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2006年11月 5日

「その日のまえに」重松清

▼book06-075:読了できなかった理由は・・・。

4163242104その日のまえに
文藝春秋 2005-08-05

by G-Tools

購入したのは半年ぐらい前だと思うのですが、読了したのは先日です。もちろんぼくは小説を読むスピードが遅いということもあるのですが、それにしても遅すぎる。実はそのスローリーディングには理由があって、3ページ読んでは涙ぐんでしまうからなのでした。

そんな過剰に反応する感情的なひとはたぶんぼくぐらいだろうと思うのですが、ちょうど剥き出しの傷口に刺さってくるような言葉で、ひたすら痛い。多少センサーの感度を落として読めばいいと思うのですが、フルオープンで読んでしまったので、それはもう痛いのなんの。何度か電車に持ち込んだのですが、電車のなかでうるうるしている気持ちの悪いおやじになってしまうので、ぼくの前に立つひとから怪訝な顔でみられてしまい、やめました。

「その日のまえに」は余命数ヶ月と宣告されたひとたちを中心に、どうしようもない運命に翻弄される人間模様の短編集です。最後の「その日のまえに」「その日」「そのあとで」という三部作に、その他の作品の主人公も関連していきます。考えてみると、ぼくが観ている映画にはこのテーマのものが多い。「死ぬまでにしたい10のこと」「ぼくを葬る」「いつか読書する日」など。死について考える傾向が高まっているのでしょうか。

「その日のあとで」で、ガンで妻を亡くした主人公が、彼女が死んでから三ヶ月後に妻の手紙を読む場面があります。長い手紙を何度も書き直したあとで、最終的に妻が主人公に残した言葉にまいった。これ、ひとことなんだもん。ふつう遺書というと長い手紙を思い浮かべるじゃないですか。とても長い文章を想像していたぼくは、電車で読んでいて、すとんと落とされたような気がして、まずいと思って即行で本を伏せました。そして家に帰って深夜に読んで号泣しました。シンプルな一行の言葉なのですが、この言葉はずるいなあ。この一行だけで三日は泣けます。ぼくは長文タイプなのですが、こういう言葉を使えるようになりたい。

しかしながら、あえてドライな批判をすると、泣けるのですが文学的な広がりはないと思います。泣かせるというそれだけの目的のために文章を研ぎ澄ませた究極のエンターテイメント作品であって、だからこそ言葉の広がりはあまりありません。直球勝負で余分なものが削がれた文章は、やはり重松さんのライターとしての経験がなせるわざだと思うのですが、文学的な深みがあるかというと、どうかなと疑問もある。

ちなみに奥さんに「これ読んでみる?泣けるぞ」とすすめてみたのですが、「だから意図的に泣かそうとする小説は嫌いなんだってば」と突き返されました。突き返されただけでなく、逆に宮部みゆきを薦められた。うーん、宮部みゆきねえ。それはちょっとどうだろう。でも読んでみますかね。困惑中。

それにしても、「その日のまえに」では背中に痛みを感じてガンを宣告されるストーリーが多いのですが、ちょっと心配になってきました。ぼくも背中がものすごく痛むことがあって、結石だといわれながらも原因不明です。今度の人間ドックでしっかり調べていただきましょう。そんな自分の身に降りかかってきそうなリアリティも、重松清さんの小説の醍醐味です。だから泣ける。

gadomamaさんのおすすめでしたが、よい本でした。11月2日読了。

*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(75/100冊+70/100本)

投稿者 birdwing : 2006年11月 5日 00:00

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