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2008年8月30日

パーツで組み立てる。

少年の頃には、分解と組み立てに興味を惹かれたものでした。あらゆるものを分解し、その成り立ちを理解したかった。一方で、パーツを組み合わせて次第に形になっていく過程のわくわくする感じに夢中になりました。

最近、玩具屋に行ってもプラモデルの肩身が狭くなっている印象を受けますが、ぼくらが子供の頃には小遣いを貯めてプラモデルをよく購入したものです。うまく完成しなくて凹んだり、高価なキット(といっても、3,000円程度)に憧れて店頭でうっとりしたりした記憶があります。その記憶がモノづくりや創作の原点になっている、というのは言い過ぎでしょうか。

枕元に置いて眠れないときはめくっている集英社文庫の谷川俊太郎さんの「二十億光年の孤独」という詩集には、山田肇さんが次のような解説を書かれていました(P.164)。

当時、谷川さんには鬱屈を忘れる三つの趣味があった。模型飛行機づくりとラジオの組み立てと詩をつくることである。
4087462684二十億光年の孤独 (集英社文庫 た 18-9) (集英社文庫 た 18-9)
川村 和夫 W.I.エリオット
集英社 2008-02-20

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18歳になった谷川さんは集団生活に馴染めずに、教師に反抗したり不登校をしたり悶々としていたらしい。一見するとばらばらにみえる、模型飛行機づくり/ラジオの組み立て/詩をつくること、ですが、この3つが組み合わさると谷川俊太郎さんの詩がみえてくるから面白い。

「二十億光年の孤独」の詩集には、空を滑空するすがすがしさがありながら、どこか理系の緻密さで言葉が組み立てられています。結果として詩をつくる趣味によって、社会からドロップアウトしそうな谷川俊太郎さんは詩人として救済されるわけですが、ひょっとするとラジオの開発者になっていたかもしれません。

川上弘美さんにも感じるのだけれど、ぼくは理系出身のどこか無機質な感覚で情緒を描くような作家が好みのようです。村上春樹さんも最初はそんな空気があったかもしれないですね。観察者としての冷めた視線がありながら、どこかあたたかい。そんな文体。

28日に「スティーブ・ジョブズ 神の交渉力」という本を読み終えました。

4766710487スティーブ・ジョブズ神の交渉力―この「やり口」には逆らえない! (リュウ・ブックスアステ新書 48)
竹内 一正
経済界 2008-05

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この本のなかでも、ジョブズ少年の組み立てへのこだわりが書かれていて興味深く読みました。少年の頃から凡人とは違う能力を発揮していたようです。次のエピソードはすごい(P.123)。

十三歳のころ、エレクトロニクスへの強い好奇心を抑えきれなくなったジョブズは、電子回路の周波数を測定する周波数カウンターをつくろうと考えた。ところが肝心の部品が不足していた。まだ子供である。こんなとき、親に買ってもらうか、つくるのをあきらめるはずだ。

確かに手が届くもので妥協したり、代用するかもしれない。でも、ジョブズ少年は諦めませんでした。

ジョブズ少年は違っていた。キーマンを探しアタックをかける。なんと、シリコンバレーで急成長し、「フォーチュン500」(ビジネス『フォーチュン』の企業ランキング)にもランクされる成功企業ヒューレット・パッカードの社長ビル・ヒューレットにいきなり電話をかけたのだ。
二〇分も話をした上、部品を送ってくれと頼む暴挙に出た。
「電話帳に載っていたから」というのがジョブズの言い分けだが、成果はあった。大企業の社長が見ず知らずの子供に部品をくれた上、「夏休みにヒューレット・パッカードの製造ラインで組立のアルバイトをしないか」と声までかけてくれたのだ。

すさまじい交渉力ですね。手に入れるためには、とことん押しまくる。アップルやピクサーという企業に有能な人材を集める説得にも長けていたようですが、ある意味、人材も彼の夢をかなえるための「部品」だったのかもしれません。それにしてもこの熱意があるからこそ、彼は永遠にひとの記憶に残るようなスピーチもできたのでしょう。

ところで、最近さまざまなウェブのサービスでウィジェットというものが登場しています。これもさまざまな道具を組み合わせて、自分なりの使い勝手のいい道具をつくる組立方式がメリットだと思います。ブログパーツもさまざまなものが登場していて、コードを生成して貼り付けるだけでブログが賑やかになる。もはや懐かしくなりましたが、脳内メーカーというものもありました。

少し前に楽しそうだと思ったのは「アイラブメーカー」でした。

■アイラブメーカー
http://ilovemaker.com/

080830_ilovemaker.jpg

広末涼子さんが、モバゲータウンのCMでI Love FreeというロゴのTシャツを着ていますが、そんなロゴを作ることができる。実際にオリジナルTシャツも発注できるようです。ちなみに広末涼子さんのCMはこんな感じ。

アイラブメーカーにはみんなの作成したロゴが掲載されているのですが、面白いのは、限られたロゴのデザインを別の意図で使っているものがあること。たとえば踊っている人物の手だけ使って「HELP ME」のようなロゴを作っているひとがいました。パーツに注目すると発想も広がります。

というわけで、ぼくもひとつ作ってみました。これです。

はうあああ。くだらないものを作ってしまった(涙)

真面目にエントリを書こうと思ったのですが、しょうもない終わりになってしまいました。いろいろと思いついたパーツを組み合わせてみたのですが、最後の部品は別の何かに組み合わせたほうがよかったのかもしれません。

投稿者 birdwing 日時: 23:50 |

2008年8月28日

未来のフォルム。

都心では今年の夏、どしゃどしゃ雨が降って、がらがらカミナリが鳴る日が多く、だいじょうぶか地球?という不安が募ります。おまけに地震も頻繁に発生するようで、何かがおかしい。

変化というものはちいさな振幅で近付いてくるものですが、認識されるぐらいに大きくなったときには、もはや取り返しがつかない。豪雨やカミナリや繰り返される地震は、地球の悲鳴のように聞こえます。あまりにも大きな自然の力に、ちっぽけなぼくらは為す術もないのだけれど、なんとかできないだろうか。

洞爺湖サミットの開催など、社会的には環境に対する意識が高まっているようであり、サーバーの省電力などに注力するグリーンITという言葉も最近よく聞きます。環境に対する取り組みは、まず個人が率先すべきだとは思いますが、企業としてもがっつりと取り組んでほしいところ。

とはいっても、環境対策にもお金がかかるもので、なかなかビジネスと両立できないのではないでしょうか。内部統制によってますますプリントアウトされる紙が増えるなど悩ましいのですが、個人レベルではできないことを法人が取り組むことによって、地球の悲鳴を少しでもやわらげることができたらいいですね。

あまり熱心に環境について考えているわけではないので不謹慎ではありますが、エコの分野で惹かれているのは電気自動車の世界です。

21世紀であることだし、未来には夢を抱いていたい。どうしても電気自動車というと、電池を入れて走るラジコンみたいなイメージがあるのですが、美しいフォルムのスポーツカーもあります。たとえばシリコンバレーのベンチャー企業であるテスラモータースのクルマ。サイトから。

■TESLA MOTERS
http://www.teslamotors.com/

080828_tesra1.jpg

なんとなくヨーロッパの雰囲気があって素敵だ。

080828_tesra2.jpg

テスラモータースのテスラは、エジソンと並ぶ天才と呼ばれている発明家のニコラ・テスラから取ったようです。ニコラ・テスラといえば「シガレッツ」という映画のなかで、テスラコイルというカミナリを起こすような機械が出てきたのですが、その発明者として知りました。

テスラモータースの電気自動車は、無骨なコイルが飛び出ているようなものではなく、美しい未来的なデザインでカッコいい。走行する雰囲気も優雅です。プロモーションビデオをYouTubeから。

■Tesla Roadster

おおお、やはりエンジンというよりモーターの音なんですね。当たり前ですが。

一方で日本にもすごい電気自動車があります。慶應義塾大学で開発されているELLICAです。こちらのサイトもいい感じです。

■ellica.com 慶應義塾大学電気自動研究室
http://www.eliica.com/

080828_Eliica.jpg

YouTubeからはテレビ番組。

■Carro Eletrico ELLICA

ポルシェと競争してますね。8つのタイヤそれぞれにモーターが直接付いているため、加速が凄いらしい。最高速度は400キロ近く(370キロ)出るとのこと。しかし2億5000万円のクルマとは。

レーサーの片山右京さんも試乗されたようで、BIGLOBEの記事で次のように語っています。

基礎テストということで、タイヤからサスペンションを通してインプットされる路面のデコボコの影響や、タイヤのころがり抵抗のデータを中心に集めたので、速度は250キロ程度の走行。いつもの爆音状態のコックピットと違って、振動も少なくまさに未来感覚。

