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2006年9月11日

自分OSをつくる。

ものすごいカミナリと雨のために明け方叩き起こされて、寝不足と体調不調のままつらい一日を過ごしながら、ああ今日は9・11だと思いました。あれから5年になるのか。はやいものです。地下鉄の駅で電光掲示された時計に目をやったところ、まさに19:11でした。ちょっとした偶然を楽しみつつ、5年前の今日から3日後、ぼくの父親は脳梗塞で倒れたことをぼんやりと思い出しました。テロと父の死は、ぼくのなかでは密接に重なっています。もしかするといまでもどこかに影を落としているのかもしれません。

といってもLife goes onというか、ぼくの毎日は容赦なくつづくわけで、立ち止まっているわけにはいきません。ブログを書くこと、書きつづけることがどういうことなのか、ということを常に考えつつ書いているわけなのですが、最近、さまざまな方々から刺激もいただいて、うまい具合に思考をドライブできるようになった気がしています。

ブログとは何か、ということを考えてみたのですが、さまざまなひとが、さまざまな目的でブログを書かれているかと思います。そして、ぼくの場合には、

「自分OSをつくる」

という目的のために書いているのではないか、と思いました。

OSというのは、オペレーティング・システムの略であり、要するにWindowsとかMac OS Xとか、Linuxなどのようなものです。

人間の思考をOSと言ってしまうことには抵抗もあって、今週にはIPOも予定されているかつてのイー・マーキュリー(現在はミクシィ)が会社名を変更するとき、mixiは事業のOSである、という方針を出したことがあり、なんとなく抵抗を感じたことを思い出します。ただ、その考え方は非常にわかりやすいと思います。そんなわけでOSという比喩を使ってみるのですが、OSだけでは何もできません。その上にアプリケーションがのらないと何もできない。けれども、一方でどんなアプリケーションものせることができます。ビジネス用のワープロをのせることもできれば、音楽制作ソフトを使うこともできる。可能性が開かれています。

大前研一さんの「ザ・プロフェッショナル」という本を読んで感じたことが、まさにこの「OSの上にどのようなアプリケーションをのせることも可能である」ということでした。

4478375011ザ・プロフェッショナル
ダイヤモンド社 2005-09-30

by G-Tools

かつては命令にしたがって専門的な能力を発揮するスペシャリストが求められていました。ところがこれからの時代では、環境の変化にしたがって自分で考え(アプリケーションを切り替えて)力を発揮できるフレキシブルな能力を持ったプロフェッショナルを求めている、というようなことを述べられています。自分OSとは、思考のフレームワークともいえるのですが、自分なりのパターン認識や処理の高速化をしていれば、どんな環境にあってもフリーズせずにさまざまな創造的な仕事ができるのかもしれません。

自分OSをブログに求めたとき、それはオープンソース的なものになると思います。基本的には自分ひとりで思考を構築していくのだけど、ネットで公開している以上、コメントをいただくことによってバグを修正することもできる。感情的に暴走したとしても、批判によって食い止めてくれるひとが出てきてくれるかもしれない。とてもありがたいことです。そんな反応をいただくことによって、自分OSを改良し、よりよいものに向上させることができます。

最近の技術では、仮想化(Virtualization)が注目を集めていますが、この動向も技術だけでなく考え方自体に興味深いものを感じました。

仮想化とは、乱暴に言ってしまうと、ひとつのマシンのなかで複数のOSを起動できるようにすることです。一般的にはWindowsとLinuxを立ち上げるなど、異なったOSを立ち上げることが考えられますが、ぼくが注目しているのは、同じOSをふたつ起動して、ひとつは利用者からはみえないバックエンドで監視用として動かす、という使い方です。

つまりユーザー側からみると、ふつうのPCを使っているようにみえる。ただ、クライアントマシンのなかでは、ユーザーにはみえない監視用OSが立ち上がっていて、たとえばネットワークからウィルスなどの攻撃があったとすると、そのOSが自律的にマシンをネットワークから隔離して、ユーザーの領域を守る、ということができるようです。

