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2007年2月 3日

映像のコミュニケーション。

YouTubeの登場と普及により、インターネットで動画を観る楽しみ方が確実に広がったと思います。「はてな」からYouTubeの動画を検索して掲載することも可能になり、ブログで音楽や映画をレビューするときには、必ずAmazonのリンクといっしょにプロモーションビデオやトレイラーがないかどうか検索しています。これはないだろうと思うものが掲載されていたりして、意外な発見もあります。

今年書いたブログの例でいうと、Peter Bjorn And Johnのアルバムを購入したのですが、3人編成とはいえ、彼等がどのような演奏をしているのかわかりませんでした。けれどもYouTubeでライブ映像を発見して、ボーカルはマラカス振って歌っているだけ(後はドラムとベース)という演奏であることがわかって驚いたりもしました。さらにブライアン・ウィルソンの貴重な演奏の映像をみつけたりして、ブログを書いたあとで何度も映像を観直したりしています。

ところで、こうした一連の行動は、視聴者として「映像を楽しむ+コメントする」というメディアに対する関わり方です。参加型ともいえなくもない。コメントするということが、インターネットならではのメリットだとは思うのですが、考えてみるとテレビを観ながら、このタレントは変だ、あの歌手は上手い、などと家族団欒のお茶の間の会話がネットに移行しただけのことであり、生活のスタイルを変えるほどの大きな変化ではないような気もします(といっても、まったく見ず知らずのひとと、お茶の間的なネットの空間で話をしていることが大きな変化ですが)。

では、これだけ映像が身近になったのだから、映像でコミュニケーションする時代がやってくるのではないかという考え方もあるかと思うのですが、ぼくはそれに対してはちょっと疑問も感じています。そもそもテレビ会議システムのようなものは遠い昔からありました。テレビ電話も20世紀からの夢であり、21世紀のアイテムとしては楽しみなところです。ただそれが一般的に普及するためには、大きな溝(キャズム)がありそうです。

SNSの映像コミュニケーション

SNSの最大手であるmixiで動画投稿サービスがはじまるようです。「mixiに動画投稿機能 2月5日から」というITmediaの記事から引用します。

ミクシィは1月30日、SNS「mixi」で、動画投稿サービス「mixi動画」を2月5日にスタートすると発表した。投稿は当初はmixiプレミアム(月額315円)ユーザー限定だが、順次全ユーザーに広げる予定。閲覧は当初から全ユーザーが可能だ。著作権侵害対策も慎重に行う。

CNETJapanの方では、活用シーンについて次のように書かれています。

動画サービスについて笠原氏は、不特定多数の人に公開するサービスではなく、あくまでもコミュニケーションするための動画と位置づけており、そのため「結婚式や子供の動画など、自分の友達に見せたいと考える動画が投稿されやすいだろう」とみている。

有料ユーザーのフォトアルバム機能を拡張しての提供のようです。考えられるのは、笠原さんが指摘されている子供のビデオを公開してみせるということのほか、バンドをやっているひとが自分たちのライブ映像を公開する、ということも考えられそうですね。しかしながら、いちばんの可能性を感じているのは、もともと株式会社ミクシィは転職のための人材紹介が事業の中心だったかと思うので(求人情報「Find Job !」)、新卒採用や転職のために、映像で自分をプレゼンテーションするという企業の採用者と就職希望者をつなぐマッチングサービスの可能性もありそうな気がします(たぶん既に構想済みかもしれません)。

ただ、ここでぼくは3つのハードルがあると思っていて、1つ目は映像をネット全体に公開することによる危険性の問題です。ぼくは性善説でいたいと思うのですが、世のなかは性善説でやり過ごせるほど甘いものばかりではありません。子供の写真を公開したくなるのですが、友達だけに公開するのであればともかく、広くネットの世界に向けて無防備にプライベートを発信してしまうのはやはり怖い。誰がみているかわかりません。一度公開したものはキャッシュにも残る可能性があるので、気をつける必要があります。

2つ目は、そもそもハードウェアの問題。確かに数年前に比べると、デジタルビデオカメラをパソコンに接続して動画編集をするのは簡単になりました。高価な編集ソフトがなくても、ある程度ならシロウトであっても動画を編集できます。しかしながら、まだまだ手がかかる。ほんとうにユビキタスな環境になって、デジタルビデオカメラからダイレクトに無線LANのようなものでネットに接続して、パソコンを経由せずにデータをアップロードできるようになれば状況が変わるとは思うのですが(そんな機種が既にあるのだろうか?)、パソコンを介して作業が入ると、その準備や作業によって若干テンションが下がります。

