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2009年3月 5日
アーカイブとリアルによる10年。
ビデオカメラが壊れました。ぼくの使っているカメラは、SONYのHandyCam DCR-TRV10で、あまりよい機材ではなく、購入した当時は入門機として売られていたものだったと記憶しています。一般の家庭向けの普及機でした。
この機材以前にはHi8のテープを使うカメラを使っていたのですが、壊れたのでこのカメラに買い換えました。10年ちょっと使ったでしょうか。成長に合わせて子供たちのイベントをずいぶん記録したし、社会人バンドをやっていた頃には、演奏をチェックするためにスタジオで撮ったこともありました。先日、次男の幼稚園で開かれたおひなまつり会を最後に、動かなくなりました。もう少しがんばってほしかったけれど、寿命をまっとうしたという感じでしょう。お疲れさまでした。
蓋を開けるとカセットの挿入部分がうぃーんという感じで自動的に出てくるのですが、これが戻らなくなった。
からからからから、という感じでテープを巻き戻すモーターも空回りしています。無理やりテープをかませて押し込むと、再生されずに記号(C:32:11)が表示されて、うんともすんともいわない。たぶん修理するよりも買い換えたほうがよいと思うので、新しいカメラを物色しています。
しかし、ここで困った。最新のビデオカメラはハードディスク内臓タイプがほとんどで、カセットは使わない。記録の主流はカセットからディクスに変わっています。CDからハードディスクに書き込むiPodなど音楽観賞と同様の傾向にあります。
80GBなどのディスクに記録して、容量がなくなったら外部メディアのDVDやブルーレイディスクに保存するスタイルです。メモリースティックなど記録メディアを利用する機種は小型化されて、さらにスタイリッシュになっています。画質もフルハイビジョンなので、店頭でデモをみて、おおお、こんなにちいさいのに映像がきれいじゃないですかー、と盛り上がりました。
でも、決定的に困るのが、いままで撮りためていたMiniDVのカセットがまったく使えなくなることです。実はHi8からMiniDVの機種に換えたときもそんなことがありました。過去に撮りためた映像がまったく観ることができなくなってしまったんですよね。大切な記録なのに。
以前、ソニーのプロモーションサイト「Come with me」についてエントリを書いたときに不安に思っていたことが、現実になったという感じです。過渡期なのでしょう、いまはきっと。けれどもせっかくの記録を観ることができなくなってしまうのは酷い。なんとかしてほしい。最新のビデオカメラを購入することは、過去にさんざん記録してきた資産をすべて葬り去ることになる。うーん。
カメラではなくてデッキでMiniDVを観ることができる機械がないか、と検索してみたのですが、既に生産中止になっている。しかも、75万円もするデッキだったりします。なんだこれは。
逆に通常の画質でよければ、3万円でMiniDVのカメラが買えます。このカメラから撮影機能を除けば、1万円ぐらいで再生専用デッキができそうな気がするのだけれど。個人的には、そんなデッキがあればめちゃめちゃ欲しい。ただ、メーカーとしては費用対コストが合わないのでしょう。
ところで、いま動画を撮影できるガジェットといえば、ビデオカメラだけではありません。デジタルカメラや、携帯電話でも映像を撮影して残すことができます。画質や時間にこだわらなければ、ちょっとした動画をメモすることができ、データの記録形式は違っていてもパソコンに取り込めば観ることができる。
こういうスタイルがいいな、と思いました。ハードや記録媒体に依存するのではなく、データに変換してしまえば汎用性も高い。もちろんコンバートする形式によって容量などの問題も生じるかもしれないのだけれど、特別なハードウェアがなければ観ることができない、聴くことができないリソースは不便です。
音楽も同様です。レコードプレイヤーがなければ(というよりも、レコード再生の場合は針が重要で、針がなければ)聴けないようなものは困る。カセットデッキすら最近はあまり見かけなくなりましたが、MDも同様。CDもいずれはなくなってしまうかもしれません。それでもmp3やWAVEなどの形式になっていれば、きっと聴くことができる。そうして原盤がなくなってしまったとしても、どこかの誰かが音源を残していてくれたなら、シェアすることで、懐かしい音を再現できる。
あらためて、21世紀っていい時代なのかもしれないな、と思いました。しかし、データ主導の情報化社会によって弊害があるかもしれません。記録された過去にいつでもアクセスできるため情報量はものすごい勢いで増えます。現在だけでなく、過去の記録のすべてを背負って生きなければならない。人生の重みを超えるほど過度な情報の重さがのしかかることになります。
たとえば子供たちのヒーロー番組をいっしょに観ていて思うことですが、過去の膨大な文脈を辿りながら番組が進行していきます。新しくはじまった「仮面ライダーディケイド」は、過去10年間のライダーがすべて登場します。
■仮面ライダーディケイド
http://www.tv-asahi.co.jp/decade/
ディケイド、なんだかスイカみたいな顔ですけどね。夢のないビジネス視点で解説すれば、キャラクター商品の販売促進も視野に入れた、おとうさん世代を巻き込んだ展開だと思う。あざといといえばあざとい。ただ、過去のアーカイブが現在の物語を多様に膨らませています。10年培ってきた仮面ライダーというキャラクターの資産は、やはり大きい。
うちの息子たちは(特に長男)、過去10年のライダー作品をDVDであらためて借りて観ています。ウルトラマンでもそうでした。ぼくらが子供の時代には、テレビの映像は消えていくものであり、番組をリアルタイムで一生懸命観て、あとは次回を楽しみにしていたものです。ビデオという記録装置がなかったから、時間軸を遡って過去の別のストーリーを体験することはあまりありませんでした。
正しいかどうか判断はできないけれど、リアル+アーカイブによって、現在進行形以外の過去の付加情報が増えつつある時代になっているのではないでしょうか。時間は複線的になっている。決して、現在のリニアな時間だけではなく、寄り添うようにアーカイブされた過去の時間がある。
たとえば、メールなども過去ログを読み直すことによって、過去に感じたあれこれを現在に再生したり、忘れることなく持続できます。ネガティブな感情であれ、楽しかったやりとりであれ、過去が現在と同じぐらいのリアリティで立ち昇ってくるような環境があります。
ブログのエントリも、最新のエントリよりも過去のエントリのほうがむしろよく読まれるようです。書いているブロガーとしては、過ぎ去った時間の遺物だと思っていても、訪問して読むひとにとっては、現在進行形のテーマとして捉えることもあるかもしれません。だから誤解も生まれる。書いている自分にとっては解決している問題が、読み手にとっては現在の問題として捉えられるわけなので。
ところで、新しいビデオカメラなのですが、候補としてはソニーのHDR-HC9を考えています。MiniDVDの資産を生かしながら、フルハイビジョン対応です。
別にソニーではないくてもいいのですが(キヤノンやパナソニックも結構よさそう)、なぜか子供の頃からの憧れでソニー製品を選んでしまう。新しい電化製品を買うのは、選ぶ時間も含めて楽しいものです。選ぶ時間のほうが楽しかったりもする。わくわく。
願わくば、これから10年、つまるところ2019年まで使える機材であってほしいのですが。
投稿者 birdwing : 2009年3月 5日 23:23
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