これは考えてみると、人間に近いものがあって、監視用OSの働きは人間の脳における「無意識」なのではないか、と考えました。無意識の働きはものすごく大きいものです。直感によって、なんとなく虫の知らせとして意識に表れてない脅威から自分を守ってくれることがあります。さすがに直感を再現するところまで技術は追いついていないのかもしれませんが、パソコンはどんどん人間の脳に近づいているような気がします。

ところで、再び自分OSの話に戻るのですが、このOSをバージョンアップさせていくためにはどうすればいいか、というと、これはもうこつこつと積み上げていくしかない。とにかく一行でもいいから、毎日ブログを書くことです。この積み上げることの大切さについて面白いと思ったのは、いま読んでいる(P.74のあたり)「「脳の鍛え方」入門」という本に書かれている池谷裕二さんの見解でした。この本はプレジデントの記事をまとめたものですが、各界のできる方の仕事術などがあって、とても参考になります。

4833450232「脳の鍛え方」入門―40歳を超えてから頭は良くなる! (PRESIDENT BOOKS)
プレジデント社 2006-07

by G-Tools

仕事は区切りのいいところではなく先読みしてちょっと先の仕事をやっておくと、眠っている間にも意識は処理してくれるので効率的という話とか(眠っているあいだにコビトが仕事してくれるといいのに、と思っていたので、ああ脳のなかにコビトさんはいたのか、と思いました)、先日ブログにも書いたセレンディピティ(serendipity:「偶然から思わぬものを発見する力」)などもあって参考になります。そしてセレンディピティを池谷さんは「誰でも知っていることの中に重要性を発見する力」と定義して、次のように書いています(P.25 )。

では、脳の中の神経細胞はどうすれば繋がるのかといえば、外から入ってくる刺激が多いほど、繋がることがわかっています。このことは、アメリカの生物学者ゲイジの研究によって明らかにされています。

ネズミを遊具のある環境とまったくない環境においたとき、遊具のある環境の方が海馬の神経細胞が15%も多くなったそうです。このように一点集中ではなくて分散された刺激を楽しむことが大事であり、蓄積された「手続き記憶」が力を伸ばすということが書かれていました。手続き記憶というのは、「自転車の乗り方」のようなもので一度覚えてしまうと意識しなくてもできるようになる記憶らしい。そして、手続き記憶はインプットの量によって「"べき乗(累積)"で増える」そうです。以下、引用します。

さて、この手続き記憶は「"べき乗(累積)"で増えるという性質を持っています。Aを覚え、次にBを覚えると、A、Bそれぞれの手続き記憶が相乗効果を起こして、それぞれの理解を一層深めます。これを「事象の連合」といいます。
この事象の連合が起きると、二つ覚えたことが四つ(二の二乗)になり、次には八つ(二の三乗)になるというように、勉強の成果が幾何級数的なカーブを描いて上昇します。

そうして次のように結論します。

つまり、凡人でもたゆまぬ努力を続けていれば、爆発的に能力がアップする瞬間が必ずやってくるのです。

凡人であるぼくにとっては、非常に勇気づけられる言葉でした。

かつて、「はじめの一歩」というマンガを引用して、野生的な天才チャンピオンに立ち向かう鷹村が最後に勝てたのは、意識がなくなっていても日々の練習によって積み重ねられたフットワークを身体で覚えていて、その身体が覚えていた力が圧倒的に効いた、という日記を書きました。そして、こつこつ積み上げることが大事である、ということを認識したのですが、あらためて自分OSを向上させるためには近道などはなく、日々考えつづけること、書きつづけることなのかもしれないな、と思っています。

この積み上げたOSの上に、どんなアプリケーションをのせるか、ということが重要なんですけどね。ただ、今日のエントリーで書いた方向性としては、ぼくのブログは完成されている必要はなく、むしろとんでもないカオスであってもかまわない。そして、多様性に開かれていた方がよいのかも、などと考えています。

投稿者 birdwing : 2006年9月11日 00:00

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