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2010年2月28日

「フリー <無料>からお金を生み出す新戦略」クリス・アンダーソン

▼book10-05:フリーという新しい価値の彼方へ。

4140814047フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略
小林弘人
日本放送出版協会 2009-11-21

by G-Tools

ひとことで「フリー(無料)」といっても、さまざまなサービスやパターンがあります。Webではフリーであることは当たり前ともいえるでしょう。たとえば、グーグルの事業範囲は多岐に渡りますが、その多くは無料で提供されています。検索エンジンをはじめとして、メール、チャット、動画配信、地図、ワードプロセッサやスプレッドシートのオフィスソフトの提供、あるいは携帯端末用のオープンソースのOS(アンドロイド)の開発など。

高機能のサービスを、グーグルはなぜ無料で提供できるのか。
長いあいだ自分には疑問でした。

そりゃ広告収益で運営されているからだろ、という安易な解答は当然わかっています。しかし、ダイナミックに次々と新機軸を生み出す巨大なグーグルの事業構造は、単純な広告によるビジネスモデルとは異なる何かがあるのではないか、という印象を抱きました。神話化するつもりはありませんが、他の企業とはやはりどこかが違う。社会や技術動向の波に乗り、フリー(無料)のサービスを提供しながら収益化していく秘訣があるはず。

一方で、OSのリナックス(Linux)など、オープンソースのプロジェクトの構造は個人的に納得できるものです。自分たちの力でサービスを作り上げるという信念と誇りが求心力になり、開発者が無償で関わって規模を拡大してきた、と認識しています。同様にWikipediaについても、基金で運営されながらクラウドソーシングのようなかたちで、ネットを通じた一般のひとたちの参加によってコンテンツの精度を上げている成功事例としてとらえてきました。

デジタルの世界から離れると、フリー(無料)はわかりやすくなります。化粧品などの試供品(サンプリング)は、販売促進のツールに過ぎません。試しに使っていただいて、気に入ったら購入する。多くのひとに、とりあえず使ってもらう。無料であることの意図はシンプルです。

さらにわかりやすいのは、日本では地下鉄の駅で配布しているmetro min.(メトロミニッツ)、コンビ二で配布されていたR25のようなフリーペーパーでしょうか。これは完全な広告モデルです。誌面に掲載する広告から収益をあげて、読者には無料で提供する仕組みです。最近ではすこし勢いがなくなって残念なのですが、ぼくはフリーペーパーのファンです。市販されている雑誌よりも内容の濃い特集があり、レイアウトも凝っている冊子が多いので。

携帯電話では消滅したけれど、100円パソコンのようにハードウェアを無償に近い価格で提供して、月々の通信費用で回収していくモデルもわかりやすい。ローン返済の変形のようにとらえています。しかし、携帯電話端末の価格がどーんと上がったのには閉口しました。


■■フリーの心理的な本質とは

有名な「ロングテール」の著者であるクリス・アンダーソンは、価格競争やサービスの競争が行き着く先は「無料(フリー)」になるといいます。

「フリー <無料>からお金を生み出す新戦略」は、フリーが生まれた歴史的背景や用語の解説、ビジネスモデルのパターン化、デジタル世界におけるフリーの現状、経済的な効果など、あらゆる視点からフリーについてまとめた本です。

フリーとは何かという入門編から経済的な視点と論点を広げていく構成、「どうして○○がタダになるのか」というコラム、巻末資料として掲載された50のビジネスモデルなど、最新事情も取り入れた至れり尽くせりの内容で、非常に興味深く読み進めました。

期間限定とはいえ、この本自体がそっくりそのままフリーダウンロードできたそうです。にもかかわらず、印刷された書籍もベストセラー。本書で解説されたフリーによる収益モデルを、本書自体で実践したといえるでしょう。

率直な印象を書いてしまうと、AmazonのKindleやAppleのiPadなどの登場により電子書籍の隆盛が期待されていますが、PDFにしてもまだまだ画面上でまるごと本一冊を読むのは厳しいと感じています。だからダウンロードしたとしても、印刷物の本を購入したひとも多いのではないでしょうか。つまり印刷された書籍とフリーダウンロード版が同一内容であったとしても、読みにくいがゆえに書籍を購入したくなる。

