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2006年11月27日

「エミリー」嶽本野ばら

▼book06‐082:多様化を認めることが、いじめ現象を飽和させるのでは。

4087745740エミリー
集英社 2002-04

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最近、新聞やテレビで盛んに取り上げられる「苛め」ですが、いまに始まった話ではなくて、たとえば黒人やユダヤ人に対する人種差別は国際的な意味で「苛め」だったのではないでしょうか。つまり戦争の歴史は、巨大な苛めの物語でもあった。では、なぜ苛めが起きるのかというと、マイノリティーの存在があるからだと思います。あまりにも当然といえば当然ですが、少数派に対して差別の目が向けられるわけです。さらに付け加えるとすると、「マイノリティーだが魅力的な人物、あるいはそのマイノリティーを楽しむような人物」に対して、人間は苛めたくなるのではないでしょうか。

この心理は何かというと、嫉妬だと思います。あいつ、おとなしいままでいりゃいいのに、ちょっと目立ちやがって、というような嫉妬があると苛めたくなる。逆に考えてみると、苛めるような人間は個性がなくて、あまりにも一般的・標準的な人間かもしれません。要するに、特長のないつまらない人間だからこそ、愚痴を言ったり誰かを苛めたりする。つまらない人間は自分を主張できないので(主張できる個性というものがないので)、誰かを攻撃して自分を満足させようとするのでしょう。誰かを貶めることによって、自分が優位であるかのように錯覚するわけです。さびしい人間だけど、まあそれも人間だ。そんなつまらない人間もいるのが、世のなかというものです。

この短編集には3つの物語が収録されているのですが、タイトル作でもある「エミリー」では、バレエとバレーを間違えてバレー部に入部してしまった主人公の少女の悲劇が展開されます。けれども彼女は、放課後にEmily Temple cuteの服を着てラフォーレ原宿の前でしゃがみ込むことによって、そのときだけ自分であることを実感する。ところが、その姿を写真に撮られてファッション雑誌に掲載されてしまった出来事を発端として、他の同級生をはじめとした学校全体に知られてしまって、ひどい苛めを受けるようになるわけです。

苛められている彼女は、ラフォーレ原宿という自分だけの場所で、絵が好きな少年に出会います。彼は苛められてはいないものの、学校では自分の存在を消している。というのも彼はホモで、陸上部の男性の先輩を好きになっている。この彼もまたマイノリティーで、結局はその先輩からひどい仕打ちを受けることになります。

彼らのオタク的な趣向性と設定に、ちょっとぼくはうっと眉をひそめて引いてしまったのですが(申し訳ない)、ふたりは個性的といえなくもない。その個性を認めるか認めないかによって、苛めも生まれたり生まれなかったりするのではないでしょうか。しかしながら少年期にはマイノリティーが認められにくいものです。他人と同一であることが重要な時期であり、だからこそふつーではないような、みんなと異なった人間は差別される。

けれどもですね、ぼくは標準的あるいは平均的な少年・少女というか、絵に描いたようなふつーの人間はいないんじゃないか?と思っています。どんな人間だって、ある部分ではマイノリティーな影の部分を持っているものです。アンドロイドではないから画一であるわけがない。

苛め問題を飽和・解消させる手段が何かないだろうかと考えつづけているのですが、この本を読んで、苛めている人間の影の部分を徹底的に明るみに出すことがいいのではないか、と思ったりもしました。運動は得意で明るい(いじめ)少年だけれど、実は妹とテレビでプリキュアをいっしょにみているとか(笑)そんな、ちょっとした影の部分を徹底的に炙り出す。誰かを苛めることで結束しているけれども、おまえもほんとうにふつーの人間なのか、優位に立てるような人間なのか、実は変じゃないのか?ということを追求していく。いじめている人間の各個人のマイノリティーを相互に認めさせたときに、苛める結束も崩壊するのでは。

そうやって最後には多様性(ダイバーシティ)の混沌のなかに個々をばら撒いてしまえば、誰かを苛めようと思う気持ちもなくなってしまうのではないだろうか?などと考えたりしました。みんながそれぞれマイノリティーであれば、結束して誰かを吊るし上げるのも馬鹿馬鹿しいものです。みんな勝手に生きりゃいいじゃん、という気持ちにもなる。けれども、そのなかで「へーきみってそういう価値観なんだ。ぼくはこうなんだけどね」という理解、というよりも相互認識ができそうな気がします。あくまでも私見ですが。

世のなかには、おかしな人間がたくさんいます。おかしな人間も人間として認められるようになると、少しだけ大人になれるものです。ただ、迷惑な人間という範疇においては、その限りではないかもしれません。ひとには迷惑をかけないようにしたいものです。でも、そう言いつつ迷惑をかけちゃうのが、これまた人間の悲しいところなんですけどね。11月23日読了。

*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(82/100冊+74/100本)

投稿者 birdwing : 2006年11月27日 00:00

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