さらに、200キロを超えるあたりからは、ヒューンとキーンが混ざったUFOみたいな音がしてきて、気分はスターウォーズのスカイウォーカー。気に入りました。

エコロジーとテクノロジー、そしてビジネスをともに発展させるのは困難かもしれません。しかし、リクナビネクストのTech総研に、ELLICAプロジェクトの清水浩教授のインタビューが掲載されていますが、清水教授を電気自動車の研究に突き動かしてきたのは、子供の頃にとにかくクルマが好きだった、とのこと。なんだか心温まるものがありました。

ほんとうに迷ったときは、原点に帰ればいいのではないでしょうか。自分が快く思うもの、満足できるものは、たとえ大勢ではなかったとしても、誰か他のひとを喜ばせたり満足させたりするものだと思います。それに自分が満足できないものは、ひとにも薦められない。

年齢とともに野心は枯れていってしまう気がしているのですが、世界を変えてやるぞ、ぐらいの勢いを取り戻したいものです。電気自動車の開発プロジェクトのような仕事はなかったとしても、少しでも何かを変えていきたい。ランチからの帰り道、突然の豪雨に打たれて、びしょびしょになりながら、エコとビジネスについてそんな思いをめぐらせてみました。

投稿者 birdwing 日時: 23:59 | | トラックバック

2008年8月26日

知識というクール。

MT4.2の管理画面を四苦八苦して理解しつつ(しようと努めつつ)、ブログって何だっけ、ぼくは何をしたかったのだろうということを考えています。そして、ブログのデザインに関しても、あらためて見直しているところです。

デザインを考えるのは楽しいですね。どこか引越しの楽しさに似ています。本棚をここに置いて、ベッドはこちらに移動して・・・というような。残念ながら自分でまっさらな状態からデザインすることはできませんが、ネットには無料でテンプレートを配布しているサイトがいくつもあります。そのなかで、これは!と思ったのは、以下のサイトでした。

■mt.VICUNA
http://mt.vicuna.jp/

シンプルだけれど美しい。シンプルだからこそ美しいのかもしれません。いま考えているのは、3カラムで左側にメニューをふたつ並べるレイアウトに変更したいと思っています。そして、トップページはポータルブログ風にしたい。

mt.VICUNAで提供されているテンプレートでいうと、Ninjaのマルチカラムのスキンです。こんな感じ。

080830_vicuna_ninja.jpg

DTMやbookなどいくつかのカテゴリーでブログを書いているのですが、それぞれの最新記事のさわりを少しだけ読むことができて、引用した本やCDのジャケット写真が並ぶようなトップページにしたいというのが理想です。ニュースサイト風のイメージです。

それぞれのブログは独立させて、本は本ブログ、音楽は音楽ブログというスタイルもいいですね。というのは本の感想を書いているブロガーである自分と、音楽について語っているぼくは、どこか同じようで違うからです。多重人格的になるのかもしれませんが、本ブログと音楽ブログを分けて、デザインを変えるばかりでなく文体まで変えてしまいたいという思いもあります。いろんな文体で書けるようになると楽しそうです。

ところで、デザインについていろいろと考えていたところ、ぼくのアンテナがキャッチしたニュースがあります。話題としては古いのですが、7月の終わりごろ元グーグルで働いていたキーマンたちが作った新しい検索エンジン「Cuil」です。

■Cuil
http://www.cuil.com/

元グーグルの社員が作ったということ、グーグルを超えるサイトを網羅しているということで話題になったのですが、登場後は不具合が多くて一気に評価を下げたようです。辣腕のトップによって大きくプロモーションされたのだけれど、逆にアラが目立ってしまったという感じでしょうか。確かに元グーグルの主要人物が作った・・・といえば、それだけで注目は集まります。

トップページは検索窓だけというインターフェースで、グーグルに似てシンプルです。しかし黒という配色だけで全然違う。検索語を入力すると関連語が表示されますが、こちらはグーグルでも実装されているGoogleサジェストと同様です。

080830_cuil_1.jpg

ところが検索結果の表示は、かなり違います。3カラムで関連記事と画像が表示される。Japanese Cultureで検索してみました。こんな感じに表示されます。

080830_cuil_2.jpg

右下のメニューで、カラム数は2つにも切り替えられるようです。右側上部には、Ajaxのプルダウンメニューが配置されていて、上部のタブには関連語も表示されています。

印象としては、グーグルが理系の機能重視の検索エンジンであるのに対して、Cuilはどこか文系的だな、ということでした。文脈(コンテキスト)を重視しているせいかもしれませんが、検索結果を読み物として楽しめる特長があります。しかしながら、検索にそういう用途が必要かどうか、というところは疑問です。もちろん、グーグルとは違うのだ、という意図であれば、検索ではない新しいサービスとして認識はできると思うのですが。

なかなかクールな画面ですが、Cuilの意味は「知識」だそうです。これもまたグーグルの意味と比べてしまうと若干、弱いような気もしてどうかなとは思うのだけれど、INTERNETWatchの7月29日の記事「Google出身者らが"世界最大"のサーチエンジン「Cuil」公開」から引用します。

社名である「Cuil」は、古いアイルランド語で「知識」を意味するという。これはCostello氏がアイルランド出身者であることから採られた名前だとしている。

学術的というか真面目なところがクールなのかどうなのか判断に迷うところですが、グーグルを超える検索のブレイクスルーは出現するのでしょうか。

個人的には、直感的な検索エンジンなどがもっと出てくると面白いと思っています。"しりとり"のような検索エンジンとか(笑)。うま(馬)、と入力すると、マリンスタジアム、が出てくるような感じです。どういう用途があるんだ?・・・と言われたら困りますが、ずーっと検索と戯れて暇が潰せるような気がするんですよね。特に雨降りの午後などに。

+++++

かっこいいサイトを探すときには、以下のようなページも参考になります。個人で運用されているとか。こういうサイトをぼくも作ってみたいなあ。まずはカテゴリーとして、クールなサイト集というタグを作ってみてもよいのですが。

■いけてるサイト ドットコム
http://www.ikesai.com/

投稿者 birdwing 日時: 23:59 | | トラックバック

2008年8月24日

しなやかに変わりつづけたい。

世のなかのブロガーと呼ばれるひとには、一般的に、開発者や技術者の方が多いのではないでしょうか。もちろん最近ではブログも一般化して、それこそ小学生でも書くようになりましたが、Webなどの仕事に携わっているひとは先端のサービスに対する感度が高いので、個人的にブログを書かれたりシステムを構築されている方の比率が高いのではないかと思います。

ブログを書くことと、ブログを構築することではまったく違う労力が必要になります。技術に明るければブログ構築も簡単にできるのかもしれませんが、文系であるところのぼくには取っ付きにくいものがあります。フリーのブログサービスを利用したときにはなんとかできた気もするのだけれど、自分でサーバーを借りて、システムから組み立てようとすると学ばなければならないことが非常に多い。さらにデザインも凝ってみたい、できればオリジナルがいいなど欲を出してしまうと、デザイナー的なセンスも必要になります。

ずーっと保留にしていたのですが、先日、ブログのシステムであるMovable Typeを3.35から3.6を経由して4.2にアップデートしてみました。

たぶん技術に明るいひとからみると、とんでもないやり方だったかもしれないので経緯は語りませんが、一応、アップデートできたようです。しかし、いまさらながらですがインターフェースの画面、つまりブログの設定やエントリーを書くための画面が大きく変わっていて、びっくりしました。ど、どうすればいいんだこれ・・・という感じで、やたらゴージャスになった画面の前で立ち往生して、一瞬もうブログ書くのはやめようかと思ってしまった(苦笑)。すぐに弱音を吐いちゃうわたくし(困惑)。

技術の進歩はすごいものがありますね。がらりと変わったMT4の画面に、おう、これはすごい!とわくわくしたことは確かです。けれども一方で戸惑いも大きかった。ここまでやらなくても十分じゃないの、と素直な感想もあります。テンプレートの編集画面で、ご丁寧にタグなどを色づけしてくれる画面があるのですが、ぼくの非力なパソコンでは重すぎて、パソコンの負荷が大きく、ファンがうーうー唸ってばかりで処理できずに困惑しました。便利なんだけど・・・ブログ書くためだけであれば軽いほうがいいかもな、とちょっと思ってしまった。

そんな風に、久しぶりにシステム方面で戯れてみたところ、いろんなことをやりたくなってしまい、机の上に鎮座しているデスクトップのVAIOに電源を入れて立ち上げてみたのですが、Fedora Coreの画面が出てきて焦りました。そうだ、Windowsに飽きたのでLinux入れてみたんだっけ(苦笑)。

