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2006年7月10日

共感と聴く力。

いま読み進めている海原純子さんの「こころの格差社会」という本は非常に示唆に富んでいて、深く考察すべきテーマがたくさんあります。

4047100439こころの格差社会―ぬけがけと嫉妬の現代日本人 (角川oneテーマ21)
角川書店 2006-06

by G-Tools


あまり楽しいタイトルではないと思い、どちらかといえば読まないようにしていた類の本ですが、示唆を受けた部分について書いてみます。

まず、現在の社会の問題は、「勝ち組」が支配し、彼等がリーダーシップを取る社会であることが問題であると海原さんは指摘します。何が問題かというと、勝ち組には「聴く姿勢」や「共感」する心が欠けている。つまり、弱者のありのままの姿をみることができない。努力しても報われないひとたちの「無念」がわからない。勝ち組になれないのは努力が足りないからだろう、と考えるわけです。しかしながら、勝ち組であるひとたちには、実は自分の力で勝ち抜いてきたのではなく、「透明なあげ底」があるとします。

わかりやすい例を挙げると、たとえば医者になろうと考えたとき、どんな家の人間も医者になれるわけではない。なれるかもしれないけれど、現実問題として、まず金銭的に裕福でなければ、医者になるための教育を受けられないわけです。スタート時点から「あげ底」で差がついている。そのことに気づかずに、自分の力で医者になれたと勘違いする。無意識ではあるけれど、その格差があった時点で既に他者を理解しない権力的な心を生むというわけです。

ちょっと過激だなと思ったのですが、「勝ち組」が支配する社会は犯罪や問題が多くなるそうです。アメリカに犯罪が多いのも勝ち組が支配する格差社会だからかもしれません。パワーで支配するひとたちは弱者(負け組)の気持ちを理解しません。弱者は努力しないからそうなったんだ、と思っている。権力で支配しようとする勝ち組は一方的に話すばかりで、きちんと誰かの話を聞こうとしない。そこにコミュニケーション不全が生まれる。だから負け組は自分を主張できずに、抑圧された怒りが蓄積されやすい。それが爆発したときに、犯罪や暴力、テロにもなると指摘されています。

同時に「集団思考」の危険性も指摘されていて、「反対意見をじゃまにして、それを口にするものを排除したり出世できなくする」ような「一枚岩の組織」は、どんなに優秀な人物を集めたとしても失敗する(P.125)。権力で批判を封じ込める世界は不健全になっていく。勝ち組が一方的に権力をふるう世界は、みえない歪みを進展させるわけです。

いっそのこと政治家は「勝ち組」である一流大学出身者は禁止、という制度を作ったほうが世のなかはよくなるのではないか、ということも考えてしまったのですが、それは負け組の遠吠えかもしれません。

そんなことよりも個人的にぼくが注目したのは、ダニエル・ピンクさんの「ハイコンセプト」で語られていた、これからの時代に必要な能力である「共感」というキーワードや、ここ数日、個人的に関心のあったコーチングにおいて非常に重視される「聴く力」が、再びこの本のなかでも取り上げられていることでした。

勝手な思い込みかもしれませんが、現代社会の問題と、未来をよりよく変えていくための方策というのは、どうやらさまざまなひとの主張が重なりつつあるような気がします。多くのひとたちが現在問題になっていることの根幹をわかりはじめていて、その解決方法にも気づきはじめているように感じました。

ところで、話題を少し変えるのですが、どんな人間でも「勝ち組(=権力のパワーを駆使するもの)」になる場合があります。それは「親」として「子供」に接する場合です。

子供に何かを教えていると「どうしてそんなのもわからないんだ!」と苛立つことがあるのですが、わからない、できない弱者が子供です。身体的にも精神的にもでかい親が強者なのは当たり前で、子供を支配するのではなく、やろうとしてもできない「無念さ」を「共感」すべきです。自転車だって、大人になったいまでこそ簡単に乗ることができるから乗れない子供の気持ちがわからなくて、どうして乗れないんだっ!などと不条理にも叱ったりします。でも、コツをつかむまでは、たとえ頑張って努力したとしても、乗れないものは乗れない。ありのままに、その事実を認めることが必要です。

そんなことを反省しつつ、日曜日に長男の勉強をみてあげたのですが、さすがにコーチングを学ぶとなんとなく雰囲気が違ったような気がしました。もちろんぼくだけがそう感じていたのかもしれませんが、「彼のなかに答えがある」と信じていると、沈黙も苦になりません。たぶん力が抜けているからか、長男も安心していろんなことを話してくれる。やがて自分で答えをみつけていました。

子供のなかには未来の可能性が埋まっていて、それを取り出すことが親の役目だと思います。ちょうど、木のなかに埋まっている仏像を取り出す仏師のようなものです。

授業でもじもじして手を上げられなかったり、50メートル走で4番だった息子をみると、なんとなく親であるこちらまでしゅんとしてしまうのですが、世間的なモノサシで彼をみようとするから心が痛むのであって、いや、もっとよいところがうちの息子にはあるんだ、と信じていることが大事でしょう。そうすれば、きっと彼も変わるはずです。成長しなければならないのは、子供より親なのかもしれません。

海原純子さんの「こころの格差社会」という本は、引用されている寓話もすばらしい。イメージが広がります。また別の角度から引用しつつ何か書いてみたいと思っています。

投稿者 birdwing : 2006年7月10日 00:00

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