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2008年10月11日

「風花」 川上弘美

▼book:寄り添えない距離、はじまらない関係。

4087712079風花
川上 弘美
集英社 2008-04-02

by G-Tools


たぶん相性の問題だと思うのですが、ぼくは川上弘美さんの小説にとても弱い。もちろんすべてがすべて弱いというわけではないのだけれど、彼女の小説には、こころを乱されることが多いようです。したがって、精神状態がかんばしくないときには読まないようにしています。

「風花」が書店に並んだのは今年の四月。真っ先にみつけたにも関わらず、ぼくは購入しませんでした。帯に書かれていた「夫に恋人がいた。/離婚をほのめかされた。/わたしはいったい、/どう、したいんだろう――」という紹介文を読んで、うーむ、こういうのはいけないなあ、暗くなりそうだ、と読む前に敬遠してしまった。綺麗な装丁は気になっていたのだけれど、書店で本を物色するときに何度もこの本の前を素通りしていました。ところが、まあそろそろよかろう、ということで買ってしまったんですよね。

で、・・・。まいりました。やっぱり川上弘美さんの小説はダメだ(泣)。

最近はビジネス書ばかりを読んでいて小説は久し振りだったにも関わらず、一気に数時間で読了してしまったのですが、半分ぐらい読み進んだあたりで、なんだか息苦しくなり中断。体調があまりよくなかったこともあり、お酒を飲んでいたせいもあるのだけれど、とても辛くなった。恥ずかしいのですが、読了後の正直な感想として書きとめておきます。

川上弘美さんの小説は、熊や人魚と対話するような初期のものであればともかく、恋愛小説は何か特別な技巧や仕掛けがあるわけではありません。むしろ淡々とありふれた日常を描写していきます。「風花」で進展するストーリーも筋だけ追ってしまえば、主人公が語るように、不倫に関する結婚生活の崩壊を描いた「出来の悪いドラマ」でしかありません。

けれども、とてもびみょうな主人公のこころの揺れ具合や、割り切れない関係の機微が正確に描かれていきます。この正確さが、読んでいるぼくには痛い。感情の波動と共鳴することになり、ぼくには川上酔いとでもいえそうな眩暈が生じることになります。

物語について触れてみると、主人公の日下のゆりは33歳。システムエンジニアの夫である卓哉と7年間、暮らしてきたのですが、ある日、夫の会社に勤める誰かからの匿名の電話によって、夫が松村里美という同僚と恋愛していることを知ります。傷心のまま叔父である真人と旅行に出掛けたり、別居して働きはじめたり、里美と会って彼女がニンシンしていたことを知ったり、卓哉の転勤に付き合って引越しをしたり。膠着した結婚生活を引き摺りながら、日常を生きていく。

あらすじを書きながら、物語の筋を抽出することによって削ぎ落とされるものが多く、もどかしさを感じました。のゆりと卓哉は危機的な状態にありながら、それでも決して終わってしまうことがなく、惰性のように結婚生活を継続している。破綻しながらもつづく脆い関係にあります。その不安定な日常の雰囲気こそが、「風花」の読みどころという気がしました。風に飛ばされる雪のような繊細さが延々とつづくところが、せつない。

夫婦の危機を契機として、お互いのまったく知らない面を発見して、ふたりは困惑します。きちんとかみあっているはずだったのに、結婚生活の水面下で、そもそもスタートから何かが間違っていた。いちばん近くにいるのに、こころは遠い。寄り添えない距離がお互いを消耗させるのだけれど、消耗しつつも別れることができない。

たとえば、のゆりが「卓ちゃん」と夫を呼んでふたりの核心に迫ろうとしたとき、彼が「その呼びかた、ほんとうは、苦手なんだ」といきなり話の腰を折るシーンがあります。

そこで「卓哉さん」と呼びかえるのだけれど、呼び方を変えることによって夫であるはずの男の輪郭が崩れていってしまって、のゆりは何も語れなくなってしまう。ふたりの距離が変化する。その呼び方が嫌いならもっと早く言ってくれたらよかったのに、というのゆりに対して、悪くて言えなかった、我慢していた、と卓哉から真実が語られます。

これはささやかな告白ではあるのだけれど、けっこう酷いですよね。ちいさな我慢であっても、蓄積されると溝を生むものです。瑣末な日常であったとしても、その瑣末さゆえに大きくふたりの関係を破綻させる要因となる。