よくわからないのでもう一度OS入れなおそうとしたら、インストールするOSがWindows98で困惑。そんな古い時代のWindowsを入れて無線LANにつないでみたのだけれど(あっけなくつながった)、なーんにも入れていないのでさくさく動いてさらに困惑。とはいえ、Flashはみることができないし、何に使うんでしょうね、これ。なので、電源オフ。

ついでに子供にあげたVAIO‐SRもメンテナンスしようと思ったら電源がいかれて完全に起動できなくなりました。・・・新しいパソコンが欲しい。Ubuntuも試してみたいんですけど。

もちろん技術がすべてではないと思いますが、ブロガーとして一歩その道を究めようとすると、ライター×デザイナー×プログラマーのような複合的な能力が必要になるような気がします。

考えてみるとパソコンが登場して、DTP(デスクトップパブリッシング)というデジタル印刷の流れが生まれて以降、ライターは書いていればよいだけの仕事ではなくなったし、デザイナーにも技術理解が必要になった、プログラマーにもコミュニケーションのセンスが求められるようになった。複合的なスキルが求められる時代になったのではないでしょうか。

という情報化に対する意識は、置かれている環境によっても大きく違うかもしれません。PCとまったく縁のないところで生活しているひともいるわけで、デジタルデバイドと呼ばれるような情報化に対する意識の違いはきっとある。結果としては格差なのかもしれませんが、ぼくはデジタルに詳しいひとが詳しくないひとより偉いとは思わない。ひょっとすると、情報化なんて知らないほうがしあわせかもしれない。情報化の波に飲まれずに、海岸で波に乗っているほうがよほどしあわせかもしれない。

DTM(デスクトップミュージック)もそうです。ぼくは面白いから趣味としているのだけれど、だからといって生楽器の面白さもわかるし、ひとりで完結しない楽しさもわかる。しかし、パソコンでぴこぴこやっている趣味も本気でやろうとすると大変です。それこそ音楽的な知識だけでなく、技術的な能力の習得などが必要になるのですが、なにしろまずキホン的な言語を理解していないとコミュニケーションできません。本を読んでもWebを検索しても、何言っているのかわからないと話にならない。

どんな仕事もそうかもしれませんが、共通言語の習得なしに応用や実践もあり得ないので、一歩踏み込もうとすると、絶対的にキホン的な知識や能力を学ぶことは必要になる。しかも、ここまであれば大丈夫というリミットはないので、成長しようと思えばどこまでも成長できる。

いろいろなことをあらためて見直しているのですが、新しいことも古いことも、しなやかにやわらかく吸収していきたい、成長したい、と思っています。年齢とともにアタマも固くなりつつありますが、しなやかにありたい。そんな意味で、いまとても癒されるのは、黒川伊保子さんのこの本です。

448042458X恋するコンピュータ (ちくま文庫 く 23-1)
黒川 伊保子
筑摩書房 2008-08-06

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和田秀樹さんの「感情暴走社会」を読み終えたのですが、なんだか疲れてしまった(苦笑)。だからかもしれないけれど、黒川さんの文章に和んでいます。

長い間使いつづけてきたので書き慣れた安心感があり、このブログの形態が気に入っています。しかし、この枠組みで何かを書こうとすると制限されてしまうところもあり、もう少しきちんと書いてみたい、表現したい欲求も感じるようになりました。いっそのこと新しいブログを立ち上げようか、このブログを根本的に変えてしまおうか考え中です。

投稿者 birdwing 日時: 21:30 | | トラックバック

2008年8月17日

広告とカリスマと感情と。

残暑がどこまでつづくのか途方に暮れていたのですが、東京はいきなり涼しくなりました。雨も降ってクーラーが要らないほど涼しい。過ごしやすくなったので夏の読書として、新書を同時進行で3冊読み進めています。

まず、佐藤尚之さんの「明日の広告 変化した消費者とコミュニケーションする方法」。現在、P.108を読書中。

4756150942明日の広告 変化した消費者とコミュニケーションする方法 (アスキー新書 045) (アスキー新書 45)
佐藤 尚之
アスキー 2008-01-10

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佐藤尚之さんは、ネットの可能性をいちはやくキャッチして自分でサイトを立ち上げ、コミュニケーション・デザインの領域で仕事を展開された方です。ネットによって変わっていくメディアや広告の在り方について、非常にわかりやすく解説されています。

書かれていることの多くは、ぼくにはあまり目新しいものはなかったのだけれど、入門書として学生などの読者も想定しているからだと思います。その意味では、広告業界をめざす就活の学生さんは読んでおいてもよい一冊ではないでしょうか。たとえば、広告をラブレターに喩え、送り手の気持ちだけではなく受け手である消費者の気持ちを理解することが大事であること、しかもブログなどの登場によって現在ではラブレター(=広告)が届きにくくなっている時代であるという指摘などは非常にうまい。専門用語で簡単なことを難しく語るよりも、ストレートに理解できます。

佐藤さんの文章を読みながら感じたのは、これはブログの文体だな、ということでした。完全な書き言葉ではなくて、ところどころ口語のような表現になっています。ついでに、文末に「(苦笑)」なども挿入されている。それが受け入れられるかどうか、というのは実際のところ書き手にもよるのですが(肌が合わないブロガー系の作者もいます)、ぼくはこの表現が佐藤さんの文章には合っていると感じました。ブログ文化による日本語の乱れだ、などと眉をひそめるおじさんもいそうですが、いいんじゃないでしょうか。若々しいイメージもあり好感がもてました。

つづいて、iPhone3Gによってセンセーションを起こしていますが、カリスマCEOについてまとめた「スティーブ・ジョブズ 神の交渉力」。現在、P.31を読書中。

4766710487スティーブ・ジョブズ神の交渉力―この「やり口」には逆らえない! (リュウ・ブックスアステ新書 48)
竹内 一正
経済界 2008-05

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相当に嫌われ者だったようですね。この本に関しては演出過剰な印象もあるのですが、読み物としては面白いと思いました(全面的にこの内容を信じるのはどうかとも思いますが)。iPodにしてもiPhone3Gにしても、画期的なプロダクトであることはもちろん、製品を生み出した企業の文化であるとか、カリスマ的な経営者の存在も無視できません。経営者個人が広告以上に広告になる場合もあり、何が人を惹きつけるのか、リーダーシップとは何なのか、ということを堅苦しく考えずに読める本だと思います。

そして最後は、和田秀樹さんの「感情暴走社会 -「心のムラ」と上手につきあう」です。現在、P.98を読書中。

4396111207感情暴走社会-「心のムラ」と上手につきあう (祥伝社新書120) (祥伝社新書 120)
和田 秀樹
祥伝社 2008-07-25

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いかにも売れるために付けられた感情を煽るタイトルに若干引きました(苦笑)。書かれている内容についても慎重に吟味が必要だとは思うのですが、なるほど、と思うことも多くあります。秋葉原の殺傷事件を筆頭にして感情をコントロールすることが重要な時代であることを指摘し、精神医学や心理学から、その制御方法のヒントを解説されています。

実は一冊目の佐藤尚之さんの本と重なるのですが、現代では顧客至上主義あるいは消費者に購買の主導権が移ってきています。2006年の「TIME」誌のパーソン・オブ・ジ・イヤーでは「YOU」つまり消費者である「あなた」が選ばれたということが書かれていました。そして、製品開発のなかにも顧客の意見が組み込まれることが多い。顧客好みのプロダクトやサービスが重要であるとされています。

顧客至上主義は重要なことですが、社会全体として進展すると、サービス業などでは過剰にお客様の顔色をうかがうような対応も生まれます。行き届いたサービスが普通であると認識され、少しでも落ち度があると、なんだこのサービスは!とクレーム化する。企業の顧客対応のセクションは、ぴりぴりと緊迫した状態に置かれるわけです。

最近、公務員や教員の不正事件も多いのですが、サービス業化して、お客さま(教師の場合は、生徒や父兄)の顔色をうかがう必要性が高まったところに、問題があるのではないかとも考えられます。

企業として顧客対応でストレスを抱える社員も、会社から離れたらひとりの消費者です。そして、今度は立場が変わり、サービス提供側から顧客になります。業務で抱えたストレスを顧客として別の場所で発散する。そんな顧客至上主義の社会が悪循環を生んでいるという解釈を読んで、なるほどなあと思いました。

ところで、感情コントロールの方法ですが、感情そのものは制御できないのですが、行動で制御する、ということが(当たり前のようですが)とても実践的です。

不安について思考内で解決しようとしても考えつづけている限り感情は解消されないので、行動によって感情への集中化を避けるということです。たとえば、机の上を片付けてしまうとか、そんなことが実は感情のコントロールには効くらしい。でもまあ・・・あえて読まなくても、わかっていたことではありますけどね。

