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2008年7月30日

「ゆるみ力」阪本啓一

▼Book:現実を直視すること、蓋を外すこと。

4532260078ゆるみ力 (日経プレミアシリーズ 7)
阪本 啓一
日本経済新聞出版社 2008-06

by G-Tools

阪本啓一さんといえばサラリーマン時代に翻訳したセス・ゴーディンのマーケティング書「パーミションマーケティング」がヒットして、独立および起業された方です。もとから偉いコンサルタントだと思っていたのですが、40代過ぎまで、ふつうに企業にお勤めだったことを知って愕然としました。

阪本さんの書かれる書物は、あたたかい。ご自身の体験をもとに情に訴える箇所が多いので、肌に合わない方もいるかもしれません。しかし、うがった視点ではなく、ストレートに読むと気持ちよいものがあります。どこかのアタマでっかちのコンサルタントが書いた本よりも心に染みる。ぼく自身は、阪本さんの本では、「マーケティングに何ができるかとことん語ろう!」 を読んだことがあります。こちらも上から目線ではなく、語りかけるスタンスで書かれた本であたたかい。

というのはやはり、阪本さんがさまざまな辛い思いをしてきたから、ということにあるかもしれません。

誰もが複雑な社会のなかで複数のペルソナ(仮面)を持っています。けれども、その仮面を崩さなければならないときがある。「見たくない現実」を直視しなければならない。けれども、このペルソナが崩れるときにきちんと向き合うことが重要である。そう阪本さんは書かれています。

ここまで書いてしまっていいのか、と思うぐらいに無防備に自分の弱さを晒す阪本さんの文章は、読んでいてとても辛い箇所も多い。たとえば人間関係で薄い関係しか作れなかった阪本さんが、その原因を、子供の頃に浮気で離婚したご自身の父親にあるということに気付くところ。48歳のときだそうで、わずか2年前という最近のことだそうです。長いのですが以下、引用します(P.70)。

両親の離婚の理由は父の浮気だ。しかし、ぼくは父を恨んだり、怒りの感情をもったりしたことがなかった。ずっと、ニュートラルな気持ちでいた。しかし、これらの平たい気持ちは、こころの地下水脈に流れる本当の気持ちに蓋をしていたからに過ぎなかった。四八歳の誕生日、友人たちがレストランで祝ってくれて、夜遅く帰宅した。楽しかった夕べの余韻を感じながら、居間で家人と雑談していた。何かの拍子に、父の話題になった。家人が聞いた。それは直球ストライクど真ん中の球だった。

「本当に、お父さんいなくて淋しくなかったの?」

いつもならニュートラルな感情のはずが、その夜は、どういうわけか、ポン、とこころの地下水脈の蓋が取れた。あまりにど真ん中へストライクが入ったから。蓋の取れた途端、「おとうちゃんがいなくて淋しかった!」「おとうちゃんに甘えたかった!」「おとうちゃんに相談したいことがいっぱいあった!」などの幼児のような感情が噴出してきた。漢字一文字で表現するなら、「淋」。地下水脈のこころが一気に溢れ出し、それは涙となり頬を伝って、口からは号泣の声が轟々と飛び出した。


泣けました。大人になるということは、さまざまな感情に蓋をすることで、けれども蓋をすることによって過剰に問題を避けたり、こころの深いところでは辛いのに楽しそうに繕ったりもするものです。しかし蓋をした感情は、積もり積もって大きな痛みとなる。蓋を取ってしまうことは怖いのですが、誠実に問題を直視し、向き合うことで、はじめて「ゆるむ」ことができる。この考え方に共感します。

だからこそ、すべてに意味があり、自分の弱さも過去も全部肯定できるのであって、誰かに嫉妬や猜疑心に苛まれることもなく、自分の人生をきちんと生きることができるのでしょう。自分の弱さを認めることは負けではないし、マイナスではない。弱さを認めてしまえば、肩の力も抜けます。頑張らなくてもいい。そのままでいい。

スローライフという言葉も聞かれますが、結局のところスタイルやファッションではなく、こころの在り方に拠るところが大きいと思います。どんなに田舎で解放的な生活に変えても、オーガニックな生活に変えても、こころがゆるんでなければ根本的な解決にはならない。そして、ゆるむためには逃げるのではなく(厳しく辛いこともあるけれど)根本的な問題や現実に向き合い、蓋をされて隠されている感情に向き合うことが大切です。

ところで、個人的には健康面で「経皮毒」について書かれていることが参考になりました。経皮毒とは、「日用品に含まれている化学物質が皮膚を通して浸透、体内で有毒な作用を引き起こしたり、蓄積すること」だそうです。健康に気をつけているひとであれば、ふつうに知っていることかもしれませんが。以下、引用(P.217)。

子宮内膜症と診断された女性が、医師の治療を受けても一向に良くならず、友人の薦めで無添加のシャンプーとリンスに変えたところ、どんどん痛みが減り、一年で治ってしまった事例がある。
また、女子中学生が無添加のシャンプー、リンスに変えただけで、生理痛が激減した事例もある。
私は家庭内で食器洗いの担当なのだが、無添加の食器洗い石鹸を使ったおかげで、この冬は手のあかぎれやひびわれがなかった。

