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2012年12月 8日
陽のあたる場所で。
寒いですね。指先を擦ってあたためながらブログを書いています。カフェオレは必須です。あたたかい飲みものは、身体はもちろん、こころまであたためてくれますから。
先日、都内某所の駅に降り立ったところ、駅前をぱあっと明るくするような銀杏の木が立っていました。その先には銀杏並木がつづいている。青空に映える黄色が印象的でした。寒い日でしたが、陽射しを浴びながら立つ銀杏は、なんとなくぼくをあったかい気持ちにさせてくれました。足元には黄色い葉っぱが、ぽとっと落ちてきた。銀杏の木は夜になると電飾で光るそうです。
さて。毎朝、ツイッターを使って140文字×5ツイートでエッセイらしきものを発信しているのですが、11月の下旬から12月初旬にかけての連投ツイートから10本セレクトして以下にまとめました。タイトルの横にある日付は実際に書いた日付です。あったかいカフェオレでも飲みつつ、読んでいただければ。
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■ビジョたちに癒される。2012.12.08
あえて公言したくないが何度も見にいってしまうウェブサイトがある。ささくれだった毎日を癒してくれるようなコンテンツが誰にでもひとつぐらいはあるのではないだろうか。ぼくは健康な男性だから、当然、美しい女性にはとても興味がある。だから美しい女性のページを見にいって癒されている。
たとえば「日本ツインテール協会公式サイト( http://twintail-japan.com/ )」。ヘアスタイルがツインテールの女性たちを集めたサイトで、放課後ツインテールや週末ツインテールなどと、さまざまな場面のかわいい写真が掲載されている。写真集も発行されたようだ。
「美女世界地図( http://bijin-world.com/ )」。今朝相互フォローさせていただいた Kei Akatsu さんのプロジェクトサイトだが「【旅×美女】のコンセプトで北中南米を旅しながら美女の写真を撮影」されているそうだ。ちょっと羨ましい。世界の美女が素敵だ。
カメラをみつめて笑う女性たちは美しい。かわいらしい。撮影するカメラマンの力量にもよるかもしれない。カメラマンがモテる職業である(と勝手に信じているのだが)というのもわかる気がする。彼女たちの最も美しい瞬間を永遠に残せるのだから。写真には動画とは違った空間の緊張感がある。
クリスマスやバレンタインが近くなっていつも感じることは、女性たちが急に美しくなるということだ。イベント自体で街全体の空気が変わるせいかもしれないが、はなやいだ気持ちが彼女たち自身を美しく変えるのだろう。そんな美しい街を見るのが、ぼくは好きである。いい季節になってきた。
■電飾の未来。2012.11.28
電飾好きである。イルミネーションが大好きだ。したがってクリスマスに至るこの時期は、賑やかな街を歩くのが楽しい。とはいえ電飾に目をきらきらさせているおじさんはやや気持ち悪いかなあとおもうので、わくわく感はこころのなかに潜めておいて、見ためはクールにしばしばと目蓋を瞬いたりしている。
クリスマスのちかちか光る電飾が好きになったルーツは、幼少の頃、ちいさなもみの木に飾った点滅するムギ球だった。また、奥さんとの初デートで行ったディズニーランドのエレクトリカルパレードの感動もある。あの日パレードに感動して彼女のお尻を触ったら、1メートルぐらい飛びのかれたものだった。
遠くの街に住む恋人に東京の電飾の美しさを伝えたくて、クリスマス間近の数日間、会社の帰りにデジタルカメラで街の風景を取り溜めておいて、クリスマス・イヴの日に集めた写真を「ひかりの花束」としてウェブを通じて公開したことがあった。同時に写真のBGMとしてひかりの花束という曲も作った。
ブログ「ひかりの花束」
http://birdwing.sakura.ne.jp/blog/2007/12/post-83.html
DTM「ひかりの花束」(4分1秒 5.53MB 192kbps)
曲・プログラミング:BirdWing
まばゆいほどに光る電飾は、星のみえない東京では「地上の星空」といえそうだ。消費電力の問題や発熱が樹木に影響を及ぼすことから、最近は発光ダイオード(LED)がよく使われるようになったという。LEDのテクノロジーを使った照明は、今後さまざまなかたちで日常に浸透していくことだろう。
ひかりを照らすためには電力が必要になる。電力の自由化と「発送電分離」については政治問題として大きく扱われている。再生可能エネルギーの供給なども含めて、今後も討議が重ねられていくことだろう。21世紀の日本を明るく照らしてくれる施策に期待したい。ひとりの電飾好きとして期待を込めて。
■教養について。2012.12.07
