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2008年11月 1日
[DTM作品] 硝子窓、木枯らしの影。
菊地成孔さんの音源を聴きました。JAZZにはあまり詳しくないし、この音楽性を真似するのは才能も力量もないぼくには無理と思いつつ、彼の芸術性にインスパイアを受けています。いろんな活動をされているのですが、以下の映像をYouTubeから引用します。
■Nariyoshi Kikuchi - Elizabeth Taylor
音楽は理解するものではない、心に響けばいいのだ、技術だけでもない、感情がなければひとの心は打てない、と考えていた時期もありますが、やっぱりテクニックは必要だし、理論を含めて知的な何かを発動させたサウンドも素晴らしい。シンプルなロックもいいけど、難解なJAZZも楽しい。時間があれば音楽理論もきちんと紐解いてみたいと思っています。きっと音楽を聴く耳が、いままでとは変わるのではないか。
そもそもミーハーなぼくは、よく理解できないにもかかわらず思想書などを購入してしまうひとであり、思考系ブロガーを標榜しています。だから個人的には、知との戯れは途方もなく贅沢な時間です(実りはなかったとしても)。バンド活動ではなく、ひとりで趣味のDTMで曲を作る作業が楽しいのは、知との戯れの要素があるからだと思います。構造的に曲を考えたり、ある枠組みのなかで音の可能性を探るのは、途方もない知的な好奇心を満たしてくれます。
といっても、あまりに過激な思考だとか、奇をてらった試みには引いてしまうわけで、ふつーのひとの感性も持っているつもりです。それがないと、傍目に困ったひとになってしまう。
たとえばインディーズのエレクトロニカでいうと、カールステン・ニコライだったかと思うのですが、文書ファイルのテキストを音に変換した楽曲があって、さすがにこれはどうだろう・・・と思いました。ショップで試聴して困惑しました。というのも、ピーガリガリガリ、というようなFAXの送信音のようなものがCDに入っていたので。うーん、これはありかもしれないけれど、購入する価値があるのか、と。
あれはやりすぎでしょう。ノイズも音楽の要素になるし、ジョン・ケージの無音を演奏とする試みだとか、プリペアド・ピアノのような楽器を別の使い方で演奏する音楽もありとは思うのですが、それ変じゃないの?という裸の王様の寓話のような正直さは忘れずにいたい。でも、ときどき自分の感性に自信が持てなくなることもあります(苦笑)。ブログを書いていて文章に歯止めが利かなくなることがある。客観性というのは難しい。
さて、今日は天気はいいけれど、風の強い日でした。ぼくの部屋はブラインドなのですが、風の強い日に思い出すのは、子供の頃、ふすまにちらちらと映った植え込みの木々の影です。たぶん熱を出して学校を休んでしまった日で、微熱を持て余しながらぼんやりと布団のなかからふすまに動く影絵を眺めていた。風は強いのだけれど部屋のなかは静かで、ふすまの影だけが激しく動いている。そんな風景です。
気がつくともう11月。秋から冬へとなめらかなグラデーションで季節が変わっていく時期になりましたが、木枯らしを部屋のなかから眺めるような曲を作りたいと思いました。とにかくアタマのなかにある音の像をカタチにしたかったので、土曜日の1日、ときどき子供たちと遊びつつ、すごい勢いで作ってしまったのですが、ブログで公開します。タイトルは、「硝子窓、木枯らしの影。」としました。
■硝子窓、木枯らしの影。(3分2秒 4.21MB 192kbps)
作曲・プログラミング:BirdWing
今回もすべて打ち込みです。ソフトウェアシンセはSONAR付属のTTS-1のみです。以前、学研の大人の科学「シンセサイザー・クロニクル」という号の冊子で、レイ・ハラカミさんが、いまもRolandのSC-88Proというハードウェア音源を使って制作されている、ということを読んでショックを受けました。実はこの機材はぼくも中古で購入して持っているのですが、まさかこれであの音が・・・と。使う人が使うと音も変わるものだなあ、ということを痛感しました。
