« 先に立たない後悔だからこそ。 | メイン | 「風花」 川上弘美 »

2008年10月10日

うまい文章を書くために。

文章をうまく書けるようになりたい。たどたどしい言葉で作文らしきものを綴りはじめた少年の頃から、そんな思いをずっと抱いていました。

原稿用紙やノートがワードプロセッサあるいはPCに変わっても、変わらずにその思いは存在しています。しかし、あらためて考えると、この思いには曖昧なことがいくつかあります。たとえば次のようなことです。

・なぜ、うまくなりたいのか    (上達の理由)
・どのようにうまくなりたいのか (うまさの基準)
・うまくなってどうしたいのか   (上達の用途・目的)

文章を書くのが好きだということに理由は要らないと思うのですが、文章がうまくなりたいことについては理由や目的、尺度が必要であるような気がします。そうでなければ漠然と表現力の向上をめざすことになり、うまくなったかどうか到達度もわかりません。

同様に、ギターを演奏するのがうまくなりたい、ということや、仕事が(うまく)できるようになりたい、ということにも理由や目的があります。かっこいいフレーズを弾いて女の子にもてたいとか、がんがん稼ぎたいとか、そんな単純でわかりやすい動機付けから、もう少し複雑で高尚なものまで。

ところで、文章であれ音楽であれ仕事であれ、上達の理由や尺度を近い他者(ライバル)に設定すると、邪念が入り込みやすいと思います。競争心は大事ですが、あいつよりもうまくなりたい、のように身近な誰かを指標にすると、上達よりも嫉妬や批判など他の雑念にとらわれそうです。もちろん純粋に競争心を刺激されて、お互いに磨きあうこともあるかと思いますが。

先日読了した箭内道彦さんの「サラリーマン合気道」にも「ライバルや先生はなるべく遠くで探す」として、同様のことが書かれていました。

4344015517サラリーマン合気道―「流される」から遠くに行ける
箭内 道彦
幻冬舎 2008-09

by G-Tools

身近にライバルを設定すると自滅して、仕事のやる気を損なう危険性を孕んでいる、とのこと。さらに興味のあるジャンルをタスキがけのようにして、まったく違う業界のすごいひとを目標にすることによって、アイディアを飛躍させるという考え方が面白いと思いました。以下、引用します(P.139 )。

同じ部署の人間をライバルと見なしていては焦るばかりで、本当の意味でのやる気は刺激されません。もっと視野を広げて、自分からなるべく遠いところにライバルや先生を見つけるべきです。ジャンルを超越して、本気度合いやどれだけ人を感動させるかを競ったりして「自分はまだまだあの小説より人を感動させる広告を作れていないな」と悔しがったりすることが、本当の面白さに繋がるのです。これはどんな仕事でも同じだと思います。

いっそのこと、ジェフ・ベックより超絶テクニックの表現力がある仕事をしたいとか、S・ジョブズよりイノベーティブな作品を生み出したい、ぐらいのほうがいい。あまりにも高い理想を掲げると取り組む前にあきらめてしまいそうですが、めざすなら理想は高いほうがいい。

なぜぼくは文章をうまく書けるようになりたいか。あらためて考えてみると、文章を書くことが好きだ、好きだからうまくなりたい、ということが大きな要因だと思いました。かつては身にあまる野望もあったような気がしますが、忘れました。年をとっちゃったせいでしょうか。最近はあまりぎらぎらした欲はない。枯れている。

だから淡い動機しかないのだけれど、もう少し考えてみると、ぼく自身がさまざまな作品やテキストに元気付けられてきた、だから自分も誰かを元気付ける文章を書きたい、という感謝のフィードバックとして文章を上達したい、ということがあります。以前から何度もエントリーに書いてきましたが、それがぼくのブログを書きつづける推進力でもあります。

小説や詩はもちろんブログやメールの文章など、ぼくは有名無名、知人や知らないひとを問わず、さまざまなひとによって書かれたテキストに何度も救われてきました。だからこそ言葉のチカラで誰かを元気付けてあげたり、気持ちをやわらげたい。そのために文章力を磨きたいと思っています。