なぜフリー(無料)がこれほどまでに、もてはやされるのでしょう。さらりと書かれていて読み飛ばしそうですが、ぼくは第2章「「フリー」入門」のフリーという用語の語源に鍵があるのではないかと感じました。自由と無料という両義性について解説している部分です(P.27)。

それでは、どうして英語では「Free」というひとつの単語になったのだろうか。驚くことに、その古い英語のルーツは「friend(友人)」と同じだという。

語源学者のダグラス・ハーパーによると、「free」の古い語が意味するところは、自由のきかない奴隷に対して同じ種族の自由な一員、だったようです。

個人的な推測ですが、リナックスのコミュニティが盛り上がったのも仲間の"協働意識"があったからではないでしょうか。自由にソフトウェア開発に関与できる仲間意識がコミュニティを支えていた。貨幣で売買されるものは、売り手/買い手という関係性のなかに閉じられます。しかし、無料で「ほら、これあげるよ」という感覚があるとき、たとえネットを通じた他者であっても、友人的な"つながり"が生まれる。OKwaveのようなQ&Aサイトも同様です。知識や情報を無償で提供したとき、受け手は教えてくれたひとに親近感を抱く。

無料ではなくても、「無視できるほど充分に安ければ」心理的な防御を緩めることになるのかもしれません。パチッとスイッチを入れるように(P.119)。

ミードが理解していたのは、ものの価値がゼロに向かうと心理的スイッチがパチッと入ることだった。完全に無料にはならないかもしれないが、価格がゼロに近付くと、まるでそれがタダであるかのように扱われるという強みを持つ。ストラウスの言った、安すぎて気にならないではなく、安くて問題にならない、である。

それは言い換えれば、無料という「価値」が有料の価値を凌駕するからです。本書のなかでは、ダン・アリエリーの実験が引用されていて、リンツの高級チョコであるトリュフとハーシーのキスチョコの実験が紹介されています。リンツ:15セント(卸売価格の約半分)とハーシー:1セントの場合には、73%がリンツ、27%がハーシーを選んだとのこと。しかし、リンツ:14セントとハーシー:無料の場合には逆転し、69%がハーシーを選んだそうです。

ここでアリエリーは次のように説明しています。

たいていの商取引にはよい面と悪い面があるが、何かが無料!になると、わたしたちは悪い面を忘れ去り、無料!であることに感動して、提供されているものを実際よりずっと価値あるものと思ってしまう。なぜだろう。それは人間が失うことを本質的に恐れるからではないかと思う。無料!のほんとうの魅力は、恐れと結びついている。

確かに貨幣を損失することに対する恐れが価値を決めているという指摘は鋭いとおもいました。しかし、ぼくは無料にすることによって、貨幣的な交換条件が崩れ、共同体の仲間として無償でシェアする「friend(友人)」的な精神が発動するからではないか、と考えました。


■■フリーの4つのモデルと新たな価値観

第2章ではフリーを4つのモデルに分けています。本書では各ページごとにまとめられているのですが、4つ全部を俯瞰したかったことと自分の思考の整理のために、ポイントをワンシートにまとめてみました。

PowerPointでさくっと作ったチャートをFlashPaperで公開します。全画面表示が可能なので、上部のコントロールバーで印刷アイコンの右隣にあるアイコンを押して拡大してご覧ください。



「直接的内部相互補助」「三者間市場」「フリーミアム」「非貨幣市場」の4つがあり、最初の2つは従来からあるモデルです。テレビ、ラジオなどのいわゆるマスメディアは、広告による「三者間市場」です。雑誌、新聞の場合は、「三者間市場」なのですが、製造者が消費者(読者)からも費用を徴収するモデルと考えられるでしょう。

ここで従来にない新しいモデルが「フリーミアム」と「非貨幣市場」です。

フリーミアム(Freemium)はベンチャー・キャピタリストのフレッド・ウィルソンの造語であり、基本版は無料、追加機能などを拡充させたプレミアム版は有料というモデルです。注目したのは、オンラインサイトの場合は「5パーセント・ルール」というものがあり、5パーセントの有料ユーザーが他の無料ユーザーを支えている、ということでした。

