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2007年9月28日

磨かなければ光るはずもなく。

かっこよさ、について考えています。どうすれば年齢を重ねつつ、かっこいいオトコになれるか。男性のかっこよさとは一体何なのか。

やはり、オトコとして生まれてきた以上、いくつになってもかっこいいオトコでありたいじゃないですか。ナルシズムで勘違いしたかっこよさではなく、雑誌のトレンドの真似をするのではなく、それぞれが独創性を持ってかっこよさを追求し、シニアのかっこいいおじさんが増えると世のなかに活力が生まれる気がする。

外見についてはある意味、仕方ない部分もありますが(苦笑)、個々人が何を考えているかということは顕著に顔に出るのではないでしょうか。

自分の顔に責任を持ちなさい、などということも言われるように、姑息なことをいつも考えていれば姑息な顔になるし、夢見がちであれば夢見がちな顔になる。ネガティブなことを考えていれば視線は俯きがちになるし、未来や理想に焦点をあてていればきりりと引き締まる。

どんなに外見を繕っても、内面の弱さは必ずどこかの側面で露出します。だから思考が大事であり、内面から磨かなければ、(ほんとうの)かっこいいオトコにはなれない。

たとえば、オレにはこんなにガールフレンドがいるんだぜ、というあからさまな表明はかっこ悪いと思うな、ぼくは。自慢したいのはわかるのだが、だから?という気がする。むしろ少数の女性をひそやかに、けれども深く愛するほうが、オトコとしては格段にかっこいいのではないか。モテなくてもいい。相手を想う気持ちが強かったりするほうが、かっこいい(もちろんストーカー的に、ではなくてね)。

えーと、ここで「少数」というのが、さりげなくポイントだったりします。一途に、ひとり、でなくてもいいわけですね(笑)。かっこいいオトコはきちんとした節度のもとに、複数の誰か(何か)を愛することができるのではないか。欲張りでいい。

もう少し視点を広げてみると、不特定多数の他者からの評価を期待するのではなく、オレに何ができるのか、ということを追求する姿勢かもしれません。愛されなくてもいい、愛することが大事である、という。他者に何かを求めるのではなく、自分にできることを重視する。

愛されることばかりを期待して、愛することのできないオトコはかっこわるいですね。精神的な乳離れができていない気がします。仕事に置き換えてみると、評価ばかりを期待して実力がともなわない人間でしょうか。あるいは表層的な社内政治には長けているが、理想や信念のないオトコかもしれません。会社の利益にぶらさがっていて貢献していない。テイクばかりしていて、ギブしない姿勢です。奪うばかりで与えることがない。

まず、

どれだけのものを与えることができるか、

ということが重要だと思います。その幅が、オトコの器量となる。

器量の幅は、お金かもしれないし、美味しい店を知っているという知識や経験かもしれない。あるいは、大切なひとのために割く時間かもしれないし、やさしい言葉をかけられることかもしれない。ナロウなぼくは、どれもすっからかんで、あるいは頑張ろうとしてもいっぱいいっぱいだったりします。強いて可能であるとすれば、「やさしい言葉をかけられる」という最後のことぐらいでしかないのですね、ぼくにできることは(苦笑)。

かっこいいオトコにはテツガクがある、と思います。かっこよさが思考や信念に裏づけされているから、不動のものとなっている。表出されている外見と内面に、ブレもなければズレもない。行動規範があり、なぜそのファッションなのか、なぜその音楽や映画を鑑賞するのか、なぜその場所へ訪れるのか、という理由がある。理屈ではなくて(苦笑)

そしてオトコはある時期までは、競争や過酷な環境のなかで生きるべきかもしれない。常に四面楚歌というか、周囲は敵ばかりの環境下に置かれると、顔も引き締まざるを得ません。閑散とした職場でぼけーっと新聞を読んでいるよりも、ハードな状況下でばりばり仕事をこなしたほうが、ストレスもあるでしょうが、顔つきが変わる。

死にものぐるいの恋を経験したほうが、オーラが出る。勝ち目のない敵に牙を剥いたり、勝算のないゲームにあえて自分を投じてみたり、リスキーな仕事に自ら手を挙げてみたり。そんな挑む姿勢がオトコを磨くのではないか。そりゃ、しんどいですが、最初から穏やかな老後のような人生を送ってどうする。

年取っちゃったから、という言い訳をしたときに、すべての努力を放棄しがちですよね。おじさんはその切り札を安易に使いたがる。

最新技術が苦手で本を読まないのも年取っちゃったから(活字がちいさくて読めない、という)、流行に疎いのも年取っちゃったから、お腹がぽこぽこ出てきたのも年取っちゃったから、恋愛なんて照れくさくて知るかーというのも年取っちゃったから、ファッションはどうでもいいと思うのも年取っちゃったから。あらゆるものにこの言い訳は適応できます。万能だ。

しかしながら磨かなければ光るはずもなく、あなたがそんなおじさんになっちゃったのは、他でもない、あなた自身のせいだ、と思うのです(と、自分に言ってみる)。そして、その万能な言い訳をとりあえず封印してみるだけでも、少し背筋が伸びて、かっこよくなれるのではないか。

そんなお手本となるかっこいいオトコがロバート・ハリスさんなのですが・・・うわああっ、彼の本から示唆を得たことについて書こうと思いつつ、また書けないっ(泣)どれだけ、ひっぱるのでしょーか。

後半に続く(のか?)。ハードな仕事と緊張によるハイテンションの連続で、ちょっとおかしくなっています。壊れかけていて困ったものですが、そんな不安定な状態もまた自分である、ということで、書きながら安定した文章へ、そして安定した自分へ、リアルな部分も含めてコンディションを整えていこうと思います。

投稿者 birdwing : 2007年9月28日 07:25

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