しかし、その感情的であるという欠点を戦略的に活用してカリスマになったのがスティーブ・ジョブズであり、マスコミ嫌いのため、取材で一問の質問に答えただけで腹を立てて立ち去ったこともあったとか。薬物中毒のロック歌手の方がまし・・・と語る記者もいたようです。感情も使い方によっては、最上の武器となる。

と、無理やりいま読んでいる3冊をつなげた印象もありますが、つまみ読みをしていると横断的に重なってくる内容があって、それが思考をスクランブルしてくれます。とても楽しい。1冊をじっくり読むのも大事ですが、全然関係のない本が関わりあってみえる偶然にわくわくします。

しばらく思考系のブログから遠ざかっていました。けれども社会現象を含めて、さまざまなことを考察していきたいと考えています。夏から秋に向けて。

投稿者 birdwing 日時: 22:29 | | トラックバック

2008年8月16日

荘厳な、日常から放たれるような。

ここ数日、シガー・ロス (Sigur Rós)のアルバムをまとめて聴いています。シガー・ロスは北欧アイスランド出身の4人によるバンドです。今日は夕方になって、空を眺めながら歩いていたのですが、iPodで次のアルバムを聴いていたら、荘厳な、というか日常から意識が空に向けて放たれていくような、そんな気持ちになりました。

B00006JYMW( )
Sigur Ros
Fat Cat 2002-10-28

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ちなみに、眺めていたのはこんな空。

080816_sora.JPG

外出するときまでは曇っていたのですが再び天気が回復し、雲の切れ間を照らすように光った夕陽がきれいでした。デジカメを取りに家に戻るまでのあいだに雲のかたちは変わっていて、ぼくが残そうとした空が消えていたのが残念です。東京の夕焼けは淡い色のことが多いのですが、地方でみる夕焼けは空気も澄んでいるため、もっと美しいのではないかと思います。

シガー・ロスのアルバムは、タイトルが付けられないということで「()」になったらしいのだけれど、1曲目、繰り返される旋律の美しさが秀逸です。ピアノの音と混じりあう弦の響きや、独特のファルセットヴォイスも遠い北欧の空気を感じさせるものがあります。探してみたところ、YouTubeにその1曲目の映像がありました。2003年にMTVのヨーロッパ・ミュージック・アワードにて最優秀ビデオ賞を受賞した、というPVでしょうか。


■sigur ros - untitled #1 (vaka)


美しい旋律の向こう側で遊び戯れる純粋無垢な子供たち。反して環境汚染を示唆する棘のある映像がすばらしい。退廃的な風景と、せつない調べの対立にじーんと胸を打たれます。ちなみに、バンド名であるSigur Rósはアイスランド語で「勝利の薔薇」という意味だそうです。美しいものには棘がある。

アイスランド語で「ありがとう」を意味する「Takk…」を聴いたときには、背筋になにか電気が走りました。そのほか、2枚組の「Hvarf/Heim(消えた都) 」しか聴いたことがなかったのだけれど、次のアルバムもよかった。

B00005NYJYアゲイティス・ビリュン
シガー・ロス
カッティング・エッジ 2001-10-03

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そして、最新アルバムは1曲目からとっつきやすい音づくりになった気がします。左右に飛び交うアコギの音が新鮮です。どこか民族音楽風のパーカッション、ラジオから聴こえるようなノイズっぽい音など、さすがに音づくりが凝っています。

B0019LGASU残響
シガー・ロス
EMI MUSIC JAPAN(TO)(M) 2008-07-02

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うーむ、あまりにも解放的なジャケットです。夏らしい。思わずこんな風に走りたくなっちゃいますね。いや、走りませんが。

10月には来日もするようです。ライブでどんな音を披露するのでしょう。とはいえ、iPodで聴くぼくの眼前にも、北欧のどこか厳かな風景がひろがります。それは現実とは異なるぼくの心象だけの風景かもしれませんが、その風景がひとときぼくを現実から解き放ち、癒してくれています。

+++++

■Wikipedia シガー・ロス

■オフィシャルサイト
http://www.emimusic.jp/intl/sigurros/

■myspace
http://www.myspace.com/sigurros

投稿者 birdwing 日時: 23:57 | | トラックバック

2008年8月15日

楽しかったね。

日曜日にポケモンの映画を観に行ってきたのですが、翌日から長男くんは38度の熱を出して寝込んでしまいました。ところが熱が下がった14日になっても、なんだかテンションが低い。元気がなく、ぼんやりと寝転んでばかりいます。

「どうしたんだ?」と訊いてみたところ、「なんでもない・・・」とのこと。

その元気のなさは、なんでもないことはないだろうと追及すると、しぶしぶ話し出したのは、DSのゲームカセット一式を入れたケースが見つからないらしい。8本のソフトが入っていて、デュエルモンスターやマリオなど、いままで購入したものは全部そこに入れていたそうです。「映画から帰ってきて、デュエルのダウンロードしたのになあ・・・」と呟いている。

「そういうときはさあ、考えていても仕方ないんだよ、身体を動かして探せーっ」ということで部屋を片っ端から探したのだけれど、みつからない。どこにもない。「ほんとに映画から帰ってきて家でダウンロードしたの?」と訊いてみると、「ぜったいにダウンロードしたんだよ」とのこと。けれども探しても探しても出てこない。もう一度訊いてみると「うーん、どうだっけかなあ・・・」と自信がなくなっている。

こういうとき、ひとは得てして希望のある方へ現実を捻じ曲げてしまうものです。見つかってほしい、という気持ちが曖昧な記憶から確かな虚像を作り上げてしまう。帰ってきてダウンロードした(はずだ)から、ぜったいにケースは家にある(はずだ)という現実を作り上げる。想像ですが、きっと映画館に置き忘れてきてしまったのだと思います。というわけで、映画館に電話をしてあげようとするのだけれど、つながらない。

ところが、ぼくに発破をかけられて部屋中を探していると、にいちゃん(長男くん)の背筋もぴしっとしてきて、声が出るようになってきました。結局みつからないので、昼ご飯を食べることにしたのですが、実はおとーさんであるぼくも月曜日にPasmo定期券(10月まで)を紛失したばかりで、さらに体調も悪く、ついてない親子だなあ(苦笑)、家族は運勢的にも似るものかなあ、と思わず痛感。

「なくなっちゃったときはさ、考えていても仕方ないんだよ。早いうちに動くこと。誰かが取っていてくれるかもしれないし、やるべきことをやると気も紛れる。あとは気持ちの切り替えが大事だね。いつまでもくよくよしていないこと」などと、冷やしたぬきそばを啜りながらにいちゃんに話していたのですが、叱りそうになってしまう気持ちをぐっと堪えました。こういうときにぼくは感情的になりがちで、すぐに怒ってしまう。それがいけない。ただでさえ落ち込んでいるのに、さらに追い討ちかけちゃだめですね。なんて声をかけようといろいろと考えたあと、ぽつりと言ってみました。

「でもさ・・・なくなっちゃったけど、楽しかったんだろ?」

うん、と頷く。しかしですね、なぜかここで、とーさんであるぼくのほうが思わず涙ぐみそうになった(困惑)。なんだか感傷的になってしまった。

絶対的だ永遠だと信じていても、いつの間にか紛失してしまったり、失われてしまうものがあります。失われてしまっても、心のなかにある楽しさやイメージは残っているのだけれど、モノがなければ褪せていくばかりです。記憶の中に残ったデータは新しく書き換えられることもなければ、もう一度リセットして最初からやり直すこともできません。テキストや映像にして過去を残すことはできるけれど、現在の残滓であるところの過去は、どこか現実とは切り離された別の世界です。

などという理屈っぽいことはともかく、「でもさ、楽しかったんだろ?」という自分の言葉でまいってしまったのですが、きっと長男くんの人生には、これからそういうことが何度もあるのではないかな。また、おとーさんの人生も、実はそういうことの繰り返しなのだ。大きな何かを得れば得るほど、失うときの喪失感も大きくなるものです。人生に安定などあり得ない。人生は何かを損なっていくことの連続のようなものです。

とはいえ、楽しかったね、だからいいよね、と呟くことにしよう。

かなり昔にもDSのカードを引っこ抜いてしまい、それまでこつこつと遊んでいたデータが全部消えて、長男くんがしおしおと一日泣いていたことがありました。いまの中学生は、ケータイに保存されたメッセージやアドレスが消えると悲しみに打ちひしがれて立ち直れない子供も多いようです。現在(いま)を残そうとする気持ちは大事だけれど、固執すると辛くなる。でも、固執するよなあ。固執するなというほうが無理だと思う。現在の世界を永遠に残したい欲求や衝動から、文学やカメラや映像の技術も発展したのではないでしょうか。

