現在では脳科学者というより芸能人の印象が強い茂木健一郎さんは、ご自身のツイッターで、つぶやきを連続させ、考えたことを発信されています。
茂木健一郎さんにならって、ツイッターでコラムを書くようになりました。ぼくの場合は毎朝5時に起き(老人か)、この時間を連投ツイートに当てている。TLを汚さないためでもあり、早朝に何かを考えることが気持ちいいからでもあります。ツイートは断章になってしまうので、個別の用語や名称などを重複させて書いています。この散在するツイートを集めて、重複する部分を推敲し、きちんと読めるコラムにまとめてみました。
毎日、書くために要する時間は30分から60分。最少文字数で140字×5ツイートなので700字。およそ400字詰め原稿用紙2枚弱です。毎日継続することをこころ掛けています。
ツイートの構成は変わっていませんが、引用の間違いと誤字や脱字を修正、文章をすこし変えています。実際のツイートが気になるかたは、ぼくのツイログを参照してください。
同時に、参考図書へのリンクも貼っておきました。興味があれば、それぞれの本やサイトや映画などをご覧ください。なお、コラムは日付順にならんでいません。内容から組みなおしました。
以下、8月25日(土)~9月2日(日)までのツイートを推敲したり情報を追加して、コラム風にまとめてみました。
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自信について。(8月26日)
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自信は文字の通り「自ら」を「信じる」ことである。決して「他者」を信じる「他信」ではない。ショウペンハウアーという哲学者は「自分を慰める上に外部からはほとんどあるいは全然何ものをも必要としない人間が、いちばん幸福である」と『幸福について―人生論 (新潮文庫)』に書いている。
哲学者の言葉を引用したが、ぼくらは一般的に自分を信じるより他者の言葉や評価を信じてしまう。「みんながそういってるよ」とか「有名人がいった言葉だよ」とか。社会全体の評価という大きなものに頼って大多数の仲間入りをすることで安心を得る。というのは自分の思考を捨てたほうが楽になるからだ。
自分で考えることはツライ。他者の考えに頼ってしまったほうが楽だ。しかし、他者の考え方に頼ってしまったとき、ぼくらの思考は停止する。安全地帯に逃げ込んだようにほっとするが、そのような安住が実は危険である。他者の考えに安住すると、思考に緊張感がなくなる。他律的になる。盲目になる。
尊敬するひと、カリスマを持つこと、こころのなかに理想の人物を掲げることは大事だが、「自分」で考えるチカラを捨ててはいけない。要するに「信者」になってはいけない。信者はカリスマの悪いところがみえない。カリスマを批判するひとたちを嫌悪し、排除しようとする。彼の世界観を守りたがる。
他者を頼って安心を得たとしても一時的な安らぎにすぎない。ほんとうに大切なことは「自分」を頼ること。自分のなかに不完全なもの、欠点があってもいい。そんなマイナス面も含めてそれが自分の人生なのだ。人生を生きるということは自分を生きることである。決して他者の思考をなぞることではない。
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いまを生きること。(8月27日)
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「未来はない」と言ったら誤解を生むだろうか。これは「将来の希望はない」という意味ではない。また、「未来はぼくらが創っていくもの」というポジティブ思考でもない。ぼくは「未来」も「過去」もないと考えている。どちらも各個人のアタマが創り出したものだからだ。
たとえば「過去」について考えてみる。過去は記録される。映像で、写真で、文章で。しかしそれらはすべて「終わってしまったこと」。自分のアタマのなかにある「過去」は自分の解釈の産物で、他者の過去とは違っている場合がある。過去の「解釈」はすべて創られる。解釈が変われば過去が変わる。
過去と違って「未来」はまだ記録されていない。しかし過去と同様に「未来」もまた創り出されたものである。それは大勢に共有された未来のようにみえても、結局は各個人のアタマのなかにある妄想にすぎない。各個人の未来であれば、さらに脆い妄想にすぎない。だから未来を信じることは不毛である。
在るのはただ「現在(いま)」だけだ。ぼくらは「いまここ」に存在している。疑うのであれば、自分の身体を感じ直してみればいい。それは妄想だろうか、儚いものであろうか。違う。ぼくらが「いまここ」に居ることは疑いようのない事実である。信じられるのは「現在(いま)」。過去や未来ではない。
