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2009年1月 1日

続ける・深める・拡げる年に。

あけましておめでとうございます。

東京の年のはじまりは、すばらしい青空でした。年末から晴れた日がつづいていたのですが、年があらたまったこともあって、見上げる空も少しだけ新しい。まずはデジタルカメラを頭上に向けて、正月の空を切り取っておきました。

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次男くんの自転車遊びに付き合ってあげながら近所を散歩したところ、空がめいっぱい見渡せるポイントをみつけたのが年始の大きな収穫です。電線や建物もあまりなく、頭上にぱあっと空が広がっている。この場所は、空マニアとしてぼくの定点観測のポイントになりそうです。

とはいえ東京で過ごす新年は、田舎の正月と比べて、いまひとつ正月的な何かが希薄です。近所を散歩していると初詣帰りのひとたちとすれ違うので、少々は正月らしさも感じられるのですが、どこかぴんと張り詰めた空気が感じられません。というよりも年々正月の新しさが消失していくような気がします。年を取ったせいでしょうか。薄味な正月にちょっと困惑。

正月であることを言い訳にして朝からビールでほろ酔い気分でしたが、ゆるみがちな気分を引き締めるべく、今年の抱負などをぼんやりと考えました。そして、次の方針でいこう、と決めました。

「続ける・深める・拡げる」

まず「続ける」。企業のCSRなどにおいてはサステナビリティ(sustainability:持続可能性)という言葉もあります。持続することは大変だけれど、だからこそ大事です。特に2009年、ビジネスの分野では金融危機の影響による100年に1度の不況といわれています。持続することが困難な事態も増えていくのではないでしょうか。

さまざまな環境の変化に負けて、くじけてしまうことも多いものです。覚悟を決めたことであっても、障害の前に諦めてしまう。もちろん諦めること、断念することが大事な局面もあります。けれども、できる限り継続していきたい。

とにかく、ブログは書きつづけようと思います。ただし、もちろん無理のないようにします。毎日書くことが理想ではあるのですが、回数よりも内容の持続性にこだわりたいと思っています。たとえば、音楽理論に関心がある、と書いたのであれば、年間を通じて1度のエントリで終わってしまうのではなく、何回か連続してそのことについて書きたいですね。

次に「深める」。そのときどきで関心のあるテーマにぱっと飛びついて、さっと忘れてしまうのがぼくの欠点であると反省しました。「続ける」とも関連しますが、浅く広く関心の赴くままに網を広げていると知識が深まっていきません。したがって、もう一歩踏み込んで思考を掘り下げたいと考えました。

趣味ではDTMや音楽、文学、映画のジャンルにおいて、作品の解釈を深めていきたい。一本の作品の背景には、さまざまなひとびとの関わりや、完成するまでの過程があります。どちらかといえば読者/リスナー/鑑賞者の立場から、面白かった、泣けた、つまらなくてアタマにきた・・・など、個人的な感情主体で結果中心のレビューや感想を書いてきたのですが、もう少し作り手の立場や作品をめぐるコンテキストにも注目しようと思っています。

たとえば映画の作品鑑賞の本数を重ねたなら、ある監督の全作品を俯瞰して、この作品の位置づけはここにある、などのように論じられるだろうし、アーティストが完成された既存の枠組みを破壊して行う創造的な挑戦についても気付くようになるかもしれません。ネットで調べられる範囲で深めていくつもりですが、そんなことに留意したいですね。

アスペルガー症候群についても、ちらっとひとつのエントリで触れただけでしたが、簡単には言及できないテーマであると感じました。また、現代の社会現象を根拠のないままに聞こえのいいキーワードと直結させて解釈することは、危険であると反省しました。

あまり深みにはまると何も書けなくなる恐れもあります(ブログに広報マン的なチェックをかけていくと論旨が曖昧になり、先鋭さが失われます)。けれども浅はかな知識しかない話題については無知であることを正々堂々と表明し、とはいえ誤りに気付いたらあっけなく謝罪し、ゼロの段階から知識を積み重ねていこうと考えています。

