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2006年3月31日

鳥の視点、イヌの視点。

寒いです。ほんとうに3月なんだろうかという感じです。東京では風が強い一日でした。サクラが散ってしまうんじゃないだろうかと心配です。サクラも心配だけれど、この寒さと強い風のなかでお花見をしているみなさんもとても心配です。ダウンの上着など必要ないと思って着ていかなかったかもしれませんが、風邪をひかないようにお気をつけください。といっても、こんなメッセージは届かないかもしれないですね。祈るしかないでしょう。

自分とは何者なのか、他者とは何か、そして立体的に考えるにはどうしたらよいのか、というテーマを据えて、11月からほぼ毎日書きつづけたブログも今日で5ヶ月、144日目になります。

今年の1月から3月は、特に試験的にいろんなことをやってみました。感情のままに書き綴っていくつか問題も起こしました。書き直したエントリーもあります。ところが身体をはって試してみたのですが、いまだに自分とは何か、他者とは何か、立体的に考えるにはどうしたらよいのか、ということに対する明解な答えはみつかっていません。

自分探しなんて若い頃にやればいいことだ、いいオトナが自分探しなんて青臭くて気持ち悪い、という方もいるかもしれません。しかしながら、もしそんなことを言うひとがいるとしたら、よほど若い頃に高尚な悟りを開いたとてつもなく偉い神様のようなひとか、あるいは青春時代から一歩も踏み出さずに成長しなかった不遜なオレ様気取りのものすごく嫌なやつか、そのどちらかだと思います。ぼくらをめぐる環境というのは年を取るにしたがって、流動的に変わっていきます。だから年齢に合わせて自分のスタンスを破壊し、作り変えていく必要がある。どんなに高尚な悟りを得たとしても、そんな悟りは次の時代には何の役も立たないこともあります。

たとえば社会人になる。すると企業のなかで上司や同僚や部下との関係性を考えた上で自分の位置を考えます。やがて結婚すると、夫としての役割を得てどうあるべきか考える。子供ができると、父親や母親になる。父親や母親としての自分探しをします。子供が増えると、長男に対してどうあるべきか次男に対してどうあるべきかとうことを考える。一方で、年老いた親に対してはまだ子供でもあるので、年老いた親に対する関係から自分の在り方を考えなければなりません。ぼくはまだ経験がないのですが、孫ができたら孫に対する自分の在り方を考えることになるでしょう(自分の孫ってぜんぜん想像できないけど)。これは家族という閉ざされた範囲ですが、親戚関係、友人関係、仕事の取引関係、地域社会との関係など、自分を取り巻くすべての関係性において自分のポジションを考えなければならない。

さらに子供はどんどん成長します。幼児に対する父親の在り方と、小学生に対する父親の在り方と、成人した息子に対する父親の在り方はぜんぜん違うものになるはずです。子供も成長するけれど、親も成長しなければならない。だからそのためには父親としての自分探しはとても大事になる。

と、またちょっと批判的なことを書いてしまって、しばし反省しました。とはいえ、結局のところぼくは書きたいことを書いていこうと思っています。昨日、思い込みが危険であるという考察をしたのだけど、昨日書いたことに反するのですが、思い込みで突っ走っているようなブログが実はぼくは結構好きです。というのは、自分の人生をきっちり生きているライブ感がある。もともとぼく自身が攻撃的な性格を持っているせいかもしれませんが、めちゃめちゃでどろどろな文章だったとしても、そんなライブに発した言葉を読むと心に響くものがあるものです。こんなこと書いてもいいの?というぎりぎりのところで踏ん張っている覚悟のブログには、思わずエールを送りたくなります。もちろん書くことと書かずにおくことの分別がわかっていなければいけませんが、それでも書かずにはいられない衝動が感じられるとき、その文章に力を感じます。力を感じるのだけど、同時にぼくはその力が削ぎ落としたものについてもみるようにしていたい。それがぼくが求めている立体的な思考だと思っています。

