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2006年11月27日

新聞は、死なない。

父の墓参りに行ってきました。墓のなかの父と対話しつつ、あらためて思い出して考えたことがあります。

以前に勤めていた会社で、ぼくはある調査パブリシティ(独自調査をやってPRすること)を自主的に企画して実施したことがありました。ランキング調査の一種だったのですが、幸いなことにコネクションを総動員することによって、ちいさいけれども日経新聞で取り上げていただけた。それが嬉しくて帰省したときに父に報告したところ、晩酌の焼酎(お湯割り)を傾ける手を止めて、一瞬考えた後で、父はぼくをまっすぐにみつめて次のように言いました。

「おまえはそれを面白くてやったのか?それとも、そのことで何か世のためになると思ってやったのか?」

絶句でしたね。どちらかというと前者だったからです。

まだ若いぼくは、世のなかのためになるなんてことは考えもしなかった。まずは話題性のある面白い調査結果を提供することにより、マスコミを通じて自社をアピールすればよい、と考えていました。ところが父は、ランキングの下位の組織にとって調査結果が参考になるのかならないのか、ただ結果を面白おかしく提示することで上下関係(格差)を煽るだけの下衆な記事に過ぎないのではないか、ということを追及したかったようです。

高等学校の校長として、父は偏差値教育の弊害などに悩んでいた第一線の教育者だったので、意識するしないに関わらず、その厳しい批判はつい口から出てしまった言葉かもしれません。あるいは頼りない長男に対するいつもの厳しい指導だったのかもしれない。しかしながら、新聞に掲載された、というただそれだけで有頂天になっていたぼくは、親父の言葉にへこみました。ちっきしょーいつか世のためになる仕事をしてやる!と心に誓ったものでした。

いまぼくは世のためになる仕事をしているのか、というとまるっきり自信がありません。日々の経済的な雪かきに追われているだけのような気もします。最近、ブログも文学や映画やレンアイなどの軟弱な話ばかり書いているのですが、ふと冷静になってみると、自分を対象化できていないべたべたな内容で、そんな軟弱なテーマで好奇心によるアクセスを稼いでも仕方ないと思います。情けない。

志は高く持っていたいものです。ぼくは結局のところ、いまでも父を超えていないのですが(悔しいけど、まだまだ超えられないなあ)、あと10年後にみてろ、と野心も抱いています。そのためにはとにかく背筋を伸ばすこと、前を向くこと、紳士でありつつ日々謙虚にあらたな知識を吸収し、未来を構想し、正しいと思ったことを継続していきたい。まだ間に合うはず。というか間に合わせてみせましょう。

そんな熱い思いになったのは、外岡秀俊さんの「情報のさばき方」という本を読了したからです。この本はすばらしいと思いました。

外岡秀俊さんは朝日新聞東京本社の編集局長であり、30年近く現場で記者の仕事をされていたそうです。その後、GE(ゼネラル・エディター)という職で、紙面に対して全面的に責任を負うポジションになられた。朝の会議で30分で紙面構成を決めるという仕事ぶりにも驚いたのですが、徹底したプロの仕事ぶりと現場から得たナレッジの体系化にまいりました。ブログで社会的な文章やニュースを書きたいと思っている方、そうでなくても情報をさばく必要のあるビジネスマンの方には一読の価値がある本だと思います。

かつて、ブログは新聞などのジャーナリズムを抹殺するのではないか、という議論もありました。しかしながら、この外岡秀俊さんの本を読んで、それはありえないのではないか、と痛感しました。まず書き手=記者としての志の高さがぜんぜん違う。報道する(=情報発信する)基本姿勢がアマチュアのブロガーとはまったく異なります。そして、伝統ある組織力としての先輩たちの指導と、培われた実績やノウハウ、現場の厳しさがまったく違う。

情報のウラを取る徹底したチェック体制もすばらしくて、語られている要諦にいちいち背筋が伸びる思いです。仮説思考にも通じる記事の検証方法もあって、これは文章だけでなく企業の戦略立案にも使うことができる。考えどころ満載なので、今週はこの本から示唆を受けたことを中心に書いてみたいと思っています。

