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2006年1月23日

「クオリア降臨」茂木健一郎

▼book06-009:奔放な思考は詩かもしれない。

4163677305クオリア降臨
文藝春秋 2005-11-25

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久し振りに早く帰ることができたので喫茶店に立ち寄り、コーヒーのカップを前にして1時間ばかりのあいだに最後までがーっと読み終えました。恥ずかしいことですが「言葉の宇宙と私の人生」を読んでいる途中で涙が出てきた。泣きそうになった。小説ならともかく、評論でこんなに感銘したのは、はじめてです。

ちなみにぼくが感銘した考え方とは、人生は猥雑であるからこそ素晴らしい、ほんとうに美しいものは生活という雑多な現場と形而上的な結晶化した世界とのバランスから生み出される、ということです。「どうしてこんなものが出来たかと思うほど完璧で結晶的な世界をつくり出す人たちは、生活者としては常識的で猥雑であることが通例だ。」ということ。仮想という世界で小説を書いたり音楽を創ったり絵を描いたりよい企画を生み出したりするためには、通俗的でリアルな生活者としても十分に生きなければならない。知人と酒を飲んだり、馬鹿話をすること。そうした現実の世界も引き受けなければ、作品も出来ないし、一方で現実の世界で暮らしていくこともできなくなる。「柔らかな有限の生と、結晶的形而上の世界に生き続けることは、やっかいなことである。しかし、そのやっかいさを引き受けることでしか、言葉の宇宙の私たちにとってのリアリティは保てない。」うーん。まいった。もしかすると、もう少し別の機会に読んだら、なんじゃこりゃ?という部分かもしれません。2006年のいま、しんどい仕事が終わって(雪が解けて凍りつつある寒い冬の東京、駅に隣接した喫茶店で)読んだぼくの特別な状況のせいで、こんなにも心に刺さったのかもしれません。

なんとなくブライアン・ウィルソン(ビーチボーイズのベーシスト)を思い出してしまったのですが、彼があんなにも美しいメロディを作ることができたのは、ドラッグや自己嫌悪など、ほんとうに最低な現実に負けそうになりながらも十分に生きたからなんだろう、と思いました。「脳と仮想」「脳と創造性」に比べると、この本は詩的であり、挑発的であり、感情の振幅が大きい。ダイレクトに茂木さんの経験が書かれていて、生々しいともいえる。そんなわけで、良くも悪くも揺さぶられる本といえます。とりあえず茂木さん集中月間はここまでにします。そして、クールダウンしたところで再度、読み直そうと思っています。1月23日読了。

*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(9/100冊+7/100本)

投稿者 birdwing : 2006年1月23日 00:00

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