「いまここ」は否定できない。ぼくらは「いまここ」に生きている。刹那に生まれて死んでいく。ぼくらは毎日生まれ変わる。ぼくらは毎日違う生を生きている。「いまここ」の連続が人生なのである。「過去」や「未来」は存在しないが、人生を生きることはできる。いまを生きること。それが人生。
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逃げろ、追いかけるものたちから。(8月28日)
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逃走、逃避。逃げることはよくないとされる。逃げないで堂々と闘えといわれる。そうだろうか。堂々と闘うことが不毛なときもある。議論であっても、建設的な何かを生み出せない不毛な議論に関わる必要はない。何も生み出せない対話は閉ざしたほうがいい。
諺では「逃げるが勝ち」ともいう。論争のスタイルには、闘う、防御する、逃げるがある。正面切って闘わずに勝つ「逃げる」はひとつの戦術だ。ただし、恐怖心やチキン(臆病)でその場を放棄することとは違う。怯えや恐れではなく、強いこころで自覚的に逃げるのである。冷静に逃げることを選択する。
かつて遠い昔に浅田彰氏という思想家は『逃走論―スキゾ・キッズの冒険』という本を書いた。自分なりにこの本を解釈すると、文化や社会は常に枠組みをつくろうとする。思考を固めようとする枠組みから常に「知的に」逃げ続けること。それがぼくらの知の戯れになる。時代や文化からの逃走である。
いじめられている子供たちは、身体や精神が「逃げられない」状態にある。けれども、自分の意思で逃げ出してもいいんだよ。「弱虫」と罵られてもかまわない。思考停止して、されるがままになっているから、さらに相手はいじめたがる。いじめられているきみは逃げろ。きみには逃げる権利がある。
いじめられているきみがどこへ逃げ込むか。安全地帯である両親のもとかもしれない。あるいは、別の場所かもしれない。法律などを学び、反撃のチャンスをうかがうためにひきこもることかもしれない。追いつこうとするものに、追いつかないほど遠くに「逃げる」こと。それは知的な戦闘のひとつなのである。
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自由人という在りかた。(8月29日)
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自由を縛るのは他者ではない。自分のこころである。ほんとうに自由な人間は自分の感情や環境から解き放たれている。『ショーシャンクの空に』という映画でアンディ・デュフレーン(ティム・ロビンス)は終身刑の罰から牢獄に入れられた。しかし自由を決して諦めなかった。
「フリーランス」が自由な働き方のように考えられてきた。最近では「ノマド」という場所を選ばない働き方も注目されるようになった。しかし、ほんとうに自由なのだろうか。ぼくは「自由人」というフリーな生き方が自由であると考える。自由人は企業に働いていても仕事内容や環境から解放されている。
身体的な「私」が拘束されていても、こころが解き放たれていれば、ぼくらは「自由」である。明治時代には大学の教育を受けて経済的余裕のあるひとを「高等遊民」と呼んだ。夏目漱石の小説『それから』にも登場する。現在、大学卒業にあたって就職も進学も考えなかったひとが約3万3000人いたらしい。
自由人は経済や社会や思考に脅かされることはない。自分の生きている「価値」を把握しているからだ。しかし、現代のいじめや自殺者の増加はどうだろう。他者や社会に追い詰められている。気付いてほしい。自分の思考や行動は自分で選択できる。自由は無責任ではない。自分で覚悟を決めることが自由なのである。
日本国憲法第21条では「表現の自由」や「言論の自由」が守られている。自由人は憲法に守られている一方で品格を保たなければならない。自由で満たされていれば他者を罵倒することもない。貨幣的に裕福ではなくてもいい。こころが豊かであればいい。だから自由人は、他者に対してやさしさを施すことができる。
自由人であることは、特定のひとには難しいかもしれないが、自己実現のセミナーを受けたり修行することもない。自分で自分のこころを解き放てばいいのだ。ぼくらは誰でも自由を守られている。自由人になれる。こころの鍵を開けることが大切。そして閉ざしていた扉から青空にこころを解放すること。
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親になること。(8月30日)
