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2012年8月11日
ソーシャルメディアで学んだこと。
窓の外にはさわやかな8月の青空がひろがっています。昨年10月にエントリを書いたまま放置していましたが、ふたたびブログを書いてみようとおもいました。海に行きたいという声がツイッターの波間から聞こえてくる今日このごろ、みなさんお元気ですか?
ブログを中断していた理由は、体調がすぐれなかったこと、仕事に変化があったことなどいろいろあります。しかし、ツイッターやフェイスブックなどのSNSが楽しくて、そちらに没頭してしまったことも最大の理由のひとつでした。
ぼくの場合、ブログに投稿するエントリはかなり長文で、書くためにある程度まとまった時間が必要になります。しかし、ツイッターであれば、おもいついた思考の断片を次々にリアルタイムで投げ込むことができる。フェイスブックは実名になりますが、かなり長文のものを書くことができるし、場合によっては公開範囲を限定して、友達だけに本音を吐いたりすることも可能です。フェイスブックデビューは今年の1月で流行には乗り遅れた感じですが、すっかり嵌ってしまいました。
ぼくは、ソーシャルメディアとして、主としてツイッター+フェイスブック+ブログを利用しています。
この3つを使ってみて、単独でそれぞれを楽しんでいるひとはたくさんいますが、連動して活用しているひとは少ないと感じました。ツイッターには投稿したツイートをフェイスブックにも投稿させて連動する機能があります。そうではなくツイッターなりの世界を構築し、それと連動させながら実名のフェイスブックも運用する。そんなスタイルで使いこなしているひとはあまりみられません。
ぼくの運用ルールとしては、匿名による140字以下のつぶやきとフォロワーさんあるいは各種ソーシャルメディア著名人とのコミュニケーションと情報収集に「ツイッター」。匿名と実名の両方で140字以下で友達とも共有したい、実名で主張したいコメントはHootSweetクライアントを通じて「ツイッター」と「フェイスブック」に同時投稿。140字を越える長文による考えたこと、タイムラインで得た情報についてのコメント、王様の耳はロバの耳的におおっぴらに発言できないけれど誰かに聞いてほしいことは「フェイスブック」と使いわけています。
また、ブログにはブログパーツとしてツイッターを表示し、ツイッターへのリンク、つぶやきのアーカイブ(保存)としてツイログへのリンクを置きました。ツイートはTLに埋もれて流れていってしまうけれど、振り返って読み直すと結構面白い。特にツイログは昨年の今日につぶやいていたことを表示できるので便利です。
ぼくのソーシャルメディア利用体系を図にあらわすと以下のようになります。
友達100人でっきるかな?という歌がありましたが、ぼくは友達100人要りません。というか、友達100人と誠実に付き合える自信がありません。なぜなら、100人の友達がいれば、友達ひとりあたりに注ぐコミュニケーションは100分の1になってしまうとおもうからです。であれば限定された友達と深いコミュニケーションをしたい。
そんなわけで、フェイスブックのぼくの友達は現在23人です。一方でツイッターはもう少し間口を広げて、フォロー435人、フォロワー443人になっています。Google Analyticsによると、7月中のブログの月間アクセス数は、訪問数1,052、ページビュー数1,213、新規訪問者88.59%、リピーター11.41%、最もアクセスされた人気コンテンツは「女は男の指を見る」という竹内久美子さんの本の感想で、ページビュー数全体の12.86%でした。まったくブログを更新しなかったにもかかわらず、これだけアクセスをいただいて感謝しております(2012年8月11日現在)。
ぼくは自分に「誠実」な発言をしたいと考えています。
おべんちゃらを使って何でも持ち上げる御用広告とは違って、ダメなものはダメ、ヤバイものはヤバイと発言できることがソーシャルメディアの醍醐味だとおもう。しかしながら、批判的な発言はときとしてネガティブな印象を生み、他人を吊るし上げることで自分の満足を得るような姑息なネットの魑魅魍魎を呼び込むことがあります。スパムで攻撃されることもある。したがって、ぼくのブログのコメント欄は承認制にして、ぼくがチェックしないと公開されないようにしました。
さらに、ツイッター(匿名)とフェイスブック(実名)の経路が閉ざされていることが「自分を守る」ためのささやかな工夫といえます。この経路をつないでしまうと、どんな無神経なやからを実名の世界に呼び込むかわからない。といっても、ホンネとしては匿名なんかやめて、ツイッターやブログも実名で書きたい気持ちがあります。