大人の科学マガジン別冊 シンセサイザー・クロニクル (Gakken Mook 別冊大人の科学マガジン) 大人の科学マガジン編集部 学習研究社 2008-07-30 by G-Tools |
もちろん最新のマシンで最新のソフトウェアを使えば、ものすごくリアルなサンプリング音源でとんでもないことができそうな気がしますが、だからといっていまの機材で何もできないかというと、そんなことはない。かつてぼくはすべて無料の音源で曲作りに挑戦したことがありますが、機能が制限されるからこそ、その機能を生かした曲作りを工夫するようになります。また、タマス・ウェルズというミュージシャンのコンサートに行ったときにも、ぼろぼろのギター1本で(5000円ぐらい?)演奏した曲に、思わず涙したこともありました。
というわけで、アレがないから何もできない(時間がないからできない、も同様)という言い訳はやめて、とにかくいまある時間と機材とありったけの才能を使って、できる限りの曲を作ったり、文章を書いたりしていきたいと思っています。
今回は、リードとしてSAW、いわゆるノコギリ波の音を使っています。シンセサイザーの基本とも言える音です。大人の科学の付録シンセサイザー、学研のSX-150を使いたかったのですが、音階がコントロールできないことと、どうもPCに音を取り込むのがいまひとつうまくできないので断念しました(SX-150を組み立てたときのエントリーはこちら)。オーディオインターフェースが貧弱なせいか、あるいはぼくの設定がまずいのか、外部の音を取り込むことができずに残念です。
SAWのリードにはフランジャーとディレイをかけて、ユニゾンでパッド系(ヒューマンボイス風)の音を重ねています。SAWだけだといかにもな音なのですが、パッド系の音を加えることにより広がりができたような気がします。また、ピアノは途中でコードを逸脱するような音を試みたつもりです。ちなみにぼくはマウスで音を置いていくステップ入力というスタイルで曲を作るので、キーボードは弾いていません(というか、弾けません。苦笑)。入力した音の強弱を加工して自然に聴こえるようにする、という途方もない作業で制作しています。
しかし、こういうコード進行を崩すようなときこそ理論による裏づけが必要で、感覚的に音を外したのですが大きなボウケンはできていないような気がします。難しいですね、どうしても既存の音に絡み取られてしまう。表現の幅を広げるためには既存の何かを壊す爆弾のような何かも必要もあり、その何かを探して日々研鑽です。
ところで、前回のDTM作品「あき、星空のもとで。」を公開したとき、プラネタリウムなど星のことを書いたのですが、古い雑誌を整理していたら、地下鉄の駅で配っているmetoropolitanaというフリーペーパーの「夜空みあげて星をみよう。」という特集号をみつけました。なんと、日付けは2003年10月号。どれだけモノを捨てられないんだか。
その特集に天文写真家である林完次さんという方の撮影した写真があるのですが、これが美しい。左側ページは奥多摩の空、そして右側ページは長野県富士見高原のカシオペア座だそうです。ぼうっと木立が霞む風景はイラストのようですが、れっきとした写真らしい。すごい。
「宙の名前」という本も出されているとのこと。ちょっとほしくなりました。
宙(そら)の名前 林 完次 角川書店 1999-12 by G-Tools |
寒いのですが、木枯らしに寒さをこらえて眺める空もまたいいものです。
投稿者 birdwing : 2008年11月 1日 22:18
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6 Comments
- ぽろり 2008-11-02T06:02
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菊地成孔聴いてるんですか(汗)いや、私も音源持ってますが、これは相当難しいと思います。東大でゼミ持ってるんですよねたしか・・・。
