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2006年1月17日

モノフォニックな思考。

ほんとうは「忙しい忙しい」なんてことは書きたくないんだけれど、どうしても忙しいと「忙しい」ということを書いてしまいます。忙しいときにこそ、こころに余裕を持って忙しくないようなことを書いていたいのですが、なかなかそうはいかない。たとえば自動車を運転していて速度を上げていくと、次第に視野は狭まっていく。目の前のちいさな視界に飛び込んでくるものしか見えなくなって、それ以外のものは見過ごしてしまう。今日の空が青かったかどうか、歩道の脇のちいさな花がつぼみを開いたかどうかなんてことは、まったくどうでもいいことのように思えてしまうものです。それでいいのか?とちょっと考えてしまうのですが。

そんなことを考えていたら、モノフォニックな思考という言葉を思いつきました。単一な思考というイメージです。対する言葉としては、ポリフォニックな思考でしょうか。シンセサイザーにも、ひとつの音しか出ないモノフォニックなものと、和音を弾くことができるポリフォニックなものがあります。もちろん和音を弾ける方が、音としての広がりは生まれる。けれども、モノフォニックはつまらないかというとそんなことはなくて、単音だけど分厚い音を出すことができます。

いまぼくは茂木健一郎さんの本ばかりを読んでいる状態です。ほんとうはリリー・フランキーさんの「東京タワー」も読みたいのですが、こちらはじっくり読みたいので保留、ということにしています。茂木さんの本は「脳と創造性」、「脳と仮想」、そしていま「クオリア降臨」という順に読み進めてきました。漱石から綿谷りささん、ぼくも好きな保坂和志さん、ブログで取り上げた柴崎友香さんの「きょうのできごと」をはじめ海外の文学まで網羅し、さらに音楽や小津安二郎監督の映画まで言及する茂木さんの文章は、まさにポリフォニックという感じなのですが、海に飛び込むペンギンのエピソードなど何度も出てくるテーマもある。ワンパターンだ、ということもいえなくもないのですが、違う文脈(というか書籍)のなかで語られることで、読んでいるぼくのなかには分厚いイメージとして蓄積されていく。

新しいことが大事なのかどうか、という疑問もあります。同じことを何度も繰り返すこと、同じ穴を何度も穿つこと。おまえってそれしかないの?といわれても、ずーっと続けること。かっこよく言ってしまえば道を究める、ということもいえるかもしれないのですが、何かひとつのことに打ち込むことによって、同じ「あ」という言葉でも、音の深みも強さもまったく変わってくるのではないでしょうか。一方でちょっとだけかじった知識から発話した言葉は、薄っぺらなものです。仕事の上で、コンセプトやら、訴求やら、方向性やら、マーケティングや企画の用語を使うことも多いのですが、その言葉はほんとうに重みがあるのか?きちんと意味や背景の重みを背負って使ってんの?ということを考えました。できれば饒舌ではなくてもかまわないから、自分という人間の根っこにあるところから発した言葉を使いたい。世のなかってこんなもんだろう、だから気持ちのいい言葉を使っておくか、というのではなく、たどたどしくても(ときには不快であっても)寡黙でもいいから、自分の言葉で話したい。

太く、力強い言葉を使いたいものです。

投稿者 birdwing : 2006年1月17日 00:00

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