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一般に結婚して子供が生まれると必然的に「親」になる。男性であれば「お父さん」に、女性であれば「お母さん」に。了承を得てなるわけではない。ある日突然妊娠したことを告げられ助走をはじめ、出産することで親になる。だが、子供ができても真の意味で親とはいえない。
「親がなくても子供は育つ」という。そうだろうか。これは地域や親族によるコミュニティが機能していた時代の話だ。その頃の子供は周囲を頼りながら自律的に成長できた。現代は様相が違う。都市圏では地域社会との断絶が加速化しつつある。「親」がなければ子供は育たない。育児は放棄できない。
「親」の意味を拡張すると、中高年シニアの世代は「社会」の親でなければならない。人生の知恵を蓄え余裕もできた親たちは、次世代の子供たちを育成(インキュベーション)する存在であるはず。ところが、親になれない大人が増えているようだ。子供の権利を奪い、育成を妨げている。「老害」である。
政治活動や企業や学校には老害が蔓延しているかのようだ。一方で、よい年齢をしたオトナたちがインターネットなどの「遊び」に耽っている。良識を問う。日本国憲法第26条では教育の義務を謳っているが、教師による性犯罪、いじめの多発はどうしたことか。学校教育における「親」は何をしているのか。
高校や大学に「親学」なるものはない。当然、家庭の親は知識をもたずに親になる。企業の「親」である上司にも部下の教育は必要になる。手探りをしながら「親」になるしかないが、時代や社会の変化にしたがって、親の役割や教育の意義も変わる。「親」になる方法は資格もなければ正解もないのである。
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コミュニケーションを考える。(8月31日)
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「コミュニケーション」は「伝達」とも訳されるが「コミュケーションはキャッチボールである」ということを『コミュニケーション100の法則』という本で読んだ。この意味は深い。相手がいて相互間で成立するものということ。そして、受け止められない球を投げてはいけないということ。
コミュニケーションは双方向間で行われる。しかし広告業界では広告主から消費者への一方的な情報伝達にとらえがちで、だからインターネットの登場により「インタラクティブ・コミュニケーション」が強調された。ここで重視されるのは効果測定。どれだけの人が受信して売り上げに直結したのかが重要。
ソーシャルメディアの時代にコミュニケーションを数値のみで測っていてよいのだろうか。もちろん数値化はぼくらの交流を「みえる化」してくれる。しかしサン=テグジュベリの『星の王子さま』に書かれているように「 大切なものは、目に見えない」。相互間の信頼は言葉にはできないものである。
ディスコミュニケーションの課題は受信と発信の双方にある。発信者側では相手を特定しない発言、理解されない言葉、受信者側では情報のブロック、理解力あるいは想像力の欠如。ハイコンテクストな文化をもつ日本人は理解されることを前提にコミュニケーションを試みるが、届いていない言葉も多い。
広義のコミュニケーションは「ノンバーバル(非言語)」なコミュニケーションを含む。ノンバーバルとは身振りや態度など、言葉化されない表現である。主としてリアルな場における対話で行われるが、YouTubeなどの映像メディアによってインターネットにおいても可能ではないか、とおもわれる。
ディスコミュニケーションもコミュニケーションのひとつであれば、相手のメッセージを遮断することも情報伝達の意思ととらえられるかもしれない。あるいは無関心を装うことも。しかしながらほんとうに無視している、関心がない、メッセージに気付かないことはコミュニケーションといえるかどうなのか。
マーケティングの世界では、BtoB(企業と企業)、BtoC(企業と消費者)あるいはBtoE(企業と社員)などの言葉が使われてきた。今後はOtoO(オンラインからオフラインへ)が重要になるといわれている。時代は変化しつつある。新しい時代に合ったコミュニケーションが求められている。
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アドバンスド・プランニング 拡張型プランナーをめざして。(8月25日)
