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2008年6月 3日

節約から学ぶこと。

思い立ったが吉日ということで、節約をしようと思い立ってみました。しかしながら、たいてい思いつきの行動はつづいた例がありません。閃くのは簡単だけれど、重要なことは閃きをきちんと行動に移すこと、かつ持続することでしょう。3日ボウズなわたくしは忍耐力に欠けます。とはいえ、節約はなんとなくつづけるつもりでいます。使いたい目的もあるので。

具体的には1日1000円で過ごそう、というわけで1万円札をくずして1日1枚(自分で自分に)渡す配給制にしているわけですが、ひとによっては贅沢だ、と思うかもしれないし、足りない、と思うかもしれません。どうなんでしょう。

というわけで、世の中のおとーさんのお小遣い事情がわからないので調べてみたところ、GE Money Japanというところで「2008年サラリーマンの小遣い調査」という調査をしていました。2005年から4年間トレンドを追っているようですが、その2008年版をチェック。今年の4月にサラリーマン500人に対して調査したようです。サマリーを抜粋すると以下のようになります。

◆ サラリーマンの平均小遣い額は上昇傾向に歯止め。2008年は、4年ぶりに前年比マイナス2,500円の46,300円に
◆ 51.4%が昇給あり。8割近くが「小遣い額に変化なし」。「小遣いアップ」は約1割と少数だが、その約半数が1万円以上の大幅アップ
◆ 理想の小遣い額は、「現実」プラス2.5万円の71,600円
◆ 昼食代は平均570円、昨年の590円から20円ダウン!
◆ 外食回数は、平均3.8回と昨年並み。1回の飲み代は約4,700円で、300円アップ!
◆ 物価上昇分は外食費を削ることで吸収
◆ 4割以上の人が、小遣いの使い道として外せないものは「昼食代」と「趣味の費用」と回答
◆ 家計の主導権は全体で6割が「自分」。既婚者では「妻」が6割と逆転
◆ サラリーマンの不安、第1位は「自分の将来設計」、2位「老後」、3位「会社の将来」
◆ 全体の9割が格差を感じている。「年収」や「自由になるお金」を比較した時に格差を実感
◆ 心身の健康のために「趣味で気分転換する」
◆ 2人に1人が資産運用。目的は、約6割の人が「今の生活をより充実させるため」
◆ 子どもへの金銭教育を実施しているのは約3割。約半分の人たちが、「必要だと思うが行っていない」
◆ 8割以上の人が、クレジットカードで決済。5人に1人が1,000円未満から手軽に利用

ううむ。さすがに共感するというか、よくわかる。しかしながら、昼食代平均570円は安いですね。東京も場所によると思うのですが、ぼくが外食した場合には800円が平均という気がします。そんなわけで外でランチを食べて、ちょっとお茶でもしようかと思うと1000円ぐらいはあっという間に消えていく。ぼくはタバコを吸わないのですが、喫煙したらもっとお金はかかりそうです。

上記のページには1979年から2008年までのサラリーマンのお小遣いの推移もあって、なかなか悲哀をそそるのですが、90年のバブル期には小遣いの平均額は76,000円だったようです。理想の小遣い額が71,600円なので、おとーさんたちはバブルの夢をまだ追っているのかもしれないですね。

というわけで、節約生活をはじめてみたのですが、なんとなくがらりと視界がかわったというか、目からウロコが落ちたというか、新鮮でした。

まずですね、ご飯やコーヒーがうまい。特にコーヒーは、そもそも会社の給湯室で自分で入れればよいのだけれど、ぼくはわざわざコンビ二や車内の自動販売機で缶コーヒーを頻繁に買うので(気晴らしに歩く意味もある)、この数が制限されると、1杯1杯をありがたく飲むようになります(笑)。これはきっと、戦場で一本のタバコをうまそうにのむ感覚に近いかもしれません。ありがてえ、うまいぜ、コーヒー、じゃ戦ってくるからな、あばよ、という。

そして、余計な糖分を取らないせいか、身体が妙に健康です。忙しくて疲れていることはあるのだけれど、なんとなく身体が軽い。というか、ストイックな気持ちが身体を健全にしてくれているのかもしれません。

節約ひとつでこんなに世界が変わるのかーと、ちょっと驚いています。というか、ぼくはいままで無駄が多すぎたんですよね。ほんとジャンクな生活で欲望の赴くままに飲食し、CDや書籍を購入していたので。だからきっと生活の落差が大きい。とはいえ、その不健全さが自分らしさのような気もするので、気がつくとやーめた、ということになっているかもしれないですが。

あらためて反省もしています。仕事が佳境なときなど、深夜に疲れてコンビ二に立ち寄り、蕎麦やらおにぎりやらビールやらポテチやらをしこたま買い込んで帰宅し、夜中に遅い夕食(あるいはものすごく早い朝食)を食べることも多い。しかし買い込んだわりに食べられなくて残してしまい、明け方に包装されたままのおにぎりをそのまま捨ててしまうこともあったんですよね。

感覚が麻痺していた、と思いました。世界のどこかでは飢えに苦しんでいるひともいるのに、これはいったいどうしたことか、と。

飽食のあまりに思い上がっていないか、と。田舎のばーちゃんであれば、もったいないから食え、お百姓さんに申し訳ない、とひっぱたかれる。まあ、賞味期限1年ぐらい過ぎていても、これは食べれると主張するばーちゃん(というか、ぼくの母)には困ったものですが、食べ物を粗末にしてはいけません。

などということを考えていて、どうしても連想して考えてしまったのが、ニュースで大きく取り上げられていた船場吉兆の問題でした。

偽装や残飯を使いまわしていたことは許されないことではあるのだけれど、ちょっと箸をつけただけで残すようなお客もどうか、と思った。もちろんすべての客がそうではなかったでしょう。ただ、自分も含めて、あるいは自分の息子たちもみていて、豊かさのあまりに食を軽んじていることも多いと思います。8割がた茶碗にご飯が残っているのに、子供たちは、ごちそーさまーと言うときもある。お米のひとつぶひとつぶをきちんと食べなさい、とぼくは親から言われたような気がするのですが、なんとなくいいか、と思ってしまう。時代は変わった、のでしょうか。いいのかな、それで。

使いまわし=リサイクル、という安易な構図もどうかとは思うけれど、もったいない、という感覚は大事な気がするんですよね。しあわせなことにぼくらは飢餓の状態に直面することはありません。でも、意識的に節約というハングリーな状態を自分に課してみて思うのは、ぼくらの生活は予想以上に豊かであり、ありがたいものである、ということでした。

当たり前のように豊かである現代では、当たり前のありがたさに気付かない。実は突拍子もない素敵なことよりも、当たり前のありがたさに気付くほうが難しい気がします。たとえば、大気のように漂っているしあわせ。あまりにも淡くて日常的であるからこそ、そのありがたさに気付かないものです。失ってしまったときに、はじめて気付くものかもしれません。

悲惨なくらいストイックになっても仕方ないけれど、豊かな時代だからこそ節約を楽しむというライフスタイルもありではないか、と思いました。とはいえ、亡者のように節約至上主義にはなりたくないですけどね。趣味や大事なことにはとことん投資する、そんなひとでありたいです。貯めたお金は墓場に持っていいくわけはできなので。

投稿者 birdwing : 2008年6月 3日 23:27

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