2009年2月4日に、ぼくは現在のツイッターアカウントであるBirdWing09を取得したのですが、実は2度目のツイッターでした。まだ日本語化されていない頃、ぼくはBirdWingとしてツイッターを利用していました。いつからはじめたのか忘れてしまいましたが、ブログを読むと、2007年にはブログで、ツイッター掌編小説なるものを公開しています([掌編小説] 青い鳥のおはなし。)。
最初のツイッターのフォロー/フォロワーは3人(笑)。しかし、3人だけに密度の濃いコミュニケーションができました。いま食事をした、風呂に入る、会社から帰った、出掛けるという行動が、まるでリアルの世界でいっしょにいるように飛び込んでくる。こんなメディアがあったのか!と夢中になりました。一種の依存症のような状態で。
そして、ぼくはそのフォロワーさんのひとりと、ぼくの人生史上最大のレンアイに落ちました。
彼女はまだ学生で、ぼくより20歳年下でした。飛行機を使わなければ会えない遠くに住んでいて、ぼくのブログのファンでした。ぼくのブログに書かれたあるエントリを読んで、思考のなかをなぞられたような眩暈を感じたそうです。
ぼくらは最初は戸惑いがちにメールを交換し、それからグーグルのチャットで話をするようになった。学校や仕事があるのに、明け方まで話し込んだこともあります。そうして電話番号を交換した。はじめて彼女に電話したときのことをぼくは明確に覚えています。誰もいない公園で携帯電話を耳にあて、ノイズの向こうに彼女の声をはじめて聞いたときのことを。
彼女には彼氏がいましたが(ぼくにも妻がいるわけですが)、惹かれあうチカラを止めることができませんでした。万有引力とは引き合う孤独の力、と谷川俊太郎さんは「二十億光年の孤独」という詩で書いています。ぼくらは遠く離れた場所で、それぞれ相方の存在がありながら、お互いに孤独だったのでしょう。その孤独と孤独がネットを介してつながった。
会わずにはいられませんでした。彼女が東京に訪れたとき、ぼくらは会ってしまった。会ってしまうと歯止めが効きませんでした。ぼくは激しく彼女を求めた。愚かだとはおもいますが、こつこつと小遣いを貯めて飛行機代に換えて、遠い場所にいる彼女に会いに行ったこともあります。
しかし、過剰に求め合う関係は過剰な憎しみも生むわけで、壊れやすい。いくら頻繁にコミュニケーションできるとしても、ネットはリアルの代替にはなりません。実際に会ったほうがぜったいにいい。会って身体を重ねれば分かり合えることもある。テキストだけでは不十分な感情のすれ違いに苛立ち、ぼくは彼女を傷つけるようになりました。酷いことを要求し、酷い言葉を吐きました。そうして激しいレンアイだけに、激しい憎悪のぶつけあいになりました。
結果、彼女は離れていったのですが、ぼくはたくさんのことを彼女から学びました。感謝しています。彼女から引き裂かれたぼくの反動はとても大きなもので、ぼくはその圧力に耐えられず、精神を病んでしまいました。うつ病になって起きられなくなってしまったのです。横になったままのアタマのなかで、自責と他責の言葉がぐるぐると渦巻いている。猛獣のような酷い言葉がぼくを襲ってくる。
ものすごく長い時間、ぼくは暗闇のなかで考えました。彼女の言葉を反芻し自省し、自分とは何か、ということを生まれた頃にまで遡って考え、なぜこんな風になってしまったのか理由を探る。理由なんてないのです。けれども理由を探さなければいられない。部屋にひきこもって哲学書を読み耽り、動かない自分の身体を呪いながら、これからどう生きればいいのかを模索する。いっそのこと死んでしまえ、と何度も考えました。皮のベルトを階段の手摺にかけて...とシミュレーションしたことも。
この暗闇に意味があるのか、あればどういうことなのかということを知りたかった。しかし、暗闇の底にはまた暗闇があり、すとんと落ちたところで止まってくれない。さらに底なし沼のように落ちていく。まだそれほどうつ病の症状が重くなかった頃でさえ、知人と飲みにいったときに、
「おまえ彼女に会いたいだろ?」
と問われて、
「会いたい」
と言ったきり、ぼろぼろ涙がこぼれてきて止まらなくなったほどです。
そうしてぼくは学びました。相手を大切にして長い関係をつづけたいのであれば、過剰に想いを抱いてはならない。相手を求めてはいけない。ほどほどの距離が大切で、親しいなかにも礼儀あり。決して相手の未来を壊してはいけないし、自分も壊れない。自分をコントロールするのは自分であり、自分大事。けれども誰かのためにぼくは存在していよう。彼女が教えてくれたこと、彼女に対するぼくの罪をこれから贖っていこう。
ソーシャルメディアというと何か別の世界におもえるけれど、これもぼくらの人生の一部です。ネットだからリアルだから、と二元論で考えたくないし、彼女との関係を単なるネット恋愛、不倫、浮気、遠距離恋愛という陳腐なフレームに落とし込みたくない。あれはネット×リアルによって偶然に生まれたものすごく貴重な体験、タカラモノだったとおもうのです。