話題が変わります。もう既に古いかもしれないのですが、三井不動産の芝浦アイランドのサイトをみて、いいなあと思いました。

http://www.shibaura-island.com/

このサイトでは、鳥の視点とイヌの視点から、芝浦アイランドをみることができます。まずトップページから、「芝浦アイランドの体験サイトに行ってみよう」をクリックします。その後、Flashが表示されるのだけど、上部のWALKではイヌや鳥の視点で芝浦アイランドをみることができます。また、BIRDVIEWでは上空から地図をみることができるし、TIMEではライブカメラの映像が表示される。ライブカメラの映像は一日の風景を時間を追ってみることもできるし、過去の風景もアーカイブされている。HOLIDAYのコンテンツが追加されたようですが、PIP(Person in Presentation)型の映像も楽しい。

ぼくは馬鹿なので(笑)高いところが大好きです。新宿の高層ビルの展望ラウンジとか、むしょうに登りたくなります。先日は四谷の区民図書館のビルから、新宿御苑のサクラを眺めたりしていました。緑の一角にほんのりと桜色のかたまりが存在していて、なかなか美しいものです。ところが高いところから眺めるのは好きですが、一方で高所恐怖症だったりもします。吊り橋のようなものは足がすくんで渡ることができません。それなのに、学生時代は一年間、山岳部に所属してロッククライミングなどをやってみたこともあった。自分でも不可解です。矛盾しています。

でも、そんな矛盾ばかりなものが人間です。自分の思考をみつめることによってぼくは無限の発見ができるし、さらに誰かと会ったときには、そのひとの内面に輝いている何かをみつけたときにとてもしあわせなものを感じます。他人のブログを読んでいるときにも感じるし、ライブハウスで演奏を聞いているときにも感じることがある。映画を観たり、小説を読んだりするときにも、そんな輝いているものを発見して嬉しくなります。必ずしもリアルである必要はなくて、書かれたもの、表現されたものにもそういう輝きはある。

レトリックについて考えるときも、決して技巧的なものに終始するつもりはありません。難しいことを偉そうに言うつもりもないし、賢いフリを誰かにみてもらいたいという思惑もありません。純粋に表現する人間を理解したいと思っています。そこには限りなく深い何かがあるような気がしています。レトリックについて考えるときは鳥の視点で俯瞰して表現の在り方を眺めているのだけれど、いつも高みから眺めているばかりではない。地上に降りてアスファルトの上を歩くように、現実という地面に足のついたイヌの視点も大事にしていたい。

こつこつ地味にブログを書いているより酒飲んで騒いだ方がいいんじゃないの?とアドバイスするようなひともいるかもしれないけれど、ぼくは会社から帰って息子たちとあれこれ話をしたあとの一時間ばかり、PCに向ってひとり思索にふけるのがとてつもなくしあわせな時間である、というただそれだけのことです。そんなつまらないことに費やす時間がぼくには贅沢だし楽しい。

限りなく個人的かつ了見の狭いブログだけれど、先日まったく知らない方から「面白かった」という感想をいただきました。その方は思考について検索されていたときに偶然にぼくのブログをみつけたそうですが、面白かったのでわざわざSNSで検索して、メッセージを送ってくれたようです。率直なところ、とても嬉しかったです。ありがとうございます。けれどもさらに感動したのは、その方が音楽をやっているアーティストで、非常によい曲を作られていたことでした。思わず深夜にヘビーローテーションで聴いてしまいました。

そんなつながりが生まれるのもインターネットのよいところでしょう。書かなければ、そんなめぐり合わせもなかったはずです。どんなに無様であっても稚拙であっても、ブログを書いて一歩踏み出すと広がる世界もある。大事なのは踏み出すことだと思います。踏み出すと危険がともなうのだけれど、踏み出さなければ危険もないかわりに感動もありません。

明日から4月です。さらに一歩踏み出そうと思います。試験期間で考えたことは、これから書くブログで実践していきたいと考えています。

投稿者 birdwing : 2006年3月31日 00:00

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