ゲームソフト8本といえば、金額にして4万円ぐらいになります。しかし、単純に価格だけで済むものではなく、遊びに費やした膨大な時間も付加される。だから、その損失は金額に換算できるものではないし、代替可能というわけでもない。

けれども、多くのものは最後には失われてしまうものです。苦しみ、悩み、せつなく思う現在の自分でさえ、最期には失われてしまう。あらゆるものは消えてしまう。

「もし、1本だけ戻ってきたとしたら何が戻ってきてほしい?」

そう訊いてみると、「デュエルかな」とのこと。やはり、最新のゲームがまだ心残りなのでしょう。いま、とーさんは自分の小遣いをちょっとはたいて、その1本だけ知らぬ顔で買ってあげようかどうしようか迷い中。とはいえ、自分でゲットしてやるぜ!ぐらいの勢いがあるとうれしいのですが。

日常のひとこまから、そんなことを考えています。

投稿者 birdwing 日時: 22:57 | | トラックバック

2008年8月14日

ミニマルでいこう。

この暑いさなかに、週末になると部屋を片付けています。雪かきをするように(この表現は涼しくていい)、わさわさと部屋に詰まれた雑誌や本を処分している。売れそうな本はデイバックに詰めて、近所の古本屋に2往復ぐらいして本をさばいていて、1回につき20冊、だいたい1,500円ぐらいで引き取ってもらえます。きちんと数えていないのですが、150冊ぐらいは処分しました。気持ちいいですね、不要なものが部屋からすっきり片付くのは。

溜め込みやすい質(たち)です。捨てられません。いつ役に立つのかわからないものであっても、とりあえず取っておいてしまう。だからぼくの部屋には捨てられない本や雑誌が積まれていて、なかには1980年代のダ・カーポという雑誌があったりします。R25のようなフリーペーパーでさえ、ご丁寧に保存されている。

でも、ふと思ったのは、この大量の活字をいつ読むのだろう?ということでした。そして、自分にとって必要なものなのか、と。さらにいま、ぼくはできる限り生活をシンプルにしていきたいと考えています。原研哉さんの「白」という本を読んだせいかもしれないのですが、何もないけど自分がいる、自分がいればいい、ぐらいの状態にしたい。その反面、クレイジーな科学者のような、雑多なもので埋め尽くされた研究室のような部屋も好きなんですけどね。

部屋を片付けていたところ、かなり前に購入した谷川俊太郎さんの「minimal」という詩集を発掘しました。

080814_minimal1.JPG

4783713235minimal
William.I. Elliott 川村 和夫
思潮社 2002-10

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たしか新宿の紀伊国屋書店で購入した記憶があります。非常に短い言葉で書かれた詩集で、英訳された詩も掲載されています。何気にサイン本です。

080814_minimal.2JPG.JPG

買ったときには、なんだかぴんとこない詩集で、あまり真剣に読まなかったのですが、夜眠る前にぱらぱらとめくってみたら、言葉がとても尖がってぼくの意識に飛び込んできました。いい感じです。たとえば、次の「拒む」という詩。

拒む

山は
詩歌を
拒まない

雲も
水も
星々も

拒むのは
いつも
ヒト

恐怖で
憎しみで
饒舌で
To Reject

A mountain
does not reject
poetry;

nor do clouds,
water
or stars.

It's always
people
reject it,

in fear,
in hatred,
and with verbosity.

沈黙しているような自然は詩を拒まないけれど、感情があり言葉を持っている賢い人間は詩を拒む。ぎすぎすした人間社会を批判しているようでもあるし、飄々とした孤高の詩人が雲や星に向けて詩を語るような、生きる姿勢のようにも読み取れます。言葉を恐怖や怒りで拒むのではなく、自然のようにニュートラルな姿勢で心に染み込ませたいものです。

もうひとつ、いいなあと思ったのは次の「座る」です。

座る

ソファに座っている
薄曇りの午後
剥き身の蛤みたいに

しなければいけないことがある
だが何もしない
うっとりと

美しいものは美しく
醜いものも
どこか美しく

ただここにいることが
凄くて
私は私じゃなくなる

立ち上がって
水を飲む
水も凄い
Sitting

I'm sitting on a sofa
like a shelled clam
this partly cloudy afternoon.

I have things to do
but, mesmerized,
I do notings.

Beautiful things are beautiful.
Even ugly things
have something beautiful about them.

Just being here
is fantastic
and I cease being myself.

I stand up
and drink some water.
Water is also fantastic.

ただ、あるがままの姿が美しくて凄い。存在自体に価値がある。それ以上の何も要らない。そんなミニマルな姿勢に惹かれます。

多くのものを抱え込みすぎな自分ですが、ほんとうに大切な最小限のものさえあれば、それで十分だと思っています。過剰に何かを求めると、どんどん不幸せになっていく。いちばん大切なものさえそばにあれば、それでいい。多くのことに手を伸ばすのではなく守るべきものをきちんと守りたい。

けれども、いちばん大切なものをきちんと守ることが、いちばん難しい。大切なものは、得てして指の隙間から零れ落ちてしまうものなので。

投稿者 birdwing 日時: 00:17 | | トラックバック

2008年8月 7日

ストリートビューを歩く。

歩くことが趣味です。ブログで何度か書いているのですが、いろいろなことを考えながら歩くことが多い。といっても、健康のためのウォーキングではないので、歩き方の薀蓄は何もありません。時折道草もしながら、ただぼけーっと歩いているだけです(ということを書きながら、今度ウォーキングについて調べてみようと思いついた)。何の役にも立たないけれど、わずかばかり健康に貢献しているはずであり、お金もかからないのでお手軽な趣味といえます。

さて、そんなウォーキングなぼくが5日のネットのニュースをみてすぐに反応して、思わず「グーグル凄い!」というメールを送ってしまったのが、グーグルマップのストリートビューでした。

ストリートビューは、地図上でクリックするとその場所の地上から見た写真が表示されます。表示されるだけではなく、マウスの操作でぐるりと360度見渡すことができる。さらに、道に沿って写真を見ることができる。パノラマ写真にする技術としては、AppleのQuickTimeに同様の技術があった気もするのですが、とにかく実際の街を通りに沿ってずんずん歩いていけることが凄い。楽しい。

グーグルは、まず海外でストリートビューのサービスを展開していたこと、人物の顔などをぼかす技術を開発したこと、偶然に掲載されてしまった自分の写真がプライバシー侵害だということで訴訟が起こっていることなどは知っていました。

しかし、知っていることと実際に体験することは雲泥の差がありますね。しかもこのストリートビューは、友達に教えたり、YouTubeと同様にコードを取得してブログに貼り付けることもできます。

ちなみに、かつて「無音の闇、騒音の闇。」というちょっと暗めなコンテンツを書いたことがあるのですが、そのときに取り上げた場所をストリートビューで表示すると次のようになります。


大きな地図で見る

従来からあった航空写真でみると、こんな感じ。


大きな地図で見る

いままで俯瞰する鳥の視点だけだったのですが、地面を歩く犬(実際にはグーグルカーという車でゆっくりと走行しながら撮影しているようですが)も獲得できるわけです。これは思わず「すげー!」と声が出ました。

たぶん活用方法としては次の3つがあるのではないでしょうか。

■1.訪問する予定のある場所をみる(事前体験)
どこかへ出かけるときには地図を確認するものですが、平面的な地図と実際の場所は食い違っていて迷うことも多いものです。しかし、ストリートビューを使えば、道順に沿って、事前にこれから行く場所への行き方を疑似体験することができます。

■2.行った場所をみる(事後体験)
たとえば初デートなどの場合(笑)、彼女と歩いても緊張して覚えていないことも多いのではないでしょうか。いっしょにウィンドウショッピングして歩いた道や散歩した街などを、追体験することができます。

■3.行きたい、行けない場所をみる(疑似体験)
なかなか旅行に行きたくても行けないものですが、ストリートビューを使えば時間や費用の制約なしに、さまざまな場所を「歩く」ことができます。特に山奥の細い道などを歩くのは、実際には余程時間がない限り難しいのですが、そんな体験までできる。

事前体験/事後体験(追体験)/疑似体験と分けてみたのですが、最後の疑似体験に関していえば、ある意味、これは“現実をロールプレイングゲームのように仮想化した”ともいえます。

