供の親たちをダイレクトにつなぐことができるのではないでしょうか。

そもそもソーシャルメディアを漁れば、いくらでも「恋愛学」「人間交際学」「仕事論」「親学」を教えてくれる「教師」がたくさんいます。教員免許を持っていなかったとしても、人生の知恵に豊富なひとたちは人生の先生です。つぶやきに耳を傾けていれば、いくらでも学ぶことができる。一時期ツイッターで英語を学ぶという本が人気で、ぼくも買い漁ったのですが、ツイッターで学ぶことができるのは語学だけではありません。

ソーシャルメディアをデフォルトとしてこれから育っていく子供たちにぼくは期待しています。小学6年生で子役の「はるかぜちゃん」こと春名風花ちゃんは、ツイッターを利用する上で気をつけることを10か条にまとめました。「ライフハックブログKo's Style」から転用させていただきます。

ついり(ω)10ヶ条
①学校の友達の名前を出さない(ω)
②守秘義務を守る(ω)
③きもちをこめてついる(ω)
④なるべくいろんな話をする(ω)
⑤人の悪口はゆわない(ω)
⑥絶対ネットでおこったりイライラしない(ω)
⑦たくさんの人が読んでくれてることを忘れない(ω)
⑧なるべく自分にひはんてきないけんはりついとする(ω)
⑨いつもたのしくルンルンルン(ω)
⑩早くねる(ω)

えらいなあ。むしろ年齢に関わらず彼女のほうが先生だ。ネットでくだらないことを執拗にdisっているオトナたちが恥ずかしくなりました。いまだに誹謗中傷したり殺人予告したり万引きを自慢してつかまる中高生もいますが、メディアリテラシーをきちんと身につけた子供たちも出てきています。「守秘義務を守る」というのは、声優や子役としてお仕事をされているので、そのことを念頭に置いたのでしょうね。ほんとにえらい。

gov2.0などということもいわれますが、ソーシャルメディアは政治的なインフラとしても今後整備されていくでしょう。それだけでなく、教育の場としても活用されるべきではないかと考えています。就職に悩んだとき、人間関係で落ち込んだとき。その答えの手がかりとなる言葉は、きっとソーシャルメディアのなかに転がっているはず。

人生を諦める前にソーシャルメディアを覗いてみてはいかがですか。


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追記(8/14)
はるかぜちゃんのツイートをまとめた本。ぼくはまだ読んでいないのですが欲しい。近所の書店で探しているのですが、みつからないのです。とはいえ、ツイートをする上で参考になるばかりか、はるかぜちゃんの生き方に共感しそうです。

4778312694はるかぜちゃんのしっぽ(ω)
春名 風花 山本 敏晴
太田出版 2011-08-25

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投稿者 birdwing 日時: 09:10 | | トラックバック

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