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2009年7月11日
オンガクを楽しむ、その拡がり。
いままでクラシックには知識も関心もほとんどなく、乱暴な話、何を聴いても同じように聴こえていました。指揮者や演奏者によって大きく変わるといわれても、そんなものかなあ程度の感覚しかなかったのが実情です。どこかにクラシック音楽の"入り口"があるはずなのだけれど、高い城壁に囲まれて入ることができない。入り口がみつからない。そんなわけでクラシックを敬遠していました。
しかし、最近は、バッハのピアノ曲を聴くようになり、すこしクラシックの聴き方がわかりかけてきたような気がしています。
バッハを選んだのは、村上春樹さんの「1Q84」に影響されたからかもしれません。あるいは、作品としてはいまひとつだったけれど、何気なく観た「地球が静止する日」という映画のワンシーンに流れていたことが印象的だったのかも。バッハの音楽は情緒的には深みはないような気がしますが、クラシック初心者の自分には馴染みやすく、きれいな結晶のような旋律だと感じています。
実際にはバッハに入る前に、グールドのブラームスの曲集を買ったのがクラシックの城門に入るきっかけでした。なぜブラームスか、グールドか、といえば、輸入版をセールで1,230円で安売りしていたからです(苦笑)。情けない購入のきっかけです。とほほ。
■5月22日購入
Brahms: 10 Intermezzi for Piano; 4 Ballades Johannes Brahms Glenn Gould Sony 2002-09-23 by G-Tools |
このアルバムを聴いたときに直感的におもったのは、これクラシックじゃないんじゃないの?でした。ふつうに聴くことができる。どこかポップスのバラードのような印象がある。やさしい。易しいだけではなくて優しいという意味においても。
しばらくこの一枚に嵌まって、何度も繰り返し聴いていたのですが、ではグールドの名演奏といわれるゴールドベルク変奏曲を買ってみようと次を購入。
■6月10日購入
バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1981年録音) グールド(グレン) バッハ SMJ(SME)(M) 2008-11-19 by G-Tools |
ほんとうにシロウトな感想を書きます。まず、第一印象は、最初のアリアがゆっくり過ぎないかな、ということでした。つづく第1変奏で、いきなり力強いタッチでがーんと音量がでかくなる。録音時でしょうか、YouTubeに貴重な映像があったので取り上げてみます。
これでは眠りから覚めてしまうよ・・・と感じました。確か不眠症に悩む伯爵のために書かれた曲ではなかったでしたっけ。といっても、くっきりとした明瞭な弾き方には、なんとなく気持ちよさを感じました。クセがありますけどね。
そんな風にしてゴールドベルク変奏曲を聴いていると、やっぱり「平均律」が聴きたい!それも全曲!と衝動が湧き上ってきて、CDショップを彷徨。1巻と2巻を合わせると5000円~7000円ぐらいするのですが、超・破格な輸入版を発見。4枚で1,960円でした。ロシアのピアニストのようです。
■6月25日購入
Well-Tempered Clavier J.S. Bach RCA 1994-03-01 by G-Tools |
何度も聴くうちに慣れて逆に好きになったのですが、最初は残響音が気になりました。ザルツブルクのクレスハイム宮殿で録音されたらしく、リバーブが効いている。この録音場所が演奏に透明感を与えています。しかし、グールドの明瞭なタッチに慣れていた自分には、くぐもって聴こえて仕方がありませんでした。
なんと楽譜付きのものをYouTubeで発見。この演奏です。
ただ、やっぱり自分が求めていた平均律とは違う。どうしたものかーとおもってまた自宅近くのCDショップを彷徨ったところ、グールドの「リトル・バッハ・ブック」というアルバムに平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番ハ長調が入っていることに気づいて、こちらを購入しました。
■6月28日購入
リトル・バッハ・ブック グールド(グレン) バッハ SMJ(SME)(M) 2008-11-19 by G-Tools |
