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2011年3月21日
大震災のあとで。
2011年3月11日午後2時46分、午後のまったりした間隙を突いて、最初の東北地方関東沖大震災が起こりました。
マグニチュードは9.0(当初の発表では8.8だったかと記憶しています)。その後も余震が続き、名称についてはさまざまに名前を変えましたが、歴史に残る大震災だったといえるでしょう。津波の被害も予想外に大きなものでした。福島原発の事故も相まって、計画停電が実施されたり、東京でもパニックでした。
被災地で亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、現在も避難所で厳しい生活のなか、復興をめざしているみなさまにお見舞い申し上げます。
東京では横揺れとともに、ぐわんぐわんという縦揺れが加わって、まさに地面が波打つような感じでした。青森や仙台の被災地の状況と比較すればたいしたことがないかもしれないのですが、自宅のぼくの部屋はこんな惨状になりました。
ちょうど揺れる方向に本棚とCDを積み上げた棚があったため、まずCDが床に落ちて散乱し、その上に本がばらばらと崩れて、CDケースが20枚以上ばりばりと割れてしまいました。大事に扱っていたアルバムもあり、ショックです。しょぼん。とはいえ、プラスチックケースでCDを保存するのは時代遅れであり、データで音楽を聴く時代かもしれませんね。
さて。大震災を通じて考えたことをすこしまとめてみます。
偉そうに啓蒙するわけでもなくアドバイスするつもりもありません。あくまでも自分が考えたことを、自分のためのメモとして残しておくつもりです。あれほど大きな地震だったとはいえ、人間の記憶は日が経つにつれ次第に薄れていきます。だから感じたことを残しておきたいとおもいます。
震災を通じて、ぼくが大切だと感じたのは、
"譲ること"
でした。
震災直後、あわてて電話をかけたのですが、とてもつながりにくい状況になっていました。やっと電話の相手とつながったときには「ひどかったねえ」「こちらはこんな状況になってるよ」と長話をしたくなるのですが、安否を確認したらひとまず切る。そして、被災地と大事な連絡を取ろうとしているひとたちに回線を空けること。些細な気遣いですが、みえない回線を譲ることは大切。
みんな電話かけているからいいじゃん、という気持ちもあるのですが、すこしでも他のひとのために回線を空けてあげること、譲ることは大切だとおもうのです。自分に対して抑止力が必要とされるのですが、パニック状況においてどれだけ抑止力を維持できるかは自身に対する強さが必要とされます。
また、ソーシャルメディア、主としてTwitterなどでは「自分からできることをしなければ」という責任感に燃えて、ひたすらテレビの情報を手入力でコピー&ペーストしたり、その情報をまたリツイーとして広めるひともいたようですが、手入力した情報は間違いが生じることもあり、その間違いがそのまま拡散されると消去しようがありません。
随時書き換わる情報は、情報の発信時刻をスタンプしておかないと鮮度が落ちて、現状と食い違うことにもなりかねないものです。したがって最悪の場合、意図せずに「デマ」を量産することにもなってしまいます。
そもそも震災時のコミュニケーションで最も重要なものは電話であり、つづいてテレビがあり、ケータイやPCのWebはその後に使用されるものかもしれません。どちらかといえばソーシャルメディアの情報網は被災地中心というより、被災地周辺で状況の再確認やフック(テレビのメディアへつなげるもの)として使われるべきでしょう。
とはいえ、Twitterにおいても、テレビから引用された二次情報に埋め尽くされたタイムラインは、マスメディアの断片あるいは欲しいひとより発信したいひとに主眼を置いたノイズでしかありません。パニックになってひたすら目に付いた情報をリツイートしたり再発信するより、一次情報、つまり岩手では食料が不足していますとか、親戚の誰それさんの安否が気になりますとか、拡散的ではなくピンポイントで求める情報にコミュニケーションの場を「譲る」べきではないかと感じました。
節電も同様ですね。
