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2006年9月 4日
「ザ・プロフェッショナル」大前研一
▼book06-063:箍(たが)を締めるためには、プロ志向であること。
ザ・プロフェッショナル ダイヤモンド社 2005-09-30 by G-Tools |
日曜日にTBSのサンデーモーニングという番組で、日本人の「箍(たが)が緩んでいる」という特集をやっていて、なかなか興味深いものがありました。そのなかで評論家の佐高信さんが、山奥のサクラは見られることがないけれども美しく咲いている、という喩えを使って、自らを厳しく律する必要性を説いていたのだけど、それがプロフェッショナルではないかという気がしました。
総表現社会というと聞こえはいいけれど、パフォーマンスばかりが目立つ社会になっているような印象があります。つまり、すべてが表層的で、本質の部分で襟を正すようなことがない。なんとなくきれいに繕うけれども、見えない部分では手を抜いている。そこそこできれば、まあいいか、という力の抜き方が、日本全体の箍を緩めているのかもしれません。
大前研一さんの本では、そうした手抜きを「知的怠慢」と戒めています。そして、いま求められるのは融通の利かないスペシャリストではなく、プロフェッショナルであると説かれている。スペシャリストは命令された仕事を専門知識によってきちんとこなす人間です。もちろんそうした能力も必要だけれど、環境が大きく変化する時代においては、フレキシビリティを持って対応することが求められる。どんな環境であっても環境に適応した力を発揮できるのが、プロフェッショナルだそうです。
何度かブログでも取り上げたのですが、この本から学ぶことは多く、先見性、構想力、議論する力、矛盾に適応する力など、ひとつひとつが背筋を正してくれるものでした。技術から特定の業界知識まで、幅広い知見と常識を疑うような視点にも、がつんと殴られたような衝撃がありました。仕事は稼ぐためのもの、と割り切る考え方もあるのですが、ぼくはどうせ仕事をするのであれば、高みをめざしたい。だからといって理想と現実のギャップに苛立つのではなく(というか実際、苛立ちがちなのですが)少し気持ちを抑えて、ゆっくりと、一歩ずつ努力していきたいとあらためて思いました。8月31日読了。
*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(63/100冊+52/100本)
投稿者 birdwing : 2006年9月 4日 00:00
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