ただし、巻末付録では次のようにも補足しています(P.330)。

フリーミアムを収益モデルとして利用することを考えているウェブ2.0企業に対する私のアドバイスは、ユーザー全体に対する有料ユーザーの割合は五パーセントを損益分岐点にすることだが、望ましい割合は一〇パーセントだ。それ以上の有料ユーザーがいる場合は、無料版の性能を絞りこみすぎていて最大数の潜在顧客をつかまえていない可能性がある。一方、割合が一〇パーセント未満のときは、無料ユーザーを支えるコストが高すぎて利益をあげられない恐れがある。

税計算ソフトのインテュイット社は、連邦税計算ソフトは無料で提供し、州税計算ソフトは有料で提供することによって、70パーセントのユーザーが有料版を買うという高い移行比率をあげているそうです(特殊なケースではあるようですが)。

このモデルを理解して、グーグルがなぜ収益をあげられるかについて納得しました。潤沢な利用者を有しているグーグルでは、わずかな会員数であったとしても、有料ユーザーによる収益が無料ユーザーを支えているのでしょう。

フリーミアムはデジタルの分野だけではありません。2007年7月にプリンスがニューアルバム「プラネット・アース」をデイリーメイル紙280万部に景品として付けたこと、ブラジルではテクノ・ブレーガと呼ばれるCDが無料で配られていることなどが挙げられていました。これらの音楽業界では、コンサートのイベント収益によって(つまり来場者が費用を負担することで)CDの無料配布が実現できたようです。日本ではまだ実例はないとおもうのですが、大物のアーティストがどかんとやってくれると風穴があきそうですね。

いちばん信じられないのが4つめ「非貨幣市場」なのですが、まずジョセフ・ベルトランという数学者の「ベルトラン競争」について次のように書かれています(P.227)。

競争市場においては、価格は限界費用まで下落する。

そこで、もしベルトラン競争の法則が適用されるのであれば「無料はたんなる選択肢のひとつではなく、必然的に行き着くところ」と述べています。この推測のキモとなる部分は「競争市場において」という部分で、例としてウィンドウズのOSを挙げ、なぜウィンドウズが無料にならないかといえば、ネットワーク効果により(つまり誰もが使っているということから)独占状態にあるからだ、とします。

また、「フリーライダー(ただ乗り問題)」も憂慮すべきではないと述べています。というのも、例えばWikipediaでは編纂に参加することにより、強い喜びが与えられるからです。一般的によく使われるマズローの欲求五段階説を使った理想論であり、若干疑問を感じつつ、次を引用します(P.251)。

要するに、私たちが報酬なしでも喜んですることは、給料のための仕事以上に私たちを幸せにしてくれる。私たちは食べていかなければならないが、マズローの言うとおりで、生きるとはそれだけではない。創造的かつ評価される方法で貢献する機会は、マズローがすべての願望の中で最上位に置いた自己実現にほかならず、それが仕事でかなえられることは少ない。ウェブの急成長は、疑いなく無償労働によってもたらされた。人々は創造的になり、何かに貢献をし、影響力を持ち、何かの達人であると認められ、そのことで幸せを感じる。こうした非貨幣的な生産経済が生まれる可能性は数世紀前から社会に存在していて、社会システムとツールによって完全に実現される日を待っていた。ウェブがそれらのツールを提供すると、突然に無料で交換される市場が生まれたのである。

確かに自分を省みても、非貨幣的な生産として、こんなに長文のブログを書き、ものすごい時間をかけて趣味のDTMで作った曲をアップロードし、Twitterで毎日つぶやきを残しています。このパワーはいったいどこから来るのか。

価値観が変わりつつある・・・という予感のようなものを感じました。

もちろん貨幣経済のなかにあり、日々最低限の生活をしていくためにはお金が必要です。その基盤は今後も変わらないことは確かでしょう。しかし、フリー(無料・自由)という非貨幣市場の登場により、別の価値観、別のモノサシによって、ゆたかに生きていくスタイルが模索されつつある。願わくば、その新しい価値観が閉塞された日本の経済を打破し、貧困や格差の社会的な問題を解決する糸口になればよいのですが。