誠実であることについて最近、考えをめぐらせることが多いのですが、ぼくの考える誠実さとは、まずは自分のこころの動きに嘘をつかない、ということが前提です。おかしいんじゃないか?と思ったら、その気持ちに蓋をしない。誠実な発言によって、かえって角を立ててしまうこともあるかもしれません。しかし、自分の気持ちに嘘をついてまで、きれいごとでまとめようとはしない。

また、個人的には昔から、上手い文章を書けるようになりたい、という目標がありました。レトリックや技巧の表層的なテクニックにとどまらず、よい文章とは、ということについても考えつづけていきたい。時間があれば小説も書いてみたいところですが、少し欲張りすぎかもしれないので、ほどほどにしましょう。

そして最後に「拡げる」。ぼくにはブログを書くにあたって苦手とする領域があります。たとえば社会や政治的な話題です。決して逃げているわけではないのだけれど、日本という国をただ愚痴ったところで何もよくならないと思うし、政党批判をしたところで虚しい。やるのであれば、きちんと状況を理解し知識を得たうえでやりたい。

とはいえ、波風をたてずに趣味の世界に閉じこもっていればいいやという、ぼくを含めた年齢の世代にありがちな個人主義というか無責任な傾向は、社会を何も変えないのではないか、このままでいいのか、という自省があります(ぼくが社会に対する関心が低すぎるだけかもしれませんが)。まずは社会に関心を持ち、目を背けずに、いま社会はどうなっているのか、ということを認識したい。そして、よりよい社会とは、ということについて考えていきたいと思っています。

よい企業とは何か、ということも考えたいテーマですが、財務面の情報の読み方から採用、環境の問題など多様な側面から考えていこうと思います。また、最先端のテクノロジーやマーケティングについても情報をキャッチしていきます。テクノロジーを生み出した企業の文化にも注目したい。拡げた分野が収束を失うのではなく、自分のなかで確かにつながっていくといいのですが。

と、書きながら思ったのは、ぼくはこのブログで

「よりよく生きるためにはどうすればいいか

ということを芸術や社会など多様な局面から追究していくのではないか、ということです。答えは出ないかもしれません。出ないのだけれど、悩み、考え、試行錯誤する時間がぼくの人生であり、そこに意味を見出すつもりです。

ぼくという存在に大きな意味はないかもしれないのだけれど、いずれは遺伝子に定められた生をまっとうして消滅する人生なのだから、ちっぽけな生命であったとしても、きちんと完全燃焼させたほうが有意義です。この世界から最期にはオサラバするのは避けられないことだから、一瞬も無駄にしたくない。立ち止まったり悩んだりして生きた過程でさえ重視したい。存分に生きたい。

生をまっとうする過程で何を考えるか、どう行動するか、ということが、生活様式の革新(ライフスタイル・イノベーション)というブログのタイトルにもつながることであり、生涯を通じて取り組むぼくのライフワークなのかもしれません。80歳になっても社会に目を向けて著作をつづけた、ドラッカーのようになれればいいな、と身のほどを超えた希望を持っていたりもします。

などと書いている一方で、しょーもない些細な日常の顛末であるとか、夢日記だとか、レンアイ論であるとか、そんな話も書きたい。もちろん空の啓蒙者として、あるいは自称・風景写真家として空の写真を撮りつづけて、ちょっとした雑文をエントリしていくことも継続するつもりです。欲張りですね。あらためて思うのだけれど、ぼくはとんでもない欲張りであることだなあ。

というわけで、ブログを休止していたうえに、新年第1本目ということで、思いっきり肩に力が入ってしまいました。あまりに理想を高く掲げすぎると重さでつぶれてしまいそうなので、ひとまず力を抜きます。のっけから今年も長文になりましたが(苦笑)、こんな感じで綴っていくことにしましょう。

あらためて今年もよろしくお願いいたします。

投稿者 birdwing : 2009年1月 1日 23:59

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