大手企業では暖房をオフにしたり、コンビニの営業時間を短縮、電飾など広告の灯りを控えるなどさまざまな施策が実施されました。たいへん冷静で理性的な対応であると感じました。その後、地区をグループに分けた計画停電も行われ、混乱しつつも、みんなで電力の危機を乗り切ろうという意思が感じられました。震災を契機に節電に対する意識が高まった気がします。普段は当たり前のように供給されている電力、それがかけがえのないものであると。
買い占めもまた同じ。
スーパーやコンビニからは米やパン、カップラーメンなどが消え、トイレットペーパーなども不足するようになりました。マスメディアに煽られて、買い占める必要のない物資が買い占められたわけです。「必要な場所に必要な物資が届く」譲る精神が必要だったのではないのかな。とはいえ、なかなか消費者側では制御できないものですよね。店舗側の物流コントロールが必要だったようにもおもえます。もちろんある程度は行われていたのではないかと推測しますが。
「俺がやりますよ」「いや、俺にやらせてください」「いやいや俺に」「それなら私も」「どうぞどうぞ」というのはダチョウ倶楽部の上島さんのネタですが、自分がやるという選択肢だけでなく他人に譲る選択肢があることを認識すると、こころがすこし軽くなります。
「自分にできることを」というメッセージは、義援金や物資の支援のために背中を押す力強いことばではあります。しかし、逆に「なんかやらなきゃ」というプレッシャーとしてみえない空気の密度を高めます。その圧力が活動の輪を広げる力であるとはいいながら、みんながやっているのになぜやっていないんだ、という強制力として感じられることも多い。なんかオレ、なんにもできなくてダメだなあ、という劣等感にも結びつきます。
阪神大震災における経験を綴った「被災者の役に立ちたいと考えている優しい若者たちへ~僕の浅はかな経験談~」には非常にこころ動かされるものがありました。ボランティア活動に参加しようとする受験を控えた高校生に、教師は次のように諭したといいます。
※残念ながらブログの内容は、ボランティアに対する誤解を生むという配慮のもとに3月23日に削除されてしまうようです。良質な記事だっただけに残念です。同時に、多角的な配慮がすばらしいと感じました。
下校時刻になって、担任の物理教師がおもむろに話しだした。
「今回の震災で我校の教師や生徒も被災者となり、登校できない人がいます。センター試験が終わり、受験生としての役目を終えた人もいると思います。あなた方の中には、正義感や義侠心に駆られて現地に乗り込む人もいるでしょう。それは間違ったことではありませんが、正直に言えば、あなた方が役に立つことはありません。それでも何かの役に立ちたいという人は、これから言う事をよく聞いてください。
まず食料は持って行き、無くなったら帰ってくること。被災地の食料に手を出してはいけません。
寝袋・テントを持っていくこと。乾いた床は被災者のものです。あなたがたが寝てはいけません。
作業員として登録したら、仕事の内容がどうであれ拒否してはいけません。集団作業において途中離脱ほど邪魔なものはないからです。
以上の事が守れるのであれば、君たちはなんの技術もありませんが、若く、優秀で力があります。少しでも役に立つことがあるかもしれない。
ただ私としては、今は現地に行かず受験に集中し、大学で専門的な知識や技術を身につけて、10年後20年後の災害を防ぐ人材になって欲しいと思っています。」
ボランティアに参加して人力を提供すること、あるいは義援金や物資の支援は、強制的なものではありません。できるひとに「譲る」ことでもいいのではないでしょうか。そして、お金やモノの援助はできなくても、こころから「祈る」ことはできるはず。
インターネットでは、「pray for Japan」として世界中のひとびとが日本に対して頑張れ!というメッセージを送ってくれました。
みずから義援金や物資の支援、ボランティアの活動のために「行動」を起こすことは簡単なことではありません。それだけに貢献は評価されます。けれども、だからといって、行動できないあなたに価値がないわけではない。
さまざまな支援は行動できるひとに譲って、被災地で起こっている出来事に胸を痛めるあなたは、せめて復興のために祈りエールを送る。それだけでもあなたの「想い」は被災地のために生かされているのではないでしょうか。
投稿者 birdwing : 2011年3月21日 20:33
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