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2008年5月20日

無音の闇、騒音の闇。

健康のためだけではないのだけれど、雨降りとくたびれた日以外は新宿御苑のあたりを歩いて帰っています。たいていiPodで音楽を聴きながら歩くことが多い。アルバムをひととおり聴くこともあれば、自分の作った曲を1曲のみを延々とリピートさせて、あーだこーだ改良のアイディアを思い巡らせながら考えながら帰ることもあります。

今日はなんとなく音楽を聴く気持ちになれずに、イヤホンを外して帰りました。気持ちが塞いでいたせいかもしれません。どうせ音楽を聴かないのなら、街の音でも聞きながら帰るか、と思ったのだけれど、聞こえてくるのは自転車のブレーキの軋む音とか、トラックの汚れた排気音とか、けたたましいおばさんの笑い声とか、急に鳴り響く救急車とパトカーのサイレントとか、そんなものばかりでした。なんとなくめげた。

といっても、思考に支配されていると音も聞こえなくなるものです。周囲はさまざまなノイズで溢れているのにもかかわらず、聴覚にブラインドをおろすように、何も聞こえなくなる。騒音に包まれながら、無音の闇が広がっている。イヤホンと大音量の音楽で耳を塞がなくても、ぼくらの意識は外界の音をシャットアウトすることができるみたいですね。それが・・・楽しいことばかりではないのだけれど。

無音の闇のなかをただひたすら歩み続けていると、新宿御苑のあたりでは、ふいに草いきれのようなむっとする匂いに包まれました。低圧ナトリウムランプというのでしょうか、オレンジ色の街灯が暗い御苑の木々を照らしている。そして、顔を上げると新宿の副都心のビルが眩しい。

新宿の丸井CITY-1、バルト9というシネマコンプレックス(映画館)が入っているビルの裏側、目の前に新宿高校がある場所がなんとなく好きで、わざわざこの場所を経由して歩くこともあります。映画の待ち合わせか、ここで電話をかけているひとも多い。ずいぶん前に携帯電話のカメラでスナップしてみたことがありました。その写真です。

marui_city1

この前は、歩道がちょっと広めになっている。壁面に照明が取り付けられたこの建物を眺めていると、なんとなく落ち着きます。

壁面といえば、マイクロソフトがTouchWallというプロトタイプを先日披露しました。ブログでマルチタッチスクリーンによる「Surface」を「指で触れる、操る。」というエントリーで取り上げたこともあったのだけれど(といっても薄っぺらな表面的な把握ですけれど)、壁面全体をタッチスクリーンにしてしまうような技術です。Plexというソフトウェアによって、赤外線で位置情報を認識して操作できる。

TechCrunchの記事にYouTubeの動画が掲載されていたので、その動画を。

TouchWallが実用化されると、たぶんバルト9の下あたりは、映画の検索やトレイラーをインタラクティブに操作しながら見ることができる“壁”が登場するかもしれませんね。いま壁は壁でしかない、というか壁は建物の一部なのだけれど、壁が情報端末になる。

そんな未来を妄想しながら新宿駅のほうへ、とぼとぼと歩いていったのだけれど、雑踏で人が増えて路上で楽器を演奏するひとの音などが聞こえながらも、ぼくの耳は無音の状態というか、ノイズキャンセラーを利かせたように静かなのでした。あるいはいろんな思考が音を奪っていたのかもしれない。

騒音なら耳を塞げば大丈夫です。けれども問題なのは、内なる音に耳を塞ぐことかもしれない。自分の内側でなっているさまざまな悪しき言葉、しゃがれて嗤うような声、肌を粒だてるような不快な音に耳を塞ぐのは、なかなか難しい。そんな音をやり過ごすためには、ぼくはただ歩くしかない。歩いて、身体を動かすことで音に向かう心をそらす。

けれども、どんな闇にも光が当たるときが来るものであり、夜が明ければ朝になります。闇があるからこそ光は眩しく感じられるのだし、夜の静けさがあるからこそ、さわやかな朝に心も打たれる。どちらかに傾倒するのではなく、闇と光の両方を受け止めることが大事なのかもしれません。無理に笑ったり、無理に悲しむのではなく、ありのままに。

投稿者 birdwing : 2008年5月20日 23:59

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