実はかつて書いていたブログで、ぼくも自分で撮影したビデオを一度だけ掲載したことがありました。北海道旅行に行ったときにロープウェイの下に野生の鹿をみつけて、その鹿を撮影をしたビデオに簡単なタイトルなどを付けて公開してみたのです。案外簡単にできてしまったのですが、それ以降つづいていません(苦笑)。というのは、公開したくなるようなコンテンツがない、ということがいちばんの問題なのですが、やはりわざわざビデオとパソコンを接続して動画を取り込んで・・・という作業が面倒だということもあります。そこまでしなくても写真で充分、ということも多い。

3つ目はやはり著作権の問題です。この問題に関しては、CNETに次のような記事もありました。

著作権などを無視した違法な動画投稿に対しては、「著作権等管理プログラム」で対応する。そもそも、動画を投稿する際には著作権違反をしない旨の利用規約に同意しなければならない。それでも違法な動画が投稿された場合に備えて、プログラムが用意されている。

しかし、問題は出てきそうですね。そんな印象が濃厚です。

コメントで参加する、付加価値をつける楽しみ

「読む」と「書く」の間には大きな溝(キャズム)があります。ブログが普及したときの最初の頃にもそうだったかと思うし、ブログに関わらずにも言える傾向かもしれません。

たとえば本をたくさん読むひとが小説を書くかというと、そうともいえない。また、ROM(リード・オンリー・メンバー)としてブログをたくさん読んでいても、ブロガーとして書くのはちょっと・・・というひともいると思います。音楽や映像も同じで、リスナーだから楽器を演奏したくなるかというと必ずしもそうではない。どちらかいうと、あまり音楽は聴いていないのだけれど楽器を演奏したくなるひとはいるもので、単なる目立ちたがり、というか、自己主張が強いひとだったりもします。

小説や音楽や映像を自分で創るということは、観賞することとは、まったく別の次元、あるいは別の領域のような気がします。双方向型(インタラクティブ)ということがよく言われましたが、映像で双方向のコミュニケーションが可能なハードルは高いのではないかという気がしていて、最初から映像で情報を発信できるひとは少ないと思います。ぼくの感覚では、映像コミュニケーションが普及するのはもう少し先ではないか、と感じました。つまり、技術的な環境が整い、自分を(テキストはもちろん)映像で表現することが当たり前な時代になってから、ということです。

それまでは既存の映像を加工する、ブログでコメントなどを加えるという楽しみが中心になるような気がします。面白いなと思ったのが、動画にコメントが付けられるサービス「ニコニコ動画」です。以下、ITmediaの記事から。

2ちゃんねるの管理人・西村博之(ひろゆき)氏が監修した動画サービス「ニコニコ動画」β版が人気を集めている。YouTubeなどの動画に、ユーザがー字幕でコメントを付けられるというもの。1月15日にオープンしたばかりだが、1日あたりのページビュー(PV)は400万を突破し、1月30日までに投稿されたコメント数は380万件以上、投稿された動画URLの数は2万4000件を超えた。

これはなかなかユニークです。映像の突っ込みどころが満載な部分には必然的にコメントも多くなるわけで、その動画の見どころもわかる。

最近のテレビ番組はテロップが過剰で、話している内容をテロップにしたものだけでなく、まったく関係のないテロップが入ったりもします。これは動画コンテンツにプラスアルファとしてテキストの情報を付加するものであり、それだけ情報量が増えていきます。

ぼくがブログでYouTubeの動画を取り上げるときにも(テロップではないけれど)、その動画の感想であったり、背景となる情報を検索して付加しています。やってみると、動画+コメント(もしくは付加情報)というスタイルが楽しい。

これはブロガーのエコシステム(生態系)としても価値のあることだと思っていて、つまり視聴するだけでなく、そこに付加価値を付けてブログの海へ返してやる、ということです。その循環によって、ブログの生態系も豊かになるのではないでしょうか。

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さて、今日は雲ひとつない青空が広がる気持ちのいい一日でした。次男くんの幼稚園の発表会で、彼が作ったさるの人形だとか、ももたろうの絵などをみてきました。

夜は節分なので豆まきです。ビデオ、ビデオと探していたら、別に節分を撮らなくても、と奥さんに苦笑されてしまった。そんなわけでビデオは撮影せずに、ぼくの心のなかにあるハードディスクにアーカイブしておきました。ぼくがみた風景が、そのまま無線でインターネットにつながって、どこか外部の大切な場所に記録されるといいんですけどね。

そんな未来もあり得るのでしょうか。ちいさな息子たちが、ぼくぐらいの年になる頃には。

投稿者 birdwing : 2007年2月 3日 00:00

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