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2006年2月 9日
「ブログ 世界を変える個人メディア」ダン・ギルモア
▼book06-014:次世代のジャーナリスト。
ブログ 世界を変える個人メディア 平 和博 朝日新聞社 2005-08-05 by G-Tools |
この本を発行している朝日新聞社が、まさにテレビCMで「それでも/私たちは信じている/言葉のチカラを。」として「ジャーナリスト宣言。」というキャッチコピーを掲げています。挑戦的であり、捨てばちとも思えるようなコピーですが、ぼくはブログはマスメディアのジャーナリズムに対抗するものではなく共存できるものではないかと思っています。組織的な取材力を発揮できたり、世のなかに影響力を与える最大なものは、やはりテレビであったり新聞であったりします。
もちろんブログも影響を与えるものになりつつあるかもしれないけど、アメリカはともかく、日本ではまだそれほどの力はないのでは?というのが実感です。それはたぶん論争よりも「あそこのお店が美味しいよ」「そうだよね」「この本面白かったよ」「じゃあ買ってみる」的な共感を大事にする日本の文化があるからかもしれません。ぼくはそれを悪いとは思わないし、むしろそういう楽しみがあっていいと思う。けれども、その一方で、これからの社会を担うようなひとたちは、生活という泥沼から社会や世界という高い青空を見上げたような文章をたくさん書いてほしいですね。そのための環境は整ってきたし、書こうと思えばきっと書ける。ぼくらの時代を凌ぐような何かをきっと創り出せる。
一方で、さまざまな制約があるプロのジャーナリズムに対して、ブログは感情や感覚によってストレートに書くことができることが、いちばんのメリットではないかと考えています。理屈では正しいとしても、ちょっと何かが心の片隅をざわざわとさせる、ということがあります。そうしたざわざわ感をすくい上げるのもブログのよさのひとつです。
最終章で、ダン・ギルモアの原稿に対してアドバイスをくれたひとのひとり、エルウィン・ジェンキンズのコメントから「ブロガーはジャーナリストじゃない。僕らは情報の探求者、情報の構築者、そして知識の創造者だ。」と引用されていますが、彼の言葉に共感を得ました。正確さや迅速性、フェアであること以外のことが、ブログには求められているんじゃないでしょうか。
原題「We the Media」はもともとブログによって書かれ、読者のたくさんのコメントなどによって中途段階で間違いを修正しつつ、本として完成していったとのこと。ということを考えると共創的でもあり、著者というよりも編集者に近いところもあったかもしれない。そしてクリエイティブ・コモンズの著作権ライセンスシステムにしたがっているので、本を販売するとともに、インターネットでは無料で全部をダウンロードできるというかたちになっていたようです。ダウンロードしたコンテンツはそれこそWiki化してインターネットを通じてサイトに再掲載して、次々と新しい情報で書き換えたり書き加えていくこともできる。印刷された活字として死んでしまうのではなく、遺伝子を継承しつつ次の世代の文脈のなかで生きつづけていくライブなテキスト、というわけです。
次世代のジャーナリストとは、彼のようなひとのことを言うのでしょう。日本にもそういう人物がきっと出てくるような気がしています。それにしても表紙の帯で笑っている堀江さんが、かなしいなあ。2月9日読了。
*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(14/100冊+12/100本)
投稿者 birdwing : 2006年2月 9日 00:00
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