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2007年6月 7日

「ノイズ―音楽/貨幣/雑音」ジャック アタリ

▼book07-015:音楽の変遷について考えつつ、最新動向も考えつつ。

4622072777ノイズ―音楽/貨幣/雑音
Jacques Attali
みすず書房 2006-12

by G-Tools

ジャック アタリがこの書物を書いたのは1977年のようですが、DRM廃止などが論じられている現在において読み直す、あるいは解釈し直すと、新しい見解が生まれるような気がしました。この本は音楽論ではなく、音楽という現象をサンプルとして社会がこれからどのように変わるか占うようなところがあり、そのアプローチが面白い。

性能の悪いぼくのアタマで、この本に書かれていた音楽の変遷をまとめてみることにします。

音楽の社会的な意義は、まずジョングルール(大道芸人)によって演じられる一回性の音楽、そして祝いなどの儀礼的な音楽がありました。しかしながら暗記して継承されていたものが、記譜されること、記譜されたものが印刷によって流通することにより、そこに経済的な価値が付与され、音楽は反復されるものとなった。反復されるものは制度化され、あるレベルの階級だけが享受できる音楽になる。

ところが制度化された音楽を破壊する試みもあり、特権階級でしか聞けなかった音楽を大衆のものとする。大衆のものになったときにさらに反復され、ヒットパレードのようなランキングも生まれる。ここでまたさらに破壊する試みがあり、商業音楽を原初的な雑音(ノイズ)に戻そうとする。こうした一連の流れについて書かれていて、これは録音を印刷に置き換えると小説などの流通にも当てはまるといえます。

DRM(Digital Rights Management)廃止について考えてみると、DRMはコンテンツの流通・再生に制限を加える機能であり、制度・機能的にデジタル音源がコピーによって広がるのを抑止します。つまり、きちんと対価を支払った人間だけが、音楽を聴く権利を有することができる。それは当然のことかもしれませんが、音楽を聴く自由を奪っているともいえます。つまり、別に他人に譲渡する意図ではなくても、DRMがあることによって音楽を再生できる機器や場面が制限されることがある。

そもそも音楽って何だっけ?という基本的な問いを感じてしまったのですが、制度のための権利?、利益を生むための商品?、それとも自然のノイズと同様に世界にあふれている美しさのひとつ?という。真似したとか、勝手に歌詞を書き換えたとか、著作権に関わるさまざまな問題も重要なことかもしれませんが、音楽以外の制度が音楽をつまらなくしていることも多く、個人的な感想を述べてしまうと、もっとオープンソース的な音楽(クリエイティブ・コモンズ的なのかもしれませんが)の考え方にしたがった純粋かつ自然な音楽があってもいい気がします。

というよりも、それをぼくらアマチュアが作ればいいのかもしれない、とも思いました。商業的なクオリティの高い音楽から見下せば、ぼくらが作る趣味のDTMなどはノイズ(雑音)に過ぎないかもしれないのですが、時代を逆行して、ネットのジョングルールとして日記のように音楽を作り、無料で配布していきたい。そういうスタンスがあってもいいのではないでしょうか。

無駄といえば無駄だし、そんなに苦労してなぜ一銭にもならないものを公開しているのか、プロを目指す向上心はないのか、という考え方もありますが、ぼくに関していえば、残念ながらそんな気持ちはまったくありません(苦笑)。反体制的なスタイルを気取るつもりもないのだけれど、ぼくの場合は音が勝手に生まれてくる。つまりぼくにとっての音楽は、朝起きて食事をして眠るぐらいに自然なことだったりします。仕事として曲を作って稼ごうという意識があまりはい。それはブログの言葉だって同じですね。ゴミのような言葉かもしれないけれど、原稿料で稼ごうという意識の前に、言葉が勝手に溢れ出すのだから仕方ない。

それでいいんじゃないでしょうか、創造するということは。難しい本の内容をしかめっつらで読み進めつつ、そんな純粋な創造性について思いを馳せました。世界は複雑でややこしいものだけれど、あえてややこしく複雑にする必要はないような気がしています。6月6日読了。

※年間本50冊プロジェクト(15/50冊)

投稿者 birdwing : 2007年6月 7日 00:00

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