これもまた、現実を直視し、ほんとうに問題となっているものの蓋を取り去ることで、ゆるむことができる実例なのかもしれません。そして、正しい知識を得ることがゆるむための近道となります。

とはいえ、最近、公務員の不正が発覚したり、電車の駅員さんが寝坊して切符が買えないようなことがあったり、社会全体がどこかゆるみがちな気がするので、しゃきっとしなきゃならないところはしゃきっとすべきだと思いますけどね。頑張っているひとにはゆるみ力は大切ですが、社会全体には「しまり力」が必要ではないか、と思ったりしています。7月30日読了。

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■関連図書

4881358057パーミションマーケティング―ブランドからパーミションへ
Seth Godin 阪本 啓一
翔泳社 1999-11

by G-Tools
4534035624マーケティングに何ができるかとことん語ろう!
阪本 啓一
日本実業出版社 2003-03-26

by G-Tools


投稿者 birdwing : 2008年7月30日 23:59

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2 Comments

ぽろり 2008-08-03T04:49

このエントリ、頷きながら読みました。私も時々ぶっ壊れることがあるので(苦笑)、すごくわかる。我慢しているつもりはなくても、まさに「蓋」をしているんですよね、知らず知らず。
今日(もう昨日だ)、施設にいる祖父に会いに行ったのですが、痴呆が進んでからの祖父を見ていていつも思うのが、表情筋全力で使ってるなあ・・・ということです(笑)。今日も面会を終えていとまごいのとき、誰が見ても「このひとは、かなしい!!」とわかるぐらい極端にかなしみに満ちた顔をしていました。笑顔だとそれほど極端に感じないのだけれど、かなしそうな顔だけは印象に残るのは、かなしみの筋肉を使っているひとを普段見かけないからでしょうね。世界中の落し蓋を集めたら、大陸ひとつぐらい埋まるかもしれない。。。
気付かないほど奥底にしまった問題だからこそ、気付けたときには能動的にポジ切替してみると、揺るぎないゆるみ力に(で)繋がる気がしました。嫉妬や猜疑心など対人問題であれば、信頼できる相手であればぶつけるのもよいのだけれども、結局のところ自分のことは自分がいちばんよくわかっているもので、消極的でなければ独り言のほうが解決が早いかもしれない、などと思ったりもしました。なかなか難しいですけどね。

すみません、29日のエントリにもコメントしてしまいましたが、お返事はゆるみがちにおねがいします。。。自分で書いといてなんですが、大変そう(苦笑)。

BirdWing 2008-08-03T09:14

施設のおじいさんに会いに行かれたお話、しんみりと読みました。短い文章ですが、ものすごく雰囲気が伝わります。ぽろりさんが介護について書かれていたエントリも思い出しました。せつないですね。でも、家族とのつながりは断つことはできないし、避けることはできないことです。それこそ現実を直視しなければいけない。辛くて大変なことが多いのですが。

ぼくは阪本啓一さんが自分の弱さを無防備に晒す姿勢に打たれたのですが、かなしいことはかなしみ、うれしいことは満面の笑みで喜ぶという当たり前のようなキホンのようなことが、実は大切ではないかと思いました。強がる必要はない。感情に素直に生きていたほうが、こころがゆるみます。ぽろりさんのおじいさんは、いましあわせではないのかな。現実はいろいろと複雑になってしまうのだけれど、体裁を繕うよりは本音で生きたいものです。

ところで、嫉妬については、阪本さんは次のように書かれています(P.48)。

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嫉妬の根っこには有限の思想がある。ゼロサム、つまり、誰かが得れば、誰かが失う。合計した全体量は一定。違う。有限ではなく、無限を前提にしよう。だれかが得たからといって、あなたの「取り分」が減るわけではない。あなたはあなた。他の誰でもないのだから、無限を根本思想にしていればいいのである。

そうは言っても、なかなかそうは思えない、という人もいよう。そういう人は、嫉妬してしまう自分を、次の二つの観点から見つめなおしてみるとよい。
それは、嫉妬は、①自信のなさと、②覚悟のなさのいずれか、あるいは両方から生じる、という観点である。

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相手にぶつけるよりも、自分を振り返ることが大事かもしれません。目を開ければ世界は見えるけれど、実は、こころの目を開けて自分自身に直面するのがいちばん難しい。他人を責めるのではなく、自分と対峙する。黙々と自分に向き合う時間は辛いものですが、それができてこそ、はじめて他人ときちんと笑顔で関われるような気もします。自分の弱いところに落ち込むのではなく、ああ、これも自分なんだなーと認めてあげることができると、かなり意識が違う。

難しいですね。ほんとに難しい。ぼくもまだ他人を責めてしまうことが多いのだけれど、多くの場合、それは自分の弱さ・・・自信のなさと覚悟のなさ・・・から生まれている。自分の選んだ人生であり、自分が引き受けた生き方であれば、誰も責められない。やるしかない。

などと、無駄に熱く長文になってしまいました(苦笑)。はーゆるめない。でもですね、楽しいです。てきとーに考えるのではなく、徹底的に考えたいと思っています。なので、ぽろりさんのコメント、とても嬉しく感じました。またお話しましょう。

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