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2007年2月 9日
シンプルという豊かさ。
夜、会社からの帰り、電車に乗っているうちに雨が降ってきたようでした。昼間は晴れだったかと思うのですが天候も変わる。けれども傘を差さずに濡れながらの最寄り駅から自宅までの帰り道、気分はなんとなく爽やかでした。冷たい雨が心地よい。肉体労働気味な1週間でしたが、そんな疲れを癒してくれるような雨でした。こんな雨もいいものです。
今夜はそんな雨でしたが、趣味のDTMで青空の曲を作っています。仮タイトルは「Edge of the blue(青の周縁)」。水曜日頃だったでしょうか、明け方に夢見心地の頭のなかに音が鳴っていて、あーもう眠いから静かにしてくれ、と思っていたのですが、いつまでも鳴りやまず、仕方ないのでごそごそと起き上がってPCを立ち上げて、DTMで打ち込みしてみました。といっても、打ち込んでみると夢のなかの音とはギャップが生じる。こんなんじゃなかったんだけどなあ、と後頭部を掻くような感じです。
ぼくは色彩のある夢をみるタイプですが、テキストだけの夢、音楽だけの夢というものもあります。夢のなかで蛇がぐるぐる回って自分のしっぽを噛むようなイメージから大発見をしたのは誰でしたっけ。そんな風に人類の歴史を変えるような大発見の夢をみることができれば、それはもうしめたものですが、ぼくがみるのは大抵、起き上がってから頭を抱え込むような(寝起きが悪くなってしまうような)不可解な夢ばかりです。残念。
「Edge of the blue(青の周縁:仮)」は、同じ和音の進行を延々と繰り返すような曲です。喩えるならば、パッヘルベルのカノンでしょうかね。カノンはうちの奥さんが好きな音楽で、結婚式のときにも使ったし、なにしろ長男は生まれてくるまで「カノンちゃん」と呼ばれていました(苦笑)。たぶん胎教としてこの曲をずいぶん聴かせた気がします。すっかり女の子のつもりでいたのに、生まれてきたのは男の子で焦りましたが。
とはいえ新しいDTMの曲は、さっそく行き詰まりも感じていて、もしかしたら正式な発表には辿り着けないかもしれません。まあ、そんな曲もあります(というか、そんな曲ばかりがいっぱいある)。音を重ねるにしたがって、どうも違うな、という感じになるのが問題です。もちろん夢のなかで鳴っている音を正確に表現できること自体が困難だとは思うのですが。最初のシンプルなコードのほうが、あれこれ手を加えた音よりも数倍いいこともある。
そんなことを考えつつ、思索をめぐらせてみました。
豊かさというのは通常、多様でいろいろなものがたくさんあることを想像しますよね。お金があったり、たくさんのひとがブログにアクセスしてくれたり、名刺交換した人脈がいっぱいあったり。それが豊かさだと思う。でも、ひょっとしたら、豊かさというのはシンプルなものなのではないか。余計なものを排除すること、これだというチョイスだけを大切にすること。それが豊かさではないか
選択することって、贅沢じゃないですか。選ばずにあれもこれもよしとすることは、かえって貧困な感じがする。たくさんある多様性を容認しつつ、ぼくはこれに決めた!と、ひとつを選択すること。それはたまらなく贅沢で、豊かなことのように思います。選択することは、選ばれなかった多数を排除することでもあります。地と図を切り分けることでもある。切り分けずに優柔不断に不特定多数を許容することは、はたして豊かなことなのか。むしろ、シンプルなほうが豊かになれるのではないか。
自分の選んだことに覚悟を決めること。選ばれなかった何かを考えるのではなく、自分の選択を大切にすること。これが大事だと思いました。
複雑なテンションによる和音ではなく、ただ一音だけをぽーんと弾くこと。その一音が響き渡る空間を大切にすること。それはたまらなく豊かなことではないでしょうか。言葉も同様です。大量の言葉で説明したり、深く知りもしない科学の知識を振りかざしたり、哲学的なフレームワークを引用するのではなく、ひとことだけれど一生を変えるような重みのある言葉を投げること。それが重要ではないか。そのことでちょっと思い出したのは、重松清さんの小説「その日のまえに」で、病気で亡くなった妻が主人公に残した遺書の言葉でした。
その日のまえに 重松 清 文藝春秋 2005-08-05 by G-Tools |
これは泣けた。短い一文なのだけれど、だからこそ効いた。
静かな水面に小石を投げ込む。投げ込まれた小石はちいさいけれど、次第に大きな波紋を描いていく。そんな言葉を使えるようになりたいものです。意図的ではなく、誠実な気持ちから。誰か他者をその言葉によって追い詰めるために使うのではなく、また自分自信の見栄のために使うのではなく、他者を生かすためにささやかな小石のような言葉を静かな水面に投げ込めるようなひと。そんな人物になりたいものです。
抽象的でしょうか(苦笑)。雨が降ると、ぼくはどうやら観念的なことを考えはじめてしまうようです。そして、やはりちょっと疲れているのかもしれない。疲れた心と身体に、いまTHE DRUTTI CORUMNの「KEEP BREATHING」の音楽が静かに染み渡っていきます。コクトー・ツィンズとこのアルバムのレビューは、明日以降にゆっくりと書くことにしましょう。
Keep Breathing The Durutti Column Artful 2006-03-07 by G-Tools |
ぼくはいま、ぼくの人生も捨てたものではないな
と、思ったりしています。ひとりごと、ですが。
投稿者 birdwing : 2007年2月 9日 00:00
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