教養のあるひとになりたい。教養のあるひととは「知識+人格」にすぐれたひとのことだろう。知識が豊富なだけではない。常に人格の研鑽に努めていて、芸術から政治社会の動向まで深い洞察があり、良識に基づいた行動をして自分の品位を貶めないひと。ああ、ぼくには教養が足りないなと恥じるばかりだ。
知識が豊富なひとはたくさんいる。たいてい胸をはって知識をひけらかすとともに「そんなことも知らないのか」と威圧的に、無知な人間を蔑んだりする。しかし、インターネットの登場とともに知識はアーカイヴされているネットのクラウドに頼ればよくなった。誰でも知識は簡単に入手できるようになった。
人格が何であるかという定義は難しい。すぐれた人格にはさまざまな解釈が生まれる。個人的には、自律的であり、自分の言動に自信があるとともに、他者を尊重する人間は人格的にすぐれていると考えている。暴言を吐かないモラルや節操であるとか、規律的な生き方も人格に関わることかもしれない。
ソーシャルメディアにおける「教養人」は誰だろう。そんなことを考えた。文化人や著名人ではない。あくまでも教養人だ。知識が豊富で人格的にも優れているひと。なかなかおもいつかない。プロブロガーやインフルエンサー、カリスマなんとかのなかには、そんなひとが居てもいいとおもうのだけれど。
ネットではどんな発言も自由だという誤解が教養を育む機会を失ったのかもしれない。しかし、ネットを使った選挙の是非が問われるような時代。政治家のステマやネガキャンでせっかくのソーシャルメディアの可能性を潰してしまわないように、教養あるネットの活用を考えるべきではないかとおもう。
■パクリと模倣。2012.12.01
ツイートを眺めていたらイケダハヤト氏の「クリエイターよ、パクりまくれ!」という強引なブログタイトルに遭遇した。以前にも読んだ覚えがあるのだけれど、ちょっと何か勘違いしていないかなあと考えたのでひとこと。パクリ、盗用はいけない。歴史上の著名人が「盗め」といっているのは「模倣」だ。
アリストテレスは、芸術創作活動の基本的原理は「模倣( ミメーシス)」であると述べた。なるほど確かに彫像などは現実の人間の模倣であり、文学は言語による模倣であるということもわかる。しかし、どんなに模倣しても創作者の視点や個性が反映される。だから創造は新たなものを生むのだとおもう。
初期のビートルズは、黒人音楽、リズム&ブルースの影響を色濃く受けていた。バディ・ホリーの「ワーズ・オブ・ラヴ」などを演奏している。しかしながら彼等の演奏はカヴァー(コピー)であって「パクリ(盗用)」ではない。ビートルズの4人の「憧れ」がそのなかにはある。金や名誉のためではない。
The Beatles - Words Of Love (2009 Stereo Remaster)
自分の持っていない才能に対する崇拝、憧れ。これが存在するかしないかで「模倣」という行為はまったく意義が異なる。創造的な模倣には必ず憧れという熱意がある。すべてにおいていえるのだが、イケダハヤト氏の言説は「クリエイターよ、パクりまくれ!」といっちゃうように思考が浅すぎて失笑する。
多くの文学評論家は他人の作品を引用することだけで飯を食っているわけではない。小林秀雄などを読むと評論する対象に向かう熱情を感じる。その熱情によって批評空間というあらたなステージを創造している。とはいえ、創造はパクリだというのは下品なアフィリエイターならではの言葉かもしれない。
■メディアの棲み分け。2012.11.26
津田大介氏の『ウェブで政治を動かす!』を読んでおもったこと。ソーシャルメディアが絶賛され、テレビや新聞は廃れると予測されていた時期と変わり、最近ではそれぞれのメディアの特性もみえてきた。使い分けされるようになってきた。メディアの特性が明らかになり棲み分けができてきたようだ。
ウェブで政治を動かす! 津田 大介 朝日新聞出版 2012-11-13 by G-Tools |
ツイッターなどのソーシャルメディアは、速報性に強く感情などを含んだ一次情報のメディアだ。フローであるがストックされる。対して従来は速報的なメディアとされていた新聞は、プロの記者の目による検証・編集のメディアになった。さらにテレビでは図解化や識者の討論の場を作って分析する場となる。
ソーシャルメディア VS テレビ・新聞のような視点からでは判断できない。あくまでも報道に関してだが、これらのメディアは個々の領域の強いところを活かしながら連携することによって、尖がったメディア(ソーシャルメディア)から安定したメディア(テレビ・新聞)までのメディア共同体になってきている。
信憑性も異なるだろう。ツイッターなどの情報は信憑性が低いだろうが、日本ではテレビや新聞の信憑性は高い。未確認情報が多いアルジャージラのようなメディアも日本にも生まれるかもしれない。ただ、情報のインプット回路が複数生まれることは、情報を吟味する上でよいのではないだろうか。
