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2008年8月24日
しなやかに変わりつづけたい。
世のなかのブロガーと呼ばれるひとには、一般的に、開発者や技術者の方が多いのではないでしょうか。もちろん最近ではブログも一般化して、それこそ小学生でも書くようになりましたが、Webなどの仕事に携わっているひとは先端のサービスに対する感度が高いので、個人的にブログを書かれたりシステムを構築されている方の比率が高いのではないかと思います。
ブログを書くことと、ブログを構築することではまったく違う労力が必要になります。技術に明るければブログ構築も簡単にできるのかもしれませんが、文系であるところのぼくには取っ付きにくいものがあります。フリーのブログサービスを利用したときにはなんとかできた気もするのだけれど、自分でサーバーを借りて、システムから組み立てようとすると学ばなければならないことが非常に多い。さらにデザインも凝ってみたい、できればオリジナルがいいなど欲を出してしまうと、デザイナー的なセンスも必要になります。
ずーっと保留にしていたのですが、先日、ブログのシステムであるMovable Typeを3.35から3.6を経由して4.2にアップデートしてみました。
たぶん技術に明るいひとからみると、とんでもないやり方だったかもしれないので経緯は語りませんが、一応、アップデートできたようです。しかし、いまさらながらですがインターフェースの画面、つまりブログの設定やエントリーを書くための画面が大きく変わっていて、びっくりしました。ど、どうすればいいんだこれ・・・という感じで、やたらゴージャスになった画面の前で立ち往生して、一瞬もうブログ書くのはやめようかと思ってしまった(苦笑)。すぐに弱音を吐いちゃうわたくし(困惑)。
技術の進歩はすごいものがありますね。がらりと変わったMT4の画面に、おう、これはすごい!とわくわくしたことは確かです。けれども一方で戸惑いも大きかった。ここまでやらなくても十分じゃないの、と素直な感想もあります。テンプレートの編集画面で、ご丁寧にタグなどを色づけしてくれる画面があるのですが、ぼくの非力なパソコンでは重すぎて、パソコンの負荷が大きく、ファンがうーうー唸ってばかりで処理できずに困惑しました。便利なんだけど・・・ブログ書くためだけであれば軽いほうがいいかもな、とちょっと思ってしまった。
そんな風に、久しぶりにシステム方面で戯れてみたところ、いろんなことをやりたくなってしまい、机の上に鎮座しているデスクトップのVAIOに電源を入れて立ち上げてみたのですが、Fedora Coreの画面が出てきて焦りました。そうだ、Windowsに飽きたのでLinux入れてみたんだっけ(苦笑)。
よくわからないのでもう一度OS入れなおそうとしたら、インストールするOSがWindows98で困惑。そんな古い時代のWindowsを入れて無線LANにつないでみたのだけれど(あっけなくつながった)、なーんにも入れていないのでさくさく動いてさらに困惑。とはいえ、Flashはみることができないし、何に使うんでしょうね、これ。なので、電源オフ。
ついでに子供にあげたVAIO‐SRもメンテナンスしようと思ったら電源がいかれて完全に起動できなくなりました。・・・新しいパソコンが欲しい。Ubuntuも試してみたいんですけど。
もちろん技術がすべてではないと思いますが、ブロガーとして一歩その道を究めようとすると、ライター×デザイナー×プログラマーのような複合的な能力が必要になるような気がします。
考えてみるとパソコンが登場して、DTP(デスクトップパブリッシング)というデジタル印刷の流れが生まれて以降、ライターは書いていればよいだけの仕事ではなくなったし、デザイナーにも技術理解が必要になった、プログラマーにもコミュニケーションのセンスが求められるようになった。複合的なスキルが求められる時代になったのではないでしょうか。
という情報化に対する意識は、置かれている環境によっても大きく違うかもしれません。PCとまったく縁のないところで生活しているひともいるわけで、デジタルデバイドと呼ばれるような情報化に対する意識の違いはきっとある。結果としては格差なのかもしれませんが、ぼくはデジタルに詳しいひとが詳しくないひとより偉いとは思わない。ひょっとすると、情報化なんて知らないほうがしあわせかもしれない。情報化の波に飲まれずに、海岸で波に乗っているほうがよほどしあわせかもしれない。
DTM(デスクトップミュージック)もそうです。ぼくは面白いから趣味としているのだけれど、だからといって生楽器の面白さもわかるし、ひとりで完結しない楽しさもわかる。しかし、パソコンでぴこぴこやっている趣味も本気でやろうとすると大変です。それこそ音楽的な知識だけでなく、技術的な能力の習得などが必要になるのですが、なにしろまずキホン的な言語を理解していないとコミュニケーションできません。本を読んでもWebを検索しても、何言っているのかわからないと話にならない。
どんな仕事もそうかもしれませんが、共通言語の習得なしに応用や実践もあり得ないので、一歩踏み込もうとすると、絶対的にキホン的な知識や能力を学ぶことは必要になる。しかも、ここまであれば大丈夫というリミットはないので、成長しようと思えばどこまでも成長できる。
いろいろなことをあらためて見直しているのですが、新しいことも古いことも、しなやかにやわらかく吸収していきたい、成長したい、と思っています。年齢とともにアタマも固くなりつつありますが、しなやかにありたい。そんな意味で、いまとても癒されるのは、黒川伊保子さんのこの本です。
恋するコンピュータ (ちくま文庫 く 23-1) 黒川 伊保子 筑摩書房 2008-08-06 by G-Tools |
和田秀樹さんの「感情暴走社会」を読み終えたのですが、なんだか疲れてしまった(苦笑)。だからかもしれないけれど、黒川さんの文章に和んでいます。
長い間使いつづけてきたので書き慣れた安心感があり、このブログの形態が気に入っています。しかし、この枠組みで何かを書こうとすると制限されてしまうところもあり、もう少しきちんと書いてみたい、表現したい欲求も感じるようになりました。いっそのこと新しいブログを立ち上げようか、このブログを根本的に変えてしまおうか考え中です。
投稿者 birdwing : 2008年8月24日 21:30
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