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2009年3月19日

「美しい時間」小池 真理子・村上龍

▼book09-03:50代のためのリッチな短編。

美しい時間 (文春文庫)
美しい時間 (文春文庫)小池 真理子

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50歳の自分が想像できません。どうなっているんだろう。というよりも最近、そこまで頑張れるのかな、という弱気なことまで考えてしまう。なんとなく息切れがしがちな毎日のせいでしょうか。体調も弱ったり、こころもすこし疲れていたり、どこか病んでいたり。もう少しゆっくり生きることができるとよいのだけれど。

あるひとから聞いた話では、50歳になると悩みや身体的なあれこれから突き抜けられるらしい。しかし男性は二極化されるようで、何かに吹っ切れて人生を謳歌できる突き抜けた人間と、病気などで老いていくだけの人間と別れてしまうとのこと。それは極論ではないかな、とぼくは思っていて、ふつうに穏やかなシニアになっていく道もあるだろうと思うのですが、さて、どうでしょう。

小池真理子さんの「時の銀河」、村上龍さんの「冬の花火」という2編の短編小説をカップリングして、平野端恵さんのイラストレーションと横山幸一さんの写真で構成された「美しい時間」は、ネスレのプレジデントというコーヒーのタイアップとして、50代の比較的裕福な層に向けて書かれた作品のようです。

プロモーションのためか、と考えると若干ひいてしまい、純粋に作品を楽しめないことも多いのですが、この本は楽しくさっと読めました。ささいなことに拘るとすれば、贅沢なレイアウトがうれしい。余白が十分にとられていて、特に下の部分の余白が多く、文字の行間もゆったりとしたレイアウトです。内容はもちろん贅沢なつくりといえます。

小池真理子さんの「時の銀河」は、亡くなってしまった男の妻の亜希子と不倫相手の私・梢がレストランで、かつての男に似た人物をみつけながら食事をするシーンからはじまります。そして回想に入っていきます。

ふたりの女性は互いに52歳で、梢は30代のときに亜希子の夫、つまり彼に知り合っている。そもそも浮気相手の女性とその男の妻はいっしょに食事なんてするものかな、という疑問を感じたのですが、ありそうもないシチュエーションもまじえて、どこか昼間に放送されているドラマっぽい印象です。しかしながら、ベタだなーと思いつつ、読んでいくうちに若干じーんとした場面もありました。うまく言えないのだけれど、女性作家ならではの静かな切なさがある。

小説のなかのハイライトのシーンといえば、ここでしょう。忘年会で飲んで遅くなる梢を男は待っているのだけれど、彼女が遅くなったことに苛立ってテレビを大音量でかける。子供じみた行為に腹を立てて喧嘩になり、梢は「こういう関係性にある場合、女が必ず口走ること」を言い立てる。すると、男は部屋の片隅にあった二段チェストを窓から外に投げ捨ててしまう。けれども、あとで和解のために電話をかけてきて、実はその日は、彼の妻である亜希子が卵巣の手術を受ける前日であったことを告げる。

うーむ。びみょうなところです。何が正解かはわからないけれど、言わないのであれば男はずっと口をつぐんでいるべきだと思う。しかし、話すのであれば、もっと別のときに話すべきかもしれない。ただ、男の身勝手さのようなものをうまく描いている気がしました。

村上龍さんの「冬の花火」は、ステッキ店を営んでいる「わたし」が新聞で、カジノで1億円をあてたあとに死んだ老人の記事を読むところからはじまります。この老人、大垣さんは父親の友人であり、とても裕福な暮らしをしていたひとだった。そして、亡くなる前に彼から「冬の花火だ」という短いメールを受け取っていた。冬の花火とはいったい何なのか、という疑問を抱きながら、「わたし」は彼と親しかったひとたちに会い、老人のことを回想します。

とにかくディティールの書き込み方がすごい。ステッキに対する知識であるとか、大垣さんが興味のあった化石に対する薀蓄であるとか、富裕層を想定した暮らしぶりなど、緻密にこれでもかというぐらいに書き込まれています。さすが村上龍さんだ、アタマのいいひとだな、と思うのと同時に、けれども個人的には小説としてはすこしばかり食傷気味というか、疲れてしまいました。なんとなく物語よりも知識の奔流に押し流されてしまう感じ。

しかし、そういう薀蓄を楽しむのも、50代ならではのこころの余裕なのかもしれませんね。たぶん村上龍さんはターゲティングに合わせて、物語的な流れより、知識の幅や広がりを重視したのだと思う。

とはいえ、冬の花火とは何か、という疑問から推理小説的に読ませていく力量にもまいりました。和むのだけれど寂しい結末が用意されています。また、村上龍さんのあとがきがまた面白かった。どちらかというと創作を考える上で、参考になりました。まずはコーヒーのタイアップであることについて書かれた以下を引用します。

五十代の読者を想定して、しかも性的、暴力的な描写はNG、というような制約は、実はわたしの好むところである。小説というのは、制約があったほうが書きやすい。

プロだと思いました。ビジネスマンの感覚に近い。

制約というのは音楽のコードや映画の原作に似ていて、一種の「約束事」であり、大げさに言うと「制度」だ。制度的なものへの挑戦と突破を常に自分に課しているわたしとしては、制約があればあるほど書きやすい、ということになる。

この発言、好きです。音楽と映画に喩えられているところが村上龍さんらしいのだけれど、ぼくにもよくわかる。制度そのものを壊すのではなく、制度のなかで制度を裏切るような何かを生み出すことは、とてつもない快楽であり、ものすごい創造性が求められると思います。

というわけで、あっという間に読み終えてしまった一冊ですが、美しい時間というよりも、ちょっとだけリッチな感覚を味わうことができました。作られたコンセプトの通り、深く文学を楽しむというよりも、コーヒーを飲みながらすこしだけ贅沢な時間をすごしたいときにおススメです。3月8日読了。

投稿者 birdwing : 2009年3月19日 23:59

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