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かつてぼくはプランナーだった。編集者を経験した後のプランナーなので、ぼくの企画書はレイアウトやデザインに凝っていて、目をひく企画書が営業に注目され、単独のプランナーになった。しかし、当然のことながら、大事なことは体裁ではない。
意識を刷新するひらめき(アイディア)、最初から最後まで一貫した論理(ロジック)、考え方の枠組みをつくる構想(コンセプト)、そしてクリエイティブ(制作物)や実施計画、運営組織、概算費用。それが企画書に必要となる。プランナーは制作や営業と協力して、それらを組み立てていく。
プランナーにもいろいろあって、ぼくはセールスプロモーション(販売促進:SP)の企画を立てるプランナーだった。例えばゲームプランナーのことをぼくは知らない。彼等の書く企画書はまた違っているだろう。ただ慣れてくるとわかるのだが、SPの企画はだいたいフレームが決まっている。使いまわせる。
しかしながら、ぼくは企画書の使いまわしに疑問を感じた。提案するお客さまを馬鹿にしていないか。それぞれのお客様がそれぞれの悩みを抱えているわけで、これにしましょうと画一的なものを押し付けるのでは押し売りといっしょだ。お客さまが抱えているモヤモヤをカタチにしてあげるのが企画では。
そこでぼくはプレゼンの方法を変えることにした。一方的な説明型プレゼンテーションではなく、対話型プレゼンテーションにしたのだ。説明が終わって、はい質問は、ではなく、市場の整理のページであれば、「・・・と判断したのですが御社ではいかがですか?」ときいてみる。コンペの場では難しいけれど。
つまりプランナーであるぼくは、プレゼンの場をヒアリングの場であるとも考えたわけだ。もし、それで提案が通らなかったとしても情報が得られる。次に書く企画書のヒントをいただけることもある。企画書なんて通らなければただの紙切れなのだが、コンペ落ちした企画書にも意味を見出せるようにした。
そうやって対話型プランナーのぼくは、企画書を書くばかりでなく、コミュニケーション能力を磨くきっかけになった。偉そうに上から話してもダメだ。カタカナ用語で煙に巻いてもいけない。エンタープライズであれば大企業の言葉で、中小企業であればオーナー社長に響くような言葉を使い分けていく。
企画書だけ書けばあとは営業の仕事でしょ、というプランナーもいるかもしれないが、それは違うとおもう。自分のアイディアや構想がいくらのお金を生み出したか、アカウントにも責任を持たなければいけない。最終的には提案先の企業さまの経営において、どれだけの効果を上げたかという責任も必要。
中期経営計画・短期経営計画があり、企業の理念と目標があり、そのなかで自分の組み立てている企画書はどのような費用対効果をあげるか。そこまで目が届き、責任を負うことができなければ、ホンモノのプランナーとはいえない気がする。最初は難しいことだが、意識を高めておくとみえるようになる。
お客さまの経営に貢献するプランナーになるためには、ビジネス書やマーケティングの理論書を読んでアウトプットを充実させることは必要。とはいえ、コンセプト作りは感性によるもので、小説や音楽、映画などに対しても開いて自分の感性を高めておく。仕事とおもわなくても人間形成の一環と考える。
ぼくはただの企画書かきから、対話型プレゼンによって企業の悩みに耳を傾けるマーケッター、経営計画を(難しいので財務などは弱点だったか)理解することで、事業プランとシンクロするようなプロモーションプランナー、最終的には事業のプロデューサーというより併走者でありたいと模索した。
あまりに自分の理想と目標を高く掲げすぎたため、結局、俯瞰的なプランナーにはなれていない気がする。しかし、生き残るプランナーであるためには、企画書を書いて満足していてはいけないのだとおもう。プランナーの領域を拡張するのだ。
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恩師と語った夜。(9月1日)
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ぼくの恩師は、東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻の小森陽一先生である。先生が成城大学にいらっしゃった頃にぼくは教えていただいた。あの頃、先生はゼミの学生に多大な質問を投げかけた。特に「おまえはそれでいいの?」が口癖だったような気がする。
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
成城大学
