« 共感と聴く力。 | メイン | 闇に聴こえる音。 »

2006年7月11日

メディアに力はあるのだけれど。

格差社会について昨日ブログで書いていたところ、会社からの帰りに駅の売店で日経ビジネスの表紙に「日米欧総力取材 格差の世紀 Global Gapitalismを誰が止めるか」というタイトルをみつけて、つい買ってしまいました。Gapitalismという造語はどうかと思ったのですが。

しかしながら、読んでちょっとがっかりしました。600円も払って、もったいなかったなと後悔しています。ブログなので思ったことをストレートに書きたいと思うのですが、内容が薄っぺらな気がしました。たかが16ページの特集なので、深い考察まで踏み込めないのかもしれませんが、これが「総力取材」なのでしょうか。大文字の言葉で語られているけれど、あまり目新しい見解はありません。たとえば「激しさを増す企業間競争」。そう書いてしまうともっともらしいのだけど、あまりにも大きな括りすぎて、何がどのように激しさを増しているのか焦点が定まらない感じです。それでも大変そうだ、という気持ちは伝わってくるのですが。

マスメディアは気楽なものかもしれません。煽ればいいだけなので。

しかしながら、その格差社会で生き抜かなければならないのは、いったい誰だろうと思う。

結局のところ、この特集記事において、未来への展望を感じさせる記事はまったくありませんでした。煽られている気持ちはあります。厳しい社会がくる、と脅されている感じもある。しかし、未来への構想は、ほとんどありません。しいていえば「格差資本主義に抗う英知を」という特集最後の2ページで、もう現役を退こうとしているビル・ゲイツ氏を登場させて、「その未来図を書き換える英知が我々にあるのだろうか」で結んでいるところでしょうか。とはいえ、非常に曖昧で悲観的な推測です。結びとしてはあまりにも弱い気がします。

このような危機感を煽るだけの薄っぺらなメディアの記事を読むぐらいであれば、むしろブログを読んだほうがよい、などという極論を考えました。地面を這うようなブログの英知のなかにこそ、未来を感じさせる何かがある。現実を生きているひとたちの言葉があります。

手を抜いたわけではないだろうけれども、なんとなく納得できない特集記事のために、600円という小遣いをはたいて買わされてしまうと、だからブログは新聞を殺すなんてことも言われてしまうんだと、なんとなく冷たい批判も生まれてきます。恐竜のような古びた言葉をたいそうに繰り返されても、ぼくの知的欲求はあまり満たされないようです。煽るのはほんとうに簡単だと思います。けれども展望や構想がなければ、読む気持ちも失せてしまいます。

これも日経という勝ち組メディアの奢りなのかもしれないな、と感じました。

三重県亀山のシャープの工場における非正社員の急増と労働者の使い捨てという記事から特集は始まるのですが、この記事においても、記者のまなざしに「無念さ」に対する「共感」が感じられません。というのは、その後に「格差論は甘えです/ほとんどがぜいたく失業/やりたい仕事と能力は別」という、ザ・アールの奥谷禮子さんのインタビューを配置しているからで、これは編集の暴力のようにも思えるのだけど、「やる気があれば何でもできる社会ですよ」と言い切ってしまう奥谷さん自身がもはや勝ち組の発言で、その権力的な言葉こそが格差社会を加速するものではないかと思いました。ウォルマートの抱えている問題も、なんとなくもう一歩先にある核心に触れていない印象がありました。

しかし、ぼくがそのように書かれた記事の背後を過剰に読み取ってしまうのは、「こころの格差社会」という海原純子さんの本を読んでいたからかもしれません。もし、海原さんの本を読んでいなければ、ああ大変な社会になるんだ、頑張らなくては、と思ったかもしれない。そもそも、ジャーナリズムはいま世界で起こっていることを伝えるのであって、これからあるべき姿については触れられないものです。しかし、「こころの格差社会」を読んで、権力がもたらす問題を意識し、あらねばならぬ的な思考を離れて二者択一的な考え方を捨てて考えてみると、このようなメディアの権力的な言葉にこそ抗わねばならないのではないか、という気持ちも生じてきます。つまり無意識的に、格差社会のぼんやりとした幽霊(ゴースト)を実体化させてしまう恐れもある。

実は今日は、ほんとうは「こころの格差社会」という本から、勝ち組ではなく負け組がしあわせになる方法、自分らしさを追及することの誤解と前向きにとらえた考え方、老子に学ぶしなやかな生き方などについて書きたかったのですが、つい雑誌に刺激されてしまって、感想を述べてみました。怒りに任せて書いた印象もありますが、別に怒っているわけではありません。

プロのメディアには、ブログが到底及ばないような、それこそ「総力取材」という力があると思います。なんとなく現状をまとめた記事ではなく、プロならではの深い洞察に満ちた記事を読みたいと思っています。

と、言いたいことを書いてしまいましたが、メディア批判をするにはまだまだ勉強が足りません。さまざまな本を読みつつ、考えを深めていくつもりです。

投稿者 birdwing : 2006年7月11日 00:00

« 共感と聴く力。 | メイン | 闇に聴こえる音。 »


トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://birdwing.sakura.ne.jp/mt/mt-tb.cgi/441