ドラゴンクエストを筆頭とするRPGのように、リアルなストリートをずんずん街を歩いていける。そのうち誰かに出会う・・・なんてこともできるのでしょうか。セカンドライフという3DのCGにより仮想の都市を作ったり歩き回ることができるサービスもありましたが、現在はそれほど盛り上がっていないような印象があります。登場する時期が早すぎたのかもしれません。けれどもいずれは、2Dのサイトから、3D的な奥行きのあるインターフェースに変わっていくのではないでしょうか。もちろん、2Dのテキストによる資産なども残しながら。

ただ、この凄いサービスもすぐに問題が浮上しました。海外と同様、勝手に撮影した画像によってプライバシーの侵害であるとか、防犯のためによくないのではないか、ということです。J-CUSTニュースには路上で高校生のカップルがキスをしている場面なども引用されていて、ぼくは微笑ましいと思うのだけれど、本人にとっては恥ずかしいし、ネガティブな感情を増幅させるひともいるのかもしれません。

■何でも見れちゃう「ストリートビュー」 ドロボーの物色に「悪用の危険性」http://www.j-cast.com/2008/08/06024765.html

ちなみに、グーグルに削除申請をすれば、画像は削除していただけるようです。

もちろん問題はあると思うし、実際に自分とわかる人物がとんでもない場所で撮影されていたら(とんでもない場所ってどこだ。苦笑)、困惑したり頭にきたりするかもしれないのですが、とりあえずは、問題よりもすげー!という気持ちが強い。

画期的なイノベーションの多くは、便利さや楽しさの絶賛とともに批判を生んできました。自動車も便利さとともに公害や事故などの問題を生じさせ、テレビも娯楽としての行き過ぎた内容に眉を潜めるひとたちが登場し、インターネットやケータイサイトも殺人予告や誹謗中傷などの問題から疑問視されています。しかしながら、ぼくは二面性があるものにこそ、文化が大きく発展する種子があると考えています。それに健全すぎるものって、どこか不健全じゃないですか。

結局のところ、きっこさんのブログで書かれていた「ストリートビューはプライバシービュー」の次の気持ちに近いものがあります。安易だ・・・とは思いますが。

‥‥そんなワケで、ナンダカンダと疑問を呈してみたけど、せっかくの無料サービスなんだから、あたしもみんなとおんなじに、しばらくは楽しんでみようと思ってる。そして、まずは「芸能人探し」でもしてみようかと思ってる。すでに、某公園で犬の散歩をしてる某芸能人も発見しちゃったし、これからは、知ってる芸能人の自宅周辺を中心に、順番に覗いて行こうと思う今日この頃なのだ。

実際に、アイドルの撮影風景とか、交通事故の風景とか、そんなものもみつかっているようです。交通事故はどうかとは思うけれど、街を歩くことで面白いものも発見できる。かつては赤瀬川原平さんなどが「路上観察学会」などというものを結成されて、マンホールの蓋などストリートに存在する面白いものを発見して楽しんだり考察する動きもありました。既にあるのかもしれませんが、「グーグルストリート(路上)ビュー観察学会」のようなものもできそうです。

面白いものとしては、ストリートビューの撮影のために走っているグーグルカーをみつけたひともいるとか。

■北海道で目撃されたグーグルストリートビューカー
http://www.gizmodo.jp/2008/08/post_4110.html

さらにグーグルは途方もない時間をかけてこのサービスを構築しているようです。1つの都市をカバーするには3~4ヶ月かかっているとか。

■「ストリートビュー」のプライバシー問題、グーグルが方針説明
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2008/08/05/20489.html

そんなわけで無駄にグーグルマップを歩き回っていたところ、なんだか疲労が(苦笑)。バーチャルな世界にも疲労はあるんですね。というよりも、バーチャルな世界とはいえ、撮影された写真は現実なので、脳内では実際に歩いた身体と同様の疲れが生じるのかもしれません。とんでもない時代になってきました。

投稿者 birdwing 日時: 23:59 | | トラックバック

2008年8月 5日

「勝間和代のインディペンデントな生き方実践ガイド」勝間和代

▼book:自立したい女性のバイブルあるいは入門書。

488759626X勝間和代のインディペンデントな生き方 実践ガイド (ディスカヴァー携書 22)
勝間 和代
ディスカヴァー・トゥエンティワン 2008-03-01

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勝間和代さんといえば、ひととき書店で平積みにされている写真付きの本が多く、雑誌などにも取り上げられていてよく拝見しました。時代の勢いに乗っている印象があり、気にはなっていたのですが、読んでいなかった著者のひとりです。

「勝間和代のインディペンデントな生き方実践ガイド」は勝間さんの原点ともいえる一冊とのこと。女性に向けて書かれています。いい女になるために知っておいたほうがよい生き方のガイドという内容です。

自立した女性を「インディ」と呼び、逆に男性や社会に依存した女性を「ウェンディ(ピーターパンの夢見がちな妖精)」に喩え、いままであまり語られてこなかったインディになる方法について、非常にわかりやすく解説されています。コラムを挟みつつ、ポイントを箇条書きにまとめて、さらに参考図書なども掲載。若干高めなのですが(1000円)、お得な感じがする。

女性向けの本であるのに、なぜ男性のぼくが?という疑問を自分でも感じたのですが、ひとつには、ぼくは自分にはない視点を獲得することで、思考を拡げたいという知的欲求があります。外国の文化でも構わないし、子供の発想でもよいのですが、カマタリつつある脳をやわらかくしたい。デザイナーの考え方も参考になることが多く、感性や直感にすぐれた女性の思考も同様です。思考をほぐしてくれる何かを摂取したい。

また、Lifestyle Innovationとブログのタイトルに掲げているだけに、情報化を含めたライフスタイルについて考えていきたいとあらためて思っています。しかも、あまり術にこだわりすぎるのではなく、生き方のテツガクであるとか、思考系のテーマに関心があります。

そういう意味で購入した本ですが、ささっと読めて、しかもいろいろと考えるところが多くありました。また、生き方を押し付けるのではなく、(あまり多くは語られていないのですが)ご自身の離婚経験にも触れながら、インディな生き方のデメリット、ウェンディで生きる選択もある、という柔軟な姿勢に共感を持ちました。

アタマのいいひとの多くは、まとめる力があると思います。要約力がある。というのは、エレベーターテスト(エレベーターに乗っている時間で社長にプレゼンする)のようなことにも言えると思うのですが、ポイントをきちんと指摘できる。勝間さんの本でも各章のポイントが箇条書きにされていて、その部分だけを読んでもかなり参考になります。

というわけで、この本に書かれているポイントを抜粋、まとめてみました。

■インディの条件
1)年収600万円以上を稼げること
2)自慢できるパートナーがいること
3)年をとるほど、すてきになっていくこと

■ウェンディになりがちな理由
1)家、学校、職場でインディになる方法を教えてくれるひとがいなかった
2)具体的に目標になるインディがいなかった
3)インディにならなくてもいいように甘やかされてきた
 3-1.何かに依存して現実から目を背ける「甘え」
 3-2.責任や決断を避ける「甘え」

■インディになるための法則
1)じょうぶな心
 1-1.自分の想いで環境を作る
    a.言い訳をやめる
    b.なぜ自分ばかりが損をするのか、という気持ちを捨てる
    c.目標を持つ

 1-2.周りと調和する
    a.こざっぱりとした服装・髪型と笑顔を忘れない
    b.「アサーティブ」に振る舞う

 1-3.すべてをゼロイチで考えない
 1-4.がんばりすぎない

2)学び続ける力
 2-1.メンターとコミュニティラーニング
 2-2.仕事の場の外で学び続ける
    ・英語
    ・読書
    ・「ながら学習」
    ・「わらしべ長者理論」
 2-3.お金をコントロールする力

■インディにとっていい男の条件
1)年収1千万円以上を余裕を持って稼げる男であること
2)インディの価値を認められる男であること
3)インディと一緒に、年齢とともに成長していく男であること

■インディになるための6つの約束
 「じょうぶな心」のために
 約束1:愚痴を言わない
 約束2:笑う 笑う 笑う
 約束3:姿勢を整える

 「学び続ける力」のために
 約束4:手帳を持ち歩く
 約束5:本やCDを持ち歩く
 約束6:ブログを開く

ポイントをざっと追うだけでも頷ける観点が多いと思います。たぶん問題意識の持ち方によっては、さっぱり意味がわからないかもしれないのですが、ぼくはものすごくよくわかった。もちろん個人的な視点からみると、これだけではちょっと・・・という印象もあります。たぶんこれは基礎的な生活習慣のようなもので、その先に進むともう少し必要なスキルがある。もしかすると勝間さんの他の本で書かれているのかもしれませんね。

