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2009年6月27日
残念だったのは。
もうあまり使わなくなったかもしれないのですが、「リア充」というネットの隠語がぼくは嫌いです。ネットやゲーム以外の現実生活が充実していること、あるいはコイビトがいたり仕事にやりがいがあったり、リアルライフが充実しているひとのことを指すことばのようです。
はてなの匿名ダイアリーを使っているひとが特に好むことばかもしれません。最近多いモテ/非モテみたいな思考にも抵抗があります。いつの時代にもありがちですが、勝ち組/負け組みのような、二項式の枠組みで世界をラベル分けするような暴力的な姿勢を感じとります。さらに価値観の根底に他者の評価を気にする自己愛が感じられて気持ち悪い。
ぼくにしてみれば、ネットもリアルです。ネットはリアルの二次的な場所ではない。引き篭もるための逃げ場でもない。生活の一部に溶け込んでいて、それだけを抽出したり境界線を引くことができません。
だから、リアル/バーチャル(ネット)という対比の構図は存在しない。残念ながらぼくはゲームはやらないけれど、息子たちがゲームを楽しんでいるところを眺めていると、ゲームの世界も彼等にとってリアルの一部なんだと痛感します。
ネット廃人、ゲーム廃人のようなことばもあります。しかし、それはネットというリアルに中毒的に関わっているひとのことだとおもう。アルコール中毒やセックス依存症とあまり変わりません。
身体をぼろぼろに壊すほどのめり込むのは問題があるとしても、それだけ嵌まったひとには足を突っ込んだひとにしかみられない世界をみることができるのではないか。決して推奨するわけではないのですけどね。苦しかったとしても、斜に構えて傍観者を気取るひとよりも豊かな(というより壮絶な)人生を生きているのではないだろうか、と。
さて。ほとぼりが冷めた頃に、ITmediaに掲載された梅田望夫さんの記事について考えてみました。既にさまざまな方が議論されている話題です。
■日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/01/news045.html
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/02/news062.html
まず個人的に引っかかったのは、前編に出てきた次のような発言の瑣末な部分でした。揚げ足を取るようですが。
良いインターネットと悪いインターネットというと善悪の基準が1つあるみたいで良くないけれど。それは僕の好みだと言ってもらってもかまわないけど。
良いインターネット/悪いインターネットだけでなく、梅田望夫さんの思考全体には、ウェブ/リアル、シリコンバレー/日本のような二項による思考の傾向を感じてしまうのはぼくだけなのかな。だからこそ外国のWebに対して日本のWebは「残念」という評価も生まれるのだと考えます。常に相対的なものとして語られる価値観がある気がする。
しかし、そろそろ、ネットはリアルと対比される特別な場所ではないということを認識し、シリコンバレーのような諸外国を聖地として崇めることもやめたほうがいいんじゃないのでしょうか。過度に期待することもないし、過度に劣等感を抱くこともない。日本は「残念」かもしれないが、いまのままで十分。
国民性といえるかもしれませんが、社会的な傾向から日本を考えてみます。
湿度が高く、長い歴史のなかで鎖国のような閉鎖的な国策や、士農工商といった格差を制度化してきたこの国では、諸外国のようなからっとした平等なコミュニティや議論が発生することは難しい。
カラオケという文化を生んで、新橋で愚痴をサカナに酒を呑んで溜飲を下げる大人が多いこの国では、はてなブックマークのような陰湿な「ただの憂さ晴らし、揚げ足取り」の文化が生まれるのは当然であり、匿名で身を守って、卑怯な手段で陰口をたたくひとが後を絶たないのは仕方ない。
グローバル化を標榜しながら、意見を戦わせようとすると感情論になってしまったり、かというと出る杭を恐れて「和」が大事などと言い訳をして、にやにや薄ら笑いで誤魔化そうとする関係性がデフォルトでは、ネットであろうがリアルであろうが議論が発展しないのは当然だ。
日本はそういう国なのだ、とおもいます。
夢や理想も大切だけれど、安易に楽観主義をとなえるよりダメな現実を直視したい。傍観者として批判するのではありません。ぼく自身も日本人であり、ブログを書いているひとりなのだから。
ただ、ITmediaの記事を読んで直感的に感じたことは、梅田望夫さんにはそうした世界、あるいは社会全体を広く見渡す視点、高邁な志(こころざし)に欠けているのではないか、ということでした。
ブログ黎明期に、たしか茂木健一郎さんだったとおもうのだけれど、時代の変化を明治維新になぞらえて、梅田望夫さんを維新を担う人物のように高く評価したことがありました。しかし、ぼくは途中からちょっと違うんじゃないかな、という違和感をもつようになりました。梅田望夫さんの人間像が変わってきた。
ウェブにしても、はてなにしても、ちょっとした物議をかもし出した水村美苗にしても、将棋にしても、感じていることをストレートに書きます。
