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2006年7月20日

「夜のミッキー・マウス」谷川俊太郎

▼book06-052:みずみずしい詩人の感性は衰えを知らず。

4101266220夜のミッキー・マウス (新潮文庫)
新潮社 2006-06

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「夜のミッキー・マウス」「朝のドナルド・ダック」「詩に吠えかかるプルートー」とディズニーキャラクター3体の不思議な詩がつづいたあと、「百三歳になったアトム」となります。そういえば、そ〜ら〜をこ〜えて〜という鉄腕アトムの歌は、谷川俊太郎さんの作詞だったなあということを思い出しながら、きみょうな詩の世界に引き込まれていきました。

文庫のあとがきに書かれていて、杉本彩責任編集の「エロティックス」というムックにこの詩集から三篇の詩が採録されているそうなのだけど、確かに困ってしまうような詩もあって、それを困ってしまうのが大人の思考であって、無邪気に書いてとぼけているのが詩人という気がしました。タイトルからして過激で、女性の読者は「例のあの詩」としか言ってくれないようなひともいるらしいのだけど、ぼくが谷川俊太郎さんの詩を過激だと思うのは、表層的な言葉の過激さよりも、もっと心の根源のようなものをえぐるような感覚ではないかと思いました。それをものすごくわかりやすい言葉で、やさしく書いている。これにはまいりました。

たとえば「ママ」という詩は母親と息子の対話のようなかたちで進められるのだけど、いつまでも息子を自分の子供として独占しようとする母親の意識と、「コイビト」は「ママとおんなじ匂いがする人がいいな」とか「でもママいつかは死ぬよね/ぼくママが死んでも生きていけるようにしなくちゃ」という子供ならではの残虐な思考があったりして、鋭いものを感じます。これらがすべてやさしい言葉で語られていくから、余計に鋭い。

なんとなくふつうだな、と思う詩もあるのですが、本を閉じたあとにざわざわと感情がよみがえってくることもある。それからどう表現してよいのかわからないのですが、ものすごく遠い感じ(うーむ、うまくいえない)がする詩もありました。言葉自体は耳元で囁かれるのだけど、耳元から脳に向かった途端にぱあっと草原が広がるような感じ。だめだ、この感覚は表現不可能です。最後にこれもまた「あとがき」の言葉を引用します。

「この詩で何が言いたいのですか」と問いかけられる度に戸惑う。私は詩では何かを言いたくないから、私はただ詩をそこに存在させたいだけだから。

読んだ感想を言葉にできないのは、そういうことだからかもしれません。7月20日読了。

*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(52/100冊+44/100本)

投稿者 birdwing : 2006年7月20日 00:00

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