恋愛は、そして恋愛とはどこかまったく別物である結婚は、単純ではありません。どうしようもなく割り切れない複雑さがある。と、当たり前のことを書いて苦笑なのですが、寄り添いたいと思いながら傷付けてしまうこと、相手を愛おしく思う気持ちがありながら意地悪な言葉を浴びせてしまうこともあります。すっかり気持ちが冷めているのに別れられないかと思うと、別れることを決意した瞬間に、愛しさが募ったりもする。ひとすじなわではいかない。

特に女性はそうではないのかな、と思いました。女性は、どんなに愛おしいひとに対しても背反したふたつの気持ちを抱えていて、複雑な感情のまま、たゆとうように生きているものではないでしょうか。

男性は、課題がそこにあれば解決してしまいたい衝動に駆られます。だから関係を修復させるか解消するか、そのどちらかしかない。早急に結論を急ぐかと思うと、やりなおすために食事に誘うなどの対処方法を重ねてみたり、態度をあらためようとする。暴力的なほど前向きかつ合理的です。行動で片付けようとする。けれども女性は解決を求めるのではなく、いま置かれている状態について思いを馳せることのほうが大きい。行動よりもまず考える。

解決なんかどうでもいいと思っているわけではないのでしょうが、むしろ状況を享受することが、女性にとっては大事なのかもしれません。愛憎はもとより、別れる/別れないという結果さえ留保して、いずれでもない状態で絡み合った複雑な関係を複雑なまま解きほぐそうともせずにつづける。それは女性が女性ならではの特性のように思われました。

それに比べると、おとこって馬鹿だな、と思いました。というぼくもおとこなのですが、単純すぎる。行動も思考のパターンもシンプルで、わかりやすい。のゆりの視点から描かれる卓哉のエピソードを読んでいて、ああ、おとこは馬鹿だと痛感しました。特に愛人である里美に歯を磨かせて、そういうところがもう耐えられない、と語る里美のエピソードなどは、きついものがあります。

女性は複雑であるがゆえに強い。その強さは弱さの裏返しであったりもするのだけれど、耐える強さでもあります。うーん・・・やはりうまく書けないですね。書きたいことの核心に迫らないような気がしました(苦笑)。

むしろ困惑気味な感想を書くよりも、引用したほうがわかりやすいかもしれません。そこで読んでいて、いちばん辛かったシーンを引用してみます(P.172)。

「卓哉さん、わたし、卓哉さんと離れたくないの」
卓哉さん、という言いかたにも、だいぶん慣れた。のゆりは思う。舌も、もつれなくなった。
「のゆりには、プライドは、ないのか」
つめたい声を、わたしに向かって、平気で出せるんだな。のゆりは目をぎゅっとつぶる。それからすぐに目をあけ、みひらく。がんばれわたし、がんばれ、と、頭の中で繰り返す。
つ、と寄っていって、のゆりは卓哉の首にそっと手をかけた。ね、卓哉さん、ね。言いながら、のゆりはのびあがって、卓哉のくちびるに、くちびるをあわせた。卓哉は拒まなかった。拒まないけれど、協調もしなかった。
のゆりは押しつけているくちびるを少しだけひらき、卓哉のくちびるをついばむようにする。卓哉は石のように立ちつくしたままだ。みっともないな、今のわたし。思いながら、のゆりはくちづけつづける。
みっともないことなんだな、他人と共にやってゆこうと努力することって。
のゆりの鼻から、涙が出てくる。目からはほとんど出ず、鼻だけから、すうすうと流れでてくる。ほんとうに、みっともないよね、わたし。つぶやきながら、のゆりは卓哉にぎゅっとかじりつく。卓哉の腕が少しだけあがって、のゆりの背中に、力なく、まわされる。
がんばれ、がんばれ。何回でも、のゆりは自分に、言いきかせる。

このシーンは辛かった(涙)。

拒まないけれど協調もしない卓哉との関係を維持するために、のゆりは自分を励ましながら、彼にくちづけつづけます。もはや、がんばらなければ維持できないふたりの関係。行き場のない努力。みっともない状態に耐えながら、のゆりは卓哉に身体をあずけて必死でつなぎとめようとします。けれどもほんとうに愛しているかどうかさえ、わからなくなっている。離れたくはないのだけれど、では好きかというと、きっとそうともいえない。

結婚というのは、とてもみっともない関係だと思いました。関係を維持しようとすればするだけ、みっともないことが多くなる。美しいこともあるかもしれないけれど、そうではないこともたくさんある。

結末で、川上弘美さんは、のゆりと卓哉の関係を曖昧にしたまま物語を閉じています。ふたりは、もう何かをはじめることはできない。けれども終わることもできない。そんな投げ出された物語に、ぼくは作家としての川上弘美さんの力を感じました。10月11日読了。

投稿者 birdwing : 2008年10月11日 09:06

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