人間関係とコミュニケーションを学ぶ上で最も効果的なものは、レンアイではないかとぼくは考えています。たとえば、ビジネスに感情は不要という考え方もあるけれど、クライアントへのプレゼンテーションに愛がなければ、単なる形式的な提案になってしまうでしょう。国民に対する愛がないから政治家は派閥闘争に夢中になるし、アートは金儲けの手段になってしまう。未来の日本に対する愛がないから原発を放置する。
感情は個人的なものであり普遍化されないという考え方を、ぼくはとてもさびしいとおもいました。そんなことを言う人間は、おまえはアスペルガー症候群か、とおもってしまう。感情は普遍化できないにしても、ぼくらは共感力をもっている。ソーシャルメディアを支えているのも、この共感のチカラです。
これからは感性の時代である、というようなことがダニエル・ピンクの「ハイ・コンセプト」などの本で宣言されてから随分たちます。共感力、あるいは社会全体や他者に対する想像力があれば、社会はもっと寛容になれるとおもうし、犯罪も減るのではないでしょうか。それはぼくの甘い期待なのかな。
学校では、ほとんどの先生が「恋愛学」などは教えてくれません。
「人間交際学」も教えてくれないし、「仕事論」なんてないし、「親学」もありえない。しかしながら、未熟な若者たちはインターンがあったとしてもいきなり就職に追い詰められる。子供ができたら親にさせられてしまう。追い詰められたその皺寄せが、自傷であったり育児放棄などの現象にあらわれるのでは。
でも、それらを阻止する知恵は、ソーシャルメディアで学ぶことができるのです。橋本徹大阪市長は「大阪都構想」によって、大阪市の区を自立させ、区民と区長、区長と市長をツイッターで結ぶ試みをされています。同様に教育の世界でも、教師と学生(生徒)、子供の親たちをダイレクトにつなぐことができるのではないでしょうか。
そもそもソーシャルメディアを漁れば、いくらでも「恋愛学」「人間交際学」「仕事論」「親学」を教えてくれる「教師」がたくさんいます。教員免許を持っていなかったとしても、人生の知恵に豊富なひとたちは人生の先生です。つぶやきに耳を傾けていれば、いくらでも学ぶことができる。一時期ツイッターで英語を学ぶという本が人気で、ぼくも買い漁ったのですが、ツイッターで学ぶことができるのは語学だけではありません。
ソーシャルメディアをデフォルトとしてこれから育っていく子供たちにぼくは期待しています。小学6年生で子役の「はるかぜちゃん」こと春名風花ちゃんは、ツイッターを利用する上で気をつけることを10か条にまとめました。「ライフハックブログKo's Style」から転用させていただきます。
ついり(ω)10ヶ条
①学校の友達の名前を出さない(ω)
②守秘義務を守る(ω)
③きもちをこめてついる(ω)
④なるべくいろんな話をする(ω)
⑤人の悪口はゆわない(ω)
⑥絶対ネットでおこったりイライラしない(ω)
⑦たくさんの人が読んでくれてることを忘れない(ω)
⑧なるべく自分にひはんてきないけんはりついとする(ω)
⑨いつもたのしくルンルンルン(ω)
⑩早くねる(ω)
えらいなあ。むしろ年齢に関わらず彼女のほうが先生だ。ネットでくだらないことを執拗にdisっているオトナたちが恥ずかしくなりました。いまだに誹謗中傷したり殺人予告したり万引きを自慢してつかまる中高生もいますが、メディアリテラシーをきちんと身につけた子供たちも出てきています。「守秘義務を守る」というのは、声優や子役としてお仕事をされているので、そのことを念頭に置いたのでしょうね。ほんとにえらい。
gov2.0などということもいわれますが、ソーシャルメディアは政治的なインフラとしても今後整備されていくでしょう。それだけでなく、教育の場としても活用されるべきではないかと考えています。就職に悩んだとき、人間関係で落ち込んだとき。その答えの手がかりとなる言葉は、きっとソーシャルメディアのなかに転がっているはず。
人生を諦める前にソーシャルメディアを覗いてみてはいかがですか。
+++++
追記(8/14)
はるかぜちゃんのツイートをまとめた本。ぼくはまだ読んでいないのですが欲しい。近所の書店で探しているのですが、みつからないのです。とはいえ、ツイートをする上で参考になるばかりか、はるかぜちゃんの生き方に共感しそうです。
はるかぜちゃんのしっぽ(ω) 春名 風花 山本 敏晴 太田出版 2011-08-25 by G-Tools |
投稿者 birdwing : 2012年8月11日 09:10
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