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2013年8月 3日

ぼくらはなぜ挨拶をしなければいけないのか。

今朝ゴミを出してきたときに、近所の年配の男性とすれ違ったので挨拶しました。「おはようございます」と交わす言葉が爽快でした。8月に入ったのに大丈夫かなと感じるくらいの涼しさで、空には雲が多い。

挨拶を交わしながらふとおもい出したのは、プロブロガーを標榜するイケダハヤト氏が今年の4月に「たかが挨拶ぐらい、できなくてもいいんじゃない?」というブログを書いていたことでした。幼稚園児みたいなことを書くひとだなあと妙に感心してしまったのですが、一部のひとたちは彼の意見に賛同したようです。

多様性は大切です。いろいろな意見があってよいとおもいます。どんな考えを持とうが行動しようが自由。しかしながら、一般的には(特に成人して社会生活を営む大人であれば)挨拶はできないよりできたほうがいいですよね。挨拶はしたほうがしないより「ベター」です。

頭ごなしに親から「挨拶をしなさい」と言われて、子供たちが挨拶を嫌だなとおもう気持ちは察することができます。挨拶を強制する必要はないという主旨も共感しますが、それでもやっぱり挨拶はしたほうがいいでしょう。なぜなら第一に自分も気持ちいいし相手も気持ちいいものだから。

挨拶は「呼吸」みたいなものです。

挨拶ができたから偉いとかできないから劣っているなどということはあり得ないし、挨拶が好きだとか嫌いだとかいう話もなんだかおかしい。とはいえ、ここでは印象で終わらせずに、もう少し持論を深めてみることにしましょう。

そもそも「挨拶」は禅の言葉であり、師と弟子、あるいは修験者同士が交わす真剣勝負による修行の瞬間だったようです。綾瀬凜太郎さんの『禅の名言100』という本には、挨拶について次のように書かれています。

たとえば、『碧巌録』には「一言一句、一機一境、一出一入、一挨一拶して、深浅を見んことを要し、向背を見んことを要す」とある。
要するに、問答によってさまざまな言葉を投げかけ、相手の心境を探ったり、その修行の度合いや器量をはかることをいうのである。
B007VAGPBK禅の名言100 (学研新書)
綾瀬凜太郎
学研パブリッシング 2010-09-21

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つまり挨拶とは「他者」と接することにより、瞬間で相手の気持ちを推し量り、自分の言葉を紡ぐことによって「自己」を切磋琢磨する一期一会の機会というわけです。禅における挨拶は真剣勝負なのです。したがって、この禅の思想にしたがえば、挨拶のできないひとは他者との真剣なコミュニケーションを放棄していることになり、そんな風に「逃げ」ることによって人生を緩慢なものにしている、とも考えられます。

視点を個人から企業に移してみましょう。

企業の不祥事は、経営の不徹底あるいは社員のちょっとした気の緩みから起こるものです。しかし、一瞬の気の緩みや不徹底が企業の信用を著しく低下させ、ブランドを大きく傷付けることになります。

たとえば、かつて雪印はスノーブランドとして牛乳の確固たる地位を築いていましたが、子会社の不祥事も含めて、すっかりブランドを失墜させてしまいました。その要因にはさまざまなものがあるかもしれませんが、経営幹部はもちろん現場における品質管理を徹底する気持ちが緩んでしまっていたのではないかと想像します。

気の緩みを起こさないためにはどうすべきか。

たとえば挨拶をきちんとする、身辺を片付けるというような日常の基本から徹底的に締めていく必要があるのではないでしょうか。

食料品工場やレストランなどの食を提供する場では、就業前に挨拶を唱和することがありますが、体育会系で嫌だと感じるひともいるかもしれないけれど、お客様に対する姿勢を徹底することで、それぞれの「心のボルト」を締めるための大切な業務といえます。機械のボルトを締めなければ事故につながるように、働いている人々の心のボルトも締めなければ事故につながります(だからといって機械と人間を同一視しているわけではありませんが)。