でもまあ、バンドにしても電子音楽にしても、「なんとなく」いいんですよねー、菊池さん。貼り付けられている動画もかっこいいし、CDでも楽器の音をぷつぷつ切り刻んでいたりしますが、ただ壊しているだけのものとは違う洗練された印象があります。その「なんとなく」を把握しようとする努力ができると、きっと音の楽しみ方が増えるんでしょうね。楽しそうですけど、努力は難しそうです。菊池談が長くなってしまいましたが、エントリの「音楽は理解するものではない~変わるのではないか」の部分に共感しました。音像を大事にするひとで理論を真っ向から否定するひとがいますが、そもそも相対的な価値判断があるはずの音楽を通じて他者を見下しちゃう感覚がある時点で何も理解していないと思うし、理論は理論だから理論なのではなく、心に響くからこそ理論です。
だから「どちらも大事」という姿勢は真実だと思うし、そう言えることはとても素晴らしいと思いました。それから、裸の王様の「それ変じゃないの?」で笑いました。たしかに変だ(笑)しかし、どう見ても裸なのに「裸に見えるけど裸じゃないのかもしれない・・・」と思い込んでしまうようなことも多々あり、外からの強い力に押し流されて自分を見失ってしまうと、ほんとうに辛いですね。
思考には段階があり、私達は、人間としての尊厳を求めて考え行動することで段階を上り最高善に近付く・・・という根源的な欲を強いられているような気がするのですが、かっこよく生きたいからと言って善とか正義を貫こうとすると、途端に自分を見失います。善や正義はあくまで外の(相対的な)ものであり、内なる自分ではないからです。判断を外に求めると何かが歪みます。だから私は、正義に近付くことで階段を上っているとは思いたくない。世代の違いは大きいのでしょうが、私の感覚では、やっぱり愚痴や弱音は吐いて良いものです。特定の誰かにそうするのは相手にとって負担がかかる場合もありますが、ブログであれば対象が特定できないから、読む側も負担を受けるか受けないかの選択肢を持つことが出来ます。
そして何より、私はBirdWingさんの弱音エントリが好きです。たしかに自制は必要だし、書かれている内容は重いのだけれど、おかしいことにおかしいと言える、認められることに、澄んだ瞳と人間としての強さを感じ、励まされるからです。「父に帰る。」のエントリは辛かったけれども、その意味で私はあらためてBirdWingさんを尊敬しました。それに、ネガティブな言葉にも、自分が弱音を吐いてもきっと毛嫌いせず聞いてくれる・・・のような安心感をもたらす力がありますから、尖った正義より包容力があると思います。こう思うの、私だけなのかなあ。。。あの、違うと思ったら、気にしないでくださいね。まだ私が幼いだけかもしれないとも思います。あまのじゃくだ、とも。というかそもそもこれ、私の正義だし(笑)
が!とにかく、弱音なんて吐いちゃだめだ、なんて言わずに、吐きたいときはジシン(自信と自身)を持って吐いてください。弱音吐いちゃだめだ!って思えたのも、吐いてしまったからこそではないでしょうか、きっと。コメントまで全部読ませていただいたのですが、すごく素敵だと思いました。最近、初めて音楽を聴いて嗚咽を漏らして泣いてしまったのですが、その曲を思い出しました。もしこのコメントに共感いただけるなら、きっと癒される曲だと思います。聴いてみてくださいね。ご存知かもしれないですけど。■Clammbon - Contrast
http://jp.youtube.com/watch?v=wnVvGmvD42U・・・長くなりすぎましたが(ごめんなさい、うざかったら削除してください)、上がってくるエントリをひとつひとつ読みながら、こんなことを考えていました。辛いことは隠さなくても漏れ出るぐらいにたくさんあるとは思いますし、自分を振り返ってみても辛すぎることが多いのですが、それでも自分を大切にしながら生きていきたいなあって励まされた気がしました。あやかってアイボンしとこっと。
- BirdWing 2008-11-02T09:33
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ぽろりさん、お久し振りです。長文コメントありがとうございました。
ぼくはぽろりさんの長文コメントが好きです。以前から楽しみにしていました。そもそもぼくも超・長文タイプのブロガーなので、ぜんぜんウェルカムです。ぽろりさんとお話していると切りがなくなるのですが、ひとつひとつ共感できたコメントなので、丁寧にコメントのお返事をしますね。
