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2006年7月16日

しなやかさについて。

こだわりが重要ではないかと思っていた時期もあるのですが、最近は、こだわらなくてもよいのではないか、という感じです。こだわるよりむしろ「夢中」になっていたい。寝食を忘れて何かに打ち込むことができることは、しあわせじゃないだろうか。しかしながら、夢中になって他の何かを損なってしまわないように気をつけたい。何かを損なうぐらに夢中になることが、ぼくの考える「こだわること」という印象に近いのですが、それは「執着すること」かもしれません。夢中にはなりたいのだけど、執着からは自由でありたい。そして、いちばん面倒なことは、他人から縛られることではなく、自分で自分の思考に限界を作って思考を縛り付けてしまうことです。

という意味ではバランスが大事、ともいえるのですが、バランスといってしまうと何かぼくが言いたいニュアンスから遠ざかってしまう。たとえば感情に関して言うと、怒らなければならない場面で怒りを抑えて笑っていることは、バランスがあるとはいえないのではないか。それは感情の抑圧であって、抑圧された感情はどこかに悪影響を与えてしまうものです。身体かもしれないし、精神的なものかもしれない。抑圧されると心理学的には表情がなくなるようで、海原純子さんの本でそれを「よろい」と書いているのだけど、男の美学のようなものでがんじがらめになって、よろいをかぶって生きていくことが、実は自分だけでなく家族にもコミュニケーション不全を起こす要因になるようです。

とはいえ、ピークメーターを振り切るような感情を露出すればいいというものでもありません。トレンドの話題は避けていたのですが、サッカーのワールドカップでジダンが頭突きをしました。うーむ、見事な頭突きだ、と感心したのですが、一瞬後に、これは格闘技じゃなかったよね?とふと思った。どんなに汚い言葉をかけられたとしても、サッカーにはサッカーのやり方があるわけで、その怒りを感情に任せて暴力をふるうのではなく、ゲームの攻撃に込めればよかったのに、と思う。と、あまりにも当たり前の正論なので自分でどうかとも思うのですが、よい仕事をすればくだらないやつの言葉なんて霞んでしまうものじゃないだろうか、と。

頭にきたから頭突きした、頭にきたから批判した、頭にきたから人を刺した、頭にきたから戦争だ、というロジックは成立しないと思います。成立しないのだけど、同質化を重視するような右にならえの世のなかでは、成立しないようなことも大きなうねりのなかに飲み込まれてしまう。他のやり方がなかっただろうか、という選択肢がみえなくなる。執着する心は、ひとつ間違えると、とんでもないパワーで人間を意図しない世界に運んでいってしまいます。だから個としての自分を持たなければならない。

ただし、その個も流れに逆らって頑なに踏ん張って自分の場所を守るのではなくて、しなやかであればいいと思いました。やはり海原順子さんの「こころの格差社会」に孟子第76章の次のような言葉が引用されていました(P.76)。

人は生きているときは柔らかで、しなやかである。しかし死んだらこちこちになり、かさかさになる。
草にしろ木にしろ、何もかも生きているときは柔らかで、しなやかであるが、死んだらひからびて、かさかさになる。こちこちして堅いものは――死の仲間であり、柔らかくしなやかなのは――生の仲間である。それゆえ暴力は真の勝利を収めえない。

よい言葉だと思います。孔子、老子、あるいは菜根譚を読み漁っていた時期があるのですが、あらためて上記の言葉は心に染みました。執着があると心が硬くなる。心が硬くなると身体的にも緊張があり、それは決してよいことではない。死の兆候ともいえるわけです。

感情に関しては、海原さんは以下のようにも書いています(P.161)。

感情を表現する、ときくとすぐに激怒、激情を連想する人は、平素感情の抑圧をしつづけている人である。先日あるラジオ番組で「感情」をテーマにしてトークを行ったところ、「私は感情をさらけ出すのははしたないし嫌いだ」という反応を中年男性からいただいた。
感情に対して、抑圧か、さらけ出すかという二者択一的反応は危険である。感情こそ、上手に伝える、表現する、という姿勢が大切なのである。

嫌いなものは嫌いだと言えばいいし、美しいものは美しいと言いたい。ただ激情は抑え気味にして、相手に伝わるように表現することが大切です。プライベートなことになりますが、徹夜の看病のあと、3歳の息子が病院に入院することになったとき、暴れて号泣する息子の声を聞いていたらぼくは涙が止まらなくなってしまった。そのときにハンカチをくれた奥さんには何かが伝わったような気がしました。あのとき、男だからかっこ悪いなどと頑張ってしまっていたら、ぼくは頑張ることで、もっと大切な何かを損ねたような気がします。

頑張らなくてもいいんじゃないでしょうか。肩の力を抜いて、深呼吸しつつ。

投稿者 birdwing : 2006年7月16日 00:00

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