余談になりますが、本筋とは別にいくつか関心のある内容も書かれていました。抜粋してみると、たとえば「身体全体で記憶する」ということ(P.74)。

まだ科学的には完全に検証されていない仮説の段階のものですが、記憶は脳ではなく、身体全体で行われている、という学説が出てきているのです。
この学説が出てきた背景には、最近、臓器移植が盛んになってきたということがあります。臓器移植によって、元の持ち主の記憶や好み、嗜好が移植を受けた人に移る、ということが複数回、観察されるようになってきたのです。

これは面白いですね。例えば、指先で記憶する、舌で記憶するということがあるかもしれない。そして、その記憶が潜在的に思考や行動に反映される。すなわち、美しいものに触れ、すばらしい味を体験したひとには、その蓄積された体験をベースに身体自体が再構築されていく感じでしょうか。

それから、姿勢を整えることの重要性を説かれたところで引用されている「メラビアンの法則」です(P.183)。

これは、1971年にメラビアンという人が行った実験で、
55%=Visual(視覚情報:見た目・表情・しぐさ・視線)
38%=Vocal(聴覚情報:声の質・速さ・大きさ・口調)
7%=Verbal(言語情報:言葉そのものの意味)
で、人は影響を受けやすい、というものです。

つまり、どんなにいいことを言っていても、見た目が変だったら信じてもらえない。視覚情報は重要であるということです。こうした知識をさらりと書けるのは、勝間さんの普段からの「学び続ける力」がベースにあるからでしょう。

女性の視点から、いい男の見分け方も書かれています。いい男の条件については抜粋しましたが、なかなか鋭い。いい女が気をつけなければならないのは「オレ様系」と「依存してくる男」だそうです。えーと、引用すると痛いので、詳細は触れないでおきます(苦笑)。

この本を読んでいて感じたのは、先日読み終えた阪本啓一さんの「ゆるみ力」に重なる部分がある、ということでした。頑張りすぎずに、けれどもきちんと自分の目標を定め、他人と比較せず、人生を楽しむ。漠然としていますが、おふたりの共通点を括ると、そんなしなやかな生き方がみえてきそうです。

投稿者 birdwing 日時: 23:59 | | トラックバック

2008年8月 3日

どうぶつを作る。

立体的な造形に関心のあるうちの息子の次男くんですが、先日、入院したときの退院祝いとして立体クラフトのさかなの本を買ったことがあり、「サカナのなかさ。」というエントリで書いたことがありました。実は、あれから以降というものの、朝起きるとあれ作ってこれ作ってという始末で大変です。小学館のクラフトぶっくはシリーズ化されていて、結局のところせがまれて次の2冊も購入しました。

409734661Xりったい昆虫館 (小学館の図鑑NEOのクラフトぶっく)
神谷 正徳
小学館 2005-04

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4097346687りったいお花館 (小学館の図鑑NEOのクラフトぶっく)
神谷 正徳
小学館 2008-07

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感想としては、さかな館がいちばんよかった。昆虫館は懲りすぎというか、作るのが難しい。糊で止めなければならない箇所が多く、またうまく立体にならない。さらに子供たちにとっては飾って観賞するよりも、それを使って戦ったり動かしたりするので、壊れてしまうことが多いようです。

一方で、お花館の方は地味です(苦笑)。花なので当然なのですが、たぶん出版社の立場から考えると、男の子向けのクラフトが多いので女の子市場を開拓するために作られたのでしょう。しかしながら、やはり作者が男性だからか、なんとなくクラフトに乗り気がしない感が漂っています。造形自体もダイナミックな展開がないので、息子も飽きてしまいました。

そこで続いて買ったのが、どうぶつ館です。これは結構イケテル。

4097346628りったいどうぶつ館 (小学館の図鑑NEOのクラフトぶっく)
神谷 正徳
小学館 2005-11

by G-Tools

さっそく今日、2つの動物を作らされてしまいました。まずは、キリン。

080803_kirin_re.jpg

キリンは立って寝るんでしたっけ。動物園のキリンは、ぐるりと首を回して自分の首を枕にして眠っていたような気もします。鳥は枝で編んだ巣のなかで寝ますね。人間であるところのぼくは、眠れない夜に途方もなく長いエントリを書いたりDTMで曲を作ったりしています。

そして次にライオン。

080803_lion_re.jpg

たてがみがどう表現されるのかな、と思っていたのですが、マンガ風にぎざぎざで表現するよりも、このカタチのほうがリアリティがあります。さすがクラフトの達人だけあります。

この2体だけで勘弁してもらったのですが、次男くん自体も、自分でコオロギとか作りはじめています。なんとなく立体クラフトではなくて、平面的なところがおかしい。しかし、紙という平面図に書かれたものが立体になるという過程は、大人であるぼくにも新鮮な印象がありました。その究極のクリエイティブが折り紙ではないかと思うのですが、折り紙は身近なアートでありながら数学的な思考やセンスが要求されます。

数学的な思考やセンスに欠けるぼくは、ただ図面としてあるものを組み立てるだけです。しかしながら、真っ白な画用紙から何かを創造することはきっと楽しい。

実はDTMもそうですが、難しいという先入観を捨てて一歩踏み出してみると、ぱあっと創造の地平が広がる。その広さが逆に怖かったりもするのだけれど、特に次男くんは、そういうセンスを広げて創造性の大地の開拓者になってほしいものだと思いました。それよりまず第一に、健康であってほしいんですけどね。

投稿者 birdwing 日時: 23:35 | | トラックバック

2008年8月 2日

シンセサイザーを作る。

趣味のDTMでは、現在、ほとんどVAIOノート1台で完結して制作しています。しかしながら、かつてはシンセサイザーやハードウェア音源も使っていました。RolandのJUNO-106を持っていたのですが現在は廃棄、ハードウェア音源は中古で購入したSC-88Proです。はっきりいって初心者向けの機材かもしれません。あと、QY-20などという玩具も使っていました。

ハードウェアには何か少年心をそそる魅力があるようで、御茶ノ水の楽器店などに行っても、シンセやDTMのフロアで中古の機材を眺めていると、それだけでしあわせな気持ちになります。詳しくはないのですがAV機器も好きです。特にメーター類とか、つまみの類があると嬉しい。最近の機材は、極力つまみを排除して、リモコンなどで制御するものが多くなったようですが。

機械に憧れる気持ちのルーツがどこにあるかと考えると、少年時代の学研の教材あるいは玩具にあったのではないかと思います。電子ブロックのような玩具やメカニカルスネークのようなロボットなど、なかなか買ってはもらえなかったのだけれど、そんな機械類に憧れていました。好奇心はあっても数学ができないので、すっかり文系の人間になってしまったのですが、いまでもかすかに機械類に対する憧憬は残っています。

そんなぼくが書店を歩きながら、おおっ!?と注目してしまったのが「大人の科学」の別冊、シンセサイザー・クロニクルでした。

4056051836大人の科学マガジン別冊 シンセサイザー・クロニクル (Gakken Mook 別冊大人の科学マガジン)
大人の科学マガジン編集部
学習研究社 2008-07-30

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なんとオリジナルのアナログ・シンセ(といっても単純なやつですが)が付録についてくる!これは・・・欲しい。

実は「大人の科学」では、ずいぶん前の「テルミン」や、少し前の「鳥のオルゴール」もめちゃめちゃ欲しかった。意外に高かったので断念のだけれど、今回は3000円という価格に比べると魅力的です。というのもシンセの付録だけでなく、100ページちょっとの冊子にはムーグなどの往年の名機からヤマハやローランドの最先端の開発者の話、高橋幸宏さん、テイ・トウワさん、中田ヤスタカさん、レイ・ハラカミさん、石野卓球さんなどのインタビューとともに、小山田圭吾さんがTENORI-ONなどの新世代インターフェースを試すレビュー(うわー!!)などがありました。これは買うしかない。

というわけで、購入(苦笑)。わくわくしながら休日の午前中に、付録シンセ「SX-150」を組み立てました。解説によると組み立て所要時間は20分。ハンダごて不要です。機能としては、三角波と矩形波のLFO、PITCH ENVELOPE、CUT OFF、RESONANCE、ATTACK/DECAYで、キーボードはありません。カーボンパネルと電極棒で音程を変えます。

せっかくなので作った手順を写真に撮りました。レポートしてみます。

080802_1.JPG

これが冊子。表紙のメンバーだけでもすごい。ああ、富田勲さんという大御所もいらっしゃいました。憧れのアーティスト全員がこの付録を持っている。これは圧巻です。

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発砲スチロールに部品が入っています。

080802_3.JPG

ビニール破ってみた。どきどき。

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どちらかというと、こちら側よりも・・・

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基盤の裏側にそそられます(笑)。おっと、汗が落ちないように注意。

