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2005年11月 7日

ドーナッツ理論。

最近、ドーナッツを食べる機会が多くなりました。家に帰ると、動物のキャラクターの箱が、ぽんとキッチンのテーブルに置かれている。ライオンやエリマキトカゲのたてがみがドーナッツになっている、というあれです(どこのドーナッツか、すぐにわかりますね)。おやつには最適かもしれませんが、ビールを飲んだあとでドーナッツを食べないようにしてください。気持ち悪くなります。そんな食べ方をするのは僕だけかもしれませんが。いや、ほんとうに気持ち悪くなったので、ご注意を。

ドーナッツといえば、村上春樹さんの小説、「ツインピークス」のクーパー捜査官などなど、ぼくの知人たちはブログでいろいろな連想を広げていました。そんなわけでぼくの頭のなかにも、ドーナッツが居残りつづけたのですが、今日書こうと思っているのは、食べ物のドーナッツの話ではありません。

どちらかというと、コピー論にも近いのかもしれない。とはいえ、ぼくはコピーライターではないので、あくまでもなんちゃってコピー論というか、ブンガク論というか、ビールを飲んだあとにドーナッツを食べたおろかもののたわごとというか、そんな感じです。ひとことで言うと

「中心を書かない方が、おいしい」

ということです。

と、そんなことを書くと、インテリな方は、ポスト構造主義あたりで使われた中心と周縁などの思想をぽっと思い浮かべたりするかもしれませんが、僕の考えることはそんなに難しいことではなくて、魅力のある言葉って中心よりちょっとずれている方がいいんじゃないか、ということです。

インテルのCMだったかと思うのですが、電話をかけている男の子がいて、どうしても告げたい言葉があるのだけど、言えなくてもじもじしている。そのとき窓辺のサボテンがぴゅっと針を飛ばして、あいてーっと叫ぶ。すると、電話の向こうの彼女が「あたしも。あたしも会いたい」という。

このときに、「好きだー」という直接的な言葉、つまりダーツで中心を射抜くようなストレートな表現よりも、「会いたい」という風にちょっとずれたところにある言葉の方が、広がりや趣きがあっていいんじゃないか、と思うわけです。

例えば、こんなポップスの歌詞があるとします。

君に会いたい。
呼吸ができない。
君のいない部屋は酸素が足りない。

この3行が何を表しているか、分析してみると以下のようになります。

君に会いたい。=感情
呼吸ができない。=身体的な状況
君のいない部屋は酸素が足りない。=環境

それぞれの中心にある感情をあらわす言葉を引っ張り出すと、

(君に会いたい)好きだ。=感情
(呼吸ができないぐらいに)苦しい。=感情
(君のいない部屋は酸素が足りないと感じられるほど)寂しい。=感情

これはもう感情の羅列で、べたべたすぎる。

アイドルの歌謡曲であれば、そういう風に感情ばかりの直球ストレートな歌詞の方がよいかもしれませんが、奥行きがないですよね。なんか、砂糖と油でべとべとしたドーナッツみたいな印象がある。この、もちもち感が好き、という方もいるかもしれませんが、ぼくはあっさりのシナモンタイプなので、ちょっとひいてしまう。

感情は大事だと思うのですが、感情との距離のとり方が、曲の立体感を出すのに必要かもしれない。ぼくのこころのなかに居残ったドーナッツの幻影が、そんな考えを広げてくれました。だからといって、何かに使えるというわけじゃないんだけど。

+++++
「酸素が足りない」という歌詞をVocaloidという歌うソフトウェアに歌わせた、へんてこな曲を聴きたい方は、こちらへ。

■Oxygen
http://www.muzie.co.jp/cgi-bin/artist.cgi?id=a024420

投稿者 birdwing : 2005年11月 7日 00:00

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