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2008年11月 9日

[DTM作品] 枯葉の絨毯。

人間の身体のなかにも音楽があるのではないか、ということを考えたのですが、いちばんわかりやすいのは心臓の鼓動、つまりリズムでしょう。赤ちゃんの場合は速く、大人になるとゆったりと遅くなる。同じひとであっても、緊張しているときには速くなるし、落ち着いたときにはゆったりと遅くなる。生きている人間であれば、必ずこのリズムが体内で刻まれているわけで、メロディやハーモニーよりもまずリズムがある。

検証したわけではないのですが、ぼくが趣味のDTMで作る音楽のリズムは、いつでもほぼBPMが100あたりのテンポであり、これがぼくの鼓動の速さ、あるいは身体に適したテンポなのかもしれません。

ぼんやりと休日にSONARのソフトに向かいながら、このリズムを変えられないか、と思ったのですが、なかなか難しかった。そこで今回は拍子を変えようと思いました。3拍子、つまりワルツに挑戦です。考えてみると3拍子の曲を作ったことがありませんでした。盲点でした。

ところで、3拍子、ワルツといってぼくが思い出すのは次の2曲でしょうか。ビル・エヴァンスのワルツ・フォー・デビィ、そしてエリック・サティのジムノぺティ。

■Bill Evans - Waltz For Debby

まずビル・エヴァンスのワルツ・フォー・デビィをYouTubeから引用してみました。ジャズの入門者用の曲だとは思いますが、学生時代に某鎌倉に住んでいる友人に薦められて輸入版のレコード(CDではない)を購入し、毎日聴いていた覚えがあります(ということを何度かブログに書いたなあ)。冒頭のやさしいピアノの雰囲気と、ベースのソロがいい。この映像はアルバム収録のテイクよりテンポが速めのような気がします。

つづいてサティですが、埋め込み不可なのでリンクで引用します。

■Aldo Ciccolini plays Satie (vaimusic.com)
http://jp.youtube.com/watch?v=Lvqoqjwfv-c

サティのジムノぺティは、よく耳にする音楽です。具体的に例を示せないのですが、映画やCMのなかで使われることが多いように思います。明るさと翳りが混在したような静かな音楽で、ぼくがこの曲を聴くと、なんとなく陽光が降り注ぐ図書館の窓際の席を思い出します。光のなかで埃がふわふわ浮かんでいる。何かのレポートか課題に取り組まなければならないのだけれど、手つかずのまま、まったりと埃を眺めている、そんなイメージです。なんでしょうか、この特定されたイメージは(笑)。

そのほか、ボーカル入りの曲では、キャロル・キング(The City)のSnow Queen、ビートルズでは途中で拍が変わりますがLucy in the Sky with Diamondsなどが3拍子です。

というわけで今回は、3拍子、ワルツという限定したスタイルから制作してみたのですが、イメージしたのは冬の公園の散歩でした。そろそろコートが必要な季節になりましたが、コートに手を突っ込んで、冬の公園を歩く。枯葉が敷き詰められていて、歩みにしたがってかさかさと音を立てる。葉の落ちてしまった木々からは青空がのぞいていて、風はあまりない。ときどき鳥の鳴き声が聞こえて、遠くに雲はふたつばかり浮いている。

というわけでワルツ(3拍子)に挑戦した曲をブログで公開します。タイトルは「枯葉の絨毯。」としました。


■枯葉の絨毯。(3分4秒 4.21MB 192kbps)

作曲・プログラミング:BirdWing


あらためて聴き直して、いつになくまとまっていない印象です。反省。まあ、挑戦したので無理はあるのですが。

DTMをはじめた頃には、イントロ・Aメロ・Bメロ・サビ・エンディングなどのようにきっちりとした構成の曲を作っていたのですが、最近はインストのせいかどうでもいい傾向があり、しかも同じコードの繰り返しで最初から最後まで作ってしまう横着ぶりです。しかも制作途中の思いつきで変わっていくので、同じようなコードでありながら最後にはびみょうに異なっていることもある。

SONARでTTS-1というソフトウェアシンセだけを使っています。けれどもベースは、ジャズに使うようなアップライトのベースのプリセットにしました(ビル・エヴァンスの映像で左側で弾いているひとのようなベース)。本物のような音を出すことはできないのですが、なぜかこのベースの音を聴くと、ぼくは枯葉を思い出します。弦が振動するときの乾いた感じから連想するのかもしれないし、枯葉という名曲がジャズにあるからかもしれないのですが、色彩でいうと、ぼくにとってのジャズはどうしてもセピアなんですよね。共感覚の持ち主ではないから、そんなに鮮明ではないのですが。

そういえば、バンドでベースを弾いていた頃には、エレキのアップライトのベースをとても欲しかった時期がありました。フレットレスなのでかなり高度な技術が求められるため、ぼくには無理そうな気がするのですが、やっぱりかっこいい。キリンのラガーというビールの宣伝で、いかりや長介さんが弾いていて、かっこいいなあと思いました。YouTubeからの映像です。

渋い。ああ、こんなおじいさんになりたい(笑)。というかビール飲みたい。最近は、安いので発泡酒(キリンのストロングセブン)なんですけどね。

というわけで、ぼくが作る趣味のDTM作品の志向性は、ジャズなのかポップスなのかエレクトロニカなのか、デジタルなのかアコースティックなのか判別できないような音楽に足を踏み込んでしまったようです。それらのジャンルのいずれでもなく、一方でいずれでもあるような感じがします。これだ!と自信をもっていえるようなものではないけれど、この音楽は紛れもなくぼくが通過してきた音楽の延長にあり、ひょっとすると混沌とした光とも闇とも判別できないものが自分ではないのかな、と。

この混沌のなかから、いつしか自分らしい何かが生まれてくるといいのだけれど。そんな期待と不安を抱きながら、自作曲を聴いて考えています。

投稿者 birdwing : 2008年11月 9日 10:49

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