まず菊地成孔さん。東大にゼミがあるみたいですね。書かれた本も読んでみたいと思うのですが、難しそうです。YouTubeから貼り付けたElizabeth Taylorを聴きながら思ったのは、壊れているのだけれど洗練されているということでした。しかも、各パートそれぞれが自己主張している。ベースだけ聴いていても楽しめるし、ドラムも面白い。なぜなら、ベースの演奏自体もちょっと壊しているんですよね。ひとりで壊れているとバンド全体の調和を乱しますが、壊れ方のもとに全体が完成されている。その洗練さと壊れ方のバランスがすばらしい。
ということとつながると思うのですが、ひとつの側面だけでモノゴトを見ているのではなく、いくつかの側面、あるいは全体から俯瞰でみられるようになることが大事かもしれません。自分の視点だけでなく相手の視点も大事。それが“裸の王様”を回避する視点ではないか、と。けれども、自分の視点を妥協して捨ててしまうのではなく、自分をかわいがってあげることもとても大事なことです。我慢しすぎることもよくないし、他人はもちろん自分に嘘をつくこともいけない。
相対的な善や正義を貫こうとすると自分を失う・・・これはすごくわかりました。
たとえば理論は大事ですが、音楽という相対的な形式からかっこよさを求めても、心に響かない。この音楽泣ける、とか、この演奏すげーっというような、“内なる音楽”に耳を澄ませることが必要です。でも、その自分の志向する音楽を支える上で、幅広く勉強した知識から自分だけの理論(あるいはテツガク、思考)を選択して持っていたほうがよい。だから理論全般を究める必要はなくて、自分にとって必要な理論だけ究めることでもよいのかもしれないですね。そんなことなのかな、とぼくは考えました。
相対的な善や正義にこだわると、どこか偽善的になってしまう。以前、ぽろりさんは、頑張らなくてもいいということを書いていたと思いますが、ぼくは階段状に向上していく考え方自体が、上位と下位という格差を生むものであり、また、経済としては、そんな上昇カーブの成長が望めない時代になっている気がします。だから頑張れない時代にみんな苦しんでいるし、行き詰まりも感じている。
男はどうしても上昇的な考え方をしてしまうのですよね。そして他者とモノサシで比べたがる。競争好きなので(笑)。ただ、そうではない生き方に豊かさのヒントがあるような気がします。他者を思いやりながら傷付けず、自分を大切にする。そんなたゆとうような生き方、というか。
弱音については、ぽろりさんに肯定していただいて、少しだけ自信が生まれました。ぽろりさんの正義に勇気付けられた、という感じでしょうか。ありがとうございます。これからも、ぼちぼち弱音を吐いていくことにしましょう(笑)。このブログのエントリーで。
世代の違いはきっとあります。ええと、ついったーでお話させていただいた頃に、ぽろりさんは80年代生まれということをきいた覚えがありました。その時代に学生をやっていたぼくとは、ずいぶん考え方も違うことと思います。しかしながら、年上のぼくよりしっかりした考え方をされているので、いつも背筋が伸びます。何度かコメントに書いたような気もしますが、ぜんぜん幼いことはありません。きちんと考えているぽろりさんは、これから素敵な大人になるのではないでしょうか。きっとなれると思います。
クラムボンのContrast、聴きました!ぼくは聴いたことがありませんでした。泣けたー(涙)。染みるー。まさにコメントいただいた内容にぴったりの歌ですね。歌詞いいなあ。そして音の素朴な感じもいい。この感じ、好みです。平気とか、大丈夫という言葉に癒されます。ほんとうにそれぞれの事情があり、それぞれの日常があるんですよね。
もしよければ、これからも暇なときにはブログに遊びにきてください。考えたことを聞かせてほしいと思います。それから、ぽろりさんの文章も魅力的で、ぼくはファンでした。ブログを閉じられてしまったのがほんとうに残念です。気が向いたらどこかでブログを再開するのもいいと思います。もちろん無理はせずにね。
