« 自然の音を標本に。 | メイン | 「歳月」茨木のり子 »

2007年3月29日

fennesz + sakamoto/cendre

▼music07-019:音のアフォーダンス、触感に訴えるノイズとピアノ。

cendre
fennesz + sakamoto
cendre
曲名リスト
1. OTO
2. AWARE
3. HARU
4. TRACE
5. KUNI
6. MONO
7. KOKORO
8. CENDRE
9. AMORPH
10. GLOW
11. ABYSS

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


一般的にはノイズといえば、雑音にすぎません。耳に障る不快、リダクション(排除)したい余計なもの、攻撃的な轟音。そんな風にとらえられているのではないでしょうか。アヴァンギャルドな音楽で好まれることが多いので、難解なイメージもあります。最近では、ノイズキャンセラー付きのオーディオプレイヤーも人気がありますね。ノイズは嫌われものかもしれない。

けれども「cendre」の音楽におけるノイズは、あたたかい。周囲からふわっと包み込むような音響がやさしい。なんだろう、これは。最近、ノイズを多用した音楽を集中して聴いてきたつもりですが、いままで聴いたことのない音でした。思わずノイズに耳を澄ましてしまった。すると連なる音の向こう側にいろいろな風景がみえてくる。

たとえば、3曲目「haru」。ぼくはこの曲を聴いていて、草原の上を風が渡っていくような、高速度撮影で雲がめまぐるしく動く空を眺めているような、そんな風景が目蓋の裏側に浮かんできて(目をつぶりながら聴いていたんですね)、空間的に広がりのある場所にぽつりと佇んでいる錯覚を覚えました。そうして、イメージはもちろん言葉の断片も浮かんでくる。しかも浮かんでくる言葉は、ちょっと思索めいています。

脳内に浮かんだ言葉のひとつは「音のアフォーダンス」でした。詳しく理解していないので直感的なイメージですが、アフォーダンス(affordance)とは、アメリカの知覚心理学者ジェームズ・ギブソンによる造語らしく、「空間において、物と生体との間に出来する相互補完的な事態」とのこと(Wikipediaより)。

デザイナーである深澤直人さんの「デザインの輪郭」という本にも書かれていて(P.248)、人間は立体を立体として認識しているのではなく、平面的なテクスチャー(素材)の重なりとして認識している、というようなことが説明されていました。つまり前景と背景として複雑な重なりを認識することによって、世界を立体化して見ている。「cendre」における臨場感は作られたものですが、やはり距離を感じさせる音のテクスチャーによって、立体的な音像になっていると思います。

一方で「ノイズとピアノのブリコラージュ」という言葉も浮かんできた。なんとなく思想っぽい言葉がつづくと嫌味っぽくていやだなとも思うのですが、ブリコラージュ(Bricolage)はフランスの思想家レヴィ・ストロースの言葉で、「器用仕事」と日本語に訳されるようです。日常にある道具や材料を使って、創造的な仕事をするということ。

基本的にこのアルバムで用いられている楽器は、ピアノとラップトップだと思うんですよね。フェネスの場合は素材としてギターを加工していますが、有限の道具が無限の音の広がりを生み出す。限りなくミニマルな構成なのだけれど、表現された世界は広い。

その広がりは、ぼくにとっては聴覚というよりも触覚的な広がりとして感じられました。

フェネスとサカモトの音は、ときに背景として遠ざかり、ときに前景としてすぐ手の届く場所に存在し、聴いているぼくの脳のなかにある種の手触り=触感を残していきます。10曲目「glow」を聴きながら感じたのは、ピアノの音に絡みつく針金のような金属的な手触りでした。きりきりと巻きついて成長していく針金的な植物というか。いつしか坂本龍一さんの弾くピアノはぼくの指になって、フェネスのノイズがぼくの指に絡みついていく。そんな幻想。

たぶんフェネスのノイズだけの音楽、坂本龍一さんのピアノだけの音楽では、こうした世界観は成立しなかったのではないか。ノイズ×ピアノというコラボレーションがあったからこそ、人工的・電子音でありながら、まるで仮想世界に手を触れるようなリアリティを持った音楽が生まれたのでしょう。

そもそも自然にはノイズが溢れています。ノイズが存在することは、人工的というよりも自然なのかもしれません。電子音でありながら自然を感じさせるノイズは、メタファとして技術と人間の共存を思わせました。その音のなかに身をゆだねていたら、いつしかまどろんでしまっていました。音楽のせいかもしれないし、春のせいかもしれません。3月28日観賞。

+++++


ところで、余談をふたつほど。

余談1:

ショップでこのCDの隣りに置かれていたのは、ジャック・アタリの「ノイズ―音楽/貨幣/雑音」という思想系の本でした。

4622072777ノイズ―音楽/貨幣/雑音
Jacques Attali 金塚 貞文
みすず書房 2006-12

by G-Tools

これって、ぜったいにずるい(泣)。坂本龍一さんのCDの隣りにこんな本を置かれたら、知的好奇心が刺激されて、読んじゃうじゃないですか。うわー、そういえばこういう本あったっけな、と思わず手にとってしまい、ページをめくったら置くに置けなくなった(苦笑)。で、つい購入。十数年ぶりに買ったのですが、みすず書房の本って高いんですよ(3,200円)。結局、他にほしかったエレクトロニカのCDを諦めました。くそー。CDショップのマーケティング戦略(クロスセリングですかね)に負けてしまった。ちぇっ。

余談2:
趣味でDTMをやっているのですが、昨年の秋頃からがらりと作風を変えました。この新しい音作りのキーワードとなったのがノイズでした。ノイズをどうやって音楽に取り入れていくか、ということを考えつづけています。まだ、うまくできてはいませんが、いろんな音楽を聴いて参考にもしています。ノイズを考えるきっかけになったのは、ネットで閲覧した記事だったのですが、そのおかげで思考がずいぶん広がりました。有り難いことです。

+++++

2008年2月4日追記

坂本龍一さんのインタビューです。このアルバムについて「ロマンティック」と言及されているところが興味深いですね。コモンズレーベルでは、ダウンロード配信のみ(CDは作らない)、アナログ版しか作らない、などと流通についての自由度が高い、とのこと。コモンズというと、クリエイティブ・コモンズがどうしても頭に浮かぶんですけど。また、環境に対する取り組みについても語られています。

■fennesz + sakamoto(ryuichi sakamoto Special Interview)

*年間音楽50枚プロジェクト(19/50枚)

投稿者 birdwing : 2007年3月29日 00:00

« 自然の音を標本に。 | メイン | 「歳月」茨木のり子 »


トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://birdwing.sakura.ne.jp/mt/mt-tb.cgi/331