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2006年2月21日
「おとなの小論文教室。」山田ズーニー
▼book06-017:この小論文教室は、痛い。
おとなの小論文教室。 河出書房新社 2006-01-07 by G-Tools |
まいりました。特に前半の部分で、山田ズーニーさんの文章は痛いほど心に刺さりました。何度か涙が出そうになったほどです。今日の昼間に本屋で購入して、夜には一気に最後まで読み終えてしまいました。
正直なところ、ぼくは糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」に連載されていた山田ズーニーさんの記事を読んだことはありませんでした。ところが、最近ぼくがブログに書いてきたキーワードがたくさん出てきて、自分でもびっくりしました。たとえば前半では「考える力」や「自分を表現する」ことの重要性。そして読者が大事であること。そのあとには「セルフプロデュース」という言葉も出てきます。まさに昨日20日のブログで書いたことです。
本気で何かを考え抜いたとき、人間の思考回路はある程度同じところに到達するのではないでしょうか。分野は異なっていたとしても、達人と呼ばれるひとたちの思考は似ているものです。ここ数日間、ぼくはたぶん山田ズーニーさんとかなり近い思考回路で、表現とは何か、ということを考えていたような気がします。しかしながら、ぼくにとってはシンクロしているような感覚があるけれど、客観的には違っているかもしれません。また、このシンクロ感覚も明日になれば消えているかもしれない。でも、かまわないと思います。ぼくにとっては言葉のひとつひとつが心のまんなかで共鳴するような感じがあり、一瞬だけでもその共鳴感覚を得られて幸せでした。
経験によって体得した言葉、余計なものを削ぎ落としていった言葉というのは、最終的にはやさしくてシンプルなものになると思います。けれども、どんなに簡単な言葉であっても、同じように苦しんだり考えつづけてきた経験があるひとにとってはわかる。一方で、そういう経験のないひとには別に心に刺さるようなこともなく、通り過ぎてしまう言葉かもしれません。
田坂広志さんの本を読んだときにも、ぼくはめちゃめちゃ感動したことがあったのですが、ひとによっては、なんじゃこりゃ?と思うだろうなという印象がありました。たぶんぼくの個人的な経験(と、本を読んだ時間および場所が呼び起こす何か)が共鳴したからこそ心に刺さるのであって、経験のないひとには、この感覚はわからないと思います。山田ズーニーさんの本も、ぼくのなかにある経験を引っ張り出すから、痛いんです。
書籍をはじめとして映画、音楽などの作品には、適切な出会う時間と場所があると思います。以前にも何かに書いたような気がしますが、果実に食べ頃の時期があるように、読み頃、観頃、聴き頃というようなものがある。その時期は絶対的なものではなく、読者によって異なるものだと思います。ぼくはこの本と、まさにベストな時期に出合うことができました。2月21日読了。
*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(17/100冊+18/100本)
投稿者 birdwing : 2006年2月21日 00:00
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