それにしても早朝にコメントではないですか。きちんと睡眠は取っているのかな。体調に気をつけてください。寒くなりますが、ほっとレモンでも飲んで、こころまであったまってください。辛いこともあるかと思いますが、お互いに頑張りましょう。自分を大切にして生きていきましょう。きっとどこかでその辛さが報われる日がくると思います。そう祈っています。
- ぽろり 2008-11-03T18:35
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超・長文コメントであったにも関わらず、早速のコメント、ありがとうございました。とはいえ私は要約力を鍛えるべきだと思ってます。思ってますよ。思ってはいるのですが(苦笑)
エントリの内容とは離れてしまいますが、お話が楽しかったので書いてしまいますね。多すぎる・・・と思ったらほんとに削除してくださいね。。。自分を失うという話は、つまるところ「ご自愛ください」なのですが、音楽理論で例えてある部分を読んで、伝えたい部分を的確に受け止めてくださったことがわかりました。ありがとうございます。
それから、頑張らなくていい話は懐かしいですね(笑)そうなんですよね、善や正義を追求すると、どうしても切り捨て思考になってしまう(とはいえ、正義に基づいて人助けをしているひとたちの否定はできませんが)。一方で、まいにち頑張ってお仕事に行くBirdWingさんの意見も、今になって少しわかるようになりました。長くなるので詳細は割愛しますがいろいろありまして、耳にタコができるぐらい聞いた「社会は厳しい」という言葉と、BirdWingさんの「頑張れ、と言われて、おう頑張る!と言えるのがオトナ」という言葉の重みをいま痛感しています。
とはいえすみません、コメントの「階段状に向上していく考え方自体が、上位と下位という格差を生むものであり・・・」の部分が気になりました。これは、どうなんでしょうね。仕事のスキルアップにしても趣味の世界にしても、階段を上がることによる思考の快楽は否定できないのではないでしょうか。前のコメントにも書きましたが、強いられていると思う。
と言うよりは、自分にとっての3段目が誰かの10段目であるとか、あるいは階段の角度そのものが人によって違う、と考えた方がいいような気がしました。自分の中でも、1段目は平坦でも2段目は急だったりすると思うし、ばらばらです。というかそう思わないと、やってられない(笑)階段に映るジグザグな影を見ながら、それぞれマイペースで上っていけたらいいですね。いまのところ右肩上がりなのは体重ぐらいなんですけど(泣)、行動として上るために考えていこうって思っています。まず私はひとりでもしっかり生きられるようにならなきゃ。
ところで、BirdWingさんがブログや文章についていろいろ考えている間に、私は読者目線から「どうして私はこのブログを読むのだろう」と考えていました。どこが好きで、どのように読んでいるのか、と。いろんなブログがあるのに、BirdWingさんのブログは、そのどれともなんとなく違うんですよね。
まだ、よくわかっていない部分もありますが、ひとつ思ったのは「共感の力」ではないかな、と。いま『欲望としての他者救済(金泰明 / NHKブックス)』という本を読んでいるのですが、相手が「見知らぬ他者」であっても心から応援したり勇気付けられたりするのは共感の力であり、そしてそれはすごく強いんだそうです。書いてみると当たり前のようなことですが唸りました。優れた意見を表明するブログもあれば言葉の運びだけで読めちゃうようなブログもあるし、同じブログでも読み方はそれぞれだと思うのですが、私はBirdWingさんのフォントを読んでいるというよりは、なんとなく BirdWingさん自身に共感しているのかなーと。エントリ単位では賛成できないこともあるのだけれども読んでしまうのは、そういうことなのかもしれないな、と思いました。だからですね、なんとなくBirdWingさんがエンターテイナーであることは私には困るような気がしました(笑)すみません、あまりよくわかっていませんが。。。
