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2008年5月28日
思考の手触り、脳内の快楽。
久しぶりに本を読んで作者に嫉妬しました(苦笑)。2冊ほど本を読了したので、ツンドク本も残っているけれども、昨日、新たに姜尚中さんの「悩む力」という本を購入。読み始めたのですが、やられた。まいりました。
悩む力 (集英社新書 444C) (集英社新書 444C) 姜尚中 集英社 2008-05-16 by G-Tools |
姜尚中さんは、この本で決して難しいことを書いているわけではないし、奇をてらった文体でもありません。当たり前のことを静かに折り重ねるように綴るスタイルです。しかしながら、ぼくは冒頭を数ページ読んで、ああこのひとの文章は魅力的だなあと感じました。
惹かれたのは、そのロジックの組み立てかたです。文体から思考のなめらかな流れが感じられる。深い教養と鋭利な知力によって構造化されているのだけれど、ごつごつした荒さはありません。論理の流れが心地よい。そんな文章もあったのか、という感動がありました。
ルックスも素敵だけれど、書かれたものも魅力的ですね。そもそもテレビの討論番組などでコメントするときの話術の巧みさについては、黒川伊保子さんも著作のなかで絶賛されていました。女性に人気のある評論家だけのことはある。ちぇっ。ほんと悔しいんですけど(笑)。
「悩む力」は、夏目漱石とマックス・ウェーバーを横断しつつ、ご自身の青春時代の悩みなども絡ませながら、現代の孤独や病理についても考察していく非常に興味深い内容でした。半分ほど読み進めて、感動して涙出そうになった部分もありました(涙腺弱すぎ。年のせいでしょうか)。
しかしながら、その内容についての感想はまた別のエントリーで書くことにして、脇道にそれて、このエントリーでは、ぼくは文体の身体的な感覚について考えてみたいと思います。
小説にもいえることですが、内容はもとより、思考の“手触り”が感じられる文体があります。語のインパクトと同時に、言葉の連なりと展開される論理のリズムによって、読むこと自体がそもそも気持ちいい、そんな文章があります。文体の快楽といってもよいかもしれないですね。
ちょっと不謹慎かもしれませんが、やわらかく思考を撫でていく文体の言語感覚は、愛撫に近いのかもしれません。まず、語感で思考に触れる。むきだしの思考という肌にやわらかくタッチする。そしてロジックあるいは紡いでいく文章の流れによって、その触れた“指”を動かしていく。皮膚ではなく、思考そのものにダイレクトに触れて動かす文体はセクシーです。官能的ともいえる。
と、ここでちょっと気付いたのが、I love you.という英文でした。
黒川伊保子さん的な感覚による分析を加えるのですが、この短い一文では、まずIの[a]とloveの[Λ]という母音のなかでも最も口を大きく開く発音で、発話者の身体を開き、聞き手をその懐に受け入れます。そして最後のyouの[u:]という口をすぼめる発音で、開かれた腕のなかに聞き手を包み込み、抱き寄せるイメージがある。I love you.という文章自体が、両手で聞き手を抱き寄せて包み込む語感があるのではないか。
面白いな、と思ったのが、日本語の「あいしてる」もローマ字にすると「aisiteru」であり、[a]で開いて、[u]で包み込む語感であるということでした。つまり、この発話をすることによって、(身体的には困難であっても)思考という脳内において愛するひとを抱き寄せて包み込むことができる。遠距離恋愛のコイビトたちは、恥ずかしがっていないで、ぜひ使うべき言葉だと思います(笑)。その言葉に込めた感情はもちろん、語感によって距離の遠さを埋めることができるはず。つまりですね、意味よりもその言葉の気持ちよさによって、バーチャルだとしても抱き合うべきではないかと思ったりするわけです。余計なお世話か(苦笑)。
ついでにぼくは趣味のDTMで「AME-FURU」という曲を作ったのですが、これも[a]で開いて[u]で包み込む語感です。したがって、意味は違ったとしても、「あいしてる」に近い触感を誘発する語ではないかと思いました。あめふる、という語がやさしく感じられるのは(ええと、ぼくだけの感覚かもしれませんが)、あいしてる、と類似した言語(音声)的な構造があるからではないか。
これは短い語についての考察ですが、論文の段落や物語内でも、身体に訴える言語表現あるいは構造があるのではないかと考えました。開いて包み込む構造、あるいは突き放してより戻す構造。起承転結といってしまうとステレオタイプですが、すぐれた文章家は意図的に、あるいは無意識のうちに、そんな身体に訴えかける構造で文章を書いているように思います。あるいはそんな身体を文体に投影している。
ぼくは姜尚中さんの文章に、文体による身体的な心地よさを感じました。ええと、それで感じちゃった(ぽっ)とか書くと、おまえはホモか?ということになるので控えますが、究極のことを言ってしまえば、文体による思考の愛撫は性を超えるはずです。男性が書いたものであれ、女性が書いたものであれ、あらゆるひとをやさしく、気持ちよくすることができる。
といっても、読み手のコンディションや感性に左右されるものかもしれませんね。通りすがりのひとにいきなり抱き寄せられたら引いてしまうわけで、いきなりあからさまに自己を開くのではなく、パブリックな文章としての節度を維持しながら開いていくことが望ましい。
言葉を操るブロガーとして、そんな文章を書けるようになりたいものだ、と思っています。
まずは、姜尚中さんの文章から学ぶことにします。ダンディかつ若い魅力的な姜尚中さんの思考に、率直なところひとりの男性として嫉妬を感じつつ(笑)。
投稿者 birdwing : 2008年5月28日 23:58
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