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2006年7月20日
像を結ぶ言葉。
午前中、電車のなかで構造主義の入門書を読み終えてしまい、たまたま谷川俊太郎さんの「夜のミッキー・マウス」という本が鞄のなかにあったので、電車に揺られながら詩集を読むのはどうだろう、ちょっと恥ずかしくないか、と思ったのですが、それでもその本を読むことにしました。
最後に「あとがき」と文庫本用の後書きがあって、さらにめくってみるとオマケの詩が掲載されていました。なんだか得した気分だな、と思って読み進めたのですが、この詩にまいった。ぐさりとやられた気がした。「闇の豊かさ」という詩です。引用します。
小さな額縁の中のモノクロ写真 木に寄りかかっている子供が二人 何十年も前の午後の日差しの中の兄と妹 シャッターがきられたその日と 今日とのあいだの日々に存在した 割れたグラスや小さくなったシャツ 焦げてしまったパンケーキ 読み終えた何冊もの本 鉛のような気持ち 美し過ぎた音楽 テレビでしか見ることのなかった戦争・・・・・ 今はもうほとんど退屈な細部なのに それらが時折痛いような光となって 私の内部を照らし出し 私は知る 自分と世界を結ぶ闇の豊かさを
なんだふつうの言葉じゃん、と思うひともいるかもしれないのですが、ぼくは読んだ瞬間にハレーションを起こしたような写真の風景と、グラス、シャツ、焦げたパンケーキ、本、鉛、戦争、音楽など、フラッシュバックしたような光景がさっと頭脳のなかを走り抜けて、そうして最後の一行に辿りついたときに感動しました。
この闇という言葉は、先日購入した「暗やみの色」というCDのなかにある「闇は光の母」に共通するものがあるのかもしれないけれど、谷川俊太郎さんが使う「闇」はやはり「二十億光年の孤独」にある闇であって、湿度を感じさせるものではない。音も光もなく、ただ広がっている。広がっているんだけど無ではなく、何かみえないもので充足されている。そして闇の向こうにつづいている場所がある。そんな印象です。
特別な言葉ではないのだけど、詩人が使うと、どういうわけかものすごくリアルに像を結ぶ言葉があります。それは、どの言葉をチョイスするかということもあると思うし、言葉と言葉の連関、あるいは配列に詩人にしかできない技巧があるのかもしれない。
そんな言葉を使えるようになりたいものです。
投稿者 birdwing : 2006年7月20日 00:00
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