「神は細部に宿る」といいます。

仕事をする上で人間性や能力を高めようとするならば、挨拶という細部を疎かにすべきではありません。ブランドはお客様との「約束」であるとよくいわれますが、企業がブランド力を高めようとするときにはCIなどのロゴやイメージづくりに注力すればそれで十分というわけではなく、社員のひとりひとりの心構えと行動が大切になります。「お客様」に「挨拶」、つまり瞬間の出会いを大切にするつもりで製品やサービスを作る姿勢が必要だとおもうのです。

ブランドというと、あたかも高級品やネーミングがすなわちブランドであるかのように錯覚しますが、デューンE. ナップの『ブランド・マインドセット』には、次のように書かれています。

ほんものブランドとは、顧客や生活者に認識された感情的・機能的ベネフィットがもたらす印象の集積が、「こころの眼」の中でとんがった位置を占めることである。
4881358669ブランド・マインドセット
デューンE. ナップ Duan E. Knapp
翔泳社 2000-08

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ここで注目したいのは、ブランドが「印象の集積」であり、お客様の心の中に生まれるということです。したがって、ブランドはモノやネーミングを指すものではありません。どんなに素晴らしいモノがあったとしても、お客様の心の中で価値として印象を生まなければブランドになりません。「ブランドはお客様の心の中にある」という認識が必要です。

パーソナル・ブランディングという言葉が生まれ、自分をアピールすることが重要であるということも言われています。けれども資格やプレゼン能力を高めるよりもまず、挨拶をきちんとできるというような基本的な資質を省みることから始めたほうがいいのでは。昔は「挨拶をきちんとしなさい」と叱ってくれるひとがいましたが、最近は甘くなりました。

挨拶は頭で考えてするものじゃないですよね。身のこなしのようなもので、無意識の状態で挨拶できていることが大切です。企業の新人研修では礼を学ばせるところが多いのですが、「形」が「心」を作ります。ただし、心を作るためには時間がかかります。

ブロガーのイケダハヤト氏が挨拶を軽視するのは、インターネットで完結してお金を稼ぐアフィリエイトという方法でしか仕事をしていないからです。つまり、お客様はブログにアクセスしてくれる訪問者の「データ」であり、数字さえ集まればそれでいい。数字に人格はないから、イケダ氏も人間的に優れている必要はありません。なので彼は人間的な基本を欠いていても問題ないのです。

しかし、そうした特殊な人物の考え方を真に受けて、「じゃあオレも挨拶なんかやめよっと」とおもう若い人がいたとしたら、ひょっとすると人生を誤るかもしれません。そもそもイケダハヤト氏は自分の発言に責任が持てないと明言しているので、無責任な言葉に踊らされたなら自分が損をするばかりです。

賢くなりましょう。「カリスマ的な人気のある存在だから信じる」「アクセスが多いブロガーだから信じる」という安易な考え方ではなく、このひとの考え方はほんとうに自分にとって正しいといえるのか、ということをきちんと検証し、考えなければいけません。

・・・

ということをいま、ぼくは訪問された方にブログを通じて語りかけているわけですが、あらためまして、こんにちは(おはようございます、こんばんは)。はじめてぼくのブログを読んでいただいた方には、はじめまして。そして、ぼくの拙い文章を読んでいただいてありがとうございます。

このエントリを読んで「なるほどね」と納得された方は、まずはご家族の方に挨拶してみてください。おはよう、おやすみ、ありがとう、と。

ちなみに感性や語感の研究をされている黒川伊保子さんによると「あいうえお」の母音ではじまる言葉(音)で語りかけると、相手はリラックスした気持ちになるようです。母音は子音のように息を遮ったり擦ったりしない音なので、そのひとの素に触れたようにあったかくなれるのだとか。

4584392544ことばに感じる女たち (ワニ文庫)
黒川 伊保子
ベストセラーズ 2007-12-18

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あいたかった、あえてよかった、ありがとう、あとで○○しようね、あしたね、いいね、いっしょにいようね、うん、おはよう、などが母音からはじまる言葉です。あらためて考えてみると挨拶の冒頭には母音が使われている言葉が多い。相手を思いやる気持ちが込められているからかもしれません。

恋人や子供に対しては、そんな母音ではじまる挨拶を日頃から心掛けておくと、お互いにしあわせな気分になれそうです。

投稿者 birdwing : 2013年8月 3日 12:13

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