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まず、白いコードをセロテープで基盤にとめます。

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つづいて、電池のコネクタをつなぎます。

080802_8.JPG

基盤を本体にネジでとめます。ぐりぐり。イベントでもらったドライバーセットが役に立ちました。結構、ちいさなネジです。

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スピーカーをとめます。ぐりぐり。

080802_10.JPG

電極棒をとめます。どこかテスターみたいですね。こんなもので鳴るのだろうか。

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カーボンパネルをとめます。この上に電極棒を触れると音が出るらしい。

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つまみにシールを貼ります。いくつかのバリエーションが用意されているのがうれしい。学研のマークで、矢印のとんがっているところを目盛りに合わせるようなものもいいかもしれないですね。オーソドックスなものを選びました。

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つまみを取り付けてみた。

080802_16.JPG

電池は単3電池×4本で駆動します。裏蓋を取り付けて完成。

080802_17.JPG

電源投入。うおおお、灯が点った。

080802_18.JPG

実際に音を出してみた第一印象の感想としては、ブザーという感じ(苦笑)。でも、つまみをいじっているうちに、いろいろと音が変化するのが新鮮です。高音のほうは若干カンにさわるような音ではありますが、低音のほうはいいですね。ぶりぶりした音が出ます。鍵盤ではなくて、カーボンパネルに電極棒というインターフェースが意外に楽しい。

最初はなーんだ、という残念な感じもしたのですが、気がつくとはまっている自分に困惑(苦笑)。30分近く、ぶりぶり、ぴりょりょりょりょりょりょ・・・など遊んでしまった。息子たちにも、どうだー(えへん)という感じで見せたのですが、あまり興味がないようでした。しょぼん。アーティスト気質の次男くんだけは、ネコの声作って、とか、UFOはどうやるの、とか聞いていました。といっても、彼が幼稚園からもらってきた本に書いてあった、紙コップとタコ糸で作った玩具(引っ張ると鳥や犬の声が鳴る)のほうが、ぼくは度肝を抜かれたのですけどね。

本体を改造することもできるとのこと。明和電機(懐かしい)がフライングV型に改造しています。以下の学研のページでは、改造風景や演奏しているところなどの動画を観ることができます。中田ヤスタカさんと、小山田圭吾さんが弾いていて感動。あと、浅倉大介さんでしょうか。ライブで使ってる(!)。

■大人の科学.net
http://otonanokagaku.net/magazine/sx150/index.html

もしかすると・・・と、YouTubeで検索すると、かなりの数の動画がアップされていました。ぼくは作り方を静止画で記録(紹介)してみたのですが、動画で録画された方もいます。以下の動画で、エフェクターを加えた音がすごいなーと思いました。

■【DEMO】Gakken SX-150

時間がないのだけれど、SX-150を使った曲をDTMで作ってみたいですね。とはいえ、なんとなく少年に戻った気分の休日でした。高価な機材もいいのですが、こうしたチープな機材も十分に楽しめます。

アナログって、意外にいいかもしれない・・・。ついでに玩具とはいえ、シンセが自分の部屋にあるのは、結構うれしい。楽器店に行きたくなりました。

投稿者 birdwing 日時: 23:30 | | トラックバック

2008年8月 1日

夏のはじまり、ブログのはじまり。

夏が廻ってくるたびに思うのだけれど、いったい学生時代のぼくは夏休みという長い退屈をどうやって埋めていたのだろう。アルバイトで働いているか、寝てるか(公園や砂浜や図書館を含めて)、歩いているか、そのいずれかだったような気がします。しあわせなことにぼくの田舎は海辺にあり、帰省すればリゾートのように過ごすことができました。しかしながら、夏休みの間にとてつなく楽しいことがあったような覚えがない。

大学に入学したばかりの頃にはサークルをかけ持ちしていたので、夏といえば結構忙しかった気がします。ゼミのあった頃にはゼミ合宿などで、やはり忙しかった。とはいえ仕事に拘束される現在より自由だったはずであり、永遠に近いぐらいの長い時間があったはず。うーん、何をやっていたんだろう。

ぼくのいちばん好きな詩人である谷川俊太郎さんの「二十億光年の孤独」という詩集に、「ネロ――愛された小さな犬に」という詩があります。先日、あらためて集英社の文庫を買って、ぱらぱらとめくっています。

4087462684二十億光年の孤独 (集英社文庫 た 18-9) (集英社文庫 た 18-9)
川村 和夫 W.I.エリオット
集英社 2008-02-20

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この詩は18歳の「僕」が死んでしまった小犬のことを思い出して夏を過ごす、という詩です。後半部分を集英社文庫から引用します。

新しい夏がやってくる
そして新しいいろいろのことを僕は知ってゆく
美しいこと みにくいこと 僕を元気づけてくれるようなこと 僕をかなしくするようなこと
そして僕は質問する
いったい何だろう
いったい何故だろう
いったいどうするべきなのだろうと

ネロ
おまえは死んだ
誰にも知れないようにひとりで遠くへ行って
お前の声
お前の感触
お前の気持ちまでもが
今はっきりと僕の前によみがえる
しかしネロ
もうじき又夏がやってくる
新しい無限に広い夏がやってくる
そして
僕はやっぱり歩いていくだろう
新しい夏をむかえ 秋をむかえ 冬をむかえ
春をむかえ 更に新しい夏を期待して
すべての新しいことを知るために
そして
すべての僕の質問に自ら答えるために

文庫では英詩にも翻訳されているので引用します。

A new summer's on its way
bringing lots of different things,
the beautiful, the ugly,
encouraging things, despairing things.
And I ask myself,
what are all these things,
what's broughe them on,
what can I do with them?

Nero!
You died.
You went alone where no one could follow.
Your voice,
Your touch,
Your feelings, even -
It all comes back so clearly.
But Nero!
Summer's almost here again -
a new summer, immeasurably vast!
And
I'll keep on going as usual,
moving through a new summer, autumn, winter,
and spring, expecting still another new summer,
learning to know all things new,
and
answering all my own questions.

死んでしまった小犬は「二回程」の夏のなかで生きることしかできない。そして、小犬と過ごした夏の記憶は追加されることがなく、何度も繰り返されるだけです。ところが、18歳のぼくには新しい夏が廻ってくる。立ち止まることはできません。やっぱり「歩いていく」しかない。

もちろん解釈を変えることによって、いくつもの新しい記憶を生成することはできるかもしれないですね。でも、それは現実に生きている「僕」が変化するからこそ生まれる新しい記憶です。記憶そのものには永遠があるけれど現実はない。

ぼくもまた歩いていこうと思います。

残念ながらぼくは小犬を飼ったことはありませんが(ほんとうは飼いたい)、ネロという比喩で象徴された過去といっしょに歩いていきたい。ときには懐かしく思い出したり、ときには励まされたり元気づけてもらったりしながら。

ところで、レンタルサーバーの請求書を処理してあらためて思ったのですが、この場所でブログをはじめたのが去年の8月1日。MovableTypeで自分独自のブログを構築して苦労しながら書きつづけて、やっと1年になります。

それ以前にも何度かブログを書いたり消したりしていて、そんな過去の遺産を統合したため膨大なエントリ数になりました。思えば2007年の8月以前は、はてなというところでいろんなことを書き散らしてきたっけ。書きたい放題のことを垂れ流していた時期もあれば、無駄に攻撃的な時期もあったと記憶しています。でも、楽しかった。

とある方からブログ開設1周年のメッセージをいただいたのですが、確かに去年の8月のエントリと比べると、ずいぶん文章が変わっていますね。感覚的になっていると思う。というよりも、去年は無駄に力が入っていたので、文章もごりごりするような理論で押していました。いまはなんとなくやわらかい。

この変化がぼくは気に入っています。というのは記録されたテキストのエントリー(情報)は変わらないけれど、現実のぼくは変わっていくからです。もちろん変わらないところもあります。ただ、変化するからこそ現実であって、変化の差分を確かめられるという意味でもブログという記録が残っているのはいい。

かつてのエントリをネロ=過去に死んだ小さな犬と見做して、ぼくもまたネロ(=過去のエントリ)に質問し、答えていきたいと思います。ぼくはやっぱり歩いていくだろう。新しい夏をむかえ、秋をむかえ、冬をむかえ、春をむかえ、さらに新しい夏を期待して、すべての新しいことを知るために。そして、すべてのぼくの質問に自ら答えるために。

ブログ開設1周年を祝いつつ、また新しい気持ちで書き始めるつもりです。拙いブログですが、よろしくお願いいたいます。

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ブログ構築1周年を祝う、PCの前のちいさなものたち。わーい。

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投稿者 birdwing 日時: 23:59 | | トラックバック

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