そんなわけで、ご迷惑でなければ多分また遊びに来ちゃうと思います、怒涛の長文とともに(苦笑)音楽理論の話もまたいつか、どこかでしたいですね。踊り場に辿り着いて影がまっすぐになったときに話せたらいいなあと思います。ご心配もありがとうございます。でも、夜更かしできるようになったのは最近になってようやくで、それまでは夜起きてるのが怖くて早寝していました。自分では余裕ができたと思っています。BirdWingさんも、ほっとレモンの飲みすぎで糖分過剰摂取にならないようにお気をつけください(笑)報われる日なんか祈ってないでお互いに報いてやりましょう!ではでは。
- BirdWing 2008-11-03T21:46
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おお、ぽろりさん。またまた超・長文ではないですか。受けて立ちましょう(にやり)。ぼくも楽しいので止まりません。再び超・長文のお返事で失礼します。
実は、びっくりしました。このコメントをいただいたときに、次のエントリーの原稿を書いていたのですが、なんとそのテーマが文章の表現力による共感、あるいは共感覚という特殊な能力のことでした。
2バイトのデータでしかないフォントに力を持たせること、書き手の身体感覚を再現して共感を生む、という夢のようなことを書いていた途中でした。これから推敲してアップするつもりなのですが、たぶんほとんど書いたままになると思います。もしよければ次のエントリーも読んでみてくださいね。
なんだか同じようなことを同じ時間に考えてるひとがいる・・・と思って嬉しくなりました。その後、夕飯に呼ばれてしまったので中断したのですが、たぶんほぼ同じときに共感について考えていたんですよ。驚いた。そういえば、どこに書いたのか忘れましたが、あるひとの香水の匂いを感じて掲示板に書き込んだら、ちょうどそのときにネットの向こう側でそのひとが掲示板の書き込みを読んでいた、という都市伝説もありました。それに近いかもしれません。
ぽろりさん、ちょっと身の回りを確認してみてくれませんか?
ネットのケーブル以外に、ぼくの脳内から伸びているパイプがぽろりさんにつながっていたりして・・・なわけないか(笑)ちなみにコメントの削除について書いておきますが、基本的にどんなに脇道にそれて長文だったとしても、ぼくにとってコミュニケーション可能な話題であり、困惑しない話題であれば、削除することはありません。一方で、内容に関係なく「インターネットって意味あるの?」のようなコメントがあった場合は、ラクガキだと思って消すつもりでいます。そんなことを書き込むのであれば、ネットやめりゃいいじゃん、なんでこんなとこに書き込んでんの?と思うので。
ぽろりさんが書いてくれたのは、ぼくのエントリーを補足する内容であり、ある意味、エントリーの一部という気がします。なのでぼくも続けましょう。すみません、余計な話をはさみました。とにかく気にしないで、どーんと長文を書き込んでほしいと思います。
階段の話、よくわかります。社会に出ると、いやおうなしに昇らされる階段もあるし、自分のモノサシや自分の階段を持っていればいいだろう、という個人主義もしくは楽観主義に徹することもできません。そもそも企業では評価されるときに、経営者の作った評価の階段によって判断されますからね。
そういう意味では、やだ!と駄々をこねるのではなく、とりあえず昇ってみますか・・・ぐらいの肩の力を抜いた気持ちが必要になります。先程のネットの話にもつながりますが、意味がないと思うなら、階段のない世界に行くしかない。それは独立かもしれないし、もっと別の生き方かもしれません。けれども自分でカイシャを選択したのであれば、昇らなきゃならないものは覚悟を決めなきゃならない。
ついでにいうと、昇る速度が遅くても、いやいや昇るよりできれば辛くても明るい気持ちで昇ったほうが自分のためにもいいかもしれません。なかなかできないことですが。。。ただですね、3段目でも5段目でも、とりあえず昇っていれば昇っているんだということで胸を張っていい気もします。段数を誰かと比較して落ち込むことはありません。昇っていること(足を踏み出したこと)で立派。そんな自分を認めてあげましょう。ちいさなことですが、そういう気持ちも大事です。
さてさて。面白そうな本を読まれていますね!これですね?