しかしその一方で、限界費用まで下落していく市場において、競争が熾烈化することも必須といえます。楽観論だけでなく、競争に耐えうる叡智がなければ、フリーという潮流に翻弄されて生き残れないのではないか、という危機感もあります。企業の問題だけでなく、個人の問題としても。

+++++

余談なのですが、クリス・アンダーソンは「ワイアード」誌の編集長です。ワイアード日本語版、好きな雑誌のひとつだったんですよね。最終号(1998年11月号)、いまだに持っています。その他の号も持っていたりして。

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投稿者 birdwing : 2010年2月28日 16:54

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2 Comments

madmax 2010-05-15T13:24

別のコメントで申し訳ありませんが、ご返答ありがとうございます。なかなか、人材という問題にそぐわなかったかなぁなって思って、ちょっと反省してますが・・・。
なぜ今回こちらのフリー経済のコメントに返答させて頂いたかというと、実は最近、苫米地英人の「フリー経済入門」を読んだからです。私、実際経済にはめちゃくちゃ疎いんです。もちろん大学で経済は勉強したけど、マルクス経済が主でした。経営となると専門教科でなくなるんで。
それはともかく、この本は、ある種の反論本でしたね、アンダーソンの。なかなか興味深い。
内容は、実は私には語る能力ないのですが、やはり「無料より高いものはない」んじゃないかなぁって思った。

大体、ネットで無料と言われているものって、「これ以降の情報が知りたかったらご登録を」というものがほとんどかと・・・私の趣味もありますが、日経の雑誌系のページはそうだったかなぁ。とにかく、個人情報を何気なく売り渡しちゃうんですよ。苫米地さんは、そこが非常に危険だって言ってます。結構政治的な問題として捉えてるから、そういう意見なんかなとも思う。

マイクロソフト、ヤフー、グーグルが限界費用をとことんまで落としていったからこそ世界一になれたという話、もっともらしくて面白かった。フリーミアムの底力ですな。彼らの成功が、パンドラの箱を開けたのですね。でもグーグルでさえ、実は最後の限界費用からは逃れられないと言う。ま、それは、読んでいただく方が、おもしろいですよね。野暮はしません。ただ、変に苫米地さんが自分の製品をサブリミナルに売り込んでるようで、笑えた。

でも私、実際、無料に見えるものって前から怪しいと思ってるんです。でも、欲望に駆られてついて手をだしてしまう。その後で、有料の壁にふさがれると本当に悔しい思いをします。

十年くらい前から、携帯が出て、それが無料に近く手にいれらる様になってから、いろいろ無料っていろんなコストが裏に張り付いてるんだと気づかされましたが、実際今もってる携帯も、誰かさんの無料のコストをカバーしてるのかと思うと、複雑ですね。なんか無意識のダンピングか、みたいな・・。これっていい商売なんだろうか?それとも経済事態がこういう怪しい部分を含んでいるんだろうか?なかなか面白い問題です。

最後に、やっぱり世界的に見ると、フリーミアムの行き着く先は、持てるものと持てないものの格差が極端に拡大するのではないかと思います。パソコン持ってる人口って、やっぱ世界的に見ると少ないし、そこの中だけでフリーがあるとなると、じゃフリー(自由)って豊かな社会だけにあるってこと?パソコン自体を全部フリーにするならいいんだろうけど、・・・それって無理でしょう?やっぱハードがあって初めてソフトなんです。パソコンの世界にいるとついその辺を誤解しやすくならないでしょうか?私は全然そんな世界にいるわけではないので分かりませんが。でも大掛かりなCMで、いかにも世界を開放するツールとしてパソコンが喧伝されても、おそらく世界はちっとも豊かになりそうもない・・。

ちょっと愚痴めいた返答ですみません。内容にそくした返答したいのですが、私には難しすぎる。でも少しづつ勉強していきます。ではまた

BirdWing 2010-05-15T16:56

おお、madmaxさん、新しい議論の提供をありがとうございます(笑)。なんとなく往復書簡というか、対談的になってきましたが、いただいたコメントにぼくも考察してみますね。なかなか難易度の高い論点が多く、議論が噛み合わない部分もあるかとおもいますがご容赦ください。