もしかすると、この目的のためには、うまい文章である必要はないかもしれないですね。ごつごつした荒削りの文章のほうが誰かを元気付けることもある。さりげない短文が最大限の効果をあげることもある。

しかしながら、誰かを元気付けるために文章力をつけたいという動機や目的は、とても抽象的です。かっこいいけれど理想主義のきらいがある。綺麗すぎる。

たとえば、ライターとして独立して原稿料を稼ぐために文章をうまくなりたいとか、小説で文藝賞を取りたいから文章をうまくなりたいとか、そんな具体的な目的のほうがぜったいに上達カーブは急上昇すると思います。欲望のチカラもあるだろうし、切羽詰ったものがある。また、あいつを超えたいというベタな競争心は毒になることがあるかもしれませんが、だからこそ大きな原動力にもなる。泥臭い欲望は、成功する人間の大事な要件のひとつといえます。綺麗な理想だけでは成功はできない。

がつがつした欲望の原動力がないこと。それがぼくの弱点でもあるのだろうけれど、ささやかな火を長いあいだ灯すことができれば、それもまたいいんじゃないか。そんな風に考えるようになりました。そうして淡々と書きつづけるなかで少しずつ改良を重ねて、ぼくなりのスタイル(=文体)を獲得していきたい。

改良といえば、最近わかりはじめたことがあります。ぼくは辛い現実に直面すると、無理に明るい文章を書こうとする傾向があるようです(苦笑)。

昨日も実はそうでした。だから何度かエントリーを書き直しました。過去の記事を見渡しても、どこか悪ふざけ気味なエントリーは、辛い時期に書いています。要するに文章が揺れるんですね。自棄になりやすい。妙に弾けた表現になったり、なれなれしい口語の言葉になってしまう。

クールに感情をコントロールしているつもりが、まだできていないのでしょう。それがぼくの稚拙さでもあり恥ずかしいことですが、ときにはその感情の揺れがブログの魅力になることもあります。だから一概に悪いことともいえない。校閲された文章や商品としての文章にはないブログのよさは、脳内の感情をダイレクトに注ぎ込んだ過激さにあることも事実です。

とはいえ、そろそろ落ち着いた大人の文章を書けるようになりたいものだ、と思いました。

抑制しつつ、けれどもきちんと熱い何かを語れること。やんちゃな気持ちを維持しながら、おふざけの振幅を抑えて品位を保った文章を書きたい。以前のような面白さはなくなると思いますが、しっとりとした大人のブログをめざしたい。

姜尚中さんの「悩む力」を読んで、ぼくはその落ち着いた語り口調に嫉妬さえ感じたのですが、そんな大人の文章を書けるようになりたいと思っています。それが、ぼくが考える文章の「うまさ」でもあります。悔しいけれど容姿では姜さんに勝ち目はないけれど、姜さんに匹敵するような知力と大人の魅力を手に入れたい。嫉妬力を原動力にして(笑)

4087204448悩む力 (集英社新書 444C)
姜尚中
集英社 2008-05-16

by G-Tools

また、最近、三島由紀夫の文章読本を読んでいるのですが、確かに美辞麗句とか、修辞の技巧を凝らした文章は魅力的です。そもそも三島の文章自体が、そういう美しさがある。文章読本のなかの比喩表現に、やられたと思うものがいくつかありました。

4122024889文章読本 (中公文庫)
三島 由紀夫
中央公論社 1995-12

by G-Tools

ただ、そうしたきらびやかな装飾の美しさには飽きも早い。むしろ、鴎外のようなストイックに感情を排除した文章のほうが、地味だけれどじわじわと染み込むような味を与えてくれる。

いままでどこかふわふわとした軽さがぼくの文章のよさだったような気がしますが、今後は知的な尖鋭さをこころがけながら、淡く舌のうえで溶けて、それでも忘れられない豊饒なうまみを感じさせるような大人の文章に変えていきたいものです。そう、たったひとりのファンでも構わないから、永遠に記憶に残るようなブロガーになりたい。あなたの文章に出会えたことで人生が変わりました、ぐらいの傷を残せる書き手になりたい。

