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2006年6月13日

「出現する未来」P. センゲ , O. シャーマー , J. ジャウォースキー , 野中 郁次郎 , 高遠 裕子

▼book06-042:個のなかに息吹く全体を出現させること。

4062820196出現する未来 (講談社BIZ)
講談社 2006-05-30

by G-Tools

最近ぼくが考えていることに最も近く、だから手にとって購入してしまったのですが、非常に考えるところの多い書物であり、機会があればブログで取り上げて深く考察してみたいと思っています。全体の意思を宇宙的な観点から展開するスピリチュアルな表現にはぼくは入り込めず、宗教的な部分にどっぷりと浸かると思考を停止させてしまう恐れを感じているのですが、「分割できない全体性」をどちらかというと西洋的というよりも仏教的な観点から追求し、経営学や認知科学や哲学を統合するアプローチには共感を得ました。

「U理論」を軸に展開しているのですが、U理論とは、まずありのままに見たり感じ取ること(センシング)、思考の流れを一度止めて自分を捨てて内省すること(プレゼンシング)、そこからまた流れを生み素早く行動すること(リアライジング)の3つの状態をあらわしています。

「私」を捨てて内省する状態が「無」の境地であり、そこで世界という全体とつながる。つながった関係性のなかから未来を出現させる。といってしまうと、かなりスピリチュアルで、どうかなとも思うのですが、ぼくがなるほどと思ったのは、自分というものは世界との関係性によって生成する「出現しつつある未来」のなかにしか存在しないということです。つまり絶対的な自己というものはない。そして世界とつながっている以上、個のなかに「世界」がある。

たとえば、「介護社会を変える」といっても問題が大きすぎて、手に負えません。ところが「ボケ始めた姉に困っている田舎の母親の相談にのる」ことならできる。そして、このぼくの生活という個のなかに、実は「出現しつつある未来(=母がボケたときにどうするか、そしてもっと大きな介護社会の問題)」があり、そのことをシミュレーションして考えることで、未来の自分の行動をリアライジングできるわけです。つまり、未来はいま仮想的に考えているぼくの思考のなかにある。

ブログで社会を変えられるのか、という課題も、この視点から論じることができそうです。さらに深いテーマもいくつかあるのですが、いずれまた。6月13日読了。

*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(42/100冊+34/100本)

投稿者 birdwing : 2006年6月13日 00:00

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