苫米地英人さんの「フリー経済入門」、残念ながらぼくは読んでいません。というのは・・・あえて偏見であると前提として語るのですが、苫米地英人さんの「一瞬で相手をオトす洗脳術」という本を購入して読んだことがありました。ヒーリングCDが付属だったので、音楽が趣味のぼくには興味があったのですが、この本の読後に感じたことは、

「苫米地英人氏はアヤシイ臭いがする」

ということでした。失礼ですが、宗教的というか似非科学的な臭いがぷんぷんしました。理屈ではなく直感的なのですが、ぼくはその後、苫米地英人さんの書物を“本能的に”避けています。なので、苫米地英人さんが「反論」されているのであれば、むしろその方が正しいとおもってしまいました(笑)。

もちろん、苫米地英人さんの書物を全部読んだわけではありません。また、NLP(神経言語プログラミング)などについても、個人的にはアヤシイとおもっているので、ぼくが過剰反応しているだけかもしれません。

というわけで話を「フリー」に転じますが。

madmaxさんのおっしゃる「これ以降の情報が知りたかったらご登録を」は、クリス・アンダーソンの言うところのフリーミアム(Freemium)のモデルですね。機能を限定した製品を無料で提供し、5%の有料会員から徴収した費用で全体を運営するビジネスモデルです。ただ、クリス・アンダーソンはその先に、非貨幣市場のモデルを想定していました。「ツイッターノミクス」を書いたタラ・ハントの言うギフト経済です。通貨ではなく、ウッフィーというネットワーク上の信頼や評価が重視される社会です。

これは理想的な社会で、ぼくもまだ実感としては懐疑的です。ただ、オープンソースのソフトウェアや、Wikipediaの編集、YouTubeに動画をアップロードするようなひとたちを眺めても、彼等は損得勘定を抜きにしてプログラムを組む労力を提供したり、コンテンツを提供しているわけですよね。つまり、タダ働きなのに、そこに「価値」を見出している。

性善説と性悪説があるとおもうのですが、無料で情報を提供すれば誰かに悪用される、「無料より高いものはない」と感じているmadmaxさんは、どちらかといえば性悪説的なスタンスなのかな、という印象を受けました。

しかしぼくは、無償でも評価(ウッフィー)さえ得られるのであれば、誰もがネットで率先して何かを提供する、という性善説の立場を取りたいとおもっています。ボランティアともすこし違います。もっと人間の本質に根ざした何かです。というのは、ツイッターをやっていて感じることですが、いつも「ありがとう」のことばに救われたり、時間を割いて誰かの悩みに応えようとしたりするので。

確かに、madmaxさんのご指摘の通り「持てるものと持てないものの格差が極端に拡大する」という情報格差の問題はあるでしょう。しかし、そのためにソフトバンクの孫正義さんが熱くなって「光の道」構想によって、離島を含めた日本全体のインフラ整備を提言しています。先日、佐々木俊尚さんが孫さんとのUst対談で、インフラ整備より別の部分に「選択と集中」すべきだという批判をされていましたが、ぼくは孫さんのように、批判より行動を起こされるひとが日本にいることを、全面的に支持したいと考えています。

また、実はいまぼくはまさに、堀江貴文さんの「格差の壁をぶっ壊す!」(宝島新書)の感想を書こうとしていたのですが、格差は「ねたみ」と「ひがみ」の感情が生んだ幻想である、という視点もあるとおもいます。

大袈裟なCMを放映しても世界はちっとも豊かになりそうもない、というご意見もよーくわかります。iPadで盛り上がりつつありますが、電子書籍はともかく、電子教科書といっても全国の教師に配布したところで困惑して使い方がわからないセンセイが大半だろうし(それこそ批判ばかりして新たな行動を起こさない)、医療分野の電子カルテ普及も絵に描いた餅にみえます。

でも、こういう議論ができるということも含めて、いま重要な過渡期にあるとおもうんですよね。

コメントありがとうございました。愚痴でも構いませんので、また何か感想があればお聞かせください。ぼくも考えたいとおもいます。あと、苫米地英人さんの「フリー経済入門」読んでみようかなあ。

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