味のある"美味い"文章へ。未公開の記事も含めると、もう少しで1000エントリーを超えようとしていますが、ぼくはそんなブロガーへシフトしていこうと考えています。そのためには日々勉強あるのみ。そして書きつづけるのみです。

投稿者 birdwing : 2008年10月10日 00:15

« 先に立たない後悔だからこそ。 | メイン | 「風花」 川上弘美 »


2 Comments

かおるん 2008-10-18T20:41

これを読んでから、しばらくの間、うまい文章ということについて考えていて、それで少し間があいてしまいました。

『悩む力』読みました。姜尚中さんの文章は、平易の魅力だと思います。言いたい事がすでに自分の中に確固としてあって、それを論理的に組み立ててシンプルに伝えている。だから、感情もコントロールできるし、書きながら淀まず、文章の息が整っている。読者にきっちり伝わる「うまさ」とともに、過不足なくものを言う、品のよさが感じられます。言いたい事が明確でないまま語り口だけを真似ても、この文章は書けないと思います。

一方、birdwingさんの文章は、言いたいことを探しながら迷いながら書く中に、やさしさや柔らかさ、独特の空気感が出ているのではないでしょうか。はっきり伝えることを目的とせず、むしろ読者自身が言葉をヒントに考えるような。それは誰にでも書ける文章ではないし、それをまとめあげる力もまた「うまさ」だと思います。

ちなみにシンプルで落ち着きのある文章を望むなら、もう読まれているかもしれませんが、木下是雄さんの『理科系の作文技術』(中公新書)はとっても参考になります。地に足のついた「うまさ」を勉強するのに適しています。

私も文章がうまくなりたいと願っていますが、どこまで進んでも、向こうの山は常に同じ大きさにしか見えません。お互い、精進してまいりましょう!

BirdWing 2008-10-18T22:20

かおるんさん、コメントありがとうございます。長文になりますが、考えたことを書いてみます。

姜尚中さんの本を読まれたのですね。そうなんです。彼の文章は「平易の魅力」だと思いました。そしてなぜ平易であるかというと、かおるんさんも書かれているように、姜さんご自身の「息が整っている」からだ、とぼくも考えました。

黒川伊保子さんは、コンピューターに感情を持たせるには息をさせることが重要だ、ということを「恋するコンピューター」という本で書かれていました。文章における文節という区切りは、ぼくらの思考はもちろん身体感覚に結びついている。

姜尚中さんの文章が読みやすいのは、文節が自然で滑らかであること、つまり書かれている姜尚中さんの息が整っている=思考に落ち着きがある、ということにあると思いました。つまり悩み抜いた末の覚悟が、文章にあらわれているのではないでしょうか。これは、もはや技巧の問題ではなく、人間として到達した境地が表現に滲み出している。なかなかできないことです。

お恥ずかしいことですが、ぼくは脳内の迷いや悩みををそのまま文章としてさらけ出しているようなところがあり、過去のエントリーを読むと、いたたまれなくなることがあります。文章を通じてぼく自身の生き方を模索しているところもあり、ブロガーであるbirdwingのほうが現実の自分の半歩先を歩いているようなところもあります。しかし、birdwingはまだ姜尚中さんのような境地には至っていません。落ち着きがない(苦笑)。ところが、その落ち着きのなさが、ふわふわした独特の空気感になっているのかもしれないですね。

木下是雄さんの『理科系の作文技術』、名著ですね。ぼくは社会人一年目に、マニュアルを書くテクニカルライターという仕事をしていたのですが、この本は必読図書でした。先輩から読め、と言われた。きっと本棚のどこかにあるはずですが・・・みつからない。探してみます。

遠くにある山は同じ大きさですが、山に至る道を一歩ずつ踏みしめていけば、やがては山に到達できるような気がします。やめてしまわないで諦めずにつづければ、山のふもとぐらいには辿り着けるのではないでしょうか。

お互いに頑張りましょう!

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://birdwing.sakura.ne.jp/mt/mt-tb.cgi/987