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2006年1月16日
この質感がクオリアかも。
昨日、休日出勤&終電近くまで残業ということで、深夜の雨上がりの道をとぼとぼと歩いて帰ったとき、iPodでいつものようにブリティッシュロックを聞くのではなく、バッハの無伴奏チェロ曲を聴いてみたところ、ものすごい崇高な感じがしました。ひんやりとした雨上がりの空気が結晶化して、さらに透明度を増したような感じです。氷を飲み込んだときの喉の感じ、という気もします。最近、茂木健一郎さんの本にはまりまくっているのですが、このとき感じた気持ちの質感がクオリアなのかもしれない、と思いました。
同様の質感があるものを考えてみると、プリファブ・スプラウトの「アンドロメダ・ハイツ」というアルバムがあります。ぼくにとっては、そのアルバムも透明でひんやりとした同様の質感を感じられるものです。ちょっと変わった曲が多いので、全部を聴くのはしんどい気もするのですが、1曲目の「エレクトリック・ギターズ(とかいいながら、アコースティックギターのイントロからはじまる)」、2曲目の「ア・プリズナー・オブ・ザ・パスト」のあたりは秀逸です。
といっても、えーそうかな?と思うひともいるはずです。この印象を共有するのは結構難しいものです。言葉にすればするほど、なんか違うぞ、という違和感が強くなっていきます。ものすごく個人的な印象かもしれない。とはいえ、このうまく言い表せない個人的な印象こそが、クオリアであり、大事なものかもしれません。意味づけたり構造化したり解体したり、ということではなく、創造的なものを生み出す原動力になるのかもしれません。ということを「クオリア降臨」という本で読んだばかりなのですが。この本も最初の章からぼくはがつんとやられた感じがしました。このことを言いたかったのに言われちゃったか、という感じでした。今週は超多忙につきゆっくりと吟味できないのですが、また落ち着いたところで取り上げたいと思っています。
ところで、よしもとばななさんも「アンドロメダ・ハイツ」というアルバムが好きなようですね。「王国―その1 アンドロメダ・ハイツ―」という小説があります。冒頭には歌詞が掲載されていたようなきがします。まだ読んだことがないのですが、いつか読んでみたいと思っています。
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■パディ・マクアルーンはブライアン・ウィルソン大好き、ということをどこかで聞いた覚えもありますが、まさにこのアルバムはブライアン・ウィルソン的です。とりとめがない部分も含めて。
アンドロメダ・ハイツ パディー・マクアルーン エピックレコードジャパン 1997-05-28 by G-Tools |
■どんな内容なのでしょうか。よしもとばななさんだったらこう書くだろう、などということを想像してみるのですが、想像もつきません。きっと彼女がプリファブ・スプラウトのアルバムを聞いたときの印象を小説に展開したのではないか、と勝手に考えています。
王国―その1 アンドロメダ・ハイツ― よしもと ばなな 新潮社 2002-08-22 by G-Tools |
投稿者 birdwing : 2006年1月16日 00:00
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