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2007年6月 9日
ペルスペクティーヴァを究める。
未読の本が机の隣りには山積みになっているのですが、それでいて新しい本を購入してしまう浮気ものです(笑)。本屋をうろうろするのが趣味で、先日もそうやって趣味の書店散策をしていたところ、タイトルに惹かれてまた3冊ほど購入。山積みにされた本にはなぜか気持ちが入り込めなくて、この本から読み始めています。
東大駒場連続講義 知の遠近法 (講談社選書メチエ 385) H. ゴチェフスキ 講談社 2007-04-11 by G-Tools |
学生に向けて書かれた本です。ぼくも学生時代に、こういう本を読んで知を究めていたらよかったのに、とわずかばかり後悔するのですが、いくつになっても知を吸収する気持ちはあっていいのではないか。本を読んだからといって偉いわけでもないし、実践的に役立つわけではないのだけれど、新しい考え方に触れる時間はわくわくするものです。単純に楽しい。
読書した時間にもし外出していたら・・・などということを考える必要はなくて(そんなことを考えると、どんな時間であっても没頭できなくなります)、読書であっても趣味であっても、そしてもちろん仕事や誰かと過ごすときであっても、絶対的に純粋に楽しめる時間って尊いと思うんですよね。他者との比較もしくは仮想的な「もし、別のいまを生きていたら」の世界を拒絶すること。そんな風に選択肢をなくして現在に集中することによって、いまを生きている時間は深まり、密度も高まるのではないか。そんな風に考えます。
パースペクティブ(Perspective)という言葉は、視点とか遠近法という意味で使われるようですが、かつてぼくがブログで重視していた言葉でもありました。この本は、パースペクティブの語源となったラテン語のペルスペクティーヴァ(Perspectiva)を発端として、宇宙、絵画、写真、音楽、そして小説と、さまざまなジャンルを横断して「視る」ということはどういうことなのかを考察していきます。あまりにもぼくの趣向にぴったりでうれしい(笑)。
内容によっては、基礎知識がないとわかりにくい部分もあるのですが、一冊のなかに凝縮されたさまざまな知に触れたテーマが興味深いものばかりで、久し振りに楽しい読書ができそうです。読書する時間は基本的には孤独な時間でもあるのですが、読書はやっぱりいい。
かつて、情報はたくさん摂取しなければならない、ひとにはたくさん会わなければならない、と考えていた時期があり、大量の本を読んだり、RSSリーダーに大量のブログを登録したり、異業種交流会に参加して名刺を配りまくったときもあるのですが、いま思うと、そこに主体がなければ、情報やツールやひとに流されるだけです。ものすごく忙しそうで充実しているような日々になるのですが、その見せかけだけの忙しさに意味があるのかと省みると、ただ忙しかったり慌しかったりするだけだったりする。結局のところ何も残らない。
ぼくはいま、ほんとうに大切なもの(書物、音楽、映画、ひと・・・)だけを絞り込み、あるいはそれらをまさに遠近法(パースペクティブ)の視点によって配置し、ときには近づき、ときには離れながら接していくことができれば、などと考えています。
流行や外部に流されると疲れてしまう。大切なものはまずはぼくのなかにあり、そして自分のなかにある大切なものを通して「視る」=つまり光を認識できる限定された世界のなかにこそ、大切なものを見出すことができるのではないか。つまり自分のなかに闇があれば、どんなにすばらしいものが外界にあったとしても光を当てることができない。
疲れちゃっていろんなことに手を出せない(苦笑)という体力的な限界もあるのですが、体力の限界という「ふるい」にかけたあとに残ったものは、かなり自分にとって大切なものなんじゃないかな、と思ったりもしています。
投稿者 birdwing : 2007年6月 9日 00:00
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