津田氏が語られているように、ウェブで政治を動かす時代は既にここにある。日本は世界と比較してネット政治が遅れているという声や、この勢いで一気にネット政治の浸透を、という考え方もあるかもしれないが、逆に焦らず、構想をきちんと描いてネットの動きを拡大化していくべきではないかと感じた。
■ブロガーの楽しみ。2012.11.24
いまさらブロガーって何?と考えたのだが、ぼくはテクノロジー系ブロガーではない。ITについて少しばかりわかっているつもりだけれど、基本的に文系ブロガーである。だからエッセイのようなものを長文あるいは短文で書く。ブロガーといえばテック系が多かった時代には、かなり肩身が狭かったものだ。
かつて自分のブログに「ブロガーはどこへ行くのか。」というエントリーを書いた。大胆にもブロガーは「ライターであり、デザイナーであり、エンジニアであり。」と標榜した。そこでレンタルサーバーを借り、MovableTypeでブログを構築した。デザインも自前だが、もう一度同じ事をやれと言われたら絶対にできない。
最初はFlashのブログパーツを組み込んで、自分のブログに写真をスライドショーで掲載したり自作曲を聴けるようにしたり、いろいろといじっていたのだけれど最近は、全く放置している。しかし、先日ソーシャル機能を追加したくて、Zenbackというブログパーツを加えてみた。楽しかった。
BASE(ベイス)という簡単にECサイトを構築するツールにも登録してみた。デザインがいい。自作曲のダウンロード販売をしたかったのだけれどできないので運営側に質問すると、現在はBASE上にその機能はないらしい。とはいえ、メールによる問い合わせに迅速に対応いただいた。すばらしい。
文系ブロガーはテクノロジーの世界から離れるとあっという間に取り残される。ホンモノのエンジニアのように技術的に詳しくなくても構わないのだが、ブログをめぐる技術の動向に好奇心のアンテナを張り巡らせていたほうがいい。ブログには書く以外にも、さまざまな楽しみ方がある。
■ロマンスグレイのおじさまになりたい。2012.12.05
土曜日と日曜日に髭を剃らなかったところ無精髭が伸びた。最近感じるのは、無精髭のなかに白髪の占有率が増えたということである。頭髪にも増えているのだが、鏡をみた限りではそれほど目立たない。年をとっちゃったなあと感じる。しかしながら、白髪が混じる状態は案外悪くはない。気に入っている。
音楽家の坂本龍一氏の白髪がかっこいい。枯れた印象がある。それでいてどこかエロい。川上弘美さんに『センセイの鞄』という小説がある。年齢差のある老人との恋愛小説である。坂本龍一氏がセンセイを演じたドラマを観てみたい。丸縁の眼鏡をかけて、ちょっとお洒落な帽子をかぶったら似合いそう。
*Photo:Joi Ito
センセイの鞄 (文春文庫) 川上 弘美 文藝春秋 2004-09-03 by G-Tools |
坂本龍一氏のようなロマンスグレイのおじいさんになりたい。センスのないぼくには難しい望みかもしれないが、白髪の知的なおじいさんに対する憧れがある。とはいえ頭髪の動向は気まぐれであり、3年後にはどさっと抜けて禿げアタマになっているかもしれない。それはそれで仕方ない。悔しいけれども。
中年の禿げアタマもかっこいい。ジャン・レノとかブルース・ウィリスとか外国の俳優には頭髪が薄くてもオトコを感じさせるひとがいる。詩人の谷川俊太郎さんもいい。村上春樹氏の『1Q84』で殺人のプロである青豆はバーで頭蓋骨の形で選んだ男を口説くが、頭蓋骨のかっこいいオトコは禿げが似合う。
1Q84 BOOK 1 村上 春樹 新潮社 2009-05-29 by G-Tools |
残念ながらぼくの頭蓋骨はかっこわるいのだ。だからあんまり禿げてほしくないし、10代の頃に一生懸命になって養毛剤でケアしたせいか、いまだに頭髪は残ってくれている。だから白髪の、ロマンスグレイのおじさんになりたい。それで若い女性の気を惹いて恋に落ちようとかおもわないけどね。
■名前を変えられたら。2012.12.03
最近、年齢を経るにしたがって、過去の自分は自分ではなかったような気持ちになっている。幼少の自分などはもう別人のようだ。そんなことを考えていたら、年齢の節目で「名前」を変えることができるといいなあとおもい付いた。武士や貴族は幼少時に「竹千代」などと呼ばれていたが、幼名の復活である。
生物でも幼生は学術的に違う名前がつけられているようだ。ウナギの幼生がマリンスノーを食べているという学説が支持されたニュースを最近読んだことがあった。ウナギの幼生は「レプトセファルス」と呼ばれるそうである。これは個人名の変化ではないが、ウナギも稚魚から成長し、名称が変わる。
ポケットモンスター、いわゆるポケモンも進化すると見た目や能力はもちろん名前も変わる。あんなにかわいかったポケモンがこんなにごついキャラに・・・・・・と驚いたり嘆いたりしてしまうことがあるが、それが進化というものかもしれない。声変わりした息子に対して同様のことを感じたことがあった。
