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2007年8月 3日
知のオープンソース、あるいは素敵なメイキング。
少し前になりますが、茂木健一郎さんがブログで次のようなことを書かれていました。「やがてうっそうとした」というタイトルのエントリーから引用します。
以前から、私は、
「クリエーターは言い訳をしては
いけない」と言い続けてきた。芸大の授業でも、学生たちに
そう言ってきた。作品として顕れるものが
全てで、
「本当はこうだったんだ」
とか、
「こういう意味なんです」
などと説明してはいけない。
かっこいいですね。でも、ぼくはあえて異議をとなえたいと思いました。
言い訳はよくないかもしれないが、クリエイターはもっと制作の過程について語ってもいいんじゃないか、いやむしろ語るべきではないか。茂木健一郎さんのような脳の創造性を解明しようとしているひとが、そんなことを言っていていいのでしょうか、と。
多くのクリエイターが、創作過程を才能というブラックボックスに閉鎖しがちだと思うのです。「きみの作品かっこいいなー。どうやって作ったの?」と訊いてみると、「ふっふっふっ。クリエイターは語らないのだよ。才能だ才能」なんてことを言ったりする。訊くんじゃなかったよ、むっかーと腹が立つこともあるのですが、才能と言う特権で片づけてしまうと、誰も近づけないじゃないですか。そこで思考停止してしまいます。才能のないやつお断り、のような排他的な何かが漂う。
あるいは「語らない」のではなくて「語れない」のではないか。創作過程を語るためには、まずクリエイターが創作者としての自己を客観視する必要があり、自らの創造のプロセスを構造化しなければなりません。これが実はかなり大変です。インスピレーションというかたちのないものの連続である創造の現場は、そう簡単に言葉にできない。達人には、身をもって教えなければ習得できない技があるように、単なる理屈だけで習得できない何かがある。
けれども曖昧なプロセスを明確なかたちにすることは、クリエイティブな作業においてはとても重要ではないかと思います。むしろ言葉化しなければ、次のフェーズにも進めない。言葉化することによって、何を創ろうとしていたのか方向性を見出せることもある。
ちょっと考え方を変えてみると、ドラッカーの本を読んでいてぼくが感銘を受けたことがありました。彼はビジネスマンはエグゼクティブであれと主張するのですが、エグゼクティブとは才能ではなく、こつこつと積み上げていけば誰にでもなれる、という考え方を提示していた点です。彼の理想とするエグゼクティブは、特権階級というブラックボックスの存在では終わらせなかった。
また、ドラッカーは予期せぬ成功も分析せよ、と述べています。予期せぬ偶然は構造化なんかできるわけないでしょ、と凡人のぼくは考えるのだけれど、彼はその偶然を分析するところに意義があると問う。凡人であっても努力すれば変わることができる、才能のないぼくを元気付けてくれる言葉に共感しました。その考え方をぼくの生きる姿勢として持っていたいと思った。
さらに話は変わりますが、現在、ウィキノミクスという本を読んでいます。
ウィキノミクス マスコラボレーションによる開発・生産の世紀へ 井口 耕二 日経BP社 2007-06-07 by G-Tools |
ウィキといって思い出すのはWilkipediaですが、あの膨大なオンライン百科事典は、すべて一般のひとが書いている。かつて知識は博識な学者だけが持っていて、ブリタニカのような由緒のある出版社でなければ編纂できないものでした。それが、一般の誰でも参加できるようになりました。
このオープン性が、今後の社会を考える上で重要な鍵になる気がしています。
LinuxというOSは、フィンランドのリナス・トーバルスという学生が開発したものですが、彼は自分のシステムを秘密にしないで、すべてコードを公開してしまいました。こうやって作ったんですよ、と手の内をみせてしまったわけです。けれどもその太っ腹感に打たれた世界中の開発者が彼のコードを手直ししてあげた。それは営利を追求するマイクロソフトとはまったく別の方向にある動きですが、だからこそマイクロソフトも脅威を感じていたわけです。
技術ではなく知識も、閉鎖的に個人あるいは企業の秘密として抱えているのではなく、大勢のひとに開いていくことで相乗効果を生むことも出来るし、改善されていくのではないでしょうか。
ぼくは趣味でパソコンを使ってDTMによって曲を作っているのですが、制作中に考えたことを、できるかぎりブログで公開していこうと考えています。そのときに考えたことを作品といっしょに残していきたい。それは「言い訳」ではなくて、表現したいと考えているひとたちのきっかけになればよいと思うからです。知のオープンソース、といってしまうとかっこいいですが、実際にはただの創作裏話的なつぶやきかもしれないですね(苦笑)。
ただ、音楽を作っているひとの参考にならなくても、ひょっとすると文章に悩んでいるひとのひらめきを促すことになるかもしれない。ぼく自身も文章表現に悩むことが多いのですが、文章家の本ではなく、深澤直人さんなどデザイナーさんの書いた書籍からヒントをもらうことがあります。まったくジャンルの違うひとたちが書いたものが表現の参考になることもある。
というよりもそもそも、ぼくはメイキングが好きなんです(笑)。映画もそうだし、音楽なども制作現場の裏話などを読んだりドキュメンタリーを観たりするのが楽しい。サウンドレコーディングマガジンなどの雑誌に坂本龍一さんの創作についての考え方などが掲載されていると、むさぼるように読んでしまう。ビートルズの「レコーディングセッション」という録音裏話の集大成的な本は、ぼくにとってはバイブルでした。
ビートルズレコーディングセッション 内田 久美子 シンコーミュージック 1998-12-10 by G-Tools |
言い訳をするのは男らしくありませんが、クリエイターはもっと創作論について語るべきではないか、とぼくは考えています。なので、ぼくはクリエイティブの方法論について語っていくつもりです。理屈っぽくなりすぎないように注意しながら。
投稿者 birdwing : 2007年8月 3日 22:20
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