梅田望夫さんは、俯瞰的な視点や日本の文化を考える姿勢から、それらの話題を取り上げているのではない。そのとき「自分」にとって有用な何か、あるいは「趣味」に飛びつき、利用しているだけである。ネットに対して、日本語に対して、日本の文化の何かを担っているかのようにみえて、実は自分のことしか考えていない。自己防衛のための道具を次々と探しているだけではないか。
はてなブックマークの悪質な書き込みへの対応については、警告を発したり、削除すべきだという声もありました。ところが、はてなは対策をする、と公言しつつ何もしていない。そのことに対して彼は次のように語っています。
強権的に何かを削除するとしても、ほかのブログなら何も考えずに消すけれども、うちはむしろ、もうちょっと違うところを目指したりするじゃない。そこが原点になって何か問題が起きたときに、直接的に利用者に対して「君たちがこういう使い方をしているのは良くない」と主観でものを言うのは、はてなの取締役を辞めるまでしないということを、あの事件の時に思ったんですよ。そしたらさ、新聞記者が、「辞めてくださいよ。辞めて、その発言を日本のためにしてください」と言ったんだよ。僕は「ふざけるな」と。「どうしてそんな失礼なことを君は言うの?」と僕は言ったわけですけどね。
これを読んで素直に抱いた印象は、ちっちゃいやつだなー梅田望夫さんは、ということでした(自分のことは棚にあげます)。
こうした無責任な姿勢を「開き直り」として痛烈な批判をされていたのが、池田信夫さんのエントリーでした。これは気持ちよかった。
■梅田望夫氏の開き直り
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/54f043773c73f9c44acde62c00573094
ぼくは国民性を諸外国のようにネットが発展しない原因として感じたのだけれど、池田信夫さんは雇用システムが原因である、とされています。
私は、この原因は「日本人の国民性」だとは思わない。それは戦後の日本企業システムの鏡像である。長期雇用のもとでは、絶えず他人の噂話による「360度評価」にさらされるので、ちょっとした失敗やトラブルがあると、そのreputationが数十年にわたって社内で積み重なり、出世に大きく影響する。このシステムはモラルハザードを抑制する上では強力な効果を発揮するが、上司を批判できず転職という逃げ場もないため、そのストレスが匿名による悪罵にはけ口を求めているのだ。
雇用に関する考察がされたあとで、梅田望夫さん(と、はてな)をばっさりと斬る。その鋭さは見事です。
日本をだめにしているのは、このような日本企業の家父長的な構造と、それにチャレンジしないでストレスを飲み屋やウェブで発散するサラリーマンだ。はてなは結果的には、こうした卑怯者に「ガス抜き」のプラットフォームを提供することによって、この救いのない(梅田氏も嫌悪する)システムを延命する役割を果たしている。このアーキテクチャを個人が変えることはできないが、はてなの取締役である梅田氏には現状を改善する意思決定は可能だ。それをしないで他人事のように「残念」というのは、加害者の開き直りにしか見えない。
共感ですね。広告塔のようにしかみえなかったのだけれど、梅田望夫さんは、はてなでどんな仕事をしたのだろう。
コンサルトと経営者の違いについても考えました。一概にコンサルトのすべてがそうだとはいえませんが、コンサルタントは助言をするだけであって、経営全般にきちんと責任をもつわけではない。ある意味、「無責任」です。
コンサルタントの技術・手法として「こういう考え方がありますね、でもこうも考えられます」とオプション(選択肢)を多数提示して助言したり、あるいは「これがよくないですね、ここを変えましょう」と課題点など否定的な見解を述べることがあります。けれどもそれらは、コンサルタントの思考力の幅広さをみせるかのようで、実は「だから言ったのに」とあとで言い訳するための布石、保険のようにさえみえる。ダイレクトに業績に関わっている経営者のような視点からみると、「逃げ」に感じられるのではないでしょうか。
議論の内容ではなく個人に関していえば、期待していなかったひとに対しては失望もしません。だからあらためてインタビューから梅田望夫さんの「やっぱり自分が大事」という小市民的な姿勢を確認して、そんな無責任なコンサルタントっていそうだなあ、あれだけ立派なウェブの未来を描いておいてこれは責任がないよなあ(苦笑)と侘しくおもうだけでした。
ある意味、身近に感じたともいえます。梅田望夫さん日本のブログ界やハイブロウな世界を担う人物ではなく、いずれはロングテールのしっぽに埋もれてしまう隣人なのだと。
残念なのは日本のWebではなく、梅田望夫さん、そのひとだったのではないか。だとすると、この話はやっきになって議論するような話題ではなく、とても瑣末な個人の狭量に関する「残念」な話だったのかもしれません。
投稿者 birdwing : 2009年6月27日 23:34
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