この本のなかでは情報をさばくノウハウが惜しげもなく公開されているのですが、ノウハウを全面的に公開しているところも朝日新聞の余裕という気がしました。というのは、ノウハウだけわかっても実際にできないような高度なテクニックもある。相当実力がなければ実践できないのではないか、と思う。

今日はとりあえず、外岡秀俊さんが体系化された「情報力」を高めるための基本原則を引用しておきます。

  • 基本原則一:情報力の基本はインデックス情報である。
  • 基本原則二:次に重要な情報力の基本は位置情報である。
  • 基本原則三:膨大な情報を管理するコツは、情報管理の方法をできるだけ簡単にすることである。
  • 基本原則四:情報は現場や現物にあたり、判断にあたっては常に現場におろして考える。
  • 基本原則五:情報発信者の意図やメディアのからくりを知り、偏り(バイアス)を取り除く。

これだけ読むと当たり前のような感じもするのですが、実際の記事を例に挙げて「情報の入手、分析・加工、発信」の順序で解説されていて、ひとつひとつに説得力があります。そして、さらに「仲間と共有」するために体系化されていて、わかりやすいキーワードにまとめられているので、すっと入ってくる。

このなかで特に面白いと感じたのは、基本原則の二で、情報力の基本は「位置情報」という部分でした。ニュースならではと思うのですが、空間的にまず自分の周辺の情報から把握するわけです。地域性(ローカル)ということにも通じるかと思うのですが、漠然と全体をとらえた情報ではなく、身辺の情報を把握する。ローカルな情報というのは自分の直感的な把握や具体的な印象につながるもので、その「一次情報」に意味があります。一次情報であれば、伝聞などの偏り(バイアス)も入り込みません。そうして周辺の断片的な情報を積み重ねることによって、中枢の大事な情報に迫っていく。

位置情報に関しては次のように書かれています。引用します(P.36)。

ここに出てくる「位置情報」というのは、自分が立っている「いま、ここ」という位置に関する情報をいいます。「いま、ここ」に自分がいることは当たり前ですし、それが重要とは思えないでしょう。しかし、たとえば自分がまったく入ったことのない町、経験したことのない場面に遭遇したとき、あなたにとってもっとも重要な情報とは何かを想像してみてください。それが「いま、ここ」という情報です。

この部分では震災時の取材について書かれているのですが、そのときでしか書けない文章というものがあります。それは時間と空間という縦糸と横糸の交わった時間/場所で書く文章のようなことかもしれません。コンテクスト(文脈)的でもあります。

大切なことは、情報を得る人が、全体の文脈のなかで、自分がいま、どのような場所にいるのかを明確に認識しておくことです。これは、自分が得た情報の正確さや意味、客観性を測るうえで、欠かせない情報です。

ライブな情報といえるかもしれませんね。というよりも、ライブな情報の位置的なインデックスといえるような気もします。

ぼくは日々ブログを綴るために悩み、苦しみ、不安を覚えているので(もちろんその向こう側に楽しみがあるのですが)、この本に書かれているヒントはことごとく頷けるものでした。いま場当たり的に書き散らかしているのですが、思考を体系化して、この本のような仕事をしてみたいものです。鉄は熱いうちに・・・というわけで備忘録として書きとめておきます*1。

さて、昨日は「情報のさばき方―新聞記者の実戦ヒント」と「コンスエラ―七つの愛の狂気」、そして本日は「広告マーケティング21の原則」という本を読了したのですが、「エミリー」のレビュー(?)が長くなったので後日にします。レビューというか、いじめ論なのですが。


*1:実は中盤以降はネットカフェで更新。しかしながら時間制限のなかで書いたので、ものすごい誤字脱字でした。やっぱり自分には、自宅で日付変更線が変わる時間帯にじっくりと書いたり、早朝の出勤前に見直すスタイルが合っているようです。

投稿者 birdwing : 2006年11月27日 00:00

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