金曜日の夜、小森先生と下北沢のイタリア料理店、トラットリア イル・コンソラーレでワインを飲みながらおおいに語った。先生と語り合うのは1989年に大学を卒業してから実に23年ぶり。髪に白いものが増えて老眼鏡を取り出しながらメニューを選んでいらっしゃったが先生は先生だ。
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小森先生は熱心にメニューという「テクスト」を読み、気になった部分はトラットリア イル・コンソラーレの店で働いているかわいい女の子に「これ何」と質問した。若い女の子とお話したかっただけかもしれないが(ぼくもお話したかったが)、テクストを解析しようとする真摯な姿勢を感じた。
美味しいイタリア料理とワイン。居心地のいい空間。暗闇のなかでひとり内省ばかり繰り返す精神の病による日々から解放され望んだ仕事を得て、ぼくはみょうにテンションが高まっていた。小森先生は『草枕』が夏目漱石の転換期の作品であったことにふれ、いまのぼくもそうであるとご指摘いただいた。
23年という空白をまったく感じさせない夜。事前にブログの原稿は郵送でお渡しした。そして本を書きたいというぼくの意志を伝えて、ツイッターをまとめた原稿を読んでいただいた。しかし、小森先生はネットを断固拒否している。オールドメディアのなかでどこまで生き残れるか覚悟をされている。
小森先生とは反対にぼくはインターネットを信じている。先生によると冷たい世界であるネットの世界をあたたかいものに変えたいと考えている。「やりなさい」と先生はおっしゃった。ぼくは経験からメディア論、コミュニケーション論などを展開した。先生はにこやかに聞きながら同意や反論を語る。
マイケル・サンデル批評、東浩紀氏の『日本2.0 思想地図β vol.3 』批評であるとか、そんなお話も面白かったが、ぼくは小森先生の知の教え子であるとともに人生の教え子でもある。先生とぼくの人生論を重ね合わせた議論が楽しい。人生を学ぶことができるゼミなんて他にあっただろうか。
「悩むことが人間を大きくする」という、ある意味シンプルで、この部分だけ切り出すと陳腐にもおもわれそうな小森先生の言葉が、ぼくの胸を打った。たぶんあのときの対話のなかにいて、場とコンテクスト(文脈)を共有しなければ屹立しない発話である。しかし、ぼくは忘れない。
店を出て、小田急線下北沢駅の改札の前で、小森先生は二度、ぼくの背中を叩いてくれた。そんなさりげない行為が、ぼくのこころにあって殻のようにまとわりついた何かを、ぽろぽろと落としてくれた。背筋が伸びた。先生は常に人生の先を行かれている。だが、ぼくは先生に追いつきたいと考えている。
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創造的に生きるために。(9月2日。9月3日追加)
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創造的なことをクリエイティブ(creative)と呼ぶ場合もあるけれども「創造」でよいのではないか。創造は、広告代理店や制作会社のコピーライターやデザイナーなどの職に限られた権利ではない。あらゆる人間が創造的に生きられる。生活を創造的に変えられる。
「創造力」には「想像力」が欠かせない。カタチのない未来や製品を想像することによって、まず思考のなかにプロトタイプ(試作品)が形成される。思考のなかにある試作品は脆い。だから現実の試作品に落としこむ。このときに想像はみえるようになる。想像が創造になる。現実化することが創造力。
創造力は製品やサービス、アート、文化などを生み出す。政治や行政も創造的な活動であり、日本の行く末を実体化する。日常生活において創造的であるためには、他者に対する想像力は不可欠かもしれない。また、想像力の基本となる発想(アイディア)は、まったく新しいものを考える必要はない。
まったく新しいものを発想するのではなく既存の何かを組み合わせて新しい発想を生むことは、野口悠紀雄氏の『「超」発想法』に書かれている。同様のことが、広告業界ではバイブルとも言われていたジェームス W.ヤング『アイデアのつくり方』、ジャック フォスター『アイデアのヒント』にもある。
創造的に生きることは難しいことではない。日常の何かと何かを組み合わせてみてはどうだろう。組み合わせは関係性ともいえる。父親と息子の組み合わせ、母親と娘の組み合わせから新しい生活が生まれるかもしれない。組み合わせたことがない関係をつなぐこと。身近な場所から創造的なヒントは生まれるものである。
投稿者: birdwing 日時: 13:21 | パーマリンク
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