聴いて驚いたのは、リヒテルの演奏とぜんぜん違う。
5番目の音をスタッカートというか、はずむように弾いていて、流れるような分散和音になっていない。びっくりしました。楽譜には書いていないのだとおもいますが、こういう風に解釈しちゃっていいのだろうか、と。これがグールド版です。リヒテルのものと聴き比べると違いは明瞭ではないでしょうか。
中島義道さんの「哲学の道場」という本には、「哲学者は作曲家というよりむしろ演奏家」として、次のようなピアニストの特長が書かれていました。以下、引用します(P.131)
(いずれも旧い人で恐縮ですが)ホロヴィッツのように神経剥き出しの超絶技巧的演奏もあり、ルーヴィンシュタインのように王者のような貫禄の華麗な演奏もあり、ハスキルのように清楚な気品に満ちた演奏もある。ポリーニのようにねっとりした正確無比の演奏もあり、バックハウスのように荘重で生真面目な演奏もある。コルトーのように典雅で叙情的な演奏もあり、ギレリスのように情熱的で強烈な演奏もある。ギーゼキングのように透明で硬質な演奏もあり、グールドのように神がかった魔力的演奏もある。こうした優れたピアニストに共通のものとは何でしょうか。それは、――月並みな言葉ですが――高度の技巧に支えられたその人の個性が輝いている演奏ということになりましょう。同じ意味で、ヴィトゲンシュタインにせよベルクソンにせよハイデガーにせよ、それはそれは優れた演奏家です。
哲学の道場 (ちくま新書) 中島 義道 筑摩書房 1998-06 by G-Tools |
いわゆる哲学者の表現であり、クラシックのファンからすると、いやそうじゃないという解釈もあるかもしれません。けれども、中島義道さんが書いているように、それぞれのピアニストの個性を味わいながら楽曲を聴く、というのがクラシックの楽しみ方のひとつなのかなと考えました。
「神がかった魔力的演奏」と書かれたグールドは、かなり個性的なひとだったらしく、読み終えたばかりの「人生を<半分>降りる」には「グレン・グールド 孤独のアリア」から以下のような引用もされています(P.195)。
生涯を通じて彼はあまりものを食べなかった。実際ほとんど何も口にしなかったといってもよい。多くても一日一回だけで、けっして肉は口に入れなかった。野菜も同様だ。「野菜は呪われている」と彼は言っている。
距離は何色をしているのだろう。グールドは色彩を嫌った。派手な色の部屋の中では仕事もできないし、明晰な頭脳のはたらきも保てないのだった。グレーと暗いブルーならばどうにかこうにか我慢できた。陽の光は彼を悲しい気分にさせた。
人生を「半分」降りる―哲学的生き方のすすめ (ちくま文庫) 中島 義道 筑摩書房 2008-01-09 by G-Tools |
グレン・グールド 孤独のアリア 千葉 文夫 筑摩書房 1991-02 by G-Tools |
変人ですね(苦笑)。
けれども超・個性的といえるでしょう。芸術家気質ともいえます。もしピアニストではなかったなら、かなり生きにくい人生を歩んだかもしれません。
個性が表現になります。そして、その背景には人間性がある。演奏を聴きながら音のなかに内包される演奏家の生き方を感じ取り、あるいは時代について想像をめぐらせ、また演奏を聴く。さらには可能であれば、楽譜を入手して、その記号から生み出される音を検証する。あるいは、同じ楽曲の別の演奏家の音楽を聴いてみて、個性の違い、解釈の違いを楽しむ。他の音楽でも同様かもしれませんが、特にクラシックでは、そんな音楽の楽しみ方が可能になるとおもいました。
さらにいえば、ピアノの楽器としての鳴り方、ホールやスタジオなど、どこで録音されたか、いつ録音されたかによる違い、楽譜の1音ごとの解釈の仕方などにも違いがあるでしょう。難しいかもしれませんが理論を学べば、構造的な理解の楽しみかたもあるかもしれません(恥ずかしいのですが、フーガってなんだっけ?と平均律を聴きながら考えています)。量をたくさん聴くだけでなく、一枚をじっくりと聴き込む楽しさもある。
音楽を無限に楽むことができるような気がしてきました。オンガクを楽しむ拡がりを感じています。
投稿者 birdwing : 2009年7月11日 17:27
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