ふむ。ぼくも読んでみようかな。情報ありがとうございます。
共感の力については、次のエントリーでも書いていますが、ほんとうにそれが自分と誰かのパイプを「つなぐ」力なのかもしれないと思いました。ネットに関わらず、あらゆるコミュニケーションで重要なことかもしれません。ぽろりさんとは世代も聴いている音楽もまったく違うはずですが、ぼくもまた、ぽろりさんの書くことにいつも共感しています。なんでしょうね、これは。
それから賛成できないところもあるからこそ、共感できるような気がしました。全面的に賛成、ぴったりと合うようなひとは、そのひとのドッペルゲンガー(自分そっくりの分身)でもなければ、現実にはいないのではないでしょうか。ぼくはむしろ、ぽろりさんが賛成できないところを聞いてみたいですね。きっとそこに視点を変えてくれるヒントがある。
とはいえ、先日クラムボンのContrastの映像を教えていただきましたが、あの曲を聴きながら、嗚咽をこらえながら耳を傾けているぽろりさんを想像してしまい、ずきずきと胸が痛みました。想像のなかのぽろりさんに過ぎないし、30%ぐらいソフトフォーカスが入って美化されていますが(笑)、これも共感の力のような気がします。
あはは。エンターテイナーだめですか。じゃ、やめます(あっさり)
起きているのが怖くて早寝というのは、学校に遅れるのが怖いということですね。大変だなあ。ぎりぎりの単位で卒業したぼくは、その恐怖感がよくわかります。ほんとうに階段の踊り場で落ち着いたら、音楽理論などのお話もしましょう。のんびり日々の雑感を書き散らしながら、待ってます。
報いてやりますか!なんか元気でました!
- amy 2008-11-19T19:37
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こんにちは
お久しぶりです。
今、演奏とか弾き語りのライブ映像がupされています。
良かったらみて下さいね♪http://musictrack.jp/index.php?pid=sx150contest&cat=performance&no=2
http://musictrack.jp/index.php?pid=sx150contest&cat=kids&no=2
http://cgi2.nhk.or.jp/paphooo/result/search_result.cgi?action=detail&file_no=3127
- BirdWing 2008-11-20T08:31
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コメントありがとうございました、amyさんというよりママミュージシャンのしばた歩実さん。お久し振りです。コメントスパムのフィルタリング機能にひっかかってしまったようで、公開が保留にされていました。すみませんでした。
amyさんも学研のSX-150を買われたんですね。映像を拝見しました。コンテストをやっていることは知っていましたが、親子で参加というのがすごい。娘さんの夏休みの自由研究に活用されたとのこと。うちの息子はあまり関心がなかったようですが、やっぱりミュージシャンの娘さんは違います。リボンコントローラーで音階を演奏するのは難しいのですが、あの難しい曲を弾けるとは・・・。びみょうにずれているところもアナログでいいと思いました。
なんきんさんのアニメーションを背景に歌っている「ゆき」も懐かしかったです。あれは5~6年前だったでしょうか、会社が終わるとライブハウスにふらりと立ち寄ってアマチュアやインディーズのミュージシャンの方の演奏を聴いていた時期があったのですが、そのときに「ゆき」の演奏を聴いて映像を観て感動しました。いつだったか、なんきんさんがライブハウスに来ていたときもありましたよね。長身でRockのミュージシャンのような感じで、かっこいいひとだなーと思ったことを覚えています。
そろそろ雪の便りを聞くような季節になりました。風邪などひかれないようにお気を付けください。音楽活動、応援しています!
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