成長にしたがって名前を変えられるとすれば、3回ぐらい機会があってもいいかもしれない。第一は15~25歳、幼名から青年の名へ。第二は35~45歳、働き盛りの名へ。第三は55歳~60歳、シニアの名へ。社会環境と成熟度にあわせて、個人のブランドともいえる「名前」を変えられると面白い。
親父によると、ぼくの名前は孟子の一節から取ったそうである。名前のなかでは比較的多いありふれた名前であるが、長男に込められた願いがある。とはいえ、名前負けといえなくもない。シニアの世代を生きるにあたって、セルフブランディングのひとつとして、名前を改めることがあってもいいかなとおもう。
■陽のあたる場所で。2012.12.06
昨日、朝の電車に揺られながらドア側の場所にいたら、まるで温室のように陽射しでぽかぽかあたたかくてうれしかった。「天気いいけど寒さは相変わらずですね!」というツイートをいただいたが、確かに外はきりきりと寒かった。とはいえ電車のなかはあたたかい。しばし夢心地である。
太陽の光を浴びることは体内時計をリセットするので有効だといわれる。また、冬期うつにも効き目があるそうだ。冬の陽だまりが好きだ。寒くて空気はぱりっとしているのだけれど、陽射しはやわらかくて身体をあたためてくれる。くつろげる椅子とカフェオレやほっとレモンなど飲み物があればさらにいい。
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幼少の頃の陽だまりの記憶がある。いつだったか、ぼくは縁側でぽつんと座って毛糸の毛玉ができた靴下を眺めていた。赤っぽい靴下だった。風はなく、陽射しはとてもやわらかい。枯れた木が空に向かって伸びていた。寒い日にはその記憶がぼくをあたためてくれる。あったかい記憶だけがぼくのなかにある。
「チェット・ベイカー・シングス」はヘビーローテーションで聴くジャズのアルバムのひとつだが、「ルック・フォー・ザ・シルヴァー・ライニング」という曲では「暗い雲の裏側には陽がさしているものだ。銀色のふちを持つ雲を探して、いつも人生の明るい面をみることにしよう」と歌っている。
チェット・ベイカー・シングス チェット・ベイカー EMI MUSIC JAPAN(TO)(M) 2008-09-26 by G-Tools |
Chet Baker "Look For The Silver Lining"
チェット・ベイカーの歌う「And try to find the sunny side of life」という言葉が気に入っている。その言葉でアルバムが終わるのも素敵だ。さんさんと陽のあたる場所で生きていきたい。陽だまりに感謝しつつ、穏やかな微笑みを忘れないようにしたい。
■思考をザッピングする。2012.11.30
あまり新しい言葉ではないが、ザッピング(zapping)という言葉がある。テレビのリモコンで番組を次々と切り替えながら視聴することである。ぼくは読書においても常に数冊の本を同時に平行して読むようにしているのだが、ザッピング的な読書といえるかもしれない。これが楽しい。発見もある。
たとえば津田大介氏の『ウェブで政治を動かす!』を読みながら、今西錦司氏の『主体性の進化論』を読む。最先端の政治から生物学の進化論についてのエッセイはギャップがあり、文章のトーンもがらりと変わる。「政治の進化論ってあるのかな」と、2冊を横断した新しい発想が生まれることもある。
ダーウィン論・主体性の進化論 (今西錦司全集) 今西 錦司 講談社 1993-07 by G-Tools |
ぼくらは社会のなかでさまざまな役割をザッピングしている。会社員であり、おとーさんであり、ブロガーだったりする。役割と役割の落差が大きいほど刺激的だ。スキルも必要になる。家庭人と仕事人をさっと切り替えたり、おとーさんの役割のなかで仕事のメソッドを活かしたり、複数の自分を統合する。
懐かしい言葉を使うと、偏執症(パラノイア)から分裂症(スキゾフレニー)へと現代人の傾向は変わってきたという浅田彰氏の指摘があった。範列的な事象と事象の溝を飛び越えながら、ぼくらは平行した役割をこなして生きていく。思考のスイッチングとともに、統合するアイデンティティも必要になる。
情報が氾濫する時代において大事なスキルは、平行したいくつもの情報の領域をぴょんぴょん飛び越えながら前進する軽やかなフットワークかもしれない。ぼくはブロガーはネットの世界のジョングルール(大道芸人)ではないかと考えている。危なっかしい綱渡りを軽やかに演じてみせることは魅力的である。
投稿者 birdwing : 2012年12月 8日 07:03
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