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2006年4月12日

「適当論」高田純次

▼book06-026:飄々と生きるのもよいものです。

4797333456適当論 [ソフトバンク新書]
ソフトバンククリエイティブ 2006-03-16

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今朝、通勤の電車が車両事故によって遅れてしまい、電車のなかはものすごい混雑でした。ぼくの前にいたバーコードのおじさんが、なんだか怒りまくっていて、ごつごつ周囲にぶつかりながらぼくの背中も押してきて痛い。気持ちはわかるんだけど、あなただけじゃないんだよ、みんな嫌な気分なんだ、と思いました。とはいえ、コンディションによってはぼくも荒れ果てた気持ちになることがある。世界中にツバを吐きたい、あらゆるものを蹴飛ばしたい気分になることがある。仕方ないよね、どうどう。という感じです。

とはいえ、そうした混雑のなかでも、やわらかく存在するひともいるものです。みんなが右に揺れたら右に揺れて、左に揺れたら左に揺れる。ちょっとぶつかったりすると、あ、ごめんなさい、と素直謝って、にこっとする。しなやかに存在するひとは、実はごつごつぶつかるひとよりも強い。弾力性のあるこころは、ぽきっと折れることがない。

そんなひとでありたいものです。

高田純次さんはそういうひとであるような気がします。そもそも、余裕のある男はかっこいい。紳士とは、礼儀も大事だけれど、こころの余裕があるひとかもしれません。だから女性にもモテる。若い頃というのは、とにかくやりたい気持ちでいっぱいなので、余裕がありません。しかし、オトナはそんな力もなくなりつつあり、できなくてもいいけど一緒にいて楽しければよいか、とある意味、適当になってくる。その適当な感じが、客観的には余裕にみえるものです。よいことなのか損なのか、ちょっとよくわかりませんが。

この本は実は高田さんが書いているのではなくて、精神科医である和田秀樹さんが高田さんの言動を分析するというスタイルになっています。そこが面白い。和田さんはいろいろと意味付けをするんだけど、たぶん高田さんはそんなこと面倒で考えていない気がします。精神科医が定義した高田純次的な理屈通りに生きても、きっと高田さんにはなれない。ぼくは高田純次さんは特別なひとではないと思うのだけど、その飄々とした肩の力が抜けた人生になんだか癒されました。トサマミさんという新潟でIT関連の専門学校でセンセイをやっている方がおすすめしていた本ですが、とかく頭でっかちになりがちなぼくにとっては、こころに余裕ができるような本でした。4月12日読了。

*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(26/100冊